そこは暗く保たれていた。





 電気は全て消され、カーテンも全て閉められた。

 光を完全に遮る仕様なのか、外の明るい光が一切漏れてこない。



 その部屋の中心に身を置き、椅子に座る千夜は、周りに軽く四十を越える人の存在する気配をイヤというほど実感していた。

 そして、闇に隠れて入るものの目の前にも一人。



 置かれた状況に色々突っ込みたいと思いつつ、とりあえず、暗がりの中で手前に置かれているであろうモノに手をつけることにした。



 手探りで掴んだ箸で肉を掴み齧り、味の染みた下の飯を口に運ぶ。

 我ながら器用なものだ、と黙って租借していると、








「いい加減、吐いたらどう? ネタは上がってんのよ―――――――終夜千夜」








 何故フルネームで呼ぶ、と声の方に顔を上げる。



 同時に、千夜のいる場所にだけスポットライトが当たる。

 食堂にそんな設備があるはずもなく、何処からか持ってきたのだろう。

 雰囲気(ムード))にこだわる連中だな、と呆れ半分でまた―――――――手元のカツ丼を放り込む。

 

 スポットライトが再び点灯し、明るい場所を一つ作る。

 今度は椅子からテーブルに立ち上がった久留美の姿だった。

 

「玖珂蒼助の自宅マンションが火事になった。そのことは調べるまでもなく誰もに知れ渡っていること。ここからは、私が個人で独自のルートから

調べ上げたことよ」

「…………」

 

 一々反応を示すのも面倒で、千夜は食べながら耳を傾けるだけにすることした。

 何せ相手は相当この作った空気に酔っているのだから、何を言おうと一層気分を盛り上げさせるだけなのだ。

 食べているカツ丼も、お決まりパターンを狙って出された代物であった。

 

「まずここは最初に―――――――その後、蒼助はあんたの家に住み着いている。いわば、事実上は同棲中、と」

 

 その瞬間に口に入れたカツ丼がひどくまずく感じ、千夜は顔を顰めた。



 初球から大インパクトを狙ってきた。



 周りのざわめきを聞き流しながら、

 

「一つ訂正しろ。"同棲"じゃない、"同居"だ」

「ははん、一緒に住んでいること自体は否定しない訳ね」

「ネタは上がってると自分で言っただろうが」

 

 即ち、否定は意味をなさない。

 厄介な状況下で、これ以上無駄な労働は御免被りたかった。

 

「ちなみにアンタ達、同居前からもう随分とヨロシクしてたみたいじゃないのよ」

「………は?」

「まさか、学校休んで江ノ島でデートしてたなんてねぇ〜……」

「ぐっ」

 

 寸でのところで噴き出すのだけは阻止した。



 さすがに驚愕せざるえなかった。

 あの日の、自分たち以外が知るはずの無い出来事を、部外者である人間が調べ上げることなど不可能であるはずだ。



 そう、自分達以外が知るはずが―――――――

 

「………久留美、お前は仕入れたその情報源は………何処のどいつだ」

「何言ってんの。ジャーナリストが命とも言える情報源を明かすとでも……―――――――っっ!」

 

 本気に殺気を込めて視線を放ってやると久留美は思わず口を噤み、少々の躊躇を間に挟んで、

 

「………じ、実のところ私が調べたってわけじゃないのよね。昨日の夜にパソコン開いたら、メールボックスに匿名で情報がビッシリと書き込まれた

一通があったのよ」

「………その匿名は」

「【黒井ゴス子】さん」

 

 聞いた瞬間に、千夜の手の中の割り箸がバキリと圧し潰されるように折れた。

 脳裏を駆けた―――――――その情報源と思われる人物の憎たらしいニヤリ笑いに向けての殺意によるものだった。

 

「まぁ、何処で私のアドレス知ったのかどーかは引っかかるけど、情報は妙に真実味があったから今日試しに粉かけてみたら………ねぇ?」 

 

 まんまと地雷を踏んでしまった、という結果が今のこの状態であるらしい。

 

「で、どうなのよ。観念して全部ゲロする気になった?」

 

