蒼助は愕然とした。









 あの部屋から出て、店の方へとやってきた。

 そして、飛び込んできたのは、

 

「……あの、俺………どんぐらい気絶してたんですか?」

「二……三時間くらいかな」

「んな、馬鹿な……だって………ほら」

 

 蒼助は目を見開いたまま、窓ガラスを指差し、

 

 

 

 

―――――――夕方じゃ、ないっすか」









 ◆◆◆◆◆◆









―――――――あの部屋はね、立体投影の空間術式の他に……もう一つ空間術式が組み込んであるんだ」

 

 カチャ、と蒼助の座る席のテーブルに皿を置きながら三途は言った。



 目の前に置かれたのは、クラブハウスサンドであった。



 どうしていいかわからず三途とそれを見比べると、

 

「おなか減ってるんじゃないかと思って。大丈夫、お金取らないから」

 

 にっこりと心配無用の太鼓判を押される。

 そういえば、と自分が昼から何も食べていないことを思い出し、それと同時に胃が妙に寂しく感じてきた。

 無料、という言葉と目の前の据え膳に惹かれ、遠慮という言葉は崩れ落ちていく。



 食べ応えがありそうな具が三段にたっぷり挟まれたそれを手に、食欲が動くままにかぶりついた。

 

「………うめぇ」

 

 冷えているかと思ったら、香ばしく焼きいろがついたトーストと中の肉はまだ程よく熱い。

 トマトは瑞々しく、レタスのパリパリと新鮮な歯ごたえだ。



 たかが喫茶店の軽食メニューと侮って食べた蒼助は少々面食らった。

 

「これ、ベーコンじゃなくてチキン?」

「うん。うちはローストチキンを使ってるんだけど、鶏肉ってダメだった?」

「いや、平気っす………つーか、半端なくうまい」

「良かった。君の様子を見に行く前につくったから、少し間を置くことになったし……どうかと思ってたんだけど」

「こんなウマいサンドイッチ食ったの初めてっすよ。いつも、こんなの出してんすか?」

「うちはコーヒーの付け合せに、サンドイッチ何種類かとケーキ類を置いてるんだ。無論、サンドイッチは注文されてから出来るだけ早く作って出す

ようにしてるよ。作り置きってのは便利だけど、どうにも我慢ならなくてね……せっかく淹れたコーヒーに冷めたバサバサになったサンドイッチって

いうのはちょっとね」

 

 この店の趣向には、店主たる三途自身のこだわりが影響するらしい。

 

「あと、気が向いたらカレーとかパスタもメニューに入れたりもしてるよ」

「店の儲けとかって………」

「趣味で好きやってるだけだから」

 

 本業で充分稼いでいるから、副業の方はどうなろうと別に影響は無いということだろう、と自己解釈しながら、ざくっとまた一口サンドに噛み付く。

 チキンに効かされた胡椒が、ピリリと舌を刺激するのを感じながら、

 

「それでさっきの話なんですけど」

 

 美味いサンドイッチのおかげで途切れる羽目になった先程の話題に話を戻そうと言葉を投げる。

 三途は思い出したように、

 

「あ、そうだったね。えっと、その術式っていうのは……率直に言うと時間の流れに影響する代物なんだよ」

「時間の、流れ?」

「君があの部屋に入る時、外は四時半くらいをさす夕方であった。中に入って君が気絶していた時間は三時間。でも、外に出たらまだ陽が沈みきって

なくて時間は十五分程度しか経っていなかった。これは、どう考えてもおかしなことだよね?」

「はぁ……」

「その原因は組み込まれていた術式である、【一時間=五分という法則】」

「は?」

「あの部屋は一種の異次元でね……こちらの時間の流れの速さが異なるようにしてあるんだ。あの部屋では、確かに三時間の時間が流れたんだ。現実の方で、十五分が経つ間にね」

「……つまり、俺はあの部屋にいたせいで、ちょっとばかし人よりも長く年をとったってことか?」

 

