―――――――っっおぎゃあああああああああ!!!!!!!!????」

 





 日暮れ間近の時刻、久遠寺医院に取り上げた赤ん坊―――――――があげたには野太過ぎる絶叫が響き渡り、建物全体を震撼させた。

 発生源は、医院の中枢たる院長専用の診察室。



 そこには、絶叫発生約三分前に来院した訪問者が、部屋の主たる院長―――――――久遠時女医と共にいるはずだった。

 それが異変であると察した内部関係者は、現場にかけつけるべく各々の持ち場を離れようとしていた。

 

 そして、その当の現場では、

 

 

「お、おまま、おまっ………な、何だぁ、それはっっ!?」

「……あー、うっせ。………どもるな喚くな」

 

 来院者―――――――千夜は、最近距離で喰らった被害に耳を押さえつつ、

 

「……見ての通り、殴られたんだ。それだけだ」

「そ、それだけだとぉっ!?」

「あ、いや………実はこっちも。つか、本命だな」

 

 べらり、と紺色のジャージを捲り、その『本命』を晒し出した。

 

「ぎっ」

「お前のくれた薬のおかげで治癒(なお)らないんだ。お前なら、綺麗さっぱり……」

「ぎゃあああああああああああああああっっ!!!」

 

 第二の震災発生に、千夜の言葉にかき消された。

 火に油を注いでしまった、と己の失態を自覚したが、時既に遅し、であった。



 音波を発した後、久遠寺は突然俯いて勢いを失くした。

 エネルギー切れか、と様子を無闇に近づかず己の立ち位置で千夜は様子を伺っていたが、

 

「……つ、だ」

「黎乎?」

「どぉこのどいつだぁぁっっ! 私の日々の目の保養対象を傷モンにしやがったタコはぁぁ!!? 機関銃、誰か機関銃持って来いぃぃ!!」

「どうでもいいから、早く治療……」

「殿中じゃああ、殿中ですぞぉおおおっ!」

 

 殿中じゃねぇココお前の病院だろ、と突っ込む前に暴走状態に入った女医は、そのまま暴れ馬のような勢いで自身の診察室を飛び出していってしまう。止めようとして

行く先を失った手を宙に漂わせながら、千夜はあの面食い女医のところにこんな状態で来たのが間違いだっただろうか、と後悔に浸る。

 しかし、他に当てがないのだから仕方ない。

 

「申し訳ございません、千夜さん。院長、貴方の身体が大好きですから……」

「……事実に違いはないだろうが、その言い方は止めてくれないか―――――――って」

 

 開けっ放しとなった部屋の出入り口からひょっこりと顔を出す看護婦の言い様に寒気を覚えたが、その一息後の瞬間に、別の意味で新たなそれを感じた。

 

「………何ですか、その漫画みたいな特大の注射器は」

「最近じゃ、象に入れるくらいの量でないと収まってくれなくて……今回はそれよりちょっと多めですけれど」

「あ、いや……死にませんよね?」

「院長ですから」

 

 奇妙な根拠を言い残し、少々お待ちください、となみなみと鎮静剤が入った巨大注射器を肩に悠々と担いで久遠寺女医が走り抜けていった廊下を進んでいく看護婦。

 彼女の向かい先から喧騒と争う声が聞こえる。

 おそらく、駆けつけた看護婦たちが女医を何処にあるとしれない機関銃をとりにいった女医を取り押さえにかかっているのだろう。

 続いていた騒音が止んだのは、注射器を持った看護婦が視界から消えて二分後。

 急激に訪れた静寂からしばらくして、

 

「お待たせいたしました」

 

 変わらず笑顔の先程の看護婦が空になった注射器を右手に抱え、左手にぐったりとした久遠寺女医をひきずって現れ、ようやく事態は収拾がついたのだった。

 

 

 



 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 



「改造スタンガンで、か。……一般人の手にそんな大層なシロモンが渡るなんざ、世の中物騒になっていくもんだね。ったく……」

「どんな時代もある程度物騒だ。別におかしいことはない……なんて、いうのがおかしな話だろうがな」

 

