惚れた女の秘密を知った。
しかも一つどころではなく、三つ。ひょっとしたらこの調子でいくとまだまだたくさん後が控えているのでは、と本能的な勘とやらが警告音を発している。
秘密、というのはその人間のアキレス腱みたいなものだ。
どんな強靭な信念や志を胸に秘める人間も、かの英雄のようにそこを突かれれば、大きな致命傷を負う。
秘密を暴くとは、そういうことだ。
かつて俺の秘密―――――――心の奥を容赦なく暴いた女はそう言って、更に続けた。
暴かれることは痛みを伴うかもしれないが、放っておいても膿んでいくだけで。
暴かれなければ、その苦しみから解放されることはない。
だから、暴いてほしい。
彼女が貴方に向けて隠し続けている秘密を、知った貴方が容赦なく暴いてやってほしい。
―――――――あのコを想うのなら、どうか傷つけてあげて。それが……。
たった一つ、彼女を救い楽にしてやれる術なのだ、と。
いつものポーカーフェイスに悲壮感と慈愛を滲ませて告げられた事を、俺は迷わず実行した。
正直迷いはしたが、自分の時を思い出し、それを振り切った。
見ないようにしていた自分の中のものと膿んだ疵と対峙した時の苦痛は壮絶なものだったが、それを乗り越えた今は不思議と以前より楽になった。
在った、という事実こそ消えないものの、それを踏まえて前に突き進むことは決して苦痛ではなくなった。
彼女にもそれを教えてやりたかった。
そろそろ歩き方を変えよう、と。
結果、予想通り彼女は大いに取り乱した。
どうやら俺とは別の用途で彼女の方も同じことを自分から切り出そうとしていたが、そうはさせるかと先手を打った。
ショックを受けたように硬直した様子はさすがに胸が痛んだが、そこは我慢。
そこから先は彼女のボロがそれこそボロボロこぼれ始めた。
そうして、今まで巧みに隠されていた―――――――大事な人間の身勝手に振り回され続け、傷ついた彼女の姿が見えた。
そこには、かつて同じように傷ついた俺の姿もちらついたが、やはり彼女は違った。
傷ついた自分を嘆かず、傷の痛みを足掻く意志に変えていた。
同じ間違いをもう繰り返したくないから、と更に自分を傷つけて、それまでとは別の道を歩もうとしていた。
それが破滅の下り坂とわかっていながらも。
それでも、行こうとする。
止めなければ、と彼女の痛み走る懇願の叫びすら跳ね除けて。
限界であろうにそれでも足を折らない崩れ落ちそうな彼女を抱きしめて。
もう一度、好きだと言って。
俺が長年の望みを叶えると―――――――傍にいる、と約束して。
腕の中から見上げてくる彼女の表情がたまらなくなって、キスをしようとした。
それで。
それで―――――――
「…………」
「うぇっ………ひっ…ぅ……っ」
ソファの上に座る俺。
しかし、その膝の上には彼女が跨っていた。
しかも俺の胸にすがって泣き通し、だ。
一体何だというのか。
まだ拒むのかと思ったら、急に泣き出された。
オイ。
―――――――誰かこの状況を説明できる奴がいたら、手ぇあげろ。
◆◆◆◆◆◆
何でこんな展開に転んだのだろうか、と自身の胸から聞こえてくる彼女の嗚咽を聞きながら蒼助は現状に至るまでの経緯を振り返った。
雰囲気に流した勢いでキスしようとしたら、拒まれて突っ撥ねられた。
その矢先今度は泣き出し、縋り付かれた。
以下、現在進行中。
………さっぱりわからねぇ。
泣く、という相手の初めての行動に動揺し、されるがままにしていたらどうにも次に動かせなくなった。
宥めてみたが、全く聞く耳持たずでただ泣くばかりだ。
他にどうすることも思いつかず出来ずで、とりあえず千夜を抱きしめて泣かせている、のだが。
………嬉し泣き、ってわけではなさそうだしな。
かれこれ十五分もこの状態だ。
我慢も長くはきかない蒼助は、そろそろ動かない現在の状況にシビレがきていた。
尤も相手が千夜でなければ、とっくにその場に放置して逃げ去っていただろうが。
………って、いかんいかん。
他の女ならともかく、千夜にそんなことするわけには行かない。
ただでさえ、今は大事な瀬戸際だ。
これだけ大泣きするということは、きっと口を利くのすら億劫になるほど大事な琴線に触れてしまったのは間違いない。
とりあえず、暇を持て余す意識を何かに集中させようと、一番手近な千夜に向ける。
………やっぱり、腰ほせぇな。
出るところは出て引っ込んでいるとこは引っ込んでいる、と称するに相応しい括れだ。
歪みのないその部分の曲線に感心していて、ふと蒼助は気づく。
………よく考えてみると、いろいろと美味しい体勢じゃね?
