その日。
そこはいつも通りの教室、とは言い難かった。
違うのは、一つの話題が周囲の会話に犇いていたということ。
「ねぇ、今日のニュース見た?」
「うん見た見た。代々木公園のやつでしょ?」
その中の二人の女子の間でもその話題は会話の中に入りこんでいた。
彼女等を始めとして教室中で飛び交う一つの『事件』。
それは昨夜起こったある殺人事件。
世間では一日に最低一人の単位で人が殺されても遺族や一部を除けばほとんど関心を見せないのに、それについては朝から現在の昼休みに至るまでひきりなしに騒ぎ立て
ている。その理由は、今回のそれがただの殺人事件ではないからだ。
彼等の間で盛り立てられるその事件は確かに『異常』だった。
人が殺された、と一言で言ってしまえばただそれだけだ。
だが、中身を聴けば聞き手は例外なく顔を顰めるだろう。
事件が起こった渋谷区随一の敷地を誇る代々木公園で男女のカップルが殺された。
問題はその殺害方法と遺体の有様の方だった。
残忍かつ無惨な死に様で発見された二つの遺体。
男はまるで何かに食い散らかされたように臓腑を抉り出され剥き出しに、顔をグチャクチャにされていた。五体のうち左腕と右足が胴から引き千切られ、まるでフライド
チキンを食べたかのようにあちこち削がれていたいたという。
対して女の方はそちらに比べれば綺麗なほうだったらしい。
五体満足、肉を抉られたどころか傷一つなかった。ならば絞殺かと思えばそうでもない。
確かに何一つ欠けていないその遺体は男に比べれば綺麗だが、別の意味で痛々しい姿だったらしい。身に着けていた衣服はボロ布同然に破かれ、ひどい性的暴行を加えら
れた形跡が見れた、と警察からの情報。
まるで小説の中から飛び出てきたような猟奇的な殺人。
それが、日常で起こったことで誰もが興奮しているのだ。
これきりで終わるのか。
通り魔ならこれで終わるはずがない。
会話の中では、今後の展開を予測する声が飛び交う。
のんきなものだ、自然と入ってくるその話に蒼助は呆れて溜息をつく。
知らぬが仏というが、周囲はまさにその通りの状態だった。
お前らが知らないところで、そんな死に方をしている連中は腐るほどいるというのに。
何も知らない彼等に、そう忠告してやりたくなる。
「なぁ、女って何で毛虫ぐらいできゃーきゃー言うくせに、ぐちゃでグロな描写はしゃぎながら口に出来るんだ?」
「俺が知るか。今度、お前の数多く存在するセフレにでも聞いておけ」
何気なく投げかけた言葉は、窓に肘を立てて外を眺めていた昶に素っ気無く態度で蹴り返された。
へいへいわかりましたよ、と拗ねたように呟きながら蒼助は自らが放った問いを放棄した。
周りの雑談がいくつも混ざり合う中、それを隠れ蓑にするかのように、今度は昶が静かに抑揚を抑えた調子で話を振ってきた。
「……珍しいこともあるんだな。【降魔庁】の処理が、遅れるなんてことがあるとは」
「さーな。総員花見でもして、職場放棄してたんじゃねぇーの?」
ちゃかすような蒼助の言葉に、昶は真面目な顔つきで頷きながら、
「よく考えてみればお前の元・勤め先だからな。それも有り得なくもない」
「そりゃどーゆー意味だ、てめぇ」
そのまんまの意味だろ、と臆せず言って来る相手を蒼助は衝動的に殴りたくなった。
しかし何とか理性を以てして自制し、震える拳をポケットの中に突っ込んで収める。
「とっくに辞めた俺が知るわけねーだろ。氷室も、今回の件については何も注文寄越して来ねーし………っん?」
会話の最中、蒼助の左胸ポケットから振動が発された。
そこに入れていた携帯電話の着信反応によるものだった。
反射的とも言える対応で、蒼助は即座に取り出し、
「はいもしもし……ってテメェかよっ」
噂をしていればなんとやらで電話の相手は氷室だった。
ここ、教室に姿は無い。
いつものことだが、学校内の自身の領域である生徒会室からだろう。
携帯電話片手にどっかり椅子に腰掛けてエラそうにしている様が目に浮かぶ。
「てんめ……学校内にいるのに、一々ケータイ使うんじゃねぇよ。用件あるなら、テメェの足で俺のところまで来やがれ……って、一方的にてめぇの要求だけ言って切ろう
とするんじゃねぇ!……あ、んにゃろっ」
一方的にかけて来られた通話は、また同様に一方的に切られた。
もはや携帯電話はつー、つー、と虚しい音を流すだけとなった。
みしり、と機体が撓る程の力を手に込めた後、それを元あった場所に戻す。
すると、蒼助はゆらりと立ち上がり、
「………生徒会長室行って来る」
「ああ、行って来い」
会いに行く相手は何となく察しているのか、ただそれだけ言って昶は友人を見送る。
そんな昶を背に、蒼助は昼休みの喧噪に満ちた教室を後にした。
