放課後、四時を回った時刻。


 いざ下校しようとした蒼助は、その時ぎょっとする光景に遭遇した。





 校門近くで双眼鏡を持って校庭を走る女子バレー部員達をじっくり眺めるあからさまな不審者。

 ただの不審者なら蒼助も眼を見開く程驚くことはなかった。


 その人物が、認めたくないが――――――――――見覚えのある姿形をしていなければ。



「いいねぇ。……青春の象徴だな、部活で汗を流す女子高生の生足は。あの張りと引き締まった丁度いい太さが実に……」

「オイコラ」



 鼻の下伸ばして生足鑑賞するその男を、蒼助は思い切り蹴り飛ばした。

 横っ面に直撃して派手にどしゃぁ、と音を立てて倒れる男は、つぁ〜、と蹴られた頬を撫でながら顔を上げる。



「何しやがるっ!」

「それはこっちの台詞だ!」



 男―――――朝の公園で遭遇したホームレスに振りかぶって鞄を投げつける。

 短い射程で投げられたそれは、コースから外れる訳も無く顔面に叩き付けられた。

 不審者兼ホームレスはぐあっと呻き再び倒れる。



「なに堂々と犯罪してんだよ、てめぇは! 待ってろ、今警察しょっぴいてやる!」

「オイ待て待てクソ餓鬼。何で日課の行ないで留置所入らなけりゃならない!?」

「しかも常習犯か!」



 いや、違うぞ、と男は否定し真顔で、



「これは犯罪じゃない。―――――この学校責任者及び全生徒公認の行為だ」

「絶対有り得ねぇし無理あるし、仮にそうでも尚更だ。間違いは正さなきゃな―――――来やがれ覗き魔」



 止めろぉ、と暴れるホームレスの首根っこを、腕でがっちり固定(ホールド)して職員室に引っ張っていこうとした蒼助の耳に校庭から黄色い声が聞こえた。


 先程のバレー部の女子部員達が蒼助―――――正確にはホームレス―――――に向かって手を振っている。



「おじーさん、今日部室来てねぇ。部活終わったら皆でお菓子持ち寄ってお茶会するからぁ」

「待ってるねー」



 実に友好的なその態度に、蒼助は気が遠くなった。

 もちろんだともー、とご機嫌に手を振り返していたホームレスはズレたサングラスをかけ直し、勝ち誇った笑みを浮かべて腕から抜け出した。



「いや、それにしてもお前がここの生徒だったとはな。妙な縁があるもんだ」

「待て、ココに来るのが日課だっていうのなら制服でわかるだろ」

「野郎になんか興味ないし」  



 男としては最もな意見だった。

 共感できる話なので、蒼助は殴るのはやめておいた。



「それよりどうよ、俺の言ったとおり女神には再会できたかい?」



 にしし、と笑ってからかうように尋ねるホームレス。

 またその話か、と蒼助はなんとも言えない実際の『状態』に顔をしかめ、



「微妙、だな」

「ほぉ、そりゃどういうこったい? オジサンに話してみな」



 語る相手が目の前の人物というのは、それこそ微妙な気分だった。

 だが、この事は胸に秘めておくより誰かに話した方が気が晴れるかもしれない、と思い始めて、半ば妥協の形で目の前の男に打ち明ける。



「どうもこうも………向こうは俺のこと覚えてねぇみてぇだし、それになんか…………違う」

「違う? 一体何が? 良く似た他人で人違いだったとか?」

「そうじゃなくてだな……こう、雰囲気つーか」



 蒼助の脳裏に蘇る記憶の彼女の残滓。

 それと今朝、教室で見た千夜はそれと重ならない。

 何処まで凛々しく堂々として絶対の存在感を与えたあの時と、今日見た確かに見る者の注意を惹き付けるが肝心の何かが欠けていた様。


 それが蒼助には附に落ちずにいた。



「とにかく、俺が………会いたいと思ったのは、ちょっと違うんだよな」



 自分でもなんだか相当恥ずかしく青臭いことを言っていると思えてきた蒼助は、羞恥を紛らわすようにガシガシと頭を掻く。


 蒼助の発言とその行動が何のツボに入ったのか、男は腹を抱えて笑い出す。