自分の胸板に縋る千夜は、同時にその出た部分の胸をギュッと押し付けている。
何より、体勢だ。
この向かい合わせの体勢はオイシイ。
………ヤベ、勃ってきた……ってコラコラ!
空気を読め、と自身の下半身を叱咤した時だった。
腕の中の千夜の様子に、変化が現れる。
「……千夜?」
蒼助の胸に顔を押し付けて伏せていた千夜は、そこから僅かに身を離したのだ。
しかし、ようやく伺うことが出来た千夜の顔には変わらず涙が流れ伝い続けていた。
留めなく、と表すに相応しいほどおさまる様子無く。
「ごめん……もう、落ち着いたから」
「……何処が。こんなボロボロ泣きっぱなしで」
「………涙腺ぶっ壊れたのかもな」
泣きながら笑う。
口調も泣きが入っているというわけでもないので、本当にそうなのかもしれない。
「………本当に、泣くのなんて……久しぶりなんだ」
「どんぐらい?」
「……最後に泣いたのは、二年前ぐらいだと……思う」
「……二年」
それだけの間に何もなかったわけがないだろうに、それだけの月日の中で一度も泣かなかったというのか。
「……誰の手も借りずに、一人で立つと決めた時、まず泣くという行為を捨てたんだ。彼らが死んだ時も、哀しかったが泣かなかった。……いや、泣けなかった。
知らない間に………我慢に我慢を重ねた結果、俺は泣けなくなっていたんだ。泣くことにかけた自制心が、いつの間にか度を過ぎて無意識の縛りになっていた」
でも、とまだ続き、
「……彼らと差があった、と……結論づけるのは気が引けるが、ある人が死んだ時………泣いたんだ」
「それが、二年前か?」
「ああ……尤も、彼らと出会ったのはそれ以降のことなんだが……その前に、たった一度だけ縛りも何もかもが弾け飛ぶくらい泣いた」
自分の中のダムが決壊するほどの哀しみだったのだろう、と蒼助は内心で察した。
それはあの写真の死んだ恋人のことなのか。
この場でそれを追求する勇気は、蒼助には無かった。
ただ、
「……そんぐらいのことがない限り泣かなかったのに、今泣いてるのは?」
「…………」
問いかけると千夜は濡れた睫毛を伏せて俯いた。
返答の拒否に、蒼助は溜息を洩らす。
無理に聞こうとしても無駄なのは、パターンとしてそろそろわかり始めてきた。
ならば、
「………話せって。泣かれてる理由もわからなきゃ、俺がどう泣き止ましたらいいかわからねぇだろ?」
頬を流れる液体を拭うが、上から流れるそれは再び軌跡をつくる。
ならば、と指で目尻を拭った。
そして、もう片方を、
「っ……ん」
逸らそうとすると顔を手で押さえ、目尻に溜まる雫を舐めとる。
後から満ちようとするそれを更に軽く吸った。
塩分を含んだ千夜のそれが、不思議なことに甘く感じた。
「ほーら、言わないとずっとこうして………っ」
からかい半分本気半分で言いながら顔を見て、蒼助は固まった。
千夜の顔はどういうわけか、またくしゃりと歪んで泣きに入っていた。
「……優しく、するなぁ……っ」
そう言った声には再び涙が滲んでいた。
そして、
「そんな風にされたって、俺には返せるものないというのに……何で、そんなに優しくするんだぁぁっ!!」
「うぁおっ!?」
わぁぁ、と泣いたかと思えば、自分から胸に抱きついてきた。
思い切った行動に身体が揺さぶられる。同時に蒼助の理性も揺れる。
「お―――――――落ち着けマイスピリット、落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け………」
何処か危ない目で蒼助がそうしてブツブツと念仏のように唱え始めるその下では、
「どんなに優しくされたって………お前が俺を好きだと言ってくれても………俺が、こんなにもお前を好きでも………何の意味もなくなってしまうのにっ」
「何言って………って、今何つったっ!?」
うっかり聞き逃しそうになった部分を急いで台詞から抜粋し頭の中に留めて、蒼助は千夜に再度繰り返すように肩を掴んで迫る。
「……ぅそ、絶対言わないつもり……つもりだったの、に」
「言わないつもりって、てめぇ………まぁこの際細かいことはどうだっていい。……で、確かなんだな?」
自身の言い漏らした事実に、唖然とする千夜に念を押す。
今まで何となく流していたが、何に置いても何よりも重要なことだ。