 勝ち誇った笑みを浮かべて、胸を張る久留美。

 言い逃れの出来ない証拠の品々を並べられては、こちらに逃げ道はもう無いと確信しきっているつもりらしい。



 千夜はそれを鼻で笑う。

 詰めが甘い、と。



 こちらには、最後の砦となりえる切り札が手のうちに残されている。

 

「………久留美、こういう言葉を知っているか」

「なによ」

―――――――黙秘権」 

 

 はうわっ!と妙ちきりんな奇声をあげて、

 

「ひ、卑怯者ー!」

「お前のえげつない手段には及ばんよ」

 

 はっはっは、と高笑い、千夜は空になった丼を横に追いやりつつ、

 

「御馳走さま。おいしかった。………代金は誰が?」

「お、俺っす!」

「御馳走になった。ありがとう」

「こ、光栄っすーー!」

 

 何故か、胸に丼を大事そうに抱き込んで周りの人だかりに戻って紛れ込む男子生徒。

 消えたその奥で打撃音やら呻き声が聞こえて来たが、とりあえず右から左に流して済ませる事にした。 

 気にかけるべき問題は周囲を固める人の気配が息苦しいことであり、これに対し、

 

「………なんかエビが食べたい」

 

 適当に呟いてみる。



 すると、











「エビ! エビを御指名だ!」

「おばちゃーん、特上エビ天丼をぉぉ!」

「馬鹿やろぉっ! 丼もの続けてどーするよ!! エビフライ定食だ、エビフライ! 

デッカいそれを口一杯に頬張って苦しげな終夜さんが見てぇ!!」

「てめっ、本人の前で何を下劣なこと口走ってやがる!! でも、俺も見てぇぜ畜生!」

「だぁああっ、どきやがれ邪魔だ! 次の貢ぎ物を捧ぐのは俺だぁぁ!!」












 男子のほぼ全員が、我先にと食堂の受け付けカウンターへと走り馳せ参じて行く。



 これで大分周囲がスッキリしたな、と千夜は己の対策が出した結果に満足げに一息ついた。

 その様子に呆気に取られていた久留美は、少しして表情を『呆れ』としてはっきりと表し、

 

「………あんた、猫被るの止めたの?」

「かったるくてそんな労働する気になれるか。第一、この反応を見る限りじゃ………殆どの奴らはひょっとして気付いてたんじゃないか?」

 

 試しに女子集団一部に視線で同意を求めてみる。



 あはは、と女子達はそれぞれ苦笑いをし、

 

「気付いてたけど……」

「でも、別にねぇ?」

「寧ろこっちの方がカッコイイってゆーか、言う事無しってゆーか」

 

 互いの顔を見合い、そして千夜を見る。

 キャーっ、と何故か顔を赤らめてはしゃいでいた。

 意味が分からない。

 

「まぁ、このクラスは全体的に異常に適応性が高い……"普通"から大分ズレた感性の持ち主ばかりだからな。多少個性が飛び抜けてても、

ここでは"普通"で済まされるから浮かなくて済むから気にするなよ」

 

 と、背後から現れたのは先程走り抜けていった男子たちの中で唯一その場に踏みとどまった男子生徒であった。

 振り返ってみた顔には、見覚えはあった。



 が、

 

「………お前、誰だったかな」

「さり気に容赦ないな。……まぁ、まともに話すのもこれが初めてだから無理は無いか」

 

 さしてショックを受けたという訳でもないと男は振る舞い、

 

「早乙女昶。あんたに熱を上げている奴とは腐れ縁の仲だよ」

 

 そう言われて、千夜はようやく目の前の人物に対する記憶を確かに捉えることが出来た。

 見かけたのは僅かではあるが、記憶にあるのはあの男の傍らにいる場面(シーン)ばかりであった。

 

「………悪かったな、これで二度と忘れない」

 

 返事の中で、千夜はさり気なく『早乙女昶』という男を観察した。

 

 