 やっぱり殴ろうかと気が変わり出す。

 しかし、男はヒィヒィ、と呼吸を荒さを収め始めたところで、



「あー、おかし。青い春と書いて青春ってか………てめぇの感動的な彼女との再会シーンが美化したとか考えて冷めねぇのが若いうちの長所ってやつか」



 あ、それもありか、とたった今気付いた蒼助だったがそれを言う前に、



「若い君に良い事を教えてやろう。

 本当に彼女と再会を果たしたいと思うなら――――――――――戻れ」



 男は今までのふざけた様子の一切を取り払い、真顔で告げた。

 突然の言葉を、蒼助は意味を解りかねた。



「突然、何言って……」

「まぁ、あれだ。……学校ってとこには決まってある種の人間が必ずいるだろ。アンタの女神が美人なら尚のこと引き返すべきだ。連中は綺麗なもんをぶち壊すのが好き

らしいからなぁ」



 その言葉に蒼助は、跳ね上がる心臓の鼓動と共にハッとする。

 かつて不良という人種を相手に散々暴れてていた蒼助は知っていた。

 彼らは弱く群れて一匹の獲物を狙う。仮に倒されても、その蛇のように執念深い習性はある意味目を見張る。



 昼の神崎陵の一味は一度追い払われたくらいで、狙った獲物を諦めるのだろうか。

 去り際に千夜を見たあの欲望の渦巻く神崎の目が脳裏に甦る。


 そう言えば、千夜が久留美と何か話していたな、と聞き耳たてた会話を蒼助は思い出す。





『それじゃ、部活の顔合わせ終わったら戻ってくるから教室で待ってて』





 それに頷いていた千夜。

 もし、もし仮にもまだ教室にいるのなら。

 神崎たちが諦めていないとしたら。


 二つの仮定を結びつけた上で導き出された結論に、蒼助の体中の流れる血液が急激に温度を低下していく。

 蒼助の心情を見透かしたのかホームレスは



「行きなよ。行けばアンタが再会を願った本当の彼女に会える。だがこれだけは忘れんな。


 ――――――――――運命の女神が齎すのは祝福ばかりとは限らねぇ………もしかすると、その女があんたに齎すのは……」



 あんた自身の破滅かもしれない。



 そう言い残し、ホームレスはコートを翻して校門から出て行った。


 沈み始めた暮れ空の夕日の朱が背を向けて校舎に向かって走り出す際に蒼助が見た去りゆく男の背中を朱く染め上げていた。







 ◆◆◆◆◆◆







 夕焼け色の染め上げられた教室。




 そこに立っていた少女を見た途端、蒼助の心臓は瞬間的にきゅっと収縮した。


 姿形は何一つ変化がない。だが、朝教室に入ってきた見た時とは比べ物にならない存在感が確かに在った。

 あの夜、蒼助の心と記憶にしかと刻み込ませたあの絶対的存在感。


 蒼助の視界に立っている少女に朝から昼間にかけての清楚な美しさは見る影もなく消えていた。

 あるのは、粗暴なまでにの荒々しさを伴った凛々しい様。

 背を向けていた彼女がこちらに気付き、振り返る。

 見えた顔はやはり醸し出して纏う雰囲気同様に凛々しさが際立つ顔つきに変わっていた。

 近づいてくる者たちに愛想良く応じていた『作った』微笑はない。





 彼女だ。

 蒼助が会いたい、と本当に願った――――――――――紛うことなき本物





 見つめてくる双眸と目が合う。


 何か話さなくては、と言葉を捜すが見つからず、声を出そうと思えば喉が引き攣る。


 どうすることできず、蒼助はただただようやく再会できた少女の姿を瞳に焼き付ける。


 時間が止まっているかのように思えたその瞬間は、



「あの〜、なんか世界に二人な雰囲気つくっているところ悪いけど………周り良く見て、蒼助」



 いたのか、と完全に意識からシャットアウトしていた久留美に、蒼助はそこでようやく気付いた。

 何故かという思考作業は置いておいて一瞥し、言葉どおり千夜と己が周囲に目をやる。



 そして、蒼助は思わず絶句した。



