「なぁ、もう一つ聞いても良いか?」













 二階から階段を降りる途中、その足を止めて蒼助は言った。



 黒蘭はそれを聞き留め、振り返る。

 

「何かしら?」

「呪いだよ、呪い。聞き耳立てて端っこ程度には聞いたけど、千夜にかけられた呪いってのは………一体何なんだ」

 

 それが千夜の身の安全を危うくしているのは、何となく理解できていた。



 だが、蒼助は肝心の呪いがどのようなものなのかを知らずにいる。



 質問に対し眼を細め、沈黙する黒蘭。

 

「……………」

「……………」

 

 数秒程の沈黙が持続。

 何故黙る、と蒼助が痺れを切らし始めたところで、

 

「黙秘権を使用するわ」

「オイ待て」

「坊や……知識ってものは他人から教えてもらって"知る"んじゃなくて、自分から探って"識ら"なきゃダメよ」

 

 クスクス、と黒蘭は笑いながら、そう諭す。

 そう要求する理由は、なんとなくわかった。



 それでは、黒蘭が楽しめないからだ。

 快楽主義者め、と黒蘭を憎々しく睨みつつ、蒼助は脳裏で閃く。

 

「ちっ、じゃぁいいよ。………知識はいらねぇ。自分で調べる。―――――――だから、代わりに"情報"をくれ」

 

 黒蘭が一瞬、不意を突かれた表情を見せた。

 それはすぐに何処か意味深な濃い笑みに変わり、

 

「………ふふ、やるわね。いいわ、情報(ヒント)をあげる」

 

 目論みは上手く行ったようであった。

 よし、と蒼助はガッツポーズを内心でとり、貴重な情報の提供に身構えた。

 

―――――――………由縁ある雑歌」

「……………」

「以上」

「待ちやがれぇぇっ!!」

 

 たった一言のみ残して去ろうとする黒蘭を慌てて肩を掴んで、止める。

 

「オイコラぁ! 情報ってそれだけかよ! しかも意味わかんねぇしっっ」

「………勘が冴えてるのはいいんだけど、学がないのも問題よねぇ。まぁ、ちゃんと提供したから。ここから先は貴方の努力次第ってことでね」

 

 ひらひら、と後ろ手を振りながら、黒蘭は階段を降りて先を行く。

 その後を、肩を落とした蒼助がのろりのろりと付いて行った。









 ◆◆◆◆◆◆









 階段を降りてみると、曲がった角の奥の方で佇む二つの人影。

 上弦と三途だ。



 二人は建物の最奥と思われる場所で、一つの扉の前にいた。

 

「どう? そろそろ準備は出来た?」

「ええ、ちょうど今終わりました。一応、設定は五分くらいにしておきましたが………」

「今は四時半か。………ちょうどいい塩梅ね」

 

 準備とは一体何だったんだろうか。



 少なくとも、目の前の部屋が関係しているというのは蒼助にも察する事が出来た。

 

「この部屋は………?」

 

 えっと、と説明を始めようとした三途を遮るように、黒蘭が言葉を間に割りいれる。

 

「説明は後でたっぷりしてあげる。まずは、中に入りましょう」

「……ああ」

 

 急かすような調子に、何処か違和感を感じつつ蒼助は言葉に従い、ドアノブに手をかける。

 押し開けて、一歩踏み出すと、







―――――――なっ!!!」







 目に飛び込んできた光景に、蒼助は息を詰まらせた。

 

 部屋の中で待ち構えていたのは、部屋(・・)()()なかった(・・・・)

 それは、蒼助が良く見慣れた光景であったが―――――――そこに存在するはずの無い景色だった。





 

「………渋谷道玄坂?」






 目の前に聳える渋谷駅前ビル見てそう呟いてみるもの、現実味は一向に増すことは無い。

 現実はあまりにも受け入れ難きものだった。 



 しかし、そこへ強引な肯定が押し入る。

 

