屋上を後にした蒼助が、まずおこなった行動は三つだった。

 それは、食堂で昼食を食べると昶達と交わした約束を果たしにいくという実行。

 先に行った彼等の元へ行くという合流。

 そして、同じくしてそこにいる渚に対する確認だった。



「で、本当なのかよ。活動停止って話は」

「うん、本当。今朝、俺とマサのところにもメール来た」



 タヌキそばを啜りながら答えるのは、蒼助の座る席の向かい側の席に座る渚。

 予想範疇にあった返答を返す渚に、蒼助は更に問いを重ねる。

 ある意味、先程の事実の真偽よりも知りたい事を。



「……氷室は?」

「いつもの場所。お昼いらないって」


 生徒会長室。

 そこが、学園内における氷室のいつもの場所だ。



「いやそうじゃなくて……命令に対する反応はどうだったんだよ」

「ん〜……別に、特に怒るというワケでもなく理由を聞こうと本部に掛け合うわけでもなく。いいの?って聞いたけど、黙って生徒会の書類に向き合うばっかで」



 意外という言葉が蒼助の心中に落ちる。

 思っていたよりも、随分とあっさりした反応だった。

 あの退魔師の使命と役割を至上にし重んじていた男が、命令とはいえあまりに突然で理不尽な命令を受け入れるなどあるのだろうか。

 古いしきたりに縛られているその様は、蒼助自身とはあまりにも反面的で何かと「お前のような人間が退魔師だとは」と言われては衝突していたのに。



「それにしても、あの降魔庁の不始末の裏にそんな事実があったとはな………」



 蒼助の右隣でエビフライをかじっている昶が呟き、



「せやなぁ………でも、陰気が掴められへんのやろ? どないして見つけ出す気なんやろなぁ……」



 渚の隣――――昶の正面でカツ丼をかっ込む七海が疑問を口にする。

 それもそうだよなぁ、と思いながら蒼助も自分の頼んだチャーシューメンを啜る。

 降魔庁の霊力探知機能―――――――【虚空の眼】が使えないとなると、退魔師が直接動いて探索するしかない。

 効率が悪い上に、陰気を隠せる追われる側に対して、追う側であるこちらには不利だ。

 その問いに対し答えたのは、口の中のそばを呑み下した直後の渚だった。



「気にはなるけどね。でも、動くなって言われた俺達にはどうすること出来ないし、必要もない……かな。そういう判断下したんだから、上がどうにかするでしょ」



 渚のこのざっくりとした反応には、今更驚く事ない。

 この男はそういう人間だ。退魔師としての役目に使命感を持っているわけでもない。

 ただそこに『氷室雅明』という相棒がいるから、同じ道を歩むべく隣を行くだけなのだ。



 降魔庁にいた頃にチームを組んでいたときから、そうだった。

 氷室が望む事を自身の望みと、まるで影にように傍に立つ。

 あの男の何処が良いのかは知れないが、渚は氷室を何よりも大事にしている。

 そのべったりぶりには一時はそっちなのかと尋ねてしまったことがあるが、本気で殴られて否定された。

 そんなじゃない、でも大切だ、と。俺が見つけた最初の理解者(なかま)だから、と。



 何が、と問えば秘密の一言であしらわれてしまい、わからずじまいだった。

 他人には見えない二人の間でのみ成立する【絆】というものだろうか。



「で、お前はどうするんだ蒼助」

「あん? 何が」


 突然昶から振られた言葉に蒼助は一瞬意味を解りかねた。


「お前の依頼人はもう動けない。それでもお前はこの件に関わるかと聞いている」


 ああ、とようやく理解。

 確かに氷室が動けないとなると、この仕事は存在理由を喪す。

 つまり、今回の仕事は無しとなる。 


 これ以上関わったところで、報酬が出るわけではないのに首を突っ込む必要はあるのか。

 元より、蒼助も退魔師として誇りや義務感を持っているわけではない。ただ、そういう家に生まれてショボイなりにも【力】があって。かつて在った『目標』がこの道

の上にいただけで。
 そして、今はもう、昔取った杵柄を生かして日々を食いつぶす糧でしかない。

 自分達がしなくてはいけないことではない。

 他にやる人間がいるというのだから、それでいいのではないだろうか。



「…………俺は」



 濃く色づいたスープから箸で掴み上げていた麺が、そのままにされて冷めかけていた時。

 蒼助が己の決断を口に出す前に、近くでやや昂ぶった口調の声があがった。



「体育館裏で? マジかよっ」

「ああ、行ってみようぜ」



 後方を見遣った蒼助の視界に映ったのは、何やら興奮気味に会話しながら食堂を駆け出ていく男子生徒二人。周囲に視界を広げれば、彼等と同じように食堂から外へと