 捲り上げたジャージの下の患部に当てられた手から"何か"が注がれる感覚に、目を細める。

 復活した久遠寺が少しフラついているのを見てみぬ振りして。

 

「しっかし、おかしなことになったもんだ。お前がこんな怪我を……しかも相手は一般人の女だって? 何したんだい、お前さん」

「……かかる火の粉を避け切れなかっただけだ。俺が何かしたわけじゃない」

 

 状況を悪化させたのは確かに俺だが、とまでは千夜は口にしなかった。

 ここでも余計なことを口走って、これ以上面倒なことを起こすのはゴメンだった。

 

「そもそも、こんな状態じゃなければ……くそっ」

「そのこんな状態を招いた本人が言うかねぇ。………まぁ、あと一週間辛抱しな。今、寺院に掛け合っているから」

 

 一週間、という言葉が聞いた千夜にはとてつなく長く、そして重く感じた。

 その間に、今日のような災難が降りかかるのかも知れないというのに。

 気分が重くなるのを否めない中、

 

「ところで何でまたそんな女に喧嘩吹っかけられ…………んん?」

 

 素朴な疑問を口にしかけた久遠寺はそれを唐突に打ち切り、何かを気に留めた様子をみせた。

 その際に、鼻がぴくりと震えた。

 

「ん……これは、珍しい」

「………何だ、一体」

 

 突然、治療を止めて顔―――――――鼻を近づけて千夜の身体を嗅ぎ出す。

 それは胸、首筋、腰、挙句こめかみあたりの髪など、あらゆる場所を行き来する。

 触れるか触れないかのその接近に、千夜はたまらなくなって、

 

「……オイ、どういう了見で治療を止めて妙なことに没頭している」

「なぁ、お前さん」

 

 皮肉に対し、かみ合わない声と発しつつ久遠寺はようやく離れたかと思えば、

 

「珍しいね。身体から男のニオイがプンプンしてるよ」

「なっ……」

 

 にやり、と弱みを思わぬ拾い物をしたとでもいうように口端をつりあげる久遠寺の言葉に、驚きと嫌なものを感じ千夜は顔を引きつらせた。

 それが久遠寺を調子に乗らせることになる。

 

「数は複数。しかし、その中で一際濃いのが一つ。………なるほど、この怪我は男絡みか?」

「お前……どういう鼻してんだっ」

「大したもんだろー? 年の功さね」

「そんな経験の産物、ドブに捨ててしまえ!」

「おやおや、赤くなっちゃって……可愛いとこあるじゃないか」

 

 これだから年配者はおそろしい、と千夜は歯噛みする。

 一度弱みを見せると徹底してそこを突いてくるとんでもない生き物だ。

 

「数が複数なのは、大方その女がお前を辱めようと男どもに襲わせようとしたってところか。そして、その雑魚っぽいニオイの中に一つだけ飛び抜けてイイ男のニオイが

その存在を際ださせているね。今のあんたじゃ到底対抗しきれない……よって、あんたは男に助けられた。ニオイが染み付いたのはその際に抱きかかえられた。

―――――――
と、ここまで推理してみたがどうだい?」

「………一応聞くが、お前その場にいたとかじゃないだろうな」

「いたら、あんたじゃなくて私がそいつらの上で踊ってやってたさ」

 

 もはや癖の強いとかそういう問題ではなく妖怪じみてる。

 ひょっとしたら、この女も人間であるという点以外では黒蘭とほとんど大差ないかもしれない、と目の前の本人が聞いたら一気に表情を暗転させそうなことを、千夜が

疲れた精神で気を遠くにやりながら考えていると、

 

「で、どうなんだい。お前さんの求愛者は」

「……何が」

「その女が躍起なって自分の下に繋ぎ止めておこうとするほどなんだろう? さぞかしイイ男なんじゃないか、そいつは。お前も相変わらずの

魔性っぷりだねぇ……」

「人を性悪女みたくいうんじゃねぇ。お前には関係ないだろ、余計な詮索は……」

 