「ええ、そう。これは、渋谷の街並みよ。もちろん、【本物】じゃないけどね」

「んなこたわかってる………でも、何で」

「三途ご自慢の空間魔術よ。すごいでしょう、何か触ってみなさいよ」

 

 見れば、人がいないだけで車や自転車まで無造作に置いてある。

 少し離れた場所にある自転車に近寄り、まじまじと見つめた後、サドルに触ってみた。

 

「っ……」

 

 雲を掴むような気分で、触れた手触りは確かな本物であった。

 

「……これ、一体どうなってんだ?」

「この部屋は本来のこの建物に唯一元から備えられてた物置。ちなみに他のずらっと並んだ部屋はこの女が勝手に魔術組み込んで追加した空間魔術の

産物だから。安い物件買って、勝手に改築してるのよ、セコイわよねー。あとこの女、日本に密入国してるから存在確認されてのないのいいことに税金

払ってないのよ、やーねもう」

「勝手に人の事情のポロリするのは止めてくれませんか……?」

 

 関係ないところでいろいろ引っ張り出され、笑顔を引き攣らせる三途。

 視線が何故か蒼助に向き、

 

「何か言いたいことある?」

「まさか」

 

 バッと目を逸らしながら蒼助は即答した。

 穏やかな笑顔だが、目が全然笑っていなかったからだ。 

 気は済んだのか、三途はコホン、と堰を一つ入れて、

 

「この光景は使用者の頭の中にある、出来るだけより鮮明の残っている場所を元に部屋に仕掛けた術式が映像化し、肉付けして実体化させているもの

なんだ。まぁ、若い人向けに理解してもらうのには、
SFでいうバーチャル空間みたいものかな」

「じゃぁ、これは……俺の一番はっきりした記憶?」

「そうなるね」

「へぇ…………あっぶね」

「ん?」

「何でもないっす」

 

 個人的に鮮明な記憶といえば、昨夜のバスルームでの一件だったものだから、もし仮にそれが出ていたかと思うと背筋が凍る。 

 それこそ、目の前の人物に今度こそ確実に迷い無く殺される可能性は無限大に思えた。

 

「で、俺は何でここに連れてこられたんだ?」

「一応、【賭け】スタートの明日に備えて下準備……みたいなものかしらね」

「………下準備ぃ?」

「貴方、明日……"そのまま"学校に行くつもりなの?」

 

 あ、と蒼助は己の今の有様を思い出す。

 この状態では明日に限らず、その先の生活にも支障が出るという大問題は依然と解決していないままだった。

 

「いや確かにそうだけど………でも、何でここに?」

「まぁ、とりあえず―――――――戦いなさい」 

 

 一瞬、黒蘭が何を言ったのかわからなかった。 

 

「は?」

「だから、戦って。―――――――彼と」

 

 理解を待たず、黒蘭は更なる混乱を蒼助に突きつけた。





 繰り返す要求と共に指差した先には、一人の男。

 

 

 ―――――――上弦。

 

 

「こ、黒蘭っ?」

「いいから、三途。……上弦、意地悪しちゃダメよ。初心者なんだから、優しくね……?」

「………かしこまりました」

 

 上弦は厳しい目つきのまま、黒蘭に一礼し、蒼助を見た。

 顰めるように、目は一層に細まる。

 それも一瞬の出来事で終わり、射るような視線は蒼助から外され何処かへ放られた。

 

「それじゃぁ、私たちは外で待ってるから。行くわよ、三途」

「え、おいっ……」

 

 引き止めの声にも黒蘭の背中は一切応じる様子無く、戸惑う三途に声をかけながら出入り口と思わしき空間に開いた不可解な縦穴に歩み入る。

 三途は一度こちらを振り向き、申し訳なさそうに目を伏せるとその後に続いた。

 二人が通った後、縦穴は空間からすぅっと陽炎の消える。

 