向かう者が何名かいた。

 何事だ、と口にする前に、同じ思いを抱いていた友人がそれを一足早く口にした。



「なんやねん、一体………」

「体育館裏が、どうとか言っていたな」


 しっかり会話を聞き取っていた昶が、キーワードを口にする。

 そして、蒼助は他の三人を見た。

 他の三人も蒼助とそれぞれの顔を見た。

 互いが交わした意思は同じものだった。



「………行ってみるか」



 頷きもせず、彼等は同意を行動に表した。







 ◆◆◆◆◆◆







 食いかけの昼食を放置して体育館裏に来てみれば、そこは生徒で出来た人だかりでその奥が塞がれていた。

 僅かな隙間を縫うように蒼助は先頭を切って突き進む。

 後ろから続く渚が窮屈さに呻きながら、



「うぎゅっ………うわ、皆すごい野次馬根性だね。よっぽど暇なのかな」

「俺らが言える立場かよ」



 こうして同じように来ているのだから人の事は言えないだろう。

 人波を掻き分けて無理矢理進み、下手すれば押しつぶされかねないそこから一早く押し出される形でようやく脱出した蒼助の目に飛び込んできたのは―――――――



「………っっ!」



 注目の的になっている目の前の光景を見た瞬間、蒼助は目を剥いて絶句した。

 僅かに遅れて辿り着いた渚もその光景を見て同じ状態に陥った。



「これは…………」



 目にしたのは、地に伏し、壁に凭れるなど様々な形で倒れる複数の男子生徒。ボロボロだったが、その風体には見覚えがあった。

 少なくとも、蒼助には若干なりとも認識のある。 



「こいつら、あの時の………」



 もう二、三日が過ぎていたらきっと記憶から消え去っていただろう。

 だが、今は辛うじて彼らの事は残っていた。 

 一週間前、転校生の終夜千夜に絡んだ神崎が引き連れていた舎弟達。

 それが、気絶しているのか動けないのか、ピクリとも動かず地面に転がっていた。



「っと、ボーッと見てる場合じゃないね」



 一足先に我に返った渚の声に蒼助もハッとして改めて状況を認識する。

 非常に気が進まないが、ここまで来てしまったからには退くわけには行かない。

 後始末は教員達がやるだろう。

 とりあえず、渚のように舎弟達の状態を確認しようと蒼助は、俯せになって地面に突っ伏している一人をごろりとひっくり返した。



「っ!」



 隠れていた顔が露わになった瞬間、蒼助とその近くにいた人間は喉を引きつらせた。

 女子が悲鳴を上げるのを遠くに感じながら、蒼助は目を背けたくなるような悲惨な様をただただ見つめる。

 酷い有様だった。一体どれほど殴ったのか、肌は赤黒く変色し、元が分からなくなるほど腫れ上がり、鼻は拉げたように折れていた。

 途中で泣き叫んだのか、青タンになって腫れた瞼の下の両目から涙が流れた跡があった。

 ごくり、と唾を呑み込み、服越しに体を隠れた体の状態をイメージした。

 これは私刑(リンチ)だ。そして、きっと服の下はもっとすごいことになっているだろう、と。



「酷い………こっちは両足折られてる。そっちは?」



 壁にもたれている方を見ていた見ていた渚の質問に突き動かされ、両脚に触れる。

 探ると、正常な状態では有り得ない不自然な手応えが手の平に伝わってきた。



「こっちもだ…………まさか、こいつら全員……脚を折られて」



 両脚を潰され、抵抗する事も出来ない状態にされて、されるがままに嬲られたのだろう。

 蒼助の経験上の知識にある報復の中でも最悪の手段だ。



「顔はぐちゃぐちゃ、身体はボコボコ………再起不能ってとこかな?」



 周囲に広がる凄惨な光景を見回しながら、渚はそう呟いた。







 ◆◆◆◆◆◆







 男―――――――神崎はご機嫌で悦に浸って廊下を歩いていた。


 爽快な気分に比例して足並みが信じられない程軽かった。

 ズボンのポケットに突っ込んだ手に付いた濡れた感触すら心地よく感じられた。


 先程から、前から神崎が来た道を急ぎ足で辿って行く人間達。

 きっと先程までいた『あの場所』に向かっているのだろう、と男は行き先をふんだ。

 つい先程、男は『あの場所』で手に入れた『力』を試していた。

 生意気にも自分を見限った塵共を相手に。

 結果はいうまでもない。良好だったからこそ、神崎はご機嫌だった。

 泣き叫んで許しを請う連中のザマに、神崎は再びかつての『己の世界』が戻ってきたことを実感した。



 己の力が全てを支配する世界。虫けら共が強者である自分に従属し、逆らう愚か者を徹底的に弄りひれ伏せさせる。

 それこそ、神崎が求める世界であり絶対の法則(ルール)



