―――――――シて、いいよ

 




 一つの特大級の爆弾を解体し終えたかと思って安心していたら、息もつかせずまた新たな爆弾が投入された。

 聞いた瞬間に蒼助は、その発言をそんな風に捉えた。



 しかも今度はより複雑で難解だ。

 どうすればいい、と恐慌(パニック)に陥りかけた思考を引きとめ、考える。

 




「………何だ、その顔は」

「え……と」

 

 見上げる千夜の顔が不満と不機嫌に満ちている。

 どうやら自らの反応が招いたのだと、蒼助は嫌な汗の噴き出しと共に察した。

 これ以上の沈黙はまずい、と何か言わねばならないと思考をフル回転させる。

 



 考えろ。

 考えろ。

 



 考えた。



 そして、言った。

 行動した。

 

「………何だ」

「いや、熱でもあるのかなぁー……って」

 

 前髪を書き上げて額に手の平を当てると、長めの前髪がなくなったことではっきりと露になった顔が眉間に皴を寄せてより一層気分を害したのを主張していた。

 蒼助は地雷を踏んでそこから動けない状態になった。

 

「…………ない、よな」

「ああ………んなもん、無い」

 

 答える声色は、鉛のように重く、鉄のように硬い。

 蒼助の全身も動かすとギシギシと音が生じそうなほどに硬直していく。

 まずい、

 酷くまずい。

 対処なんぞ考え付けそうにないほど、蒼助は焦った。

 

「………シて、いい……と、言った」

 

 眉を顰めながら、顔を赤らめて千夜は問題の発言をもう一度繰り返した。

 やっぱり可愛い、と一瞬和みかけた蒼助だったが、発言の内容がそうはさせじと襟首を掴んで引き止める。

 

「いや、していいって………」

「お前が俺に任せる気にさせる……と、言ったんだろうが」

「え、だからあれは冗談だって」

―――――――冗談?」

 

 もう地に付くのではいうほどトーンが更にダウン。

 蒼助は思わずヒッと喉を引きつらせそうになった。

 今の千夜からはそれだけの威圧感が醸し出されていた。

 

「………いいから」

「っぃ!?」

 

 胸倉を掴まれた。

 ―――――――と思ったら、力は蒼助の後ろへとかかり、

 



「どわっ」

―――――――黙って抱け」

 

 押し倒された。



 その蒼助の上で、告げた千夜が告げた台詞は男らしさに満ちて足りていることこの上ない。

 そして、蒼助を見下ろす目は完全に据わっていた。

 二転三転と移り変わる展開に、正直のところついていけなくなっていた。限界だ。

 

「おい、お前本気でどうした。泣きすぎて、どうかしちまったのかっ?」

 

 どんな反応が返ってくるかも全く考えずに放った命取りな台詞に、千夜は意外な返事を返した。

 

「……そうだ。泣き過ぎて……俺はもう自制心まで壊れた」

 

 鉄火面のように威圧感を湛えていた表情が、突然崩れた。

 

「それとも、俺がこんなことを言うのはそんなにおかしいか? 思っては、ダメなのか?」

「千夜……?」

 

 イマイチ掴めない千夜の不安定な様子に、蒼助の困惑は深まっていく一方だった。

 

「昼間、あの女が俺に言った言葉を覚えているか……?」

 

 唐突に切り出された話題に聞いた当初は、何を突然ときょとんとしたが、ナニを指し示しているかをすぐに察した。

 

「……玩具って言われたの、気にしてんのか?」

「…………」

 

 その重い表情で俯く様子が、昼間の智晶が吐き散らした散々な台詞の数々を蒼助の脳裏に反映させていく。

 

「あんなの気にしてんな。ただの……」

「……本当のことだ」

 

 遮る声は酷く重く淀んでいたのに、蒼助は思わず言いかけた言葉を喉に詰まらせた。

 

「何も知らない人間のその場で考え付いた台詞とはいえ、正直ひやっとしたぞ。何もかも、その通りだったからな……」

「……おい」

 

 自分の口から出た声がかなり低いという自覚はあった。

 理由も出した自身がよくわかっていた。

 それに伴った視線を受けて、千夜は困ったように小さく笑った。

 