◆◆◆◆◆◆
照々と日射しを受ける屋上。
人気の無い昼休みのそこで、たった一人で携帯片手で金網に凭れながら会話する少女がいた。
「はい、終夜です………ってお前か」
『きみの携帯に登録してあるの私だけでしょ。それとも、もう自慢のガラスの仮面にゴキブリホイホイよろしくで騙されたお友達のアドレスをまんまと手に入れたの?」
「お前も大概失礼な奴だな。否定はしないが。―――――――で、何の用だ」
背中の金網に深く身を沈めながら今度は千夜が尋ねる。
昼食の後。
七海を始めとした級友達と教室に戻ろうとしていたところに、電話をかけて来た電話の向こうの相手に。
『もう、君がメール寄越してきたくせに』
ああそういえばそんなメール家を出る前に送ったな、と千夜はそれを思い出した。
店に顔を出した時にでも返事を聞こうと思っていた。
それなのに、わざわざ自分から言って来る辺りこの人物は妙なところで気が利く。
「ああ、そうだった………それで、良い人材に心当たりはあるのか?」
『その前に一つ聞きたいな。突然、腕のいい占い師を知らないかなんて………何かあった?』
遠慮なく入り込んでくる質問だ。
やたらと勘が冴える鋭いこの相手に尋ねたのは失敗だったかもしれない。
しかし、こうなってもはや後の祭りだ。
だから答えた。
曖昧に。
それでも意図がなんとなく伝わってしまう言葉を。
「…………私のこの未来、どうなるのかな……と思ってな」
『………………』
沈黙が返って来た。
還って深く思わせてしまい、更に問われるのだろうかと思っていたが、意外にもそれはなかった。
『……"星詠み" の【志摩雪叢】。私が知る中で、最高位の占術師だよ』
「星詠み?」
『……巡る星々と意思を疎通することが出来る人間のことだよ。その声を聞く事が出来る異能から、―――――――"星の代弁者"とも呼ばれている』
「陰陽師とかがやる占星術とは違うのか?」
『あれは、星の位置で未来の往く先を占うもの。星詠みは、道具や媒介など必要ない。直接声を聞く事が出来る。それが彼らの異能』
「それはわかったが、その星の声が聞ける連中は人の未来までわかるのか?」
『見えるらしいよ。彼らではなく、星のほうがだけど。高い空から地べた摺り回る人を見透かしている。その個々の未来すらも……………と、昔酒でベロンベロンに酔った
彼から聞いた』
酷く信憑性が欠損している気がしたが、あえてその疑心を口にしなかった。
それよりも気になったのは、
「何だ、知り合いなのか」
『まぁね………たまにコーヒータダ飲みしてツケを溜めていく側と、される側の関係ってだけだけど」
「そいつは親密な関係だな。…………で、何処に行けばそいつに会えるんだ?」
『一定の間ごとに公園を移り住んでいる人でね。ちょうど今は渋谷にいるらしいよ。確か、この前聞いた時は………神前の宮下公園だって言っていたけど』
「宮下公園………」
最近、立ち寄った場所だった。
この学校で数少ない自分の本性を知ることとなった男と数日前に出会った場所。
その千夜の声から僅かな様子の変化を過敏に感じ取ったのか、三途が訝しげな声を発する。
『千夜……?』
「………いや、何でもない。そろそろ予鈴がなるから切るぞ。情報ありがとう、放課後店でな」
やや一方的かな、と思うが切った。
その後に、確認した携帯のデジタルタイマーがジャスト一分を切っていた。
五限目が化学室での実験だったことを思い出し、千夜は急ぎ足で屋上を去った。
◆◆◆◆◆◆
奇妙な夜だと、男は思った。
いつもは静かな此処―――――――宮下公園は、今夜は騒々しく見舞われていた。
と言っても、今見頃の桜の下に人が集まってどんちゃんやっているというわけではない。
男を除いて、そこに"人"はいなかった。
この騒がしさも、男やごく一部の者以外には気に留められるどころか、気付かれすらしないだろう。
なにしろ集まっているのは、浮遊霊や水子などの―――――――"霊魂"なのだから。
「こいつら、こんなになってもまだ花見がしたいのかねぇ……」
軽口を叩いてはいたが、男は本心ではそうではないことはわかっていた。
この集まる様は、まるで何かに惹き寄せられいるようだ。
大輪の花の香りに魅了されて飛び集う蝶の如く。
「いや、こりゃどっちかっつーと電灯に集まる蛾か」
そう独り心地に呟いた時、霊魂たちの動きに―――――――変化が起きた。
この地に集ってはいても、何処か所在なさげに漂っていた一つ一つが一方に向かい出した。
まるで、何かを見つけたかのように。
男が目で追えば、霊魂たちが向かった先の闇から一つの人影が浮かび上がった。
人影は、男のいる場所に近づいて来ているようだ。
………誰だ?