「くくっ………この力さえあれば、俺は」



 そう、この力さえあればもう二度と何にも屈することはない。

 あの終夜千夜だってもう意のままだ。

 玖珂蒼助も連中のように嬲れ、確実に殺せる。


 あの二人だけじゃない、視界に映る限りの気に入らない全てを蹂躙できる。



「ひっ……ひははははは、―――――――ッ!?」



 上り階段まで来た神崎は、突如強烈な気配を感じた。

 本能的な動きでその上を見上げれる。



 見上げたその先に居たのは一人の男。


 無表情に眼鏡のレンズ越しの冷たく澄んだ眼で、寒気がするほどの鋭い視線を向けてくる。
何も語らず、何もせず、ただただ冷たく怜悧な視線を向けてくるだけ。それ

だけだというのに、背筋が寒い。

 指先が何故か震える。

 全身の毛穴が開き、冷たい汗が噴き出る。

 目の前の存在に対して記憶に覚えはあった。むしろ、忘れるはずがないほど。

 この男も己が持つ力が通じなかった男だ。一年時、かつて校内で暴力沙汰を起こしたときの処分で初めて存在を認識した男だった。



 名は―――――――氷室雅明。



 蒼助とは違った形で、自身に決定的な敗北を知らしめたもう一人の憎悪の対象。

 いつものように、父親の権力に恐れをなした教師達によって見送りになるはずだった。


 だが、それは新任の書記によって妨げられた。

 氷室の意見で場はひっくりかえり、三ヶ月の停学を食らうことになった。

 父親に訴えたが、翌日に「諦めろ、今回は大人しくしておけ」と言い渡された。

 何故だと言及すれば、らしくもなく青ざめた顔をしてただ一言。



『【土御門】には……関わるな。相手が悪過ぎる……っ』



 震える声で紡がれた言葉は、明らかな恐怖を表現していた。 

 己の上に立つモノへの。

 食物連鎖に従った、捕食される側が捕食する存在を恐怖する、それだった。



 氷室が姓であるはずなのに、土御門と呼ばれることに対する疑問について、気にしている余裕などなかった。


 ただ、その時感じたのは敗北だった。

 二度目の敗北。忌々しいそれを味あわせた二人目の反逆者。


 それ以来敵意を剥くようになったこちらに対し、氷室は気にする素振りすらなかった。

 更に憎悪が深まった。相手にすらされていない、無視という形の屈辱によって。

 それが今、出会った時以来関心一つ示さなかった自分と初めて真正面から向き合っていた。

 湧き上がったのは僅かな慶び、そして畏怖。



「……………」



 氷室は視線を神崎に据えたまま、一歩を踏み一段降りた。

 それに合わせるように己の足が一歩後ずさった事実に神崎は驚愕し、そして憤怒した。


 何故下がる。

 何故震える。

 何故恐怖する。

 相手はもう自分にとって恐れるに足らない存在だというのに。

 自分は、もう人間という脆弱な殻を脱ぎ捨てたはずなのに。







 何故、何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故―――――――ッッ








 蛇睨まれた蛙、の状態となった神崎は己の血走った眼で睨まれているにも関わらずゆっくりと降りて来る氷室。

 ワケのわからない威圧感に喉を抑えられているような感覚の中で神崎は目の前まで来た男に、



「……て、てめぇ…………」



 ようやく絞り出せた言葉に氷室に答えたのか否か、無言を保っていた口を開き、



「…………何処で"そうなった" かは知らんが、"外れる"という事はどういうことを意味するのか………貴様は理解しているのだろうな」



