勢いのままに重ねた。
だが、理性はまだ残っていた。
同じ失敗は二度と踏まないために、残しておいた。
まずは、唇と唇が合わさるだけの、ライトキス。
触れ合わさった途端、蒼助は改めて自分とは違う柔らかい感触と薄い皮膚越しに伝わる体温に、ゾクリとした甘い痺れが背筋を走り抜けるのを感じた。
いきなり過ぎて目を閉じる間もなく固まってしまった千夜の初心な反応に、愛おしさを覚え、ゆっくりと丁寧に徹する。
しかし、焦燥感に似た熱情は滲ませたまま。
近づけると反射的に閉じる瞼、目尻、そして丸やかな曲線を描く頬へと唇を押し付け、離れる際には啄む。
ん、と僅かに洩れる声には緊張は感じず、身体から無駄な力が抜けていることを教られる。
蒼助はその隙を逃さず、薄く開いた唇にもう一度口付ける。
今度は、先程よりも深く、被さるように。
「っ……んぅ」
呼吸の出入り口を塞がれたことにより苦しげな鼻声が零れたが、抵抗はしてこなかった。
そのまま舌を入れたくなったが、まだだ、と性急な己の一部分を抑える。
それよりも逃げられないようにその身体を確保していおくべきを優先し、腰をしっかりを抱きかかえた。
「っ……、……っ」
重ねてしばらくすると、千夜に抵抗の意識が見え始める。
不審に思ったが、その原因はすぐにわかった。
息継ぎが出来ていない。
「ん、ぅー……っは、ぁ」
肺に温存させておいた酸素に限界がきたのか、抵抗が大きくなったところで一度開放してやった。
酸欠状態となった千夜は、くたりと蒼助の肩に額を置いて荒い気遣いを繰り返す。
「……息しろよ」
「口……っ、塞がれてるっていうのに……出来る、わけないだろっ」
「鼻があんだろ、鼻が」
頬を上気させ、涙目で睨んでくる千夜の鼻を摘む。
「んっ……」
「好きなときに息しろ………それでも、普通より息苦しいだろうけどな」
そう言いながら、千夜の前髪をかき上げて額に口付ける。
思考の隅で、キス一つにここまで手間をかけている自分に新鮮さと呆れを感じていた。
……やきが回ったな、俺も。
普通なら面倒くさいとばかり思う手間のかかるこの行為も、千夜が絡めば何の抵抗もなくなってしまう。
千夜の呼吸の具合が整ってきたのを見計らい、再び口を塞いだ。
すると、助言した通りに千夜は鼻で呼吸をして、先程のような息苦しさを訴えることもなくなる。
問題が一つなくなったと判断し、次の段階へと踏もうと考える。
「んぅ……」
その前に確かめるように唇を吸ってみたところ、千夜は反応を示すが、そこから抵抗へと発展はなかった。
それを了承と自己中心的な解釈をすると、
「ん……」
「―――――――っ」
ちろり、と舌を延ばし、閉じた千夜の唇をノックするようにつついた。
今度こそビクリと震えたが、やや強引に突き進むことに徹し、少し強く舌先を押し付ける。
何度か強弱をつけながら、千夜の抵抗意思が緩むのを待つ。
「……っ……」
千夜が息を呑むのを感じた瞬間に、唇の閉口が僅かに緩む。
すかさず蒼助は強引に舌を千夜の口内に押し込むように滑り込ませた。
「ふぅっ……!」
外部からの異物の侵入に、予想どおり千夜はおとなしく受容してはくれなかった。
しかし、ここで引いてしまうわけにもいかなかった。
先程と同じことに走る前に、いつ暴れ出すかわからない自分よりもずっと脆くて華奢な身体を両腕で抱き込んで身動きを押さえる。
そして、侵入を本格的に開始させる。
「……んぁ…………っ」
口内の歯列をなぞるように舐め、口蓋をなぞりながら奥へ逃げ込んでいるであろう千夜の舌を追う。
潜んでいたその存在を舌先で触れて確認すると、後頭部を掴んだ手で押さえて、より唇を押し付ける。
舌先が千夜のそれを捉え、
「んぅっ……!?」
ようやく絡めとることに成功した蒼助だったが、激しく反応した千夜に両肩を掴まれる。
その力の入りようは、爪先が食い込んで痛みほどだ。
だが、そこには予想外な点が入り込んでいた。
掴んでいるだけで、【引き離そう】とはしていない。
