千夜が立ち去り、それを追うように三途も出て行った後、蒼助は依然とその場から動かず立ち尽くしていた。




 目に思想に落ちた虚ろを湛えているその様子を、見兼ねた黒蘭が声をかける。




「突っ立っていないで座ったら?」

「………ああ」

 

 己の体質を思い一瞬躊躇したが、迷いを切って腰を下ろした。



 そこに黒蘭の問いが来る。

 

「何か考え込んでたわね」

「あ?」

「心此処にあらずって……そんな様子だったわよ?」

「は。……御見通しってか」

「どうしたの? さっきの勢いから急な消沈ぶりじゃない」

「…………」

 

 蒼助は答えなかった。

 

「当てましょうか。………さっきの嫌がりように、落ち込んでる?」

「………わかってんなら聞くなよ」

 

 はぁー、と溜息と共に肩を落とし、俯く。

 すると、堰を切ったかのように蒼助は口を割り出した。

 

「……さっき、啖呵切った後のあいつの顔………」

「………どうかしたの」

「すっげぇ、ショック受けた顔してた」

 

 蒼助は思い浮かべた。

 それは、迷い無く言い切った直後、思わず迷いを生んでしまうほどの揺らぎを蒼助に与えた。




 ひどく傷つけられた、という。

 初めてみる、千夜の表情であった。




「まるで、裏切られた……みたいに言いたげな……感じでよ。俺は、なんかすっげぇ間違いしちまったんじゃねぇか……って」

「ふーん……嫌われたんじゃないかって心配で気が気じゃないってわけね」

「……くそっ、思いっきり他人事みたいに言いやがる」

 

 事実、他人事ではあるが。

 本気で悩んでいるところをからかわれると、どうしても腹は立つ。



 しかし、クスクスと笑う黒蘭は言った。

 

「大丈夫よ。嫌われてなんかいないから」

「……やけに自信がある口ぶりじゃねぇか」

「伊達に長く一緒にいるわけじゃないもの。………でも、ちょっと測り損ねちゃった」

 

 赤い唇は溜息を漏らした。

 

「………思ったよりも、傷が深かったか」

「おい?」

 

 視線を逸らしてぼそりぼそりと呟く黒蘭に、蒼助は訝しげに声をかけた。

 

「……まぁ、いいわ。それより、話……進めましょうか」

「…………」

 

 また、かわされた。

 無理に押しても答えないことをいい加減わかってきた蒼助は、黒蘭のペースに乗っかることに落ち着いた。

 

「坊やにする処置だけど………まずは、御覧なさい」

 

 黒蘭の手が上へと持ち上がる。

 払うように、下方へゆっくりと振った。








「さぁ、お出でなさいな。―――――――【殺神鬼】」








 それが合図となった。




 直後、黒蘭の周囲の空間の一部がぐにゃり、と歪むのを蒼助は目視した。



 歪んだ空間の隙間から徐々に―――――――"何か"が姿を見せる。




 その先端と思わしき一部分が見えた時、蒼助は寒気のようなものを背中に、またゾクリと感じた。




 そして、まるで這い出るかのように、『それ』は空間の隙間から現実に出でた。

 

「………っ、」

 

 目の前に現れた『それ』に対し、蒼助は息を呑んだ。




 漆黒の少女の隣に出現したのは、同じく漆黒であった。

 それは―――――――全身漆黒塗りの重剣であった。




 黒蘭の身長を遙かに越える身丈。

 刀身の中心は刃先から柄まで一筋の浅い窪みが引かれている。

 刃こぼれ一つない研ぎ澄まされた刀身は妖しく黒光り、禍々しいオーラを放って存在を主張する。

 そして、そのオーラを抑え込むかのように白い包帯のような布が剣の周囲を展開していた。




 同じだ、と蒼助は己の本能の声に同意した。



 目の前の剣から身体の芯にまで伝わってくる威圧感。

 それは、先程の体験の際のモノとひどく酷似していた。

 蒼助は、自分が心の何処かで泣きたくなっていることに気づいた。

 当然だ、と思った。

 こんな途方もないデタラメな存在が、この世に二つも存在するのかと思うと絶望のあまりに泣きが入りそうだ。

 