 遠回し過ぎる台詞。

 だが、理解出来た。

 この男は気付いている。自分の手に入れた力を。


 眼を開いて驚愕を露にする神崎に、氷室は眼を閉じ、



「まぁいい。どの道そうなったからには、辿る道は一つだということは忘れるな。


 ―――――――神崎陵」



 毅然とした様で言い残し、そのまま振り返る事なく神崎の横を通り過ぎて行く。

 残された神崎は、氷室が遠ざかっていく一方で、一人怒りに満ちた悔しさに打ち震えた。



「……………くそがっ! クソがっっ」



 何度も壁に拳を打ちつける。

 傷が付いて血が出ても構わず叩きつける。

 どうせ"治る"ものだから気にはかけない。



「ふざけやがって………っ!」


 許せない。

 許さない。


 この期に及んで尚もまだこの自分を脅かすとは。

 あの憎たらしい仏頂面をこの手で引き裂いてやりたくて両手十指が疼いてしょうがない。

 こうなれば何が何でも終夜千夜を、一刻も早く手に入れなければならない。

 幾度にも渡って犯し、更なる力を手にしてその時こそ。



―――――――放課後だ」



 決行は放課後。

 自分は今日、再び生まれ変わるのだ、と神崎は歪な笑みを浮かべて決意を滲ませた。 







 ◆◆◆◆◆◆







 目の前の悲惨な状況にどうすることも出来なかった。

 そうして見つめているだけであった蒼助の後ろで、人だかりに飲まれていた昶と七海がようやくこちらに辿り着いた。



―――――――っ」

「ぷはぁ、やぁっととーちゃぶっ」



 突然立ち止まった昶の背にぶつかり、寸前で押し留められる七海。

 勢い良くぶち当たった鼻を押さえながら、涙目で昶を見上げ睨む。



「早乙女ぇ、変なタイミングで止まらんで先進まんかいアホぉっ」

「お前は止めておいた方がいい。女にはこれは少し………」



 昶が言い終わるよりも早く、押し退けて七海はその先の光景を見ようと身を乗り出した。



「っ………」



 忠告を無視して好奇心をとった七海は、凄惨な光景に青ざめて言葉を失った。

 言わんこっちゃないと蒼助が背後のやりとりに呆れていた時、足元で虫の息かと思われていた舎弟の一人が息を吹き返したのか蚊の鳴くような微かな呻き声を漏らした。



「っおい! しっかりしろ」



 全身の苦痛に呻く声すら弱々しい不良の身体を、蒼助は揺さぶる。 

 しかし、突然それを制するように背後から肩を強く掴まれた。



「馬鹿が、瀕死の相手に無理に動かすな」



 いきなり不快指数が一気に急上昇するような言葉を文頭のおいた台詞。

 それを紡ぐ声には嫌と言いたくなるほど覚えがあった。



 振り返れば、



「氷室っ……何でこんなところに」



 蒼助の問いを無視して氷室は片膝を地面に着く。

 不良の無惨に潰された顔を動じる様子もなく見つめ、



「少しでも口が聞けるなら答えろ。ゆっくりでいい、貴様等をここまで痛めつけた相手の名を言え」



 命令口調だが、無理を強いる雰囲気はない。

 口の中があちこち切れていてまともに口を動かないであろう舎弟は、しばらく呻いているだけだったが、やがて何かを伝えたげに口を動かし始める。

 その動きは微妙な動作で、更に声があまりにも小さいため、蒼助には何を言っているのは全く解らなかった。

 しかし、それでも氷室は根気強く、力なく動く唇から片時も目を離さない。

 そんなわけがないのにやけに長く感じれたじれったい時間は、氷室が立ち上がると同時に終わりを告げた。誰が呼んだのかこの場に駆けつけた教員たちの到着によって。