 床に転がり、壁に凭れる多数の屍(といっても死んではいないが)。

 屍の正体は神崎とその舎弟達。


 どれも、気絶もしくは動けない状態で呻いている。 

 特に痛め付けられた形跡が見れないところから、少ないかつ必殺の一撃で先頭不能にされたのだろう。


 しかし、これを行った人間が誰なのかを考えると蒼助は動揺せずに入られなかった。



「………これ、お前がやったのか?」



 答えたのは問いを投げかけた相手ではなく、久留美だった。

 蒼助の言葉で何かのリミッターが外れたのか鼻息荒くした久留美が、蒼助の胸倉掴み上げて詰め寄る。

「本当、凄かった! 何が凄いって……馬鹿で単細胞で両生類面とは言ってもそれなりに強いはずの神崎を一撃でのしちゃったんだから。その後はもう多数相手に大立ち

回り! キアヌ・リーブスとかアンジェリーナ・ジョリーなんて目じゃないわ、あれは! あーっカメラが無かったのか口惜しいっ!!」



 わかったから振るな揺らすな、と久留美の手を振り解きしゃがみ込んで近くで倒れ伏している一人の髪を掴み上げる。


 完全に白目をイっている。
 これは当分起きない、と判断し、



「オイ………何があった。と言っても大体想像できるが、ここまでするかよ」



 急所一撃じゃねぇか、とジト目で見れば、千夜はそれがどうしたと言わんばかりに、



「自業自得だ。この連中、そこの新條を連れて来るときかどうかは知らないが、手を上げたらしいからな。たまには被害者側に回るのもいい経験になるだろう尤も、それ

が肥やしになったかは怪しいがな」



 千夜の言葉に促されて見れば、久留美の頬は少し紅くなっていた。

 彼女の性格を知る蒼助にはわかった。

 自分の意に添わないことにはとことん反発的な久留美は抵抗したのだろう。


 千夜の言っていた事が図星だったのか、久留美は頬に手をやりつつ、 



「あー……ちょっと、平手でバシンってやられたけどね。でもまぁ……大丈夫だから、さ」


 気にしないで、と珍しく汐らしい久留美の言葉を、千夜が遮り、


「女子供に手をあげる外道と身の程知らずにかける情けなんぞ、私には無い。今日の間いろいろ我慢していた鬱憤も含めて……この際だ、二度と愚行が出来ないように

全員指でも二、三本折っておこう」

――――――――っはい!?』



 既に、言い分はただの八つ当たりだった。


 冗談かと思ったら、本当に実行としようとする千夜を慌てて止めようと蒼助と久留美が動き出す前に、倒れる中で呻いて動き出す者がいた。

 三人揃って同じ方向を見れば、その先では気絶していたと思った神崎が一早く目が覚めたのか、それとも気がついていても今まで動けなかっただけなのか、身体を起こ

そうとしていた。


 打たれた箇所がまだ痛むのか苦痛、そして悔しさに凄まじい形相に表情を歪めながら、神崎は千夜を睨む。

 その迫力に久留美はともかく蒼助ですらヒいた。

 不細工がここまでなると、もはや目にも当てられない強烈さがあった。

 蒼助達が逃げ腰の中、ただ一人その様を呆れ顔で見つめる千夜。



「両生類かと思ったら中身は爬虫類か。……蛇並の執念深さだな、お前」  

「……これぐらいで、俺から逃げら……っれると……思うなっ。………諦めないぞ……必ず………っお前を俺の前に跪かせて……」



 まだ言うか、と蒼助もその執念深さには呆れる。



「ケロタンよぉ………いい加減にしとけよ、お前マジで指折られるぜ?」



 蒼助の言葉に神崎はぎょろり、と眼を見開き、



「っっ黙れぇ! テメェに何がわかるっ……いつもいつも俺の事見下しやがって! くそっ、ぶっ殺してや」



 神崎の言葉は途切れた。


 驚く程の早さで神崎の元へ近寄った千夜が、負け惜しみさえ許さず殴り倒したからだ。

 再び、倒れた際に身体を打ち付けた神崎の胸ぐらを掴んで引き起こし、