「紹介するわ。これは霊装【殺神鬼】。私の、息子………みたいなモノよ」

「…………母親に随分と似たんだな」

「でしょう? 私に似て、よく出来たコなのよ」

 

 冗談混じりの会話の中で、蒼助は溶けない緊張を抱えていた。

 常のそれより、呼吸が苦しかった。

 じっとりと、嫌な汗が額に滲み出る。

 

「………でも、息子自慢は、また今度の機会にしましょうか。今の坊やには、ちょっとキツいみたいだしね………」

 

 ブゥン、と鈍い音を幽かに奏でて、重剣は空間の彼方に姿を隠した。

 圧倒の存在がなくなると同時に、蒼助を圧していた重圧感もなくなる。

 全身から負荷のような圧迫が消え、呼吸も楽になった。

 

「さて、今、坊やに見せた霊装………あれには私と同質の力が込められているわ。概念殺しの概念(ちから)がね。アレを坊やが所有することで、

坊やの深層意識に潜むアイツの人格という概念を抑えこむことが出来る。………当然、"今の坊や"には、それが出来そうに無いわね」

 

 蒼助はその言い様に反論は出来なかった。

 現に、先程は見せられただけで圧倒されるばかりだった。

 

「強力な霊装の中には、意志が宿っているのを知ってるわよね?」

「ああ」

「人格があると無いとで違うのは、選択権の左右よ。無論、前者であれば……」

「選ぶ権利は、霊装にあるってか………」

「そう、坊やはまず【殺神鬼】に主として相応しい器であると認めさせなせければならない。更には、千夜にも認めさせなければならない。

………この二つを同時進行となると………かなりハードなスケジュールになるわね?」

「………わかってるつーの。―――――――でも、やる」

 

 うんざりげに溜息の後、蒼助ははっきりと進言した。

 黒蘭は満足そうに笑み、己の後ろで黙って控えていた上弦に言葉をかけた。

 

―――――――上弦、下に行って三途に伝えてきて」

「は。しかし、何を………」

「"例の部屋"を使わせてもらうから、準備をして、と」

「………御言葉、確かにお預かりしました」

 

 頭を軽く下げ、上弦は一瞬だけ蒼助を見た。

 その視線とかち合った蒼助は思わず身を引いた。



 一瞬の後、上弦はその場から姿を【消した】。

 

「普通に階段降りてけばいいのに……ああでも、さっき入り口で頭ぶつけてたっけ。……あら、どうしたの?」

「………あのオッサンにすげぇ目で睨みつけられた」

「やーね、大人気ないんだからあの筋肉は。でもまぁ、こればっかは………坊やの今後の頑張り次第よね」

 

 よくわからないが、自分はあの男に快く思われていないらしい、と蒼助は上弦という男に関しては、それだけを理解するに留めた。

 二人きりになった空間で、蒼助は心に抱えていた一つの疑問を口にしようと思った。

 

「………二、三聞きたいことがあるんだがよ、いいか?」

「いいわよ? 待ってるのもなんだし、質問コーナーでも設けましょうか」

「………まず一つ。なんで、俺なんだ?」

―――――――私の好みだったから」

「…………」

 

 どう答えたらいいかわからなくなった。

 半目になる蒼助に、黒蘭は心外だと不満を露にした。

 

「あら、信用無いこと。……本当なのよ?」

 

 黒蘭を不意に身を乗り出した。

 柔らかなソファの感触から腰を浮かし、テーブルの上に膝を付き、乗りあがる。

 ぐっと近づいた距離。蒼助は腰を引く暇すら与えられず、黒蘭と目と鼻の先で顔を突き合せる羽目になった。



 沈黙のまま、視線が交じり合う。

 そして、夜空の黒を連想させる瞳から目を離せなくなった。

 トロリ、と艶やかな声が耳に流し込まれる。




「貴方、とっても私のタイプよ?」




 腰に来た。



 やべぇ、と靄が漂い始めた意識を奮い立たせ、負けじと応戦を試みた。



 カミさまとはいえ、見かけ幼女に興奮する趣味は無い。

 そっちに覚醒めるわけにもいかない。

 