「そう睨むな。俺は多くの人間と出会い別れを繰り返してきたが………お前みたいなやつはごく少数で、お前にみたいに言ってくれるまで傍にいてくれた人間は……もっと

少なかったんだ」

 

 どちらかといえば、と思い当たったように、

 

「あの女のような言い様をする人間の方が当たり前だった」

 

 笑顔なのにどうしようもなく空っぽな表情で、千夜は読んだ本をつまらなかったと言い捨てるように淡々と告げた。

 今怒鳴りつけたら掻き消えてしまうのではないか、という杞憂を抱いてしまうほどのその無機質な有様に、蒼助は何も言うなと己を制した。

 黙って、千夜の吐露することに耳を傾けることにした。

 

「……そういう連中は、俺が反抗するような仕草や気配を発すると、なぜか物凄く怒り出す。どうして、なんて考えるまでもないさ。奴らには俺は人間としてではなく、

自分の退屈を紛らわし欲求を満たす玩具としか映らないんだ。自分が強い、支配する側だと思い込んでる輩にとっては、玩具は玩具らしく自分たちに弄ばれろって意見

なんだろう……。尤も、俺が生きて来た世界には、そういった捕食者と被捕食者の二種類しかいなかっただけという話だが」

 

 生きてきた世界とは、"澱"のことを示しているのだろう、と確認するまでもなく蒼助は黙って静かに察した。



 澱。



 裏側の更なる奥深き闇の満ちる領域。

 そこがどんなものなのかは、迎えられ足を踏み入れて僅か数日にも満たない蒼助には想像もつかない。

 だが、千夜が口にした二つの分類を表す言葉が、どれほどのものかを十分に表していた。

 

 捕食者。被捕食者。

 強者と弱者。

 支配する側とされる側。

 

 それだけが全ての律であるその世界で千夜は、どんな風に生きてきたのか。



 少なくとも、彼女はそちら側と判断されながらも足掻いていたのだろう。死に物狂いに。

 それだけは、わかった。

 

「別に気にしていなかった。思わせてやるだけならタダだった。それだけじゃ満足しないなら代償を払わせてやった。俺はお前の手におえる玩具じゃないだとわからせて

やったまでだ。だが……実際に俺は、玩具だった。俺の身体は、ただ生きた人間を真似て作られた人形みたいなものだった……それと大差は、なかった」

 

 千夜は蒼助の胸においていた手で、その間で遮るシャツを握り締めた。

 

「……女にも男にもなれる身体、と言えば聞こえはいいかもしれない。だが、真実は……男でも女でもないということだ。どちらにもなれない……見せ掛けばかりの姿を

取り繕う肉体だ。形を作るだけなら、人形で十分だろう………どちらも形だけで中身のない俺はそれと同じだ。玩具と言われても、否定しようがない……だろう?」

 

 同意を求めるような語りかけに、蒼助は何も言わなかった。

 千夜からまだそれが終わりではないという意思を感じたからだ。

 

「……蒼助。お前が俺に相応しくない、という意味で拒んでいたんじゃないんだ。とんでもない話だ。……相応しくないのは、俺の方だ。一人前の確立した存在ですらない

俺が、お前の傍になんて……って、お前が俺を見て触れるたびに……自分の出来損なった体が憎くてしなかった。昼間のあの女には、嫉妬した。真っ当な紛れもない女と

してお前の傍にいれる資格を持ったあの女に、嫉妬して言わなくてもいいことを口走って煽る結果となった。……あの女だけじゃない、久留美や都築……クラスの女子

たち……三途や、挙句の果てには朱里にまで……俺もその点ではあの女と変わりない、いやそれ以下かもしれない」

 

 自嘲じみた笑み。

 そこから一気に調子が乱れ始める。

 

「情けないと、思ってくれてもかまわない………自分でもわかってる。でも、いくら宥めても不安が消えてくれない。俺はお前の望むとおりの女であれるのか……お前を

満たしてやれるのか、と……考えれば考えるほど、自分の欠けている部分に対する意識が強くなっていく………」

 