「入口が……」

「必要とすればまた現れる。気にかけることはない」

 

 重く、低い声が蒼助の思考を遮る。

 振り向くのをためらうような重圧が、背後に忽然と現れた。



 二人になったその瞬間に、だ。

 

「………そうっすか」

 

 ああ、嫌だ、と思いつつ首を捻った。

 心の拒否反応は、正しかった。

 

 振り向いた先には、なんとも嫌な―――――――敵意を爛々を光らせる双つの赤い眼が、蒼助を捉えていた。









 ◆◆◆◆◆◆









 閉店を迎えた店内は、ガランと空白の多い空間となっていた。 

 今、そこにいるのは店主である三途と、私用の来客に分類されるであろう黒蘭の二人きりであった。

 片足が不自由のままカウンターの向こうでコーヒーを淹れる三途を待つ時間をもてあますように、黒蘭は夕焼け色に染まった店の外を眺めている。

 

「まーだー?」

「まだですよ、というか怪我人にコーヒー作らせておきながら遅い遅いと非難の目で言うのは止めなさい」

「怪我は自業自得のくせに」

「…………」

 

 どのぐらいのこの弱みを引っ張られるのだろう、と気を遠くに飛ばしながら、それでもコーヒーはしっかり基準ピッタリにティーカップに淹れた。

 

「お待ちどうさま」

「どうも。どんな相手にも丁寧にコーヒーを差し出すのは、さすが職人魂ってところかしら」

「飲む人に罪はあっても、飲まれるコーヒーに罪はありませんからね。借金取りに子供を泣く泣く差し出す気分ですが」

「じゃぁ、親の風上にも置けないロクデナシってことね、アンタは」

 

 皮肉には皮肉と返し技をかけて、黒蘭は焙煎された香ばしい香りを揺らめかすカップの中のそれを口の中に注ぐ。

 

「あー、おいし。やっぱり焙煎した豆をその場で挽いて淹れたものは格別だわ。やっぱり、コーヒーは三立てよねぇ」

「その分、通常より手間と時間がかかりますけどね」

「いいんじゃない? 良いものを手に入れるのに、手間と時間は惜しまない心掛けは大事だもの。感心感心」

 

 黒蘭はコーヒーに対しては一つの譲れないこだわりを持っている。

 幼稚な外見を裏切ってブラックのストレートを好む。



 昔、自分の淹れたコーヒーをこうして同じように飲みながら、「もしこの世がコーヒーがない世界だったら、そんな味気ない世界ぶっ壊してやるわ」

と、さも冗談のようにマジな目で語っていたこともあったな、と三途は思い出した。



 黒蘭自体は苦手だが、コーヒー好きに罪は無いと、三途は思っている。

 こだわりの一品を賛辞してくれるなら、例え相手が得体の知れない存在であっても嬉しい。

 

「あなた好きですよね、モカ」

「この独特の酸味とコクがたまらないのよ。もし、これが飲めなくなるかと考えるだけで発狂しそう」

「もう充分狂ってるから大丈夫ですよ」

 

 私も飲もうかな、と黒蘭を背に、棚に並んだカップに手を伸ばす。  

 

「そういえば、上弦さん。ここに来てから随分と機嫌が悪いようでしたが……。また、貴方が何かしたんですか」

「何で私なのよ」

「彼の気苦労の元は、ほぼ貴方の奇行が占めているでしょうが……」

「デカイ図体の癖に神経が軟弱なアイツが悪いのよ。てゆーか、私じゃないしぃ」

「じゃぁ、何で……」 

 

 クスリ、と三途の背後で笑みを刻む音が聞こえた。

 

「花よ蝶よ見守ってきた可愛いお姫様に近づく悪い虫が、気に食わなくって仕方ないんでしょうよ」

「………あははっ、お父さんは許しませんよ、ですか?」

「一応、簡単に済ますように言ったけど………簡単に、容赦なく、済ますでしょうね」

「……………お気の毒、ですね、彼」

 