「………俺の、どーゆーとこがお気に召しましたのかねぇ……」

「ふふっ、―――――――こ・こ」

 

 つい、と白魚のような白さをまとう指が動く。



 トン。

 軽く指先が突いたのは、蒼助の心臓に近い位置であろう胸の中央であった。



 ポカンとして、

 

「…………心臓フェチとは変化球な嗜好持ってんな、おたく」

「真顔で言われても、ウンとは言えないんだけどね。…………そっちじゃなくて、此処に宿るもう一つのもの。そこが、私のピンポイント直撃だったの」

「………オイオイ、心とか………寒いぞ、それ」

 

 意外にクサい少女漫画愛読してたりするのかよ。

 げんなりと本気で引く蒼助の反応にも少しも動揺することもなく、黒蘭は悪魔で己の主張を続行した。

 

「……思ったとおりね。"そこ"がいい、と言っているのよ」

「何を……おい」

 

 今度は蒼助の膝の上に跨ってきた。

 ちょうど同じ高さにある胸に顔を摺り寄せる。

 

「ここに、貴方の心臓が……心がある」

「それとこの状況にはどんな関係があるんだぁ?」

「鼓動が聞こえる。心臓が脈打ってるわ………でも―――――――平常なのよ、速さが」

「何がおかしいって?」

「………こんなに私が近づいても、貴方の心臓は少しも高まらない。心が、動いていない」

 

 するり、と黒蘭の手がそこを撫でる。

 

「坊や、貴方の心はとても冷たいのね。―――――――愛を知らず、理解もできない。酷く情というものが欠けている。

それが貴方の本質を、よく表している」

 

 突然の物言いに、蒼助は固まった。

 それに構わず、言葉は続く。

 

「愛されても、愛さない。理解できないから。寧ろ、一方通行の押し付けにしか思えなくて、疎ましくすら感じる。他人はおろか、家族の情すらも。

誰かと身体を交えている時ですら、身体は熱くても頭の芯は酷く冷めている。常に心は酷く冷静に、物事を客観的に見つめている」

「……………」

「心が動かないから、此処は……こんなに冷たい」

 

 胸に頭を寄りかける黒蘭。

 蒼助は背もたれに身体を預けながら、口を開いた。

 

「アンタは俺のそーゆーところが好き、だってのか?」

「ええ、とても」

「つーか、そうだって言える自信はどっから沸いてくるんだ……」

「だって、似てるんだもの貴方」

 

 誰に、と問えば黒蘭はくいっと指先を己の胸へと向け、指す。

 

「私に…………って、何よその哀しそうな顔は」

「………う、っわ」

「だから、何が」

 

 言葉にするには難しい何ともいえない感じである。



 沈痛な表情で遠くを見る蒼助の失礼な態度に、黒蘭は唇を尖らせた。

 

「失敬ね。嘘だと思うなら私の此処、触ってみなさい」

「ホイ」

「って、躊躇ないわね。女の胸触るんだから、ちょっとは戸惑ってみなさいよ」

「あれだけ根掘り葉掘り人の根っこの部分抉り掘られりゃ、遠慮もしなくなるつーの」

 

 どうも要求に戸惑う姿が観たくて仕方なかったらしいが、蒼助としては、事実が露見してしまった以上この女に対し建前でそういう風に振舞う必要は

ない、と清々していた。

 平然と手を伸ばす蒼助に、黒蘭はつまらなそうだったが無視して続けた。

 布越しに胸に触れる。

 幼い外見通りの慎ましい手応えを受け止めつつ、己が触られたと同じ部分へと手を這わす。僅かな起伏によって浅い窪みが出来たそこへ、触れる。



 途端、予想を超えた体験が蒼助に降りかかる。

 

「…………っ」

「冷たい? でも、心臓は動いてるでしょう?」

 