 浦島太郎かよ、と少しばかり嫌な気分になったが、結論に対し返ってきたのは否定であった。

 

「うーん、ハズレ。君は三時間をあの部屋で過ごした。けれど、その身体は十五分の時間しか年をとっていないよ」

「………? え、と……」

 

 いよいよ思考が問題に対し、対処が出来なくなってきた。

 目を泳がせ悩む蒼助を見て、三途は微笑ましげに目元を綻ばせる。

 

「さっき、言ったでしょ。一時間=五分って。ここが重要です」

「………ギブ」

「ふふっ。それじゃぁ、正解を教えましょう。君の中にある十五分はね―――――――【圧縮された三時間】なんだよ」

 

 ポカン、とその言葉を受け止め、意味を問う。

 

「圧縮?」

「あの部屋にはね、外に出る瞬間にそこで過ごした時間を設定した時間単位で圧縮する力が作用するんだ。今の設定は、一時間につき五分。

こうして、君が三時間を過ごしたことも、十五分の時間を過ごしたということも両方の有り得ない事実が成立するわけ………わかった?」

 

 こくこく、と蒼助はただ頷くしかなかった。

 言葉が出ないのだ。

 あの部屋の中でのことだって、圧巻だったというのに重ね掛ける勢いでコレだ。

 

「アンタ、すげぇんだな……」

「照れるね………でも、スゴイのは君の方だと私は思うけどね」

 

 唐突な切り返しに、蒼助は目を瞬いた。



 何がどういう方向を向いて自分がスゴイという繋がりになるのだろうか。



 しかし、その疑問に対する答えは実に簡単であった。

 

「だって、ちょっと前に君を殺そうとした相手と、普通に話してる」

「あ………」

 

 言われ、蒼助は思い出した。



 ―――――――彼女に何をされたのかを。

 

「いや、なんつーか………その」

「………?」

「……………………忘れて、た」

 

 間を置いて告げられた返事に、呆気に取られた表情を浮かべる三途。

 その一瞬の後、へにゃっと苦笑した。

 

「やだなぁ、もう。……あれだけのことが、忘れられちゃう程度にしか思われていなかっただなんて………ちょっと、ショックかも」

「あ、は……そうっすよね。まぁ、でも………」

 

 付け足すように蒼助は言葉を繋げた。

 

「………アンタがしたことは、別に間違ってたとは思わないし」

「え?」

「自分にとって大事なもんを何よりも優先して、行動したアンタはすげぇんじゃないか、って寧ろそういう感じに思ってるんだけどさ」

「……………」

 

 三途の目が、奇妙な何かを見るようなそれになる。

 

「………何を言って……るの?」

「まぁ、だいぶ変なこと言ってるのはわかってるよ。俺だって、アンタが俺に死ねって言って銃を突き付けてきた時はふざけんなって思ったし。

でも、俺としては自分の大事な誰かに危機が迫ってるのに、怖気づいて見て見ぬ振りする……っていう方が、無茶苦茶腹立つ」

「……………」

「今の状況もさ、よく考えてみりゃアンタに殺されかかんなかったらなかったかもしれない状況じゃん? 俺としては、今のこの状態は望んだ形に

近いもんになってるし………アンタには感謝すらしてるぜ、下崎さん」

 

 美味いメシもタダで食わせてもらったし、とニヤリと蒼助は笑う。

 あまりにも予想を超える返事に、三途は唖然として沈黙し、

 

「…………やっぱり、君ってスゴイ」

「溜息つきながら言われたって、あんま褒められてる気はしねぇんすけど」

「そう?」

 

 くすり、と三途は笑い、

 

「千夜が何で君を受け入れたのか………わかった気がするよ」

「へ?」

 