 無論、蒼助のことだ。

 ハエを潰すが如くぺしゃんこにされるだろう、と末路を思い浮かべ憐憫な気持ちで三途は己の内側を満たしていく。



 そして、カップの中も濃い色で満たされていく中、三途は話題を変えようと言葉を投げた。

 

「さっきの、上での話なんですけど」

「言っとくけど、決定事項だから抗議は受け付けないわよー」

「今更しませんよ。それに私は今回は賛成派です」

「あら、珍しい。やっと反抗期に治まりがきたのかしら」

「あなたという理不尽に対しては生涯かけて反抗期貫く気でいますけど、彼は私もいいんじゃないかと思っていますよ。まぁ、最初は千夜が疎遠しがち

なタイプを連れてきた時は、どういう風の吹き回しかと思いもしましたが………」

 

 店に来た時は少々驚かされた。



 だが、

 

「けれど、千夜は見たことがないくらい………楽しそうでしたから」

 

 その時の感情は一筋ではいかない複雑なものだった。



 驚き。

 嬉しさ。

 物珍しさ。



 そして、ほんの少しの嫉妬が入り混じった。

 混沌としたその時の記憶と、千夜の表情は、後の蒼助に向けた銃の引き金を引くのに足枷となるまで引きずっていた。

 

「ふーん、一応躊躇はする程度には認めてるのね」

「ええ。だから、殺そうとしておきながら勝手なんですが………死なないでくれて、よかったと思います」

「いやにあっさりね。もっと粘り強く反抗してくると思ってたのに、拍子抜けしちゃうじゃないの」

「あんな、わかり易過ぎるシーンを見せ付けられたら、何も言えません」

 

 それは、蒼助が己を取り戻した直後の、三途が見た光景であった。

 最後の力を振り絞って、千夜の前に立った後、気を失って倒れ掛かってきた蒼助を大事そうに抱きしめる千夜の姿。

 

「明らかに、余計なことをした上……あれでは、何も言う資格ないでしょう。千夜の思うようにしてほしいと思っています、私は」

 

 でも、と、三途は言葉を濁す。

 自分が静観するということで、丸く収まるのではないかと思われた際に、新たな起きた問題を話題として切り出す。

 

「千夜はどうして今更………ひょっとして、自覚ないんでしょうかアレで」

「………無いんじゃなくて、自覚したくないのよ」

「なん、」

 

 何で、と言いかけて、三途は言葉の続きを喉の奥に押し留めた。

 疑問の答えを、既に得ていることに、気付いたのだ。 

 

「………さっき、千夜に帰り際……聞かれたんですけど」

「…………」

「続かないとわかっていても、それでも未練がましく執着する自分は愚かなのか、と」

 

 黒蘭は答えない。

 沈黙の後、息を一つ付いただけだった。

 続けてもいいのだ、と勝手に解釈させてもらい、三途は独り言のように言葉を紡いだ。

 

「びっくりしましたよ………まさか、昔、【あの人】から問われたことと、似たような言葉を千夜の口から聞けるなんて……」

 

 そして、その後は衝撃のあまりにその場で固まり、心此処にあらずの状態で、千夜を見送ったのだった。

 

 あの瞬間と。

 そして、今。



 三途の脳裏に甦る記憶は、耳した過去のあの日から頭を離れない―――――――【あの人】の言葉だった。

 

 

 

 

『続かない幸せだとわかっていても、それでも手放せず選んだ俺は………馬鹿だと思うか?』

 

 

 

 

 それは三途が初めて見た、表情だった。

 他愛のない会話の中で、ふと見えた一瞬の貌。

 いつでも強烈な印象をまとう【あの人】が、自分に見せた最初で最後の弱気であった。

 