「よくもまぁ………人を殺した事も無いくせに面白い事をほざけるな。お前がこれからも私に付きまとうのはぶっ飛ばしてやるから構わんが、今回のように他の無関係の

人間を巻き込んでみろ。


 次は――――――――――私がお前を殺すかもしれないぞ」



 最後の台詞に、蒼助は背筋が氷を放り込まれたように冷たくなった。


 神崎が言うとちゃちな脅し文句にしか聞こえなかったそれは、千夜が口にすると酷く現実味が増した。

 まるで千夜がそれを経験済みのように感じ取れた。

 それを察したのは蒼助だけのようだった。

 隣の久留美の方はただ千夜の行動に驚いているだけ、ただならぬ雰囲気には気付いていない。



 背中を向けている為、千夜がどんな表情でその言葉を吐いたかはわからないが、華奢な肩越しに脅えた神崎の表情がちらりと見えた。



 そして、蒼助はその光景に――――――――――何故か既視感と懐かしさを覚えた。

 思考ではない本能的なものが、無意識に何かを認識する。

 彼女は――――――――――"そうである"、と。



「一つに利口になれたなら、よく覚えておけ…………いくら力で人の頭を押さえつけても、欲しいモノは手に入らないぞ」  



 そう言い捨てて神崎を床に放り出した。

 ごんっ、と硬質な音が響いたが然して気にするわけでもなく見向きもしない。


 その酷い扱いに蒼助は少なからず再び昇天した神崎に同情を覚えた。

 千夜の素を知っていたとは言え、まさかここまでとは思わなかった。

 二度目の裏切られた気分だった。



――――――――――さて、どうする?」



 突然、千夜が投げかけて来た問いに蒼助は、「は?」と目を瞬いた。



「これに決まってるだろ。思わずここが教室だというコトを忘れて後先考えずのしてしまったが、どう後始末するか………」

「あん? んなことしなくても、誰か来る前にとっととトンズラこいちまえば万事解決……」



 最後まで言葉を言う前に物音が聞こえた。

 廊下から、この教室に徐々に近づいてくる足音が。



「げっ、なんで」

「放課後の教室点検よっ。ま、まずいわ……どう説明するのよ、この状態」 



 どうしようもない。

 もしこれが逆に最悪の状況を迎えていれば、神崎側の問題で済んだが。



「窓から逃げるか?」

「無茶言ってんじゃねぇ! 二階だぞ、ここはっ」



 とんでもない千夜の提案を、蒼助は即却下した。

 蒼助だけなら頑張れば出来るだろうが、一般人の久留美には到底無理な話だ。



「なら、仕方ない」



 一つ溜息を吐き、上着のボタンを全て外しブラウスに手を掛けた。

 その行動にわけもわからず、蒼助と久留美はとりあえずただその行動を見守る。









 しかし、千夜は次の瞬間――――――――――ブラウスの前を力任せに思い切り引っ張り開けた。










 唖然とした蒼助が露になった千夜の胸元に目を奪われたのは、背後のドア開けられたのとほぼ同時だった。







 ◆◆◆◆◆◆







 校門前。
 
 陽はすっかり暮れて辺りは薄暗くなっていた。




「それじゃ、しっかり送っていけよ玖珂。間違っても傷心の相手に送りオオカミになるなよ」

「へいへい」



 自分に対する相手の認識を知り、こっちが傷つきそうな蒼助だった。

 年配の教師は、そんな蒼助から上半身がジャージ姿の千夜に注意を移し、気遣うような口調で、



「災難だったな……気をつけて帰りなさい」

「…………はい」



 少し溜めを置いて俯き加減に返された返事に、教師は痛ましげに顔を歪めた。

 そして隣の久留美にも、



「お前も一応な」

「……先生、この扱いの差は何ですか」



 拗ねる久留美。

 だが、蒼助には教師の気持ちがわからなくもなかった。



「神崎たちの処分は、明日にでも職員会議にて決まる。あとは先生たちに任せておきなさい。じゃあな」



 そう告げて教師は職員棟に戻って行く。