 想像(イメージ)した等身大の蒼助と対比すると、まず外見に派手さはない。

 同じ短髪でも金にすら見える薄い髪質に対し、黒。

 背丈(たっぱ)は蒼助のそれとタメを張れるほどの長身。

 がたいの良さは若干上回っており、見た目と雰囲気で判断する上での精神面では蒼助よりも理性的に見て取れた。

 美形と形容出来る蒼助に比べ、早乙女昶は整ってはいるものの悪く言えばこれといった見栄えは無い。

 逆に良く言えば精悍なものだ。

 二人並べば、どちらかといえば蒼助の引き立て役として第三者に印象付けるだろう。

 

 しかし、それは二人でいればのことだ。



 こうして個人として認識をしてみると、早乙女昶は充分なほどに存在感の満ち溢れる人間だった。

 目つきの悪さや雰囲気から来る蒼助の刺々しい雰囲気とは、何処か異なる威圧感を感じさせる。

 柄が悪いわけでもなく険悪な気配もなく、そう思わせる点では蒼助よりも人としての器は大きく広いかもしれない、と千夜はそこまで考えて

観察を止めた。

 

「それで、早乙女昶………何で、ここにいる」

「エライ変わりようだな本当に。ここまで反転すると、いっそ受け入れるしかないな……」

「答えになってないぞ」

 

 昶からは、言葉とは裏腹にさして驚いた様子は感じ取れない。

 ひょっとしたら、蒼助という例外を除けば、真っ先に気付いていたのかもしれない、と千夜は内心で一人思った。

 

「悪い悪い。まぁ……俺も同じ穴の狢の一人だ。何だか俺の腐れ縁の相方が最近、随分忙しそうなもんだからな。気になるだろ?」

「なるほど………残念だ。少しはまともに話せる理性の持ち主かと思ったら、野次馬の一人だったとは」

「そう言うなよ。我がクラス………いや、我が学園一の節操無しが一人の女のケツを追っかけ回しているっていうんだから、俺たちに限らず学園中の

誰もが気になってることだと思うぜ。俺たちは、その代表みたいなもんだ」

「単なる好奇心に随分立派な建前を付けたな………お前、大方あの男のストッパーみたいなものだろう。ぶん殴るなり何なりして止めてくれたら大いに

助かるんだがな」

「さすがの俺でもあれは無理だ。今までに見ない暴走っぷりだ、ストッパーの方が壊れちまうよ」

 

 拉致の明かない会話に、千夜は少々眩暈を感じ、こめかみを押さえた。

 

「あら、疲れた顔して。気付けにレバニラでも頼もうか?」

「いらん……レバーは嫌いだ」

 

 後ろの方で「おい今の聞いたか、レバーが嫌いだってよっ!」とやや興奮気味の声が沸き上がったが、気にかける余裕は無かった。

 

「私の体調を気遣ってくれるなら、一秒でも早くこの場から開放してくれないか」

「それは却下」

「何か知りたいならアイツの口を割らせればいいだろう」

「あの暴走機関車に声かけても無視されるのがオチだもの。だから、あんたにこうして尋問してんでしょ」

「……………」

 

 あそんでやがる、とニヤニヤ笑う久留美を見て、青筋を浮かべる。

 

 冗談ではない。

 散々掻き乱されて、これ以上好きにさせてたまるか、と千夜はついに反抗心に火を灯した。

 

「さぁ、観念して私たちの暇つぶ………尋問に応じなさい!」

「うっさい。知るか。勝手に騒いでろ。私は寝るからな。起こしたら、その眼鏡を叩き割るからな―――――――以上、オヤスミナサイ」

 

 それだけ一気に捲し立てて、千夜はテーブルの上に突っ伏した。

 ストライキを表明しているつもりだ。

 

「あ、ちょ……って、本当に寝てるし」

 

 久留美が耳を寄せれば、腕枕に突っ伏した下からは寝息が聞こえる。

 演技でもなんでもなく、宣言どおりに行動を千夜は実行していた。

 

「のび太並だな。五秒も経っていないぞ」

「なんかホテル渡り歩いて寝床にしているらしいわよ。家に帰んないで」

「ホテル渡り………まぁ、原因は一つしか考えられないがな」

「本当………何してんだか………つんつーん」

 

 怖いもの見たさで千夜の旋毛を指先で突付く久留美に、昶は、

 