サングラスの奥の双眸を細めよく目を凝らす。
「―――――――っ」
人影の姿が、ようやく確かな姿で確認出来るほど近づいた。
そこで、男は息を呑んだ。
無数の霊魂が、その周囲をまとわりつくように迂回する幽玄な光景にはではない。
桜がちらほら散る中を歩くその様に、見惚れたわけでもない。
問題は現れた人影そのものの姿だった。
黒髪が似合う綺麗な少女だった。
八時過ぎたこの時間に何故制服姿なのか気になった。
だが、男の心情はそれを深く考えるどころではなかった。
強い意思を感じる黒真珠のような瞳が、印象的なつくりの顔立ちが男は己の中のある人物のそれを重なるのを感じた。
「こいつぁ……驚いたな」
息を吐くように漏れる言葉を、少女の元に届かないように呟いた。
えげつないまでに"あの男"と似ていた。顔だけではなく立ち振る舞いすら。
だが、違う。
"あの男"に似ているのは、それだけだ。
纏う雰囲気。
そして、その瞳から感じる真っ直ぐな眼差し。
それは―――――――また異なる既視感を、男に思い起こさせた。
「あなたが……志摩雪叢か?」
少女は己の周りをふよふよ漂う数多いそれを鬱陶しがる事も、気にする事も無かった。
ただ、させるがままにして男の前まで着いた。
俺の名前を知っているのか。
誰が教えたのかと考えて、出て来たのは―――――――行き着け喫茶店の主である魔女の顔だった。
「おう、確かにそうだが………アンタは?」
「―――――――終夜千夜。あなたに星の代弁を頼みたい」
終夜。
"あの男"の名が、何故姓に使われているのか。
驚愕を覚えたがなんとか顔には出さないように出来た。
ひとまず疑問を胸の奥にしまい込み、男―――――――志摩は少女に問う。
「俺が星詠みだって知っているのかい?」
「ああ、アイツが言うのには知る限りでは最高の星詠みだと」
「よせよせ、照れるじゃねぇか……そんな大したもんじゃねぇ、実際はフラフラし過ぎて本家から破門されたプー太郎だよ、俺ぁ」
胸を張って言うと少女――――千夜は呆れることも無礼な態度に不快を露にすることもなく、ただ笑い、
「なに、本家抜けでは私も同類だ………もっとも、こっちから出てやったのだが」
ほぅ、とその言葉に志摩は興味を惹かれる。
しかし、好奇心はとりあえず抑えることにした。
「で、星から何を聞きたいんだ? 嬢ちゃんくらいのレディになると、恋とか……」
「―――――――私のこれからのことを」
志摩の言葉を遮るように千夜は言った。
微笑は浮かべられたままだった。
しかし、声色そのものからはあまり穏やかなものを感じる事は出来ない。
その言葉にどれほどの意味が詰まっているのか。
既に"あの女"から話を聞かされ、既知はしていた男には、それでも酷く重く感じ取れた。
痛ましさを顔に出さないようにしながら、
「わかった。………………と、それにしてもアンタ……随分好かれているじゃねぇか」
その周囲を飛び交う霊魂たちを指させば、千夜はようやく周りのそれに関心を向けた。
「ああ、これか………懐いているだけだから"他より"マシだよ」
他より、ということは、"他"からは懐かれるだけでは済んでいないということだ。
その言葉からだけでは現状が何処まで来ているのかわからない。
だが、今はそれより注文に応えるべきだろう。
「…………返事が返って来た。すごいな、かなり多くの星がアンタの未来について答えてる」
空から全てを見ている彼らは、人という小さな存在の未来になど興味はほとんど持たない。
こちらが聞いて、ようやく無数のうち一つがきまぐれに返事をくれる。
それが普通だ。
これは星詠みの暦始まって以来の異例かもしれない。