 目を見開く様を見て、調子を取り戻したのか、黒蘭はからかうように尋ねた。

 蒼助は驚きから立ち直れないまま、うなづく。

 黒蘭の言うとおり、手には鼓動の脈打つのが伝わってくる。



 だが、足りない。

 何が足りないか。




 それは―――――――ぬくもり。




 黒蘭の胸には、あるはずのぬくもりが宿っていない。

 確かめるよう強く押し当てる。



 しかし、氷に触れているかのような冷たさは一向に変化を見せることはなかった。

 

「こんなことって、あるのか………」

「不思議よね。心臓は動いているのは確かなのに、私たちのここには何故か温もりがない。それはね………心が動いていないからなのよ。

温かな情が、私たちにはないから。感情がないのではない、けれど情を持たないから冷たく凍り付いているのね」

 

 黒蘭は一息ついた。

 そして、

 

「もうずっと昔の話だけど、その頃の私は世界の何一つにも興味が無かったわ。静観と諦観だけで時間を満たしていた。どうしようもなく退屈だった。

心は冷たいままで、それを抱えたまま……何かに揺り動かされること無く………ただ、生きていた。それだけ」

 

 どくり、と鼓動が大きく弾む。

 話を聞いて、蒼助はそれが他人のこととは思えなかった。

 少し前までの己について語られているような気分だ。

 

 失くしてしまったモノを諦めきれず、未練がましくいつまでもしがみ付いて。

 冷め切った心と共にただ生きるだけだった、ほんの少し前までの自分を思い出しながら、蒼助は脳裏の回想に浸った。

 

 そこで、我に返すように黒蘭の話に変化が見え出した。

 

「それが昔の私。愛なんて幻想だと思っていた頃の、哀れで無知なかつての私」

「……? 昔って……」

「もう一度、触ってみればわかるわよ」

 

 どういうことなのか理解ができないまま、とりあえず言われた通りにした。

 

「………あ?」

 

 拍子抜けたような声を蒼助は零した。

 触れる手に伝わるのは、先程と同じそれではなく、

 

「あったかい?」

「あ、ああ」

 

 何故だ、と表情に疑問を描いている蒼助に黒蘭は答えた。

 

「これが、今の私。愛を、情を知った、私の心」

「いや、でも何で……」

「私の心を芽吹かせてくれた人のことを考えたのよ。退屈を終わらせてくれた、その人のことを」

 

 黒蘭は再び、過去に浸る遠い目になった。

 

「最初は興味と好奇心だと思っていた。珍しいものに興味を引かれた、そう思う自分に充分驚いてその想いの正体に気付けなかった。でも、だんだんと

わかってきた。その人の姿が見えないと自然と求めて足を運ばせるようになった。そして、もう少し時間が経って気付いた。あの常温で脳を溶かして

いくような退屈が、私の中から消え去っていることに。………その後、もう暫く経って、ふと気がついた。想いの名は、愛という情なのだと。

私は―――――――その人を愛しているのだ、とね」

 

 語り紡ぐ黒蘭の表情は、光悦に満ちていた。

 うっとりと、この場にいない相手への想いに酔いしれているように見えた。

 演技でもなんでもない、嘘偽りのない黒蘭の一面に、蒼助は正直驚いた。

 

「今じゃ、この場にいなくても、考えただけで胸が熱くなる。貴方は、どうかしらね?」

「…………」

 

 蒼助は思った。

 今はこの場にいない、千夜のことを。

 不思議なことに、奥底から何かが湧き水のように溢れてくるような気分になった。



 そこへ、胸に何かが寄りかかる重みを感じた。

 再び顔を寄せる黒蘭であった。

 

「ふふっ……考えてた? ここ、とっても温かくなったわよ?」

 

 頬を胸に預け、黒蘭は笑った。

 何処か、自嘲するように。

 

「まるで、不安定だった足元が落ち着いたように思えない? 私は思うわ、これが世界が確立するということだ、と。全く、おかしな話よね………。

全てを見てきたつもりになって、胡坐かいてたらひょっこり現れた一人に世界をひっくり返されちゃうなんて」

 

 全くだな、と相槌をうちながら蒼助は思う。



 世界をひっくり返す。

 蒼助にとっては、あの時の、あの瞬間はまさにそうであった。




 そう、アレは革命だった。

 