 小さく何かを呟いたのを蒼助は聞き取ったが、内容まではわからなかった。

 なに?と返され、それ以上は言及させてはくれないだろうと察し、大人しく身を引く。



 最近、身の回りが独り言を呟く人間ばかりになったと蒼助は改めて思いながら、三途をチラリと見た。

 眼鏡は割れてしまった為、裸眼のままだが、その表情は自分に銃を向けた時のそれとは似ても似つかない穏やかさが泳いでいる。



 穏やかな喫茶店の店長としての三途。

 冷酷な澱の住人としての三途。

 どちらが本当の下崎三途なのだろうか。



 何が彼女の顔を切り替えるのか、と考えたところでそれは、一つの疑問に繋がりを示した。

 

「………今度は、俺に質問させてくれねぇか?」

「……何?」

 

 蒼助は手にあるサンドイッチの最後の一欠片を大きく開けた口に放り込み、数回の租借の後に呑み込み、

 

「………どうして、アンタはそんなに千夜を大事してんだ?」

 

 問いは放たれると同時に、沈黙が降りる合図となった。

 三途はその瞬間、笑みも何もかも表情が消し去った。



 しかし、ある程度予想はしていた。

 この問いが、何気ないようで、重いのだと。

 

 未知数の敵に対し、彼女が己の身を削ってまで守り通したかったのは何故なのか。

 そこに―――――――どんな理由が秘められているのか。

 

 蒼助は、そういった千夜が拘る面で三途にひどく興味があった。

 それゆえの、温和な空気を変えることを覚悟の上での質問だった。

 

「………それは」

 

 彼女は薄く口を開き、切り出し、

 

 

 





―――――――あのコがカワイくて愛しくて仕方ないからだよ」





 

 

 

 ポッと、顔を朱にのぼせながら言った。

 蒼助は正直、白けた。

 

「……………」

「半目が痛いから止めてほしいなぁ。至って大真面目なんだから」

「………ひょっとして、アンタ……そっちの気があったりすんのかよ」

「断固拒否ってわけじゃないけど、違うよ。千夜に対してそういう感情はない」

 

 若干これ以上掘ったら要らんことを露見させてしまいそうな部分が見えたが、それを無視して問いを突き進めた。

 

「………じゃぁ、初恋の相手の子供だから、とか?」

「それもあるといえばあるけど………言ったでしょ? 妹みたいなものなんだ。………私はもう、家族はだいぶ前に亡くしてるから………」

「………朱里もか?」

「そう。………二人とも、私にとっては掛け替えのない家族だよ」

「…………ふぅん」

 

 何処か納得した様子ではない蒼助の態度に、三途は首を傾げた。

 

「……蒼助くん?」

「ま、言いたくないんなら………別にいいんすけどね」

「………何が、言いたいの?」

 

 態度に引っかかるものを感じたのか、話を終わらすことに対し拒否を暗示してくる三途。

 蒼助は椅子の背もたれに寄りかかりながら、ややダルそうに、

 

「………アンタは、なんかアイツに負い目でもあるんじゃないかって………俺としては、そういう風に見えてたんですけどね」

「っ………」

 

 一瞬の表情の硬直を蒼助は見逃さなかった。

 やはりか、と己の憶測に確信の兆しを見た。

 

「………俺は、高校に入るまで俺に対して負い目を抱えて接してくる野郎の傍で育ったもんだから………なんか、わかるんすよ、そーゆー雰囲気が」

 

 視線を上に上げて、蒼助は言った。



 天井越しに思い浮かべたのは、己の父の姿だった。



 ゴリ押しで愛した女と共になり、その為に負担を掛けたと罪悪感を自分と妻に対し負い目を抱え続ける男。

 過剰かつ大胆な対応の中に、何処か自分に対するよそよそしさを滲ませる男の態度を思い出し、蒼助は少し苛立った。

 

「アンタの事情までズケズケ踏み込む気はないから、言わなくてもいいけど………守る理由に含まれたそーゆー部分は……早いうちにどうにかした方が

いいぜ。負い目で優しくされるなんざ、される側には正直迷惑でしかないもんだぜ、下崎さん」

「…………そう、なのかな」

 