「皆、教室に戻りなさい! 貴方たちもよっ」



 ヒステリックなキンキン声で怒鳴ってくる中年女教師に耳を痛くしつつ、蒼助達は不満げな声を所々であげる野次馬共々その場を追われた。

 名残惜しそうにバラけて校舎へと戻って行く生徒たちの中、蒼助はその半ばで足を止め、前を歩く氷室に尋ねる。



「………で、何だって?」

「………奴らは、見限ったかつての自分達の統率者に報復をくらったようだ。いや、ただのそれはこじつけだろう………実際は、ただ【力】を試す実践対象にされただけ

だろうな」



 その言葉で犯人が誰かを蒼助は察した。

 だが、後半の【力】を試すという話には、疑問が湧いた。

 その疑問に関しては、蒼助が口を開くより早く渚が代わりに言葉にしてくれた。



「それは一体どういうこと? まさか………」

「ここに来る途中、意気揚々としている奴に鉢合わせした。―――――――答えは察しの通りだ、渚」



 奴は既に【魔性】に堕ちた。

 氷室は暗にそう言った。



「いつからかと言えば、おそらく奴が一週間前から姿を眩ませていた間にだろう。新学期早々に起きた校内での女子生徒に対する暴行未遂の主宰である奴は、半月の停学処

分を受けていたはずだが………おおかた、夜の街を歩いていて負の氣を撒き散らしているところを眼をつけられたのだろう」



 筋の通った推論だ。

 元々そっち側の資質はあると思っていた。

 それが若い今だけのものならいいが、奴―――――――神崎の場合は根っこからものだから、いずれそういう末路を辿るだろうな、と他人事に思っていた。

 七海は幾分か痛ましげに眉を顰めていただが、蒼助は欠片もそういう気分にはなれなかった。

 いつかが時期早まって今になっただけ。それだけのことだ。

 完璧に他人事として耳を傾けていると、どんどん話は進んで行く。 



「でも妙だね。魔性に器にされたにも関わらず、彼個人の意識が保たれているなんて。普通は、憑かれた瞬間に取り込まれちゃうはずなのに」



 渚の言葉に、確かに妙だと蒼助は内心で同意を示した。

 稀に深い私怨や執念深さを有した意思の強い者が器になった場合には、そういう事があるが、それも保って二、三日。徐々に意識が混濁していき、最後には他と同じ事に

なる。辿る道は同じである。



「まさか一週間もってことはないだろうけど………こりゃ、意思のあるうちに片付けちゃった方が良いんじゃない? 完全に呑まれて見境無くなっちゃう前に」



 確かに。

 二、三日といってもそれは最長。同じケースでも短い場合もある。

 街でふらふらしているなら良かったが、学校に来られて自我を失われると羊の小屋に狼が投入された状態になるわけで。

 これ以上面倒が起きる前に始末は早い方がいいだろう。



 と、そこまで考えたところで、さっきの台詞に微妙な違和感を覚えた。



「おい、ちょっと待て」

「何だ」

「今の口ぶりからするとお前ら………アイツを殺る気か?」

「当たり前だ」



 平然返って来た肯定に、蒼助は頭を痛くした。



「お、お前……今朝、活動停止喰らったんじゃ」

「あいにく、私は渚が受け取った携帯の通達を見ただけで"自分のは見ていない"。ということは、私はまだその指令を知らない……ということになるな。知らないのでは

仕方あるまい。知らなかったのだからな」


 とんでもない屁理屈に出た。

 普段やたら細かい奴がアバウトになった時―――――――それは本気の時だ。