「……で、明日もこれで行くのか? さすがに連日でやるのはいろいろキツイんじゃないか?」

「そんなこと言ったって……この二人がいつまで現状維持するか次第なんだから仕方ないでしょ。やっぱり、【今の問題】に対して

明らか諸悪の根源っぽい蒼助をふんじばってくるしかないかしら………」

 

 呟いた時だった。



 スポットライト以外の光の無い部屋に突如、彼らの背後で外部からの光が僅かに差し込む。

 開いたスライドドアからであった。

 

「ただいーまー。恭ちゃん先生に言うてきたでー……って、なんやねんこの暗さ」

「あ、お帰り都築ちゃん。電気、つけてくれない?」

 

 了承の返事代わりに、七海は点灯という行動で返した。

 部屋が一瞬にして通常の明るさを取り戻していく。

 

「恭ちゃん、なんて?」

「今回だけ見逃してくれるって。ただし、ツケとして課題いっぱい出すっちゅーてたで。ちゃっちゃと問題解決しろ、やと」

「……仏の顔も三度まで、とはいかないか、さすがの恭ちゃんでも」

 

 溜息を吐き出す久留美を通り過ぎ、七海は寝ている千夜に興味を示し歩み寄る。

 

「あー、ちーちゃん寝とんのか? なんや、綺麗な顔しとるけど、寝顔はかわええなぁ」

「寝る前の物騒な言葉さえなかった頷いてあげるけどね……」

 

 先程までこの場を外していたおかげで、ただ一人まだ眠れる美女の本性を知らないクラスメイトの言葉に相槌を打つ。

 その時だった。





 眠りについたはずの美女が目を覚まし、身を起こした。





「うわわっ! ちーちゃんっ!? どないし……」

「……来る」

 

 ポツリとした呟きに近場の人間が、咄嗟には意味がわからず呆気にとられた。

 千夜は周囲の反応を待たずに、食堂を出ようと出入り口に向けて走り出す。

 

「来るって何が…………っ! 誰かその子捕まえて!」

 

 逸早く何かを察した久留美の発令に二、三人の女子が反応し、片腕、腰、片足を捕えた。

 

「このっ……何を」

「もう観念しちゃいなさいよ。逃げてたって何も解決しないんだから」

「馬鹿ッ、捕まったら一巻の終わりだから逃げてるんだろうが!」

「こっちもいつまでも"庇って"られないんだから、いっそ終わりにしちゃいなさいよ」

「してたまるかぁっ! 他人事だと思いやがってっっ」

 

 思いのほか強い抑制力に千夜は一歩も前に進むことが出来ない。

 そうして行く手を阻まれている合間にも、何としても回避したい展開がその担い手と共に迫ってくる気配を、千夜はイヤというほど感じていた。

 

 二日前から記憶が巻き戻し(リピー)再生()される。

 初日の第一レース、これはまだ普通だった。



 しかし、第二、第三と逃走劇の回数が重なるたびに『鬼』の形相は険しくなっていった。

 必死こいたそれから、何やら理不尽な怒りに染め上げられていく一方であった。

 二日目となった昨日にはもう振り返ることができなかった。



 何故か。決まってる。

 

 ―――――――怖いからだ。

 

 相手の殺気に呑まれるほどの恐怖を感じたのは久しかった。

 しかし、本能はそれに対する判断力を失ってはいなかったのは幸いだった。

 

 捕まったら終わりだ(あらゆる意味で)。

 逃げ続けれなければならない。

 

「離せっ………っっ!」

 

 幻聴か否か、足音が鼓膜を打った。

 サッと血の気が一気に引いていく。



 己にとって、この場に限らず何処にいても招かれざる客たる男の足が立てるそれが、着実に近づいてきている。

 千夜の中で鳴り響く警報は最大音量となった。







 そして、







「おい、お前ら食堂に立て篭もるって一体何して―――――――









 外から開いたドアの向こうから現れたのは、予想を外すことなく『鬼』であった。

 

 

 

 

 

 

 

 その登場を以ってして、三日間続いた逃走劇は呆気なく幕を引くこととなった。


















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