 何かに儚んだ表情を、あの時自分はすぐに打ち消えたから気のせいだと記憶の隅に追いやった。錯覚だ、と。

 また自分をからかっているのだ、と彼が呟いた悲壮感に満ちた言葉も軽く捉えていた。

 何故なら、【あの人】は何も言えずに固まっている自分を見て、いつものように人の悪い笑みで大きく笑ったから。 

 

 冗談だって。

 お前は真面目だからからかい甲斐があるよな。

 

 そう、何でもなかったように。

 本当に冗談であったかのように。 

 

 真面目で融通が利かなかったかつての青い自分は、直でそれを受け止めてしまった。

 笑う顔の下で、【あの人】が何を抱え、思っていたかも気付かずに。

 

「私、また………何も答えてあげることが、できませんでしたよ」

 

 三途は、手元のカップの黒い水面に映る己の顔を見た。

 無力な愚者の姿だった。

 たった一つの問いにすら答えられず、大事な人が抱える負責を取り除いてあげられなかった。

 

 何が守るだ。

 空回りばっかして、肝心な時は何も出来ないくせに。

  

 三途は、小さな水面に映る昏い顔をした己を罵った。

 

―――――――良いんじゃないの? その選択は、正解なんだから」

「は………?」

 

 三途が思いに耽っている間に、コーヒーを飲み終えた黒蘭は空になったカップを指にぶら下げ、弄んでいた。 

 

「答えても答えなくても、辿る道は同じだったのよ。知ってる? 誰かが、そういう質問を他人に投げかける時、その一方でもう自分の中で答えを出し

ちゃってるの。でも、迷いがあるから、誰でも良いから己ではない者の別の言葉を聴きたくなる。そして、それが自分の思っていることと違ったら、

否定して自分の考えが正しいという気持ちを強くさせるのよ。だから、仮にアンタが質問に答えていたとしても無駄だったってわけよ。他人がどーこー

言ったって………結局は、本人は自分の考えを優先したくなるのだから」

「…………なら、あの時……私が【あの人】に何を言っても………何も変わらなかったって……そう言ってるんですかっ?」

 

 黒蘭の容赦ない否定に対し、反発心を刺激され反論が口を突いて出た。

 最後の部分で、三途は思わず揺れる感情のままに声を荒立てた。 

 

「もう、あの時既に……【あの人】は………ああなることを決めていたっていうんですかっ……」

「そうよ。だから………アンタが答えられなかったことで―――――――自分を責め立てる必要はない

「……それって、資格はないって暗喩してるんですか?」

「わかってるなら、その鬱陶しい悲劇ぶった憤りは治めなさいよ」

 

 コーヒーの後味は悪くなる、とさらりと酷いことを言う。

 いやに毒舌だな、と言葉に刺々しさを感じた三途は少し勢いを削られ、

 

「……何で急に、マジで苛ついてるんですか?」

「人の琴線に触れるからよ。自分が可哀相だとか主張する悲劇のヒロインぶったの、嫌いなのよね。アンタがあの時、あんな損な役回りに押し付けられ

たのは本当に運が悪かったと思うけど………それ、ムカつく奴思い出すから、私の前ではあまりしないで」

 

 理不尽な言い様だ。

 なのに、自分に非があるように思える。

 

「貴方は、人に理不尽な罪悪感を与えるのが上手ですよね………」

「褒め言葉よりも、おかわりがいいわ」

 

 ハイハイ、と中途半端に話を打ち切られた感を抱きつつ、理不尽の権化の要求に答え、自分のを代わりに差し出す。

 それと交差するように、黒蘭は言葉を差し出した。

 

「妙な気苦労を負わなくても、自問に対する答えは自分で見つけるものだから心配いらないわよ。あのコの答えとなるものは、もう、すぐ目の前にある

んだし、後はあのコが気付き、どう納得するかよ。アンタは余計なこと考えないで、ジッと見守ればよし、わかった?」

「答えって………」

 