 でも、と落ちていく気持ちを無理やり引き上げるように千夜は声を張った。

 

「……一緒に、いたい」

 

 血を吐くような苦しげな表情で、言った。

 

「……お前の傍にいたいんだ。女として、お前に愛されたい……だが、それには俺は女としての自分を痛めつけすぎた。……だから」

―――――――ストップ」

 

 言葉と同時に手の平が口を覆い、遮った。

 俯いていた顔が上がり、蒼助の視線を交わる。

 

 暫しの沈黙が生じ、そして、

 

「やっぱ、壊れちまってんのかね………自虐ネタ超オンパレード。よくも、まぁ………そんな続いたもんだ」

「……っぁ」

 

 溜息混じりで述べた言葉に、千夜の瞳が揺れ動き、肩が震えた。

 勢いに任せて自分が何を口走っていたのかを再確認したのだろう。

 嘔吐するような弱音の雪崩。

 必死で隠していた部分を洗いざらい見せてしまったのだ。

 ショックなのも当然だ。

 

 瞳は怯えの色に帯びていた。

 己に対する失望を恐れる目だ。

 

 そんな表情も出来るのか、と場違いながらも新鮮味を感じた。

 捨てないで、と訴えているかのような目に、本当に自分は何も知らなかったのだな、と昼間の己の発言の真実味を再確認した。

 

 出会った頃を考えると、こんな表情や態度をするなんて想像もしていなかった。

 

あの豪胆にして大胆な立ち振る舞い。

 しかし、今ならわかる。

 千夜はそうして己の弱音を押し潰して立ち続けていたのだ。

 押し潰した弱音―――――――本音が痛んで疼くのを堪えながら。

 

 千夜は強い。

 これはそれ故の反動なのだろう。

 溜め込んだ弱さが、箍が外れたことで留めなく溢れ出している。

 そして、箍を外させたのは―――――――蒼助自身だった。

 

「………んな顔すんな。別に、がっかりなんてしてねぇよ」

 

 馬鹿な。

 するわけがない。

 

「お前が無敵超人だなんて、はなっから思ってねぇよ。強制もしない。………ずっと、お前が自分にしてきたことを、今更また言ったりなんてするかよ」

 

 強さは弱さを伴ってこそ成立する。

 弱さを押し込めるものが―――――――強さなのだから。

 

「千夜、俺はお前が女であるようになんて望まねぇ。ただ、望むとしたら……俺は」

 

 蒼助は一度そこで区切り、息を吸いそのまま胸に溜めた。

 伝わるように、と込めるべきものをこれから言う言葉に込め、

 

「お前は……お前らしくあればいい、だ。忘れんなよ、俺はそんなお前に骨抜きになったんだからよ」

「……っでも」

「変わりたいなら、変わればいい。そこにお前の気持ちがあるっていうなら俺は何もいわねぇよ。……焦らなくていい、無理しなくていい。少しずつ……少しずつでいい。

お前なりの速さで前へ進んでくれりゃ、俺は何もかまわねぇんだ」

 

 だから、無理はするな、と念を押す。

 もう、無理をしなくていいのだ、と。

 

「……っ、……蒼助、オレは」

 

 絞るように目が細まる。

 それはその奥からこみ上げてくるものを、今は未だだというように押さえているようだった。

 

「……変われるか、な……?」

 

 確かめるような問いかけ。

 変わりたい、とはっきりと願望に出来ないのは、いまだ千夜が不安定なのだろうと蒼助は察した。

 不安を消したい。出来るかどうかもわからないことを願うことを恐れずにいられるようになりたい。



 そんな切望が込められた問いかけに、蒼助が返す答えは―――――――返すべき答えは決まっていた。

 

「……こんな俺にだって出来たんだ―――――――お前なら、わけねぇことだ」

 

 返した言葉に対しその瞬間に何を思ったのか、見開いた千夜の瞳は一気に湧き出た水にのまれた。

 

「………むかし、同じようなことを言われたよ。お前なら、出来ると」

 

 許容できる量を超えた水は水滴となり溢れる。

 流れる涙をそのままにしながら、

 