 するな、といいかけて千夜はふと言葉を途切らせた。

 

「……興味あるか?」

「あん?」

 

 突然の千夜の態度の転向に、久遠寺は駄目かと話に見切りをつけて治療を再開しようとした手を思わず止めた。

 

「教えてやる。だから、お前もアドバイスをくれないか?」

「アドバイスぅ?」

 

 立て続く突拍子もない台詞に、久遠寺は素っ頓狂な声を上げた。

 一体どういう風の吹き回しか、と驚きが勝った当初だったが、そこは持ち前の切り替えの早さもあってすぐに今の状況の面白さを理解し、

 

「ますます珍しいねぇ。こりゃ、明日は雨………いや、雹か?」

「………かもしれないな」

 

 反発が返ってこないことに若干拍子抜けしたが、久遠寺の興味はその先へ向いていた為、然程気にかけなかった。

 

「久遠寺、俺は……今、知りたいことがある」

 

 故に、その直後の言葉に対する衝撃は身構えによって軽減されることもなく久遠寺にぶつけられることになる―――――――

 

 

 

「自分を好きだと言ってくれる人間に―――――――

―――――――?」

 

 始まった言葉と同時に見合わせた視線に、久遠寺はそれが自分の予測していたものとは大きく異なることに気づいた。

 そして、その全貌はすぐに明らかになる。

 

 

 

―――――――嫌われる方法を」

 

 

 

 知っているなら、教えてくれ。頼む。

 

 

 

 まっすぐ突きつけられているはずの視線は、それでいて不安定に揺らめいていた。

 

 

 



 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 



「あら、院長。千夜さんは帰られたんですか?」

 

 湯気の立ち上るティーカップを盆に乗せて、診察室の扉を開けた看護婦の目に入ったのは、想定していた人物が一人かけた中の光景だった。

 そこには、院長が一人、太陽が沈み始めた暮れの空を窓ガラス越しに見つめている姿のみで、来ていたはずの院長の特別応対者である来客はいなかった。

 

「おお、来生(きすぎ)。気が利くじゃないか」

「院長のセクハラ全開の言動に精神を疲労なされているに違いないと千夜さんに持ってきたのですが………そうですか、帰られたのですね」

「お前の上司を上司と思わんその態度はどうにかなんないのかい」

「看護婦は常に患者さんの味方ですから」

 

 にっこりと天使の笑顔で跳ね除け、来生はドアを後ろ手で閉める。

 

「仕方ありません。不本意ですが、飲んでください。勿体無いから」

「………医者に優しい看護婦はこの病院にはいないのかねぇ。……ちなみに何で二つ?」

「こっちは最初から私のです」

 

 あ、そ、と慣れたやりとりなのか、言葉ほど気にすることもない様子で久遠寺はコーヒーの入ったカップを受け取った。

 過度に熱くもなくぬるくもない、飲むのに適温のそれに口をつけた。

 

「………青春の苦さってやつも、こんなもんなのかね」

「唐突ですね。どうかさなさったんですか、青春を当の昔に追い越した方が」

「現在真っ最中のやつがさっきまでここにいたさ。まぁ、あいつの苦さはこんなもんじゃないだろうがね」

「一体二人してどんな話をしていたんですか?」

 

 椅子に腰掛けて同じものを飲む来生の言葉を鼻で笑い、

 

「決まってるだろ。年頃の連中の悩みといったら……恋の悩み以外に何がある?」

「まぁ、千夜さんがですか? ……それで、相手は」

「男さ。女でも、それはそれで面白いことになっただろうがね」

「ヨソ様の恋路を面白いだなんて言うものじゃありませんよ、院長。千夜さんも、院長に相談するなんて。……明らかな人選ミスを」

「失礼な女だね。誰にだって青春時代はあるに決まってるだろ。無論、私にもある」

「あまり興味がないのですが」

 