耐えている、という事実が拒絶の意思はないということを蒼助に報せる。
千夜なりの精一杯の応えなのだろう。
そう考えると、肩の痛みさえも蒼助の興奮を促進させる作用へと変換される。
寧ろ、もっと縋りつかせてやろうと、蒼助は本格的に千夜を蹂躙し始めた。
蒼助は、キスは行為の上で避けられない義務程度にしか思っていなかったが、技術はそれなりに積んでいた。昔、自分の筆下ろしの相手となった年上の従姉がキスを好ん
でいたので、そんな彼女の要求に応える為に洗練させることとなった。
女全般に共通することなのかは言い切れないが、彼女以降の関係を持った女も、キスを好んだので得て損はない経験となって残った。
今になって、その想いを最も強く実感した。
そして、過去の女たちに初めて感謝の意を向ける。
別に初めての相手が千夜であればよかった、なんて思わない。
仮に、自分が何も知らないままのあらゆる意味で純粋な青少年のままで今に至っていたら、きっとこの魅惑的な甘い唇を十分に堪能することは出来なかっただろう。
千夜の初めてのキスの相手が自分でないことが、少しもショックでないことがないわけではない。が、そんなものこれからいくらでも塗り替えが効く。
過去に他人が付けた痕なんて、塗りつぶしてやる。
「っぁ……」
蒼助は絡めとった千夜の舌を自分のものに合わせて、口内を掻き回した。
唾液と唾液が混ざり合い、ぐちゅり、と更に大きな水音をたてる。
自分の口の中で起きていることを報せるそれに千夜が羞恥心に顔を赤らめるのを見て、蒼助は後頭部の手を顎に移動させ、掴んで何度も何度も角度を変えて交わる。
上を向かせる形となると、注ぎ入れて溜まった唾液が千夜の口端から零れていく。
苦しげに細められていた千夜の目には、息苦しさだけではない何かによる潤みが帯びていた。
それを黙認した蒼助は、気だるい熱が自身の下半身に溜まってきていることに気づく。
まだキスだけで、だ。
こんなことは今までにない。
「んぁ……んー…っ!」
最後にきつく千夜の舌の根元を吸い上げて、唾液にまみれた千夜の唇からようやく口を離した。
ちゅっ、と音を立てて舌先を結ぶ透明な糸が切れる。
千夜はようやく開放された口で思い切り息を吸い込んで、顎を掴まれたまま荒い息遣いを繰り返す。
拭うことを忘れられた口元から顎にかけて筋を描く水滴をぴちゃりと舐めとる。
惚けたように虚ろな眼差しで息をしていた千夜が、その舌の動きに口を噤んだ。
口端を啄むように口付けて離れると、蒼助はからかうように、
「……気持ち悪かったか?」
「っ………な、ぁ」
「さっきちょっとショックだったからなぁ………名誉挽回でがんばったんだけど」
で、どうよ?とシニカルな笑みを浮かべながら再度尋ねる。
掻き回すようなキスの後を追い立てるような質問にぐるぐるしているのだろう、千夜は顔を真っ赤にしてはくはくと声にならない空気を吐きながら口を動かすばかりだ。
欲情、とは程遠い表情だが、新鮮さが蒼助の気をよくさせる。
少なくとも、不快とは思われていないらしい、と。
「な、聞かせろよ。……どうだった?」
ちぅ、と頬を吸い付きながら強請ると、千夜は蒼助の顔がある方から目だけ逸らして、
「と、とりあえず………撤回する」
「何を」
「………き、気持ち悪い、は…………撤回、する」
「……それが、感想?」
「ほ、他に言い表す言葉思いつかないんだっ!」
勘弁してくれ!と訴える千夜の必死な姿に免じて、とりあえずは満足しておくことにした。あくまで、【この時点】でのとりあえず、であるが。
「ま、いいか。―――――――勝負はこっからだし」
「ぇ……あ、っ」
不意打つように、蒼助は再び千夜を愛で始める。
ちゅっちゅっ、と額から瞼、鼻、頬へと下りながら触れるだけのキスを降らす。
万遍なく顔全体に口付けると、顔から離れて首筋へと移動する。
「っ……ま、た」
「さっきもしたけど、ここ弱いよなぁお前」
「な、何言ってっっ」