「俺はこんな自分が嫌いだ。憎くすらある。他人とは違いすぎる自分が、誰だって他とは違うのは当然であることがわかっていても……それで、自分の未完成さを甘んじる

ことは出来なかった。変わることが出来なかった……自分が、俺は嫌いで仕方なかった」

 

 そこから、蒼助は黙って聞くことに徹した。

 ただ、弱音を吐露しているだけではない、とわかっていた。

 あえて口にして、千夜はそれと向き合おうとしている。

 忌まわしさから押し潰してきたものを、乗り越える為に。

 

「でも、人間はもとから未完成だと………完成されることはないけれど、いくらでも変わることが出来る存在だって言われたことがある。そして、こんなことも言われた。

いつか、そんな未完成な自分を好きになることも出来るって………だから、俺は……」

 

 一度、止まる。

 迷いを振り切るかのように、唇を一度かみ締める仕草を蒼助は見た。



 そして、

 

「……もう、嫌うのを、責め続けるのを止めたい。そうしろ、といってくれた人にはもう見せることができなくなったけど………それでも、あの人と約束したから。

ずっと、あの人がいなくなったことを理由に諦めていた約束を……無意味にしない為にも、俺自身の為にも………俺を好きだと言ってくれたお前の為にも。

……俺は、未完成にも程があるこんな自分を……好きになりたい」

 

 息を殺したかのような掠れた声で、付け加えられる。

 

「変わりたいんだっ…………」

 

 ずっと、願うことすら恐れていた言葉を吐き出したせいか、力尽きたように強くシャツを握っていた両手がするりとその力を失くす。

 

「……俺に抱いてほしいってのは、そういうことなのか?」

「………………ああ」

 

 一瞬、千夜はそれを頷くを躊躇した様子を見せたが、誤魔化そうとはせず俯いたまま小さく答えた。



 しかし、その直後、

 

―――――――……なんて、な」

 

 垂れ下がる前髪に覆い隠されていた顔が上がると、そこには笑顔。

 先程までの泣き顔も涙も、全て上から塗り固めてしまったような不自然な笑顔が湛えられていた。

 

「ははっ……何を言っているんだろうな、俺は。酷いこと、言ってるのに………」

 

 固められた仮面の下から溢れ出る涙。

 笑顔のまま、千夜は泣く。

 

「どうしようもない、な………自分の力じゃどうすればいいかわからないからって、お前を利用しようなんて、虫のいいこと……言って。……でも、俺………他にどうすれ

ばいいかなんて、わからな……い」

 

 仮面が剥がれるように割れた。

 見ている蒼助にそう思わせるように、千夜は再び泣き崩れた。

 

「ごめん、こんな卑怯な奴で……卑怯で、ずるいこと……言って……」

「………―――――――んなこたぁ、ねぇさ」

 

 肩に手を置く。

 しかし、それは慰めの手ではなく、

 

「っ……―――――――ぁ」

 

 蒼助の身体はむくりと起きたが、それにだけに留まらない。

 置かれていた肩の手は、起きる上半身の動きに従い、力を込めて―――――――千夜を押し倒した。

 無駄のない手際の良さとあっという間の形勢の逆転に、目を見開いて何が起こったのかと呆然とする千夜を見下ろしながら、

 

「その気持ちを更に利用して……耐え難いこの衝動に身ぃ任せちまおうって魂胆でいる俺に比べたら、カワイイもんだぜ」

「そ……」

 

 何か言おうとする口を塞ぐ。

 塞いだ奥で、言葉にならず吐息に混じって消えるのを感じた。

 唇だけ離し、額をくっつけたままゼロに近い距離で、

 

「……いいぜ、それで。俺は一向に構わない。……むしろ、そういうお願い事は大歓迎」

「………でも」

「お前がしようとしてることは、少なくとも俺がしてた卑怯なこととは根本的に違うから………安心しろ、お前は卑怯じゃない」

 

 利用。

 卑怯。

 狡い。

 