 言いかけたその時、扉一つ挟んだ見せの奥の方で音がした。

 扉の閉会の音だ。



 そして、三途のすぐに背後の左の傍らに位置する、奥を遮る扉が内側から押し開かれた。

 

 開きゆく扉の影から現れたのは、

 

「あら、上弦。もう終わったの?」

「ご命令どおり、処置いたしました」

「…………で、どの程度?」

 

 そう問い探る黒蘭は、何故か半目だ。

 その理由は三途が聞くまでもなく、上弦の口から遠回しに語られることとなった。

 

「まずは、両手を。次に両脚を。最後に、頭を潰しました」

「な゛」

「……………」

 

 凄惨な内容を、何処か晴れ晴れした様子を口調に漂わせながら言ってのける上弦に、三途は口を開けて絶句する。

 黒蘭は、はぁ、とこれ見よがしに息を溜めて吐き、

 

「…………足一本程度で充分だったと思うけどね」

「初心者だから優しくしろ……とおっしゃったのは貴方ではございませぬか」

「………その心は」

「何事も最初が肝心でございます。己がどのような選択をしたのを思い知らせてやったまで」

「やだ、私怨が正当に聞こえるわ。いつの間に、言うようになったわね上弦」

「伊達で貴方の側に四百年いたわけではございませぬぞ」  

 

 そのようね、と一呼吸入れるようにコーヒーを口に含む。

 コクリ、と呑み下し、

 

「早く終わった割には、間があったわね。何をしていたの?」

「再生速度を視察しておきました」

「それで、具合は?」

「意識を失って"一時間ほど"で肉体の再生が始まりました」

「それだけの損傷を負って………初めてにしては速いわね。この調子なら再生速度とその機能は良い感じに育ちそう…………となると、あと"十分"

すれば元に戻るかしら」

 

 そこで急に黒蘭は、今まで味わうように飲んでいたコーヒーを一気に飲み干す。

 空となった二杯目のカップをコトリ、とカウンターに置いた。



 そして、席を立った。

 

「それじゃ、失礼するわ」

「え………ちょ、」

「十分したら、様子見にいってあげて。何か聞かれたら必要最低限のことを教えなさい。あと、明日から本番よ、とも」

 

 一方的に言いつけ、黒蘭は颯爽と店を出て行った。

 上弦はその後を付いて行こうとしたが、一度三途を振り返り、

 

「失礼する」

 

 一礼して、黒の少女の後を追って出て行った。 

 建物の中には、三途一人が残され静寂の時間が生まれる。

 否、奥の方でもう一人が、自身の蘇生を待っている。

 

「……はぁ」

 

 三途はくったりと頭を垂れ下げ、息を吐いた。

 その心を漂うのは、先行きの見えない事に対する不安だった。

 

 これで本当によかったのか、と。

 こんなんで本当に大丈夫なのだろうか、と。

 

「………答え、ですか」 

 

 黒蘭は彼が千夜の答えとなると言っていた。



 では、

 

「………あなたは、どうだったんでしょうね」

 

 思考が繋がった先には、【あの人】がいた。



 彼は、あの時己の疑問に何を答えとし、己の結末にどう納得したのだろう。

 誰が彼の答えになり得たのだろう。

 

 少なくともそれは自分ではなかったのだな、と思い当たり、自嘲した。

 

 三途は、思う。 

 彼は見出した答えとは何だったのか。

 

「あなたの忘れ形見と……その答えとなるかもしれない男を見ていれば、わかるのかな……」

 

 独り心地に呟き、三途は壁の掛け時計を見る。

 秒を刻む振り子が中で揺れる時計がさす時刻を見て、

 

「……十分。コーヒーを一杯飲むには充分ですね」

 

 十分という長いような短いような時間が過ぎるのを、三途は気長に待つことにした。




 自らの答えにもなるであろう男の目覚めを。

 

 

 

 

 

 

 

 

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