「論より証拠」
遮るようにちゅく、と食むように口付けて軽く吸うと、千夜の身体は面白いくらいに跳ねた。
おそらくここが千夜の性感帯なのだろうと、積み重ねた経験から来る蒼助自身の勘がそう囁く。大方、本人はそんなことわかるはずもない。
だからこそ、尚のことそこを他人に触れられるのを厭っていたのだろう。
そんなことを頭の片隅で考えながら、首筋の至る場所を吸い、腰に回していた手で背筋をつつぅっとなぞるようにさすってみる。
「んっ……ぁ、ぁ」
「………こっちも、か」
発掘気分で焦らず敏感な部分を探し、少しずつ凝り固まった部分を解すように刺激していく。
「っぅ………蒼助」
「んー?」
髪を掻き除けて耳の根元あたりに舌を這わせていると、不意に名を呼ばれる。
「……いつまで、こんなっ……こと、してるんだ……?」
「………いつまでって」
「こんなことしてたってしょうがないだろ。……早く、すればいい」
「…………は?」
思わず愛撫を止めてしまうほどの衝撃的な発言。
まさか千夜の口からそんな言葉が聞けるとは思わなかった。
しかし、再び違和感が蒼助の中で生じる。
千夜の発言の『何か』がおかしい、と。
「……すれば、いいって?」
恐る恐る確認するように、一度千夜と向き合って問いかけた。
蒼助の問いに、千夜は不思議そうな顔をする。
それを見た瞬間に、蒼助は嫌な予感を感じた。
「……お、お前が……よくわかってるだろ」
曖昧にぼやかして言う赤い顔を普段なら可愛いと思えただろうが、この瞬間だけはこの会話の異常さにそんな感情は掻き消された。
「………千夜」
「……何だ?」
「お前の知ってるセックスって………どんなの?」
こんなことを改めて聞いてどうするんだ、と自分で思わなかったわけではない。
だが、確かめておかなければならなかった。
歪な世界で歪なものしか見せられなかったであろうこの少女とこの先に進む上で、何をしていけないかを知り、何を正せばいいかをはっきりと見る為に。
「……俺は、またおかしなことを言ったのか?」
ようやく空気の変化を感じとったのか、千夜は表情を不安で塗り変えて俯いた。
まるで自分が悪いことをしたように思えた蒼助は、千夜の片頬を包むように手の平をあてる。
「いや……違う。今になってこんなこと聞いた俺が悪いんだ……ごめんな」
傷つけるのはわかっていた。
ごめん、ともう一度内心で謝罪の言葉を呟き、やっぱり止めようと先程の考えを放棄しようとするが、
「…………俺が見てきた中では、お前がしてくれたみたいなことはされてなかった」
諦めかけた矢先、目を伏せて千夜がポツポツと語り出した。
見てきた、と表現され、『されてきた』ではなくてホッとして間もなく、千夜の口から零れる落ちる事実に蒼助の安堵は霧散される。
「きっと、奴らは相手のことなんて気遣うどころか考えてもいなかったんだろう。自分さえよければそれいい、と相手の苦痛さえも自分の快楽の糧にして。
いつだったか、情婦をしていた友人に聞いたんだ………辛くないのか、と。あとで聞かなければ良かった後悔したけどな」
「………なんて、言ったんだそいつは」
「…………苦笑してた。そのあと、すごく疲れた笑顔で、言ったんだ。……犯されるのが好きなんだ、と言い聞かせなければ、あんな気持ち悪くて苦しいだけの行為は
耐えられない……と」
蒼助は、言葉だけでもどれだけの苦心が詰まっているかわからないその告白に息を呑みながら、覗き込んだ伏せた目がここではない遠くを見ていることに気づいた。
「彼女は、友人は………殴られることで発情するように躾けられた女だった。幼い頃に、飼われて戸籍すらなく……【存在すること】すら許されていなかった。
逃げる術も、たとえ逃げたくても行き先もなくて………暴力も忌まわしい行為も受け入れるしかなく、て……」
「千夜」
「たとえ、相手が憎くても……抱く感情すら愛することに無理矢理すり替えなければ、生きていけなか」
「―――――――千夜」
