最近、己の周囲は目紛しく変わったと、久留美は思っていた。




 現実では在り得ないような異常な経験を身に刻み込んだというのもある。

 そうなる原因となった人物と友人関係を持ったのも然り。






 そして、






「おい、久留美」

 

 不遜な態度でぶっきらぼうにかかる声があった。

 ああ、またか、と思う。



 己を少なくとも自身に何か用があって、この男に声をかけられることはない。

 過去のスクープの件の因縁から、二度目はないと言わんばかりに警戒されている。

 久留美自身も、向こうも同じ事を思っているだろうが、この人物とはどうにも反りが合わない。

 スクープのネタにでもならない限り、近づくことは滅多に無い。



 しかし、最近それも『ある人物』を間に挟んで変化しつつあった。

 

「………何よ」

「アイツが何処に行ったか知らねぇか」

 

 このやり取りも三度目になるな、と聞いた台詞に対してそんな感想が出た。

 一昨日、そして昨日とも今と同じ質問をされていた。

 アイツという三人称が誰を指しているかもいい加減考えなくてもわかる。



 わかってはいるが、

 

「……うーん。アイツって言われても………どいつ様?」

 

 茶化すようにしらばってくれてやると、そいつは苛立ちを隠そうともせず、

 

「てめぇと遊んでる暇はねぇ。知ってんのか、知らねぇのか。簡潔にイエスかノーで答えろ」

 

 初日、そして昨日よりも声の凄みが増していた。

 どうやら不機嫌指数は上がる一方であるようだ。

 そのゲージが現在何処までなのかは、顔の凶悪さでなんとなく察することが出来る。

 

 これ以上遊ぶと、あのスクープの時と同じようにマジで殴りかかられるかもしれない。

 あの時は親友の早乙女昶が止めにかかったから良かったものの。



 そろそろ潮時か、と遊び心に制止をかけ、

 

「…………ノー。四時限目終わると同時に飛び出して行ったきり。こっちには帰ってきてないわよ」

「……そうかよ」

 

 それだけ言うと何の未練も見せずに、男は踵を返すが、

 

「………」

 

 ふと立ち止まる。

 掃除用具のしまわれたロッカーの横で、拳を握ったかと思えば、






―――――――っっ!」






 殴った。



 金属独特の殴打音が教室に響き、誰もがギョッとした目で一瞬振り返る。

 当人はそんな視線も気にせず、荒く息を吐き出してそのまま乱暴にドアを閉めて教室を後にした。



 あとに残ったのは、拳大の陥没が出来たロッカーと収まりゆく喧騒のみ―――――――かと思われた。

 

「………―――――――もう、行ったわよ」

 

 不意に久留美が上げた声に、何人かは訝しんだ。



 久留美は、ロッカー(・・・・)()向けて(・・・)声を放っていたからだ。



 その答えは、すぐに明らかになる。

 

「…………行ったか」

 

 声と共に内側からロッカーの扉が開いた。

 そこから出てきたのは、出て行った男が探していた探索の目標たる人物であった。



 その人―――――――千夜は用心深くドアを凝視し、ようやく安堵したように力を抜いて頭を垂れた。



 その光景を半目で見つめながら久留美は、

 

「本当に、何やってんの……あんた達」

 

 二日間溜め込み続けた疑問を呆れた様子で吐き出した。









 ◆◆◆◆◆◆









 すっかり憔悴して自分の席に戻り、机の上の顔を伏しながら千夜は思い返した。



 こうなることとなった全ての始まりは、三日前の騒動の後の帰宅からである―――――――と。



 ドアを開ければ、黎乎に告げられた衝撃など彼方に吹っ飛んでしまうような更なる展開が出迎えた。

 朱里がいつものように玄関まで駆けてくる、までは普通であった。



 問題は、その後をついてきた"男"だった。



 その姿を確認した後、何でお前が、と怒鳴り言及した。

 自らの自宅に帰ると言っていたはずの玖珂蒼助は、その理由を言葉で示すまでも無くリビングで絶賛放送中となっていた―――――とあるマンション

の火事沙汰を取り上げている夕方のニュースを見せた。

 その現場は少なからず見覚えのある場所であった。

 成り行きとはいえ、一度は訪れた蒼助の自宅のあるマンションであった。

 んな馬鹿な、と唖然とする千夜の耳に付け足すように、当然世話になるぜ、と言葉が入った。




『実家があるだろう!』

『帰れるか、何で一人暮らししてると思ってんだ! 察しろ!』

『三途のところへ行け!』

『もう行ったわい! そしたら泊まりは有料だとかぬかしやがったぞ、あの女っっ』




 既に他の手は尽くしたと主張し、

 

『つーわけで泊めてくれ』

 

 寧ろ泊めろと言わんばかりの、全然頼む側の態度とは思えない不遜な態度で請求した挙句の果てに、

 

『断るってんなら、玄関の前で、何で俺を捨てたんだぁぁっ!と夜中の間ドア叩き続けてやるから』

 

 といった感じに脅しときた。



 いつの間にか地位の優劣が逆転している中で、千夜は蒼助の要求を呑まざるえなくなり、同居生活は続行となった。

 しかし、これが皮切りとなって事態は、どんどん千夜にとって良く無い方向へと転んで行く。




『野菜嫌い』

『やぁー! だからって朱里のお皿に乗せないでよ馬鹿ぁっ』

『悪ぃ悪ぃ。じゃぁ、お前の肉もらってやるよ』

『わーんっ、姉さぁぁん!』

『…………姉さんのやるから泣くな』




 蒼助の傲岸な振る舞いで騒がしくなった食卓のおかげで、その日千夜は野菜しか食べれなかった。



 更に風呂では、

 