 なにぃ、といきり立つのを無視しながら、話題の路線がズレないように、

 

「……ところで、なにを相談されたんですか?」

「…………それさ、それ」

「はぁ?」



 思い出したような素振りを見せると何故か溜息、という久遠寺にしては珍しい様子に来生はきょとんと軽く呆気に取られた。

 久遠寺は気分を落ち着かせるために、コーヒーを一口啜り、

 

「………あたしゃ、長い経験の中でまさかあんな相談されるとは思わなかったよ。まだまだ生きてみなきゃ知らないこともあるんだねぇ」

「何ですか、また突然。一人で浸っていないで教えてくださいよ」

「………ふぅ」

 

 一息つくと、久遠寺は茜色の外に視線を放った。

 そのままで、

 

「………自分を好いている人間に嫌われる方法を教えてくれ」

「え……?」

「……そう言われたよ。恋愛沙汰だというから何だと期待りゃ、とんだ肩透かしさ」

「好かれるのではなく……嫌われる、ですか?」

「ああ……」

「ひょっとして言い寄られて困ってるから、というケースではないんですか?」

「いんや。……好きだから、離れて欲しいんだと」

 

 矛盾した理由だ、と来生は片眉を歪ませる。

 気持ちを察した久遠寺はその疑問に答えを与えようと続けた。

 

「女として出来損なった自分は相手の男に応えられるものが何もない。幸せになんてしてやれないから、早く目を覚まさせてやりたい……とか言ってたよ」

「ああ………そういうことですか」

 

 その言葉に『納得できる要因』を知る来生は、あっさり頷いた。

 

「幸せにしてあげられない、なんて………千夜さんらしいですね。女の人って、だいたいは自分が幸せにしてもらうつもりでいるのに」

「そこで男らしくてどうするんだか。肝心なところで女々しいんじゃねぇ……」

「それで……院長はどうなさったんですか?」

 

 ああ、と口にしかけたコーヒーカップを一旦押しとどめた久遠寺は、

 

「聞かれたからには答えたさ。質問自体は簡単極まりない。大抵の人間は受け止めがたい【爆弾】を抱えてるんだから……それを洗いざらい打ち明けちまえばいい、と」

「…………どれのことでしょうか」

「全部、だろう。中でも、あの事に関しては話さなかった話していないじゃなくて………をついちまったらしい」

「……あの事って」

「今、問題にあがったろ。バレた時に、うっかり事実とは違うことを口走っちまったんだってさ」

 

 そこで、沈黙が降りる。

 久遠寺はそれを一息に、とカップの中に残ったコーヒーを一気に飲み干した。



 その時、

 

「………無茶な話だと思うんですけどね」

「ん?」

「その相手の人が、千夜さんの抱えてる全部ごと千夜さんを受け止められる人だといいですね。記憶のことも、過去のことも。あの―――――――"身体"のことも。千夜が

悩んでることも何でもないって言ってのけて、安心して千夜さんが自分を任せてしまえるような………そんな人なら、全部が杞憂で済みますよね」

「…………」

「……なんて、そんな海のように心の広い人……そうそういるものじゃ」

―――――――そうかい?」

 

 今までの連ねた言葉を冗談で締め括ろうとした来生の耳に、届いたのは何故かさっきとは打って変わって明るい声だった。

 

「院長?」

「私は、ひょっとしたと思ってるけどね」

「またらしくないことを。エロい割には、現実主義のくせに」

「どんな理屈だ今のは……。現実主義は肯定するがね。だから、さ」

「………?」

 

 ちょん、と指で己の鼻を示すようにつつく久遠寺の仕草に、来生は怪訝な表情で応えた。

 




「私の鼻が太鼓判押してんのさ。覚えのあるニオイでね。……もし、そうなら―――――――アレはアタリだ」

 




 鼻の頭に指をあてながら断言する久遠寺の顔は、憎らしいまでに自信に満ち溢れる笑みを湛えていた。

 

 

 

 

 

 

 

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