………それほど、この嬢ちゃんが只者じゃないって事か。
本人に自覚があるわけがないだろうが。
「それで、星は何て答えてくれたんだ?」
「……………………お世辞にもいい返事じゃねぇなぁ」
こちらの言葉に少女は僅かに眉を顰めた。
しかし、それで?と促して来る。
少々気が滅入るが、志摩はお告げを聞いたからには答えなければならないという星詠みの本能に従った。
「最悪だ。どいつもこいつも、アンタの未来は絶望的だと答えている」
「…………いくつか代表をあげてくれ」
「……まぁ、これは言っておかなきゃならねぇよな。………アンタ、鬼に憑かれてるそうだ」
すると、ふむ、と頷き、
「確かに二匹に憑かれているかもな………家に帰ると、たまに勝手に茶を入れて寛いでいる図々しいデカイのと小さいのがいるが」
「いや、そっちじゃない………確かに憑かれていると言っても過言じゃないくらい迷惑だろうがそれじゃない別のだ。もっと、悪質で陰氣がプンプンしてる奴がアンタを
狙っているらしい」
下げていた顔をあげる。
そうして見上げた千夜の顔は依然と平然としていた。
まるで、予想が確信に変わっただけ。ただそれだけだと言うようで。
「あんた……随分と落ち着いているな」
「取り乱して欲しいか? 代弁の報酬代わりにというなら、してやってもいいが」
小憎たらしい口を叩きながら、皮肉っぽく笑う千夜。
人を小馬鹿にした挑発気味の笑み。
何故かだか、似ていないはずの【彼女】にそっくり見え、同時にそう思えた。
やはり、中身はそっちの方なのだろうか。
思いながら、
「まぁ、大体その件については検討済みだったんだよ。どうも三ヶ月くらい前から、妙な危険察知能力が付いたらしくてな。今回、あなたのところに来たのは確認みたいな
ものなんだ」
「ほう、それで……確認出来たかい?」
「ああ、充分にな。さすが、アイツが評価するだけの事あるというのが感想だ。……それで、代弁のお代はいくらなんだ」
「いらんよ。俺は、美人からは金は取らない主義なんだね」
そうか?と取り出した財布を上着の胸ポケットに戻すと、
「それではこれで失礼するよ。お騒がせして悪かったな」
「ん、毎度あ……」
そう返そうとした時だ。
――――――― 一つの『声』が志摩の耳に届いた。
「………ちょっと待ちな」
既に背を向けて離れていく千夜を引き止めた。
突然呼び止められた千夜は、怪訝な表情で首だけ振り返った。
「何だ、やっぱり報酬はい………」
「いやそうじゃない。ちょいと遅ればせながらでもう一つ言伝が来た」
千夜の目を見開く。
あんたもこれはちょっとした意表突きだろう?と思いながら、志摩は悠然と告げた。
「これから先アンタに"青"が関わる。そいつは、あんたの行き先を照らす一条の光だそうだ」
「青……? 何だ、曖昧な……」
「属性概念のことなんだろうが………まぁ、青の概念の持ち主だということは確かだ。さすがに名前までは、な………向こうさんの機嫌ってのもあるから無理はできねぇ。
悪いな」
いや、そんなことはない、と志摩に対して微笑み、
「御忠告どうも。これは礼だ」
そう言って小銭を放ってきた。
的確な速さと加減で投げられたそれは、反射的に広げた両手にスコンと入った。
手を広げて、確認する。
百円一枚、十円二枚。
「今日は妙に冷えるからな……公園で寝るには少し寝冷えするぞ」
それだけ言って千夜は今度こそ去っていく。
公園に集まっていた全ての霊魂を引き連れて。
彼女が来る前までの騒がしさが嘘のように静まり返った公園に、一人残された志摩は苦笑いし、
「……少女に良き幸いあらんことを……なんてな」