 既に命令違反上等の二人に脱力しつつ、何らかの火の粉が自分にかかる前に去ろうとゆっくりと、その場から徐々に後退を試みていたが、



―――――――何処へ行く」

「っ!?」



 思考を読まれたかと思った。

 うろたえつつも、反論に出る。



「お、お断りだからな、そんな面倒。第一、神崎みてぇな小物ならお前等二人で十分過ぎるだろ」

「何事にも保険は必需だ」

「っ、知るかンなもん! とにかく、俺は手を貸させねぇぞ………お前と違って使命感で討伐やってるわけじゃ」

「報酬はこの前やるはずだった分と重ねて倍出す。これでどうだ」

「う」



 そう来たか、と蒼助は言葉に詰まる。



「て、てめぇ卑怯だぞ……」

「何が卑怯なんだ。渚からお前が次の仕事をせがんでいると聴いていたから、わざわざお望みの【それ】をくれてやろうとしているだけだが……?」



 口端をつり上げ、ふんっと言わんばりに笑みを浮かべる氷室。

 蒼助は嫌という程知っていた。この笑みは人の弱いところを完全に抑えた上で、自らを勝利を固辞する時に浮かべる表情だということを。

 普段、無表情であるが故にたまにする感情表現が嘲笑という辺り、つくづくこの天敵は根性が捻くれていると思う。

 ギリギリ、と歯噛みしながら、ただただ睨みつけていると、



「まぁ、別にそこまで嫌だというなのなら仕方ない。せっかくの慈悲を無下にしていた愚か者が路頭に迷ってもこちらの知った事ではないが」



 太々しく、更に追い打ちをかけてくるところがまた憎々しい。

 口の中でガリっとした音が聞こえた時、同時に蒼助の中で張り詰めていた糸がキレた。



「………………………………依頼、承ります」

「ふっ、最初から素直に受ければ良いものを」



 今ならこの悔しさで血の涙も流せそうだった。

 蒼助は心底そう思った。

 その後ろで渚が腹を抱えて笑っているが、この際もうどうだっていい。

 こちらを屈服させた氷室は。次なる標的(えもの)に狙いを定めていた。



「さて、そこの二名」



 蚊帳の外にされていたのをいいことにこっそり去ろうとしていた昶、七海の二人は、急な呼び止めにギクリと擬音が聞こえそうな様でその場で固まった。



「確か、都築七海は本人以外は力を持たない矢代の分家の中でも末端の分家。そして早乙女、お前も似たようなものだったな」



 一体いつ調べたのか。

 それぞれの一族の内情を述べる氷室に、昶と七海は嫌な予感アリアリな表情を浮べ逃げ腰状態だった。

 逃げ道を塞ぐように氷室は早々に先手を打った。



「ついでだ。お前たちにも手を貸してもらおう」

「いや待て、それはいくらなんでもバレるとまず」



 珍しく必死になって足掻こうとする昶の苦心のそれを、氷室は何てことなく叩き落した。



「バレなければいい。そうなるようにせいぜい懸命に努力しろ。受ければ、もしもの時の貴様らの責任は全て私が負う。………仮に、受けないといえば―――――――明日

には身に覚えのないお前達の妙な噂が流れるだろうな」

「…………っっ」



 もはや反論する気力と活路を見失ったのか、沈黙する二人。

 哀れな子羊が新たに二匹堕ちた。


 蒼助はそれを見ても助け舟を出そうとはしなかった。思いもしなかった。

 なぜなら―――――――不公平だから。死なば諸共である。 


 不幸は皆で分かち合うものだ、と少しだけ気分は晴れた。



「決行は本日の放課後だ―――――――必ず、仕留める」



 氷室は切れ長の双眸を鋭く細めて言った。
















BACKNEXT