 蒼助という小さな世界で起きた、大きな革命だった。




「………で、だがよ。それと俺がした質問の答えと、どう関係してんだ?」

「初恋って、麻薬に似ていると思わない?」

「話聞けって」

 

 聞いてるわよ、と黒蘭は顔を上げた。

 

「質問を変えるわ。例えば、処女と娼婦。快楽に溺れやすいのはどっちかしら?」

「………処女抱いたことねぇからわかんねぇ」

「コラコラ。全世界の女を敵に回すような発言は止めなさいって」

「めんどくせぇじゃん。俺はヤるなら無駄な手間省けててっとり早く突っ込めるのを重視して」

「ハイハイ、ストップ。そろそろ危険だから」

 

 出来の悪い教え子を嗜めるような口調で、黒蘭は服越しに胸の尖りを抓り制止する。

 あだだっ、と悲鳴が上がるのを無視しながら、

 

「正解は処女。理由はね、さっき言った初恋と同じよ。初めて体験することっていうのは、どうしても記憶に残るものなの、個人差はあれどね。もし、

それが強烈であったなら尚のこと。初恋って長く引きずるし、無垢なほど、一度快楽を知ってしまうと歯止めが利かないからどっぷり堕ちて、盲目的な

までにハマッてしまうケースって多いのよ」

 

 だから、なんだというのか。

 無言の問いに答えるかのように話は続き、核心が見え出す。

 

「愛っていうのも同じなのよ。知らなかっただけに、知ればその想いから抜け出せはしない。今まで何にも反応がなかったというのが、尚タチが悪い。喰らった一度が、運の悪いことにとてつもなく強烈であったという証拠だから。私たちのような者は、もがけばもがくほど、堕ちていく」

 

 ちなみに私はもう、堕ち尽くしちゃった更生不能ちゃんよーん。



 ケロリと笑う黒蘭を尻目に蒼助は己はどうだろうと思い、今までを振り返ってみた。




 堕ち始めた。

 元男と発覚して、躊躇。



 何故か落下速度が上がった。



 死んだ恋人が心に残っているということが発覚。

 吹っ切ろうとした。



 けれど、出来ず。

 そして、尚も落下続行中―――――――




 ダメだこりゃ、と蒼助は嘆息つく。

 ドつぼにハマッている。



 行き着く先は、もう見えていた。

 

「だからよ、坊や。貴方も、私と同じ。愛するという心地よさを知ってしまった。私も貴方も、もう昔の何も知らなかった頃には、二度と戻れない。

いええ、戻りたくない。二度と、あんな生きながらにして受ける地獄のような日々には帰りたくない、と切に願う。己という世界が何を軸にして回る

のかを忘れないために、いかなることもしてみせる」

 

 するり、と蒼助の足の上から退き、身を屈めた。

 視線は蒼助の目を貫くように見据え、






「答え、言うわね。

 ―――――――貴方は私と同じだから。ちっぽけで大きな、己の愛に全てを懸ける人だと、私にはわかったから」






 心が冷たいタイプの方が、熱くなるとスゴイって言うしね。

 からかうように呟き、黒蘭は身を引く。

 

「期待してるからね。期待以上のことをしてくれる、と」

 

 そろそろ下に行きましょうか、と黒蘭はふわりとヒラヒラしたレースの裾を揺らしながら、蒼助の傍を離れて廊下へと歩いていく。

 一人に近い状態になって、蒼助は動かず考えた。






『昔の何も知らなかった頃には、二度と戻れない』






 戻れない。

 戻らない。

 戻りたくない。

 千夜がいなかった、日々には。






「なら、俺は………」

 

 何を望んでいるのか。

 答えはおのずと見えてきた。

 はっきりとした輪郭を浮かべて、それは形を成していく。





 千夜のいる明日と、その更なる向こう側を。

 欲しい。

 どうしても、手に入れたい。





「手に入れる。絶対」





 有言実行、と言わんばかりの強い決意めいた言葉を口にして、蒼助は立ち上がった。




 足に伝わる手応えは、確立した世界のそれだった。
















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