 その後ろ姿を尻目に蒼助たちもその場から離れるように歩き始める。

 校門が大分小さく見えるようになるところまで来て、溜息と共に開口を切ったのは久留美だった。


「はぁ〜、何とか誤摩化せたわね」



 汗をかいているわけでもないのにそれを拭う仕草をする久留美を傍目に、蒼助も緊張からの開放感に安堵しつつ、今だ『演技』を止めない千夜に声をかける。



「しっかし……咄嗟によくあんな真似出来るよな」

「女にとって、涙は世知辛い世の中を渡る必須アイテムだからな。涙腺くらい簡単に操れる」

「……お前も出来るのか、久留美」



 まさかと思って聞いたが、



「出来るわよ。普通は」



 まさかの即答が真顔で蒼助に返って来た。

 女の怖い部分を垣間見た蒼助は、それに蓋をして二度と明けないと誓い、 



「それにしても……服破いた時はマジで何ごとかと思ったぜ」




 あの時、千夜が謎の奇行に及ぶと同時に点検当番の教師が入って来た。




 途端、千夜は自ら晒した胸元を庇うように腕を掻き抱きその場に座り込んで震え出した。


 ケロッとしていた顔は青ざめ瞳は涙で滲ませて。

 それが演技であることに気付いたのは状況と事情を聞こうとする教師に『ほんの少し歪められた事実』を震える声で話し始めた時だった。

 神崎達に襲われた事はそのままにして、そこを蒼助に助けられた、と。



 これによってまんまと千夜は、自分のボロは隠蔽して責は全て神崎達に押し付けることに成功した。 

 あっさり事を丸く治めてしまった千夜に、久留美は尊敬入り交じった感心の意を向けた。



「すごいわね。先生、すっかり信じちゃってたわ……」

「こんななりの女が大の男数人を倒すなんて普通は有り得ない事だからな。そこを有り得ない真実を信じ込みやすい嘘にすり替えてしまえば人を騙すなんて簡単なこと

だよ、新條」



 説得力のある話だと蒼助は思った。


 確かに、人は有り得ない事実よりも有り得る嘘を信じる。

 己の常識を軸に物事を判断する人間は特に。



「へぇ、勉強になるわ……参考にしとこ」

「……オイ、終夜。お前は今とんでもない奴に恐ろしい事を吹き込んだぞ」



 なんですって!?と噛み付いて来る久留美をかわしているうちに、宮下公園の前まで来ていたことに気付いた。

 そこでキャンキャン吼えていた久留美が、



「あ、もうここまで来てたんだ。終夜さん、私こっちだから」



 自分の帰り道を指で示す久留美は駆け出すが、何かを思い出したようにすぐ振り返る。



「あー、そうそう。今日の事、内緒にといてあげるから安心してね」



 その台詞に蒼助は、何が?と脳裏に疑問符を浮かべた。

 同じ状態であろう千夜に久留美はにんまりと笑って言った。



「美少女転校生のす・が・お。ネタには申し分無いけど……助けてもらっておいて、恩を仇で返すような真似はしたくないから。あの事は私の広ーい胸の奥でもにしまって

おくことわ、じゃーね」



 でもインタビューはするからねぇっ、と釘を刺して、久留美は蒼助と千夜の前から去っていった。



「あの利己主義にも、人の尊厳を尊重をする良心があったのか……」

「素直に長所として見てやったらどうだ、へそ曲がりめ」

「裏と表が360度違う猫かぶりに言われたかねぇよ」

「はははは。それじゃ元通りじゃないか」



 低レベルな口論にお互いある程度攻撃し合った後、沈黙が訪れる。

 短いそれを破って蒼助が口を開いた。



「お前、今朝俺の事わざと無視したろ。動揺どころか眉一つ動かさないでスルーしやがって」

「動揺はしたぞ。まさか、転校先で顔を会わせる事になるとは思いもしなかった」

「じゃぁ、何でシカトこきやがったんだよ………こっちはてっきり忘れられたかと――――」



 そこまで言って蒼助は自分が口にしていた言葉を省みた。

 理解した瞬間、蒼助は自分の顔が羞恥で熱くなっていくのを察した。