 伏せられた紫の瞳が揺れる。

 迷う言葉は、次に肯定に寄りかかる。

 

「……そうなん、だよね……きっと……………でもね、蒼助くん」

 

 伏せていた目が前を向き、蒼助を見据えた。

 まっすぐとした視線は蒼助に突き刺さり、

 

「………一つ覚えておいた方がいい、この先君が何かを決意して、自分を通すことがあるのなら………その時、必ず負い目を背負う。必ず、ね。

無い、なんて思っちゃダメだ、それは存在する事実から目を背けているにすぎないんだから。ちゃんと、例え相手の負担になろうとも…………

受け止めなきゃ、いけない」

「…………参考にしとく」

「ん、そのぐらいがいい。今は理解はしなくていい、わからなくてもいい………いずれ、わかる時は来るもの」

 

 寂しげに呟かれた言葉は、まるで過去の己を振り返って言っているように、蒼助には思えた。

 己を通すということが、蒼助にはまだわかっていないと暗に言っているようでもあった。



 外を見た。

 空は、そろそろ最高潮の緋色を演出するところであった。

 時計を見れば、時刻は五時にさしかかっている。

 

「……ご馳走様になりました。俺……そろそろ」

「そうだね。今日は、いろいろとゴメンね………」

「………いいすっよ。それより、明日から世話になります」

「うん、頑張ってね。私も、出来るところでバックアップするから」

 

 三途の心強い台詞に、蒼助は少し気が楽になった。

 

「どうも……」

「それじゃぁ、さっそく一つしちゃうね」

「は?」

 

 それじゃぁ帰るかと立ち上がろうとした蒼助の出鼻を挫くように、三途は唐突な言い出しをした。

 

「……千夜が君を拒む理由………知りたくない?」

「……………」

 

 ぐっと知りたいという気持ちを抑え込むように、息を呑んだ。

 誘いに対し、否、とはっきり突っぱねる本音は蒼助にはなかった。



 だが、これがフェアなやり方ではないと言う理性が、頷くことを囁きかける本能を押さえつけている状態だ。

 答えない蒼助に、三途は今度は言葉から問いかけという形を取り去った。

 

「………言い方を変えるよ。知って欲しいんだ、君に。……千夜が抱える、負い目を」

 

 蒼助は大きく目を見開き、言葉は頭の中で反響させた。



 負い目。

 千夜の、負い目。

 それが、自らを拒む理由であると、三途は言っている。

 

「………いいぜ、聞く」

 

 ここで引いてはならないと、蒼助が今まで何度も頼ってきた勘が告げていた。

 了解を得た三途は、落ち着いた口調で語り出した。

 

「…………千夜は、【空白】を抱えている」

 

 空白、という言葉はあまりにも曖昧すぎて、その意味が蒼助には汲めなかった。

 怪訝な表情を浮かべる蒼助に構うことなく、三途は次の言葉を連ねた。

 

「その空白の範囲は、十四年という歳月として表そう。私が千夜に再会したのは、千夜が十四歳の、二年前。朱里ちゃんも、それとほぼ同時期だった。

奇しくも、私達二人が千夜と道を分かたったのは、同じく六年前。千夜が十歳の時だ。別れから再会までの四年間、それが私たちが知らない千夜の空白

期間。そして―――――――残る十年という、私達が知る以前を………千夜は知らない」

 

 蒼助はその言葉がとんでもない事実を形にしていると、耳を通して脳で理解するのに、数秒かかった。

 

「………それってつまり」

「そう、千夜は知らない。二年前の私たちの再会が、千夜にだけはそうではなかった。"初対面"という邂逅を果たした相手にすぎなかった。

 

 

 ―――――――十歳以前の記憶の一切を失っている、千夜には」

 

 

 

 

 無感情な声もって紡がれた言葉が蒼助に与えた衝撃は、言葉を失わせる破壊力を持って顕現した。

 

 

 

 

 







BACKNEXT