「………俺のこと、好きなんだな?」
改めた質問に、千夜は一瞬苦しげに顔を歪めた。
喉に詰まった何かを呑み込むことも吐き出すこと出来ずにいる、そんな表情だ。
しかし、
「……っ、ああそうだよ! 俺はお前が好きだっ、文句をあるか!」
やけになったのか、吐き出すことを千夜は選んだ。
あるわけがないだろうに、という突っ込みすら忘れて蒼助はその言葉に聞き惚れた。
吐露は更に続く。
「気持ちそのものは出会いからあったんだ……でも、気づきたくなかった、直視したくなかった………そんな自分を認めることなんてできなかったっ。僅か一瞬の拘わり
だと思ってたら、お前は再び俺の前に現れた。油断してたら、とんでもなく深いところまで踏み込んで来やがって……気がついたら、最初は視界の端っこにちらつくだけ
だったモノが目と鼻の先にあって、目も逸らせないようになってて………っ」
煮詰まったように顔を顰めると、額を蒼助の胸に押し当てた。
「何でこんなことになったんだ………こんな風になるはずじゃなかったのにっ。………俺がお前を好きになる要素なんて、何処にあったかもわからないのに………なのに、
こんなっ。ああ、くそっ……頭の中がゴチャゴチャで自分でも言ってることがワケわからない………消しゴムでも何でもいいから頭の中を全部真っ白にしてしまいたい
気分だっ―――――――んぁ、ぅ」
突然顎に手をかけられ、上を向かされた千夜は立て続けに襲った出来事に目を見開いたまま固まった。
塞ぐように合わさる唇。
伝わる感触と温さと、ゼロ距離にある顔で、それがどういう意味なのかを理解。
五秒ほどの時間経過の感覚の後、唇は離れたが顔は近いままで蒼助は吹きかけるように囁いた。
「………真っ白に、なっただろ?」
こくん、と真っ白になったまま呆けた様子で頷く千夜に、満足そうに「よし」と呟いた蒼助は頭を抱きこむようにその身体を抱きしめた。
宥めるようにポンポンと背中を摩りながら、
「そんじゃ、自分で逸らしておきながらなんだが………本題に帰ろうか。で、なんだって? その意味がなくなるっていうのは、どういう意味だ?」
「っ………」
千夜が身体を強張らせるのを身体の触れた部分で感じる。
しかし、それでも突き詰めることにした。
「………言ってみろ。俺はエスパーじゃねぇんだ。お前の考えてることは言ってもらわなきゃ、わからない。言う前にごちゃごちゃ一人で考えて完結しないで、言っちまえ
よ…………多分、もう何が来ようと大丈夫だろうから」
「………多分って」
「ああっ、いいから言えっての。俺の多分は、絶対だっ! わかったな!? わかったろ!? わ・か・っ・た・なっっ!!?」
蒼助が段をつけて三度押しすると、千夜は返事代わりに腰に回す両腕を締めた。
わかった、という代弁なのだろうと勝手に蒼助は解釈した。
少しの沈黙が置かれる。
そして、
「…………好きな女の子がいたんだ」
「ぁあっ!?」
思いもしない切り出しに思わず蒼助は声を荒げてしまった。
告白の矢先で、どうして昔の女の話を切り出す気になれんだこの女っ、と蒼助は分泌する空気に怒りを孕ませた。
「……をい。今カレの座に着く予定の男に元カノの話題を持ち出すたぁ、どういう了見だー? 答え次第で急遽ルート変更で地獄の下り坂突っ走ってやるぞ、ああん?」
「な、何で怒ってるんだ………?」
「わからいでか、この鈍感オトコムスメがっ!!」
これは本気で路線を変更せざるえないかもしれない、と危険な思考に走り始めた蒼助の心中を本能的に察してか、千夜は焦った様子で弁解に出た。
「い、いいから聞けっ………お前が話せと言ったんだろうが」
「………もし、その女に未練があるから無理とかいう内容だったら、この場でその頭の中構造改革実行してやるから。泣こうが、喚こうが容赦なく」
「…………」
地の底から響くような低いトーンで無機質に言われて、身の危険を感じた千夜は慎重に語りだす。
「……俺は、彼女が大事だった。何処が、とか言えるような安易なものじゃなくて………仕草一つ一つの何もかもが愛しくて仕方なかった。異性として好きになったのは、
彼女が初めてだった。その時、俺は何よりも得がたい……かけがえのない大切なモノと大事な人を手に入れたと思って……幸せだった、本当に」