 そんな言葉が当てはまるのは千夜ではない。

 千夜に出会うまでの、蒼助自身のことだった。

 赴くままに欲望を女たちを用いて発散し、前へ進めないのを進む為の理由がないからだ、ととって付けて。

 何一つ、千夜には似つかわしくない語群。

 その言葉の意味もきっとわかっていない無垢な千夜。

 それに対して、自分はどうだろう、と蒼助は自嘲する。

 

「お前は、ずるくなんかねぇよ」

 

 ずるいのは、自分だ。弱りきった彼女にとことん付け入ってしまえばいい、という考えにあっさり組してしまう、こんな自分自身だ。

 泣きじゃくりながら訴える千夜を見ていてグッときていたなんてあたり、自分は本当に歪みきっているらしい。どうしようもなく。

 

 それでも。

 それでも、千夜が好きだという事実は歪んだ欲望が生み出した幻想ではない。



 めちゃくちゃに汚したいという欲望と共に、何よりも大事にしてやりたいと思う純情だって存在していた。

 五分五分で両者が存在する危うい均衡が、不思議と保たれ続けている。

 

「何やっても、中途半端だよな……ほんと」

「……なにが?」

「いや、こっちの話」

 

 しょうのない話だ。

 だが、中途半端には中途半端の意地がある。

 自分なりに、優しくしていこうと思う。

 精一杯、愛していこう、と思った。

 

「千夜はずるくなんかない。ずるいのは、お前のそういう気持ちわかってて付け入る俺だ。全部、俺のせいだ。そういうことにしちまえ」

「…………」

 

 卑怯上等、と蒼助はふてぶてしく内心でそう吐き出す。

 それで目の前の存在が自分を傷つけずに済むなら、寧ろ蔑みの言葉は誇らしい勲章ですらあった。

 

「な?」

「…………うん」

 

 力が抜けたのか、口調が幼くなった。

 無防備を感じさせるそれが、蒼助の欲望を抑えていた最後の命綱を断った。

 抑制から開放された欲望は、宿主に行動を促す。

 

「んっ………」

 

 降らした口付けに、千夜は抵抗なく受身をとった。

 温さを伴った柔らかい触感が、蒼助の興奮を煽る。

 キス、という行為でこんな風になるのは初めてだった。

 今までただの行為の先に至るための手段としてしか捉えていなかった蒼助には、女が強請りこだわる理由などさっぱりわからなかった。

 手っ取り早く欲を発散したい蒼助からしてみれば、焦らされるだけの余分ですらあった。

 

 しかし、千夜はそんな蒼助の理念を覆した。

 相手が千夜だというだけ自分がこんな風になるとは、と自身の単純さは正直ショックだったが、この際どうでもいいことだ。

 もっともっと、と訴える本能に身を任せ、角度を変えるなど、啄むなど繰り返す。

 

「っ……ふ」

 

 時折漏れる声が蒼助を満たすどころか飢えさせる。

 足りない。

 もっと、深く。

 赴くままに重なりを強くし、奥へと―――――――

 

「っん………―――――――ぐむっ!!?」

 

 喘ぎは行動の進行と共に、突然と呻きに変わった。

 力の抜けきっていた千夜の身体には、不必要なほどの力みが舞い戻る。

 行為に夢中な蒼助は構うことなく、そのまま舌を奥へ進めようとした。

 そして、その奥に潜んでいたものを捕らえたかと思ったその時、

 

 

 

 

「ん、むっ……っ、っ、っっうわあああああああっ!!!!」

 

 

 

 

 ガッと、顎に手がかかったと同時に深く繋がっていたところを無理矢理引き剥がされる。

 顎に食い込む程の力の入り様と、突然の千夜の行動に顔を顰める蒼助に息をつかせず―――――――追撃が襲う。

 

「うがっっ!?」

 

 顎を掴まれたまま、固定したその目標目掛けて繰り出された拳。

 掌ではない。握り拳。

 それが蒼助の顎を下から容赦も手加減もなく打ち上げた。

 

 混乱しているとは思えないほど、的確かつ上手いこと入った痛恨の一撃だった。

 直撃の瞬間、脳の揺れが蒼助の意識を一瞬にして奪うほどの。

 そのまま仰け反った体は反転。

 引っくり返って、ソファ上に倒れた。

 