『やー、今日は本当いろいろあったぜぇ………こんな日は熱い風呂に入って何もかんも流しちまうに限るぜ』

『…………………構わんが、俺が入り終わった後にやるべきことだな』

『まーまー』

『とか言いながら後ろ手に鍵を閉めるな―――――――っっ!』

 

 トドメは、夜中に眼が覚めたらいつの間にかベッドに潜り込まれていたという事態だ。

 我慢が限界点に達した千夜が、実行に移した行動は、




『お前がどうしてもその奇行を治める気がないというのなら……』




 俺が出て行く、と。



 そう一方的に言い渡して家を飛び出したのは、もう二日前のことでホテル巡りは今日まで続いている。

 そして、まともに寝ていない日々の真っ只中であった。

 否。





 

 眠れないのだ。





 昔からの体質だった。

 自分の臭いが染み付いた―――――――己の領域として心身認めた空間でしか安心して寝付けない。

 獣じみた性分だと自分でも思うが、どうにも生来のものなのか、一向に直せなかった。



 東京に上京したばかりの頃にも、不眠に悩まされたのが今では懐かしい。

 学校で眠れなくても、せめて休息の時間を得れればいいと思っていたが、現実はそうは優しくも甘くもなかった。

 

 学校では、蒼助の追跡が待ち構えていた。

 授業時間を除き、休み時間は完全に蒼助の目を掻い潜るために消費される。

 日に日に自分を追う蒼助の目がギラギラと凶暴性を増していくのを、二日間の間に千夜は確信として得ていた。

 捕まったらアウト。

 そんな本能的な危機感に背中に押されなが、逃亡生活を続けていた。



 その中、蒼助とはまともな会話はおろか挨拶すらもう随分交わしていない。

 

「………やはり、どう考えてもおかしい。………何で俺が出て行って逃げているんだ。そもそも……」

「何ブツブツ呟いてんの?」

「…………何でもない」

 

 久留美の言葉に、無意識のうちに"素"で愚痴を漏らしていた口を閉ざすが、それでも溜息だけは抑えることが出来なかった。

 千夜は己の中で溜まった許容量を越える不満と闘う最中に、それを観察の目で見ていた久留美によって、

 

「……突然、直球で聞くけど、アンタたちってさぁ」

「………何だ」





―――――――付き合ってるの?」





 平然と投げ込まれた爆弾のおかげで、ストレスに悩む思考を吹き飛ばす羽目になった。

 

「……………だ、れ、と、だ、れ、が……だ?」

 

 人目のあることから怒鳴り散らしたいのを堪えるせいか、大分低い声が絞り出てきた。

 そんな脅迫じみた千夜の態度に、久留美は動じるどころか遊び道具を見つけたように目を細めた。

 面白そうに、だ。

 

「アンタと蒼助に決まってんでしょ。まぁ〜、休日明けてからというものの随分と関係が進んでいるようじゃない」

「あれをどう見て関係が進展した思えるんだっ!」

「待てよハニー、捕まえてごらんなさいダーリン………を全力疾走仕様にしたら、見えるわよぅ充分」

「そんな暢気なやりとりに、私は命懸けの危機感を覚えたりはしないっ!」

「なぁに言ってんのよ。一つ屋根の下で一緒に暮らしてるなら危機感も何も……」

―――――――何?」

 

 聞き逃せない言葉が、久留美の口から出てきた気がした。

 気のせいであれば、などと一瞬願ったが、

 

「あ、やばっ………」

 

 しまった、という失敗を顔に丸出しにして口を押さえる久留美が、千夜に確信を与えた。

 サッと血の気が引いていくのを生々しく千夜は感じた。



 身を引いた久留美の胸倉を衝動的に掴み、

 

「………おい、お前何故それを」

「え………マジなの?」

―――――――っ!」

 

 はめられた、と気づいた時には既に時遅しであった。

 実に秀逸な演技を駆使しトラップ罠を仕掛けた張本人は、強かに笑っていた。

 ゾクリ、と嫌な予感が無視しようがないくらいに、千夜の背中あたりで自身を主張する。

 予想も許さない得体の知れない恐怖を沸き立たせる久留美は、

 

「ふっ……カモがウマイこと引っかかってくれたわよ―――――――みんな」

「み……っ?」

 

 意味を理解し終えるよりも、周囲の変動の方が早かった。



 久留美の掛け声の瞬間、教室に存在していた全ての生きとし生ける者が一斉に活動を開始した。

 クラスメイトが一人残らず千夜にその視線を向けた。

 集中するそれに対し怯んだことから隙が生まれ、




「さ、終夜さん」

「行こうか」




 いつの間に背後に回ったのか、両脇の下から二人の女子生徒の腕が拘束として千夜の両肩の固定に入った。

 あっという間の出来事に唖然とする暇もなく、

 

「食堂はどうする?」

「俺たち男子が先に行って占拠しておく。女子一同は終夜さんの護送に専念してくれ」

「了解。それじゃぁ、そっちは頼んだわよ。―――――――さて」

 

 出て行く男子一群を背に、久留美は女子一同に向かって高らかに宣言する。

 

「進級初の我らがDクラスの活動よ。どんな事であろうと、最初が肝心。失敗はどんな理由であろうと例外なく許されないわ。

 よって、一同協力して任務にのぞむのよ。

 ―――――――返事はー?」

 

 イエス、イエス、と各人から挙手が上げるを満足げに見届け、






OK―――――――それじゃぁ……出撃!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――意気揚々とした様子の2Dの一同によって平穏な昼休みは、一部で姿を変えていく。



 日常の中で起きる"非"日常的な変動に千夜は、

 

 

 

 

「な、何なんだこれはぁぁぁぁぁぁぁぁ――――っっ!!!」

 

 

 

 

 当然、この包容し難い事態に抗議をあげたのだった。

 

 











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