第一印象はあてにならない。
多くの女と知り合って、積み重ねてきた経験の末に出した―――――――結論の一つであった。
………第一印象、ね。
思いながら、『今回の相手』に視線を送る。
「………ん? 何だ」
啜り上げたラーメンを租借する仕草の片手間に、相手―――――――千夜がこちらを向いた。
「いや……」
「全然食べてないじゃないか。ラーメンはのびるとまずくなるぞ。熱いついにつつっと平らげないと、ダレる」
「……わかるけどよ。何で―――――――おかわりしてんの?」
半目で見遣るは、千夜の取り掛かる器の隣。
そこには塔がある。
器よって建てられた―――――――三階建ての塔が。
「……五重塔でも作る気かよ」
「………ん、あと一段か。店主、もう一杯。今度は塩で」
「その気になりやがった!」
「あいよ」
「オヤジさんも乗るなぁぁっ!!」
ちなみに、この場は蒼助の奢りという前提が敷かれているのであった。
蒼助は行き着けのラーメン屋に彼女を連れてきた。
流行と言うわけでもなく、かといって寂れているわけでもない。
いってみれば、隠れた名店の類だった。
店の見た目も内装もパッとしないが、肝心のラーメンの味は良好だ。
気に入ったらしく、千夜はさっきからこの調子だ。
店の店主も醤油、味噌、豚骨、タンメン、と異なる種類を頼まれても、相手が美人で食いっぷりも良い事から、すっかり気を良くして景気良く腕を振るう。
硬派な頑固オヤジの顔つきのくせに、意外とムッツリのようだ。
「お前、見かけによらず……喰うよな」
「その台詞は、聞き飽きてる。私が大喰らいだろうが、私の勝手だ。……それに、お前は奢りたいと言い出したんだろうが」
「……まぁ、そうだけど」
言いだしっぺは、確かに蒼助の方だった。
何故そう言い出したのだったか。
あれは確か―――――――
◆◆◆◆◆◆
「好きなの頼めよ。代金は俺が持つから」
メニューに目を通していた千夜が、言葉に目を丸くした。
「……別に」
「遠慮すんな。別に善意じゃねぇから」
「じゃぁ、何だ」
引かずに踏み込んでくる千夜は、何が何でも理由を聞くつもりの姿勢だ。
蒼助はずっと見上げてくる千夜の視線に、酷く気分が落ち着かなくなった。
それを早く注文表に戻させるために、
「……昨日の礼だよ。ラーメンぐらいじゃ足らねぇだろうが……そんぐらいしか出来ねぇんでな」
言うだけ言って、自分は一番安い醤油を頼んだ。
反応が無い。
しかし、かといって確認の視線を飛ばすことのも何か不審だ。
どうにも出来ずにいると、
「……そう言われてもな。私もお前を助けるつもりではなかったんだが」
「―――――――なに?」
「結構前からお前が孤軍奮闘している姿を見てた。威勢よく宣言きってるところからな。それで負傷しているのが見えても…………実は、半分は見捨てようという腹積もりもあった」
とんでもない発言がさらりと出た。
思わず千夜に向く。
しかし、千夜はその反応は予測済みとばかりに、あくまで自分のペースで、
「自分で言うのもなんだが………正義感というものはあまり持ち合わせていないんだ。今日の事だって、新條久留美が奴らに暴力を振るわれたから全員ぶちのめしたというわけでもない。……自分にかかった火の粉を振り払うついでだった。……巻き込んで悪かったとは思うがな」
そこが区切りとなり、出来上がった塩ラーメンを受け取る。
取り掛かられる前に聞いておかねばならないと、
「じゃぁ……何で、見捨てなかったんだよ」
「何だ、見捨てられたかったのか?」
そうではなくて、と蒼助は掴めないもどかしさに苛立ちつつ、
「……何で、助けたんだ」
「こだわるんだな………んー、助けた理由か」
掬い上げた麺をひとすすりして、租借の時間が生じる。
同時に思考の時間でもあって、
「………………………………………わからないなぁ」
「…………も、いい」
へらり、と笑って返されて、蒼助は完全に脱力状態に入った。
拗ねたといってもいい。
「まぁ、あの瞬間深いこと考えてもいられなかったから、というのもあるんだが………本当になんでなんだろうな」
「……んなの、俺が知るかよ」
「………いやぁ―――――――自分の身の危険でもないのに、思考よりも身体が先に動くってあるもんだな」
「―――――――」
その瞬間、自分の中で煮えきらずにいたものが木っ端微塵に弾けた。
◆◆◆◆◆◆
理由は、それこそわからなかった。
だが―――――――その理由無き理由に心動かされた自分が、確かにいた。
納得という感情に、突き動かされた自分が。
「あ、そうだ」
記憶を振り返っている間に出来上がった塩ラーメンを受け取る瞬間、何故か思い出したように声を上げる千夜。
突然の声に今度はそちらを向くと、
「……忘れかけていたが、助けてもらったのは私の方だったな」
「ああ?」
「ほら、昼休みに」
昼休み。
促されて思い出すのは、食堂での一件だった。
「……ああ、あの時か………。って、ありゃぁお前……」
「―――――――やっぱり、気付いていたか」
やっぱり、という言葉に、蒼助は己の中の何かが確信に形を変えるのを感じた。
「………箸、どうするつもりだったんだ?」
「……………」
スープを啜る間の沈黙が、互いの間に挟まった。
喉にそれが下ると同時に、
「目は……さすがにマズイからな。髪を掴まれた瞬間に手に刺してやろうかと思っていた」
「………そりゃ、また」
あの瞬間の殺気は、やはり気のせいではなかった。
事実の確定が本人によって為され、
「……だから、礼を言うのは私の方だ。お前がうどんをぶっかけてくれたおかげで、初日から危険人物に指定されなくて済んだからな」
つまりは、あの時止めなければ、躊躇せず箸を突き立てていたということだ。
あの公衆の場で。
蒼助が止めたから。
それだけが、あの場の唯一の歯止めとなったのだ。
………とんでもねぇ、女。
一皮向けば、その実態は神崎などよりも遙かに危険人物だった。
関わるのは厄介。
ここで返す借りは返して、早く拘りを絶ってしまうべきだ。
「……………」
そのはず、なのに。
「そりゃ………どういたしまして」
その気になれないのは、何故だろうか。
それは蒼助自身にもわからなかった。
―――――――今は。