遮るように少し強く呼んで、抱き締める形で引き寄せて―――――――口を塞いだ。
勢いづいて歯が当たらないように多少気にかけて覆ったその奥で残った言葉が呻き声となって発散されてしまったのを感じた後も、少しの間そのままでいた。
驚いていた彼女の目と身体から余計な力が抜けたのを見計らって、身体と身体の間に僅かな隙間をつくり、
「……やなこと思い出させてほんっとに悪かった。けどな、これだけは絶対に約束するからよく聞けよ」
ほとんど距離感のない近距離で向けられた蒼助の真摯な眼差しを受けて、千夜はわけもわからずこくん、と頷くしかなかった。
蒼助は、いっそ険しいと呼べるほど強張った相貌で、
「俺は……お前を大事にするぞ」
「………」
「お前の常識塗り替えるぐらい、大事にしてやる。今まで、大事にされなかったっていうのなら、俺がされなかった分も埋めるまでだ。今まで、他の奴らがしてやら
なかったことを俺がしてやる。……もう、いっそうざくてしょうがないくらい大事にするからな」
だから、
「だから、お前は……嫌なことを無理矢理捻じ曲げて受け入れなくていい。もう、そんなことしなくていい……俺はそんなこと絶対させない」
約束な、と額に触れるだけのキスをする。
手の甲は、考えなかったわけではないが―――――――さすがに恥ずかしい、と蒼助は却下した。
「……二つ目、だな」
「ん?」
「約束。こんな短時間に二つもつくって………あまり多くつくるものじゃない」
「何で」
「少ないからこそ、約束は約束なんだ。それに……あんまりホイホイとされると、有り難味とか真実味が感じない………果たすのも大変だろ」
「果たすから別にいいだろ。お前との約束は―――――――なんだろうが全部守る」
「……………………三つ目」
言ってる傍から、と苦言を呟いているが、逸らした目と赤らんだ頬は照れ隠しなのだということを教えてくれる。
いいな、ツンデレ。好みかも、と己を新たな嗜好を発見していると、
「……いっとくが、別に大事にしてくれなくてもいい」
「………はぁ?」
大事にされたくない、といわれたのだと己の中でやや強引に解釈した蒼助は、不可解な気分となった。
どういうことだろうか。
「……何言って………ひょっとして、お前そっち系……? ………いや、それはそれでイイかもしれねぇ」
「何を言っている」
黙っていては妙な解釈をされると察したのか、千夜は即座に弁解に乗り出す。
「お前は俺の望みを叶えてくれると言った。だったら、俺もお前も望みを出来る限り叶える。与えることばかり考えなくていい………俺だって、お前に応えたいんだ」
まっすぐな瞳が蒼助を射る。
そこには、ただただ純粋な好意のみが見えた。
蒼助のように欲望や若干なりともある私欲を孕んだものではない、無垢な想い。
ここに来て蒼助は、自分が見ているものが奇跡に近いものであることに気づいた。
残酷で無慈悲な世界で生きて、汚いものを嫌というほど見せられても、尚も濁らず綺麗なままの強い光を宿す眼。
初めて会った時と変わらない眼差しで、千夜は揺ぎ無い自身の想いを蒼助に伝えようと言葉を紡ぐ。
「お前の好きなようにしろ。お前なら構わない。俺の傍にいてくれると言った蒼助になら……何をされたっていい」
頭をガンっと殴られたような衝撃と視界がぐらぐらと揺れるような錯覚を蒼助は覚えた。
それによって、理性という名の琴線が激しく上下左右にぶれる。
ダメだ。
もう限界だ。
「……お前」
はぁ―――――――、と俯いて、長く深い溜息をつく蒼助を不審に思った千夜が覗き込むように身を乗り出す。
自分が何を言ったのか理解していない様子をチラリと伺って、その天然タラシぶりに更に絶望的な気分に陥る。
「……可愛すぎるだろ」
「は? ―――――――んっ、ぁ」
とぼける千夜の両肩をガシッと掴み引き寄せて口を塞ぐ。
抵抗の意思を示す前にそのまま今度は押し倒した。
大事にしてやれるだろうか、と自分の宣言に自信を失いながら。