 これはまるで『ひどい! 私の事忘れるだなんて』と恐ろしく乙女的な解釈が出来る。


 訂正するよりも早く、面白げに千夜が笑みを深め、



「何だ、私に自分の事を忘れられたと思ってショック受けてたのか?」

「ち、違ぇよ、誰が――――」



 とっさに否定しようとしたが、止めた。

 続きを無理矢理呑み下して、別の言葉を紡いだ。




「……だったら、どうなんだよ。…………笑うかよ」




 喉から絞り出した本音のせいか、顔が火が出そうな勢いで――――――――――熱い。


 らしくない。

 何でこんなことを言っているのだろうか、と自分がわからなくなりそうな中、蒼助は千夜の反応を待った。


 反発されるかと思っていたのか、予想外の反応に千夜は驚いているようだったが、



「いや、笑わない。言っておくが私はちゃんと――――――――――お前を覚えていた」



 え、と自分でも驚く程間抜けな声を蒼助は無意識に口から漏らした。  



「忘れる訳無いだろう、あんな――――」



 心臓が信じられない程激しく、大きく高鳴る。



 そして、





「自分から仕掛けておいて、油断大敵で死にかけたお間抜けさんはそうそう簡単に忘れられるものじゃぁない」





 蒼助は、自分の中で決して崩れない強固な壁が出来たことを感じとった。

 胸の鼓動も通常状態に戻っていく。



 一体自分はどんな顔をしていたのかわからないが、顔を見て千夜はおかしそうにくすくす笑い、



「冗談だ冗談。そんな人間を信じられなくなった動物みたいな目で睨むな」



 人の純情を踏みにじっといてよく言う。

 このまま帰ってやろうか、と思い始めた時、



「………悪い、本当は………気付かないようなら無かったことにしようとしていたんだ

「…………やっぱり知らんふりしようとしてたのかよ」

「ああ。………あまり、人とかかわりを持たないようにしたかったんだ。転校生も、持て囃されたり興味を持たれるのも最初だけで済むしな。………前の学校では、いろ

いろ悪目立ちしてしまっていたから」





 ――――――――――静かに過ごしたかったんだ。




 突然の言葉に見れば、さっきまでの大胆不敵な笑みを浮べていた表情には、僅かながら哀愁が滲んでいた。

 言葉は、何処か切実な響きを持っていた。



 聞いて蒼助に解ったのは、やはり千夜は前の学校では平穏とは程遠い日常を送っていたということ。

 彼女は容姿といい存在感といい目立つ。いい意味でも悪い意味でも。

 千夜の場合では後者の方が大きいだろう。

 欲求不満な不良はとにかく自分より弱い者を探す。

 溜まった欲求を暴力なり性欲にするなりしてぶつける相手として。

 その場合、千夜は格好の獲物だ。

 そして、獲物はどう足掻こうが獲物のままだ。



 歯向かい、叩きのめすとしよう。

 そうすると奴らは怒りを執念に変えて捻じ伏せるまで付きまとう。

 逆に抵抗せず泣き寝入りする。

 そうすると連中は何処までも付け上がる一方で要求はエスカレートする。

 どの道、全て無駄なのだ。


 千夜の場合もそうだ。

 足掻いても足掻いても、食物連鎖の最下層からは抜け出せない。


 きっと、本人も自覚しているだろう。

 もし、月守でなくほかの高校へ行っても同じことが起こると。

 同じ連中は何処にでも必ずいるのだと。

 光に対して陰が存在するように。



「あのよ……よす」

「まぁ、諦めるにはまだ早い。いや、もうそれが来ていても妥協はしない」



 蒼助の言葉を、考えていたことを遮るように千夜は言う。



「高校に入ってからずっと密かに野望があったんだ。必ず、人生に一度の青春とやらを謳歌してやるってな。一年は……まぁ、過ぎたことは置いておこう。とにかく、私は

例え砂の上でももがくだけもがいて、壁があるなら叩くだけ叩く。あとの二年、猫被るなりなんなりして何とかこの野望は実現させてみせるつもりだ」