内容そのものは幸福に満ちているものなのに、それを紡ぐ口調は相反して暗く重い。
悲痛さすら感じ取れた。
「……と、思っていたんだ」
「………あ?」
途中が小さくて上手く聞き取れず、繰り返しを要求すると、
「………残ると、思っていたんだ。例え、相手を失ったとしても………いなくなった人間への想いだけは自分の中にまだ残るって………思っていたんだ。
けれど、けれ……どっ」
声が震え、語尾が涙ぐんで潰れる。
胸に突っ伏していた頭がぐっと強く押し付け、
「……彼女がいなくなって……起こった変化は、身体の状態が急激に女に偏っただけだったじゃなかった。
―――――――彼女に対して向けていた感情も、なくなってしまったんだ」
「なくなったって……」
「好意、愛情………そういったものが全部なくなった。忘れたとか、気持ちが冷めたとかそういうんじゃない………無くなったんだ。
まるで、最初からそんなもの存在しなかったみたいに、跡形もなく………身体が急に女に変わっただけで」
思い返したのか、千夜が両腕で自分の身体を掻き抱いた。
服越しに爪先が食い込むほどに、強く。
「薄情極まりないと思わないか……? どんな人間だって、一度好きになった相手への気持ちをきれいさっぱり切り捨てて取り去ることはないはずだ。本人は気づかない
かもしれない……だが、そこには僅かなりとも思い出と共に想いの残滓が残っているに違いない。俺には、それすらない。彼女と過ごした思い出はある……でも、それを
想う感情がもう残っていないんだっ! ……代わりに居座っているのは、何にも想えない彼女への罪悪感だけだ……」
保健室のベッドの上で見た夢を思い出す。
夢の中では、かつての自分は確かに彼女を想っていた。
なくしたはずの感情は確かに存在していた。
けれど、夢から覚めれば微塵も残さず消えていた。
それこそ―――――――夢幻のごとく。
「どうしてこうなったかなんて、身体の状態の変化の原因すらわからないんだ。……また、なんらかの拍子に男の方に偏るかもしれない……その可能性がないとも
言い切れない。もし、そうなったら………多分同じように、なる、だろう……な………」
「…………」
「蒼助、お前が好きだと言っている人間は、こんな……何もかも先行きの見えない不安定な人間なんだぞ? ……お前が死んだら………あっさり気持ちがなくなる
かもしれない、そんな奴なんだ。………身体だって、この先ずっとこのままかどうかも……わからな―――――――」
言い切るのを遮るように、身体の密着とともに抱擁感が千夜に訪れた。
緩んでいた蒼助の腕は再び締まりを戻したのだ。
強すぎず、かといって弱くもない。
息苦しさどころか心地よさを感じる、包み込むような抱擁。
居座りの悪い例えようのない感覚に戸惑う千夜の頭上に、労わるような行為とは打って異なる蒼助の棘の生えた言葉が降る。
「………呆れて、口が塞がらない……っていうんかこーゆーのを。信じられねぇ、最後の最後に残った砦がそれかよ。そんな理由で俺は散々拒否られてたのか」
「そんなことって……っ」
「そんなことだろうが。少なくとも、俺にとっては」
はぁぁ、と蒼助はあからさまな溜息を吐いて、
「……まぁいいや。お前は俺が思っていた以上に可愛い女だってわかったし」
「かっ」
なんとでもないことをいうように蒼助の口からコロリと出た言葉に、千夜は思わず目を剥いて顔を上げた。
「なっ、何だそれは! お、俺の何処が」
「全部。もう、たまらねぇっすよ?」
「う、嘘だ!」
「ほんと」
「うっ」
「可愛いよ」
否定する前に割り込まれ、千夜は詰まった。
詰まったまま睨みつめていた既に赤い目尻にまた涙が滲んだ。
力が抜けるように、蒼助の胸に頭部が収まる。
蒼助は丸まった千夜の背中をあやすように撫でながら言葉をかけた。
「……悪かったな、そんなとか言って。なった身にはきついよな。死なれた上に何も遺んないなんて、さ。………思い出なんて、そこにどんな感情があったかが
わからなくなってちゃ、何の慰めにもならねぇよな。そこに俺を当てはめて考えてみたけどよ…………やっぱ、俺もこえぇわ。もし、お前が死んで一緒に好きだった
気持ちも消えちまったら」
「………」