「っはぁ、はぁ………ぁ」

 

 荒い息遣いを繰り返しているうちに、千夜の思考が正常な機能を取り戻す。

 そして、覆いかぶさっていたはずの蒼助が仰向けに倒れているのを直視して、自身が何をやらかしたのを理解する。

 

「あ、蒼助っ………だい、じょ」

 

 言いかけて、止まる。

 視界に入ったものはそれだけのものだった。

 固まるには、十分だった。

 

「ダイジョーブぅ………?」

 

 低い声。

 先程までは意地悪げながらも優しかった声が、それとは似ても似つかないほどトーンを下げて千夜の鼓膜を打つ。

 ゆらり、と起き上がる蒼助。

 その目つき。形相。雰囲気。

 どれをとっても、千夜に逃げたいという衝動を生ませる要素には違いなかった。

 

「ど、の、つ、ら」

「んぐっ」

 

 身を引こうとした瞬間に、千夜の顎は先程蒼助にしたように一気に距離を詰めた蒼助が伸ばした手によって掴まれ、行動を阻止される。

 そして、

 

「下げてそんなこといえるのかねぇぇ……この口は」

―――――――っっ」

 

 人が怒っているのを見て、怖いと思ったのは千夜の人生至上でこれが初めてのことだった。

 掴んだ顎をぐにぐにを弄びながら蒼助は、

 

「これは、アレか? 優しくされるよりも、酷くされるのがいいってことが言いたかったのか? ん?」

 

 顔は笑っている。

 しかし、案の定目は笑っていない。少しも。

 言動と相まって、千夜の目には恐ろしく不気味に映った。

 得体の知れない恐怖に襲われつつも、誤解をとかなくてはならない、と慌てて弁解を試みる。

 

「ま、待て。話を聞けっ!」

「……いいぜ、待ってやる。聞いてやる。―――――――で、終わったら犯す」

「待てというにっ!」

 

 聞く耳なしな蒼助の対応に千夜は必死になった。

 その様子で、どうやら本気でワケがあるらしい、とようやく少し冷静になってきた思考で判断した蒼助は、息を吐くと至近距離まで詰めていた間隔を少し開け、

乗り上げていた身体を落ち着かせる。

 胡坐をかいて座る蒼助を見て、とりあえずのところは抑えてくれたのを察し、千夜は一息ついた。

 

「で?」

 

 早く言え、という意を含んだ促しに、千夜はやや尻込みしつつも、

 

「………あ……その、さっきの……は、何だ?」

「は?」

 

 寧ろその質問こそ何なんだ、という気持ちで蒼助の思考が占められる。

 まだ何もしていない。

 敢てしたと含むなら、あれはキスだ。

 まだ、キスしかしていない。

 聞くまでもないこと。

 

「………何って………キスだろ」

 

 それ以外の他に何だってんだ、と続けようとしたら、

 

「嘘をつくなっ!」

 

 思いがけない言葉が返ってきた。

 何処を如何して嘘をついたというのか、ときょとんと目を見開いた視線で問う。

 

「あ……ぅ」

 

 とぼけているととったのか千夜は怒鳴り付けようと目尻を吊り上げたが、それも一瞬のことで、何故か顔を赤くして目を逸らしながら、

 

「と、途中から………変なこと、しただろうが」

 

 だから変なことって何だ、と言いかけたところに蒼助の勘が閃く。

 まさか、とジトリと嫌な汗が滲ませ、

 

「オイ………ディープキスってのとフレンチキスってどういう意味か知ってるか? もしくは聞いたことあるか?」

「…………ぇ、なんだって?」

 

 ぱちくり。

 そんな反応を見た蒼助は眩暈に襲われる。

 

 ジーザス。

 性の神様。

 いるなら、迷えるこの若者の言葉に答えてくれ。

 

 蒼助は胸いっぱいの不満と哀しみを声無き慟哭に変えた。

 

 

 

 

 

 神よ。

 これは俺に対する皮肉か何かなのか。

 

 

 

 

 








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