 そう言い切った千夜の漆黒に濡れた瞳には先程までの哀愁など掻き消えていて、強く、傲慢なまでの輝きが宿っていた。


 心臓を掴まれたような感覚を覚えた。

 堂々とした様が綺麗だと思った。眼が眩むまでに。



 その時、蒼助の中で何かが動いた。



「……あほ。あと二年間も猫被り続ける気かよ。気疲れして青春謳歌どころじゃねぇだろうが」



 蒼助の指摘に千夜はむ、と眉を顰める。

 気にせず蒼助は続けた。



「それでも……本性見せられるダチの一人くらいつくっとけ。少なくとも、お前の前にそれができる人間が一人いる」



 ぽかん、と一瞬呆気にとられる千夜。 


「何の風吹き回しだ?」

「お前……もうちょっと、嬉しそうな反応とかしろよ可愛くねぇ……」



 実際、蒼助自身も千夜のその言葉と同感していた。

 本当にどういう風の吹き回しなのだろうか、と。


 だが、そんな言葉は無視した。

 理由はどうであれ、蒼助は目の前のこの女を放っておけなかった。


 ――――――――――近づきたかった。



「で、どうなんだよ。――――――――――そーゆーお友達はいりませんかい?」



 顔を背けながら手を差し出す。

 一拍数の間を置いてその手が人肌の暖かさに包まれる感触に正面を見ると、微笑む千夜の顔があった。


 あの夜、月明りの下で見た笑顔。



「………ありがとな、助けてくれて」

「それは昨日の事か?」

「……まだ、礼言ってなかったからな」



 このたった一言の礼を言うだけで今日一日遠回りしていたかと思うと、どっと肩に疲れが来た。

 だが次の千夜の言葉にそれも明後日の彼方に吹き飛ぶ。



「どういたしまして」



 満面の笑み。

 雰囲気が絶頂に達したかと思われた時、蒼助の腹が鳴いた。



「……………」

「……………」



 蒼助は全てをブチ壊した己の腹の虫を、かつてないほど憎んだ。

 昼の時間、食堂で食べ損ねてから何一つ腹に入れていなかった。

 激しい後悔の嵐に襲われる。


 気まずい気分で額に脂汗を滲ませていると、千夜が口を開く。



「……何か食べに行かないか? お近づきの印に……というわけでもないが」



 からかうわけでもなく、純粋に誘っているようだった。 

 無かった事にしてくれるならそれはそれで有り難い事だった。



「………俺の行きつけのところでいいか? ラーメンだけど」

「ああ、ラーメン……いいなそれ、案内してくれ」



 先を促す千夜を傍目にようやくこの場から離れられるか、と動いた時、一陣の風が吹き桜の花弁が散り舞う。


 そういえば、と今になってようやく気付き、思い出す。



 昨夜、ここで千夜と出会った時も、桜が降らす淡紅の雪が乱れ吹いていたことを。  







 ◆◆◆◆◆◆







「おーおー、ようやくここまで漕ぎ着けたか」




 男はサングラス越しに、公園前から動き出した少年と少女を遠目で見ていた。

 向こうから決して見えないであろう一本の桜の木の影から。



 見つめる先の二人はすぐに物陰に隠れて視界から消えた。


 それを見届けると同時に、



「どうよ、ちょいと時間がかかったが………若い二人の再会の形としちゃ、なかなかイイ出来だと思うぜ?」



 頭や肩に降り掛かる花弁を払い除けながら、男は隣の存在に意見を伺う。

 意見を求められたその人物は言葉を口にすることはなく、ただ口元に笑みを湛えるだけだった。


 その反応に男は肩を竦め、





「桜。晴れた夜空。それに、血塗れの紅い月…………物語の始まりを彩るにゃ最高じゃねぇか」






 男は満足げに呟き、胸から取り出したケースから煙草を一本抜き、口にくわえた。 
















 

蛇足

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