「お前、また同じようになるのが怖いんだよな。俺が死んで、好きじゃなくなるのが……怖いって、思ってくれてるのか?」
「……ん」
胸に当たる頭がもぞりと動いて、頷いた。
はっきりと口にされるよりも明らかな答えに、蒼助は自身の胸が躍るのを感じる。
「ありがと、な。……けどな、一つだけ覚えておけよ」
蒼助はその瞬間、今までの人生で一番穏やかな気持ちの最中で告げた。
「お前は俺の【死ぬ理由】じゃない。―――――――【生きる理由】だ」
「―――――――っ」
「お前の中の俺への気持ちがなくならねぇように、せいぜいみっともなくてもしぶとく長生きしてやるぜ」
そういった後、何かの予兆を促すように、蒼助は千夜の旋毛に口付け、次にこめかみ、額、目元、と順を追って唇を落としていく。
催促のようなそれに、反応として千夜は顔を上げて少し高い位置で自分を見下ろす蒼助の顔を見た。
動いたのは蒼助だった。
それを察した千夜はごく自然に、当たり前のように目を閉じると同時に―――――――重なった。
それは始まりからずっと同じ想いを抱えていたにも拘らず、噛み合わずに交差し損ね続けた二人がようやく重なった瞬間となった。
数秒ほどの僅かなその時間が、二人には時が止まったように長く感じるものであった。
どちらともなく離れたが、視線は合わせたまま、
「………いいのか。俺は、こんな身体で……不安定な存在で………それに、それと」
熱に浮かされたように顔を赤らめて視線を虚空へ彷徨わせていたところ、下方へわかるように逸らし、
「………やっぱり、可愛くはないんだ」
「ああ、そうかい、そうですか。………いーんだよ、別に。俺がわかりゃ、それで」
あいにく万人に知れ渡らせたいという趣向はない。
寧ろ、自分一人だけが知っていること、と胸に秘めておきたい。
自分がそんな人間であることを、蒼助も今初めて知ったのだった。
だが、悪い気分ではなかった。
「身体のことも、気にすんな。………そういう点では、お互い様だろ」
「…………そう、か」
応じるものの、その表情はお世辞にも明るいとは言い難い。
長年抱えていたコンプレックスを急に手放せ、という方が無理な話なのかもしれない、と自分の発言が少々迂闊であさはかなものだったと反省する。
そして、湿っぽい空気を盛り返すように、
「ま、大船に乗った気で俺にどーんと任せろ」
「大船……ね」
「って、オイ。何だそのイマイチ乗る気になれねぇとでも言いたげな態度は」
「わかってるじゃないか」
揚げ足をとるような皮肉じみた返しにいつもの調子を取り戻した吉兆を感じ、蒼助はようやく一息つくことができた。
「そういう可愛くないこと言われると………」
「……っあ」
「証明しなきゃ、男が廃るよなぁ……」
低くした声でそう言いながら、不意を打つように抱擁を強めた。
片手は背に。もう片手は腰に置かれ、何かを予感させるような動きをそこでする。
「任せる気に、させてやろうか……今すぐ」
指先にひっかかった裾がその巧みな動きによって捲くれ、進入をあっさり許す。
肌で感じるその確かな感触に、千夜は息を呑み身を固くした。
胸で息を潜めるその様子に蒼助は、
「………なーんて、な」
先程までの耳の奥にドロリと流れ込むような低さは放り捨て、打って変わった明るい声で場の緊張した空気を掻き混ぜる。
捲くった服を元に正し、千夜の髪を梳くように撫でながらその顔に頬擦りをするように己のそれを寄せて、
「じょーだん。これ以上は、欲張りすぎだよな………お前の口から好きだって聞けて、ちゃんとキスまで出来たってのに、これ以上は贅沢すぎるよなぁ」
本音八分、抑えた下心二分の本心だった。
焦る事はない、という気持ちは間違いなくあった。
残された試練は自身次第のものであり、あとはそれをひたすら到達を期限までに目指していけばいい。
しかも、これで一層打ち込むことができる。
前途は明るくなった。
とりえあずのところ、現時点ではそれだけ十分だ。
「………よ」
耳元で千夜が何かを言ったが、か細い声は蒼助がはっきりと聞き取れるに至らなかった。
「千夜?」
何か言ったか、と問いかけると、千夜は蒼助の肩に額を置いた。
そして、繰り返し、今度は聞こえた台詞は、
「……シて、いいよ」
予想を瞬滅し、蒼助の思考回路を消し飛ばす核爆弾並みの威力を発揮した。