あまりにもあっさりと告げられた言葉に、蒼助の頭の中は一度白紙に還った。
真っ白な頭が発言の分析に働きかけ、理解がなされること数秒後、
「本当かっ!?」
勢いあまり立ち上がる蒼助は、飛びつかんばかりの迫力で黒蘭に凄んだ。
微動だに動じない黒蘭は、簡潔に一言返す。
「ええ。誰も解決策がないなんて、一言も言ってないでしょ?」
「何だっていいだろ、そんなことっ。……それで、その対処法ってのは一体なんだよ!」
「がっつくわねぇ。………ちょっと落ち着いたら、話してあげる」
じゃなきゃ教えてあげない、とそっぽ向かれて苛立つ。
しかし、蒼助は一度真っ白に還ったおかげで、自分の立場を把握する余裕を持っていた。
自分は従う側だ。
ここで下手を打つわけにはいかない。
冷静な理解は、行動にすぐさまとはいかないが移された。
「…………」
「素直でよろしい。では、教えましょう。………でも、その前に質問」
肩透かしか、と一度堪えたものが、再びぶり返しそうになる。
蒼助はそれをなんとか理性で押さえつけ、
「何だよ」
「【力】とは……何だと思う?」
「………回答拒否権は?」
「あるわけないでしょ」
「だろうな。…………力、な………」
いきなりふっかけられた難題に、蒼助は慣れない頭脳作業にてこずりながらも自分なりの答えを出した。
要した時間は一分。
「………アンタがいう質問の力ってやつが―――――――権力財力能力戦力霊力知力重力―――――――その他諸々のどれにも当てはまらない……
それ以前の、只の力だっていうんなら………。力は、―――――――そこに在って無いモノだ」
「………その心は?」
探るような促しに、蒼助は答えるように続きを紡ぐ。
「………力そのものに意味はねぇ。意味がねぇものは無いも同然だ。だが、曖昧ながらもそいつには【力】と名前がついている。在るようで無い、
無いようで在るそれだけじゃ中途半端な存在……つーのを俺は言いたいわけだ」
自分の頭が決して良くないのは、蒼助自身が一番わかっていることだった。
だから、借りたのだ。
昔、これを自分に教えた偉そうな女の言葉を。
「………ふーん、意外とイケるわね。なかなかの口回りよ。―――――――誰かの請け売りだとしてもね」
「……っ、」
バレている。
何故、と考え次の瞬間には馬鹿馬鹿しいと心の中で吐き捨てた。
相手は人外魔境の存在。
心を読むなんてことも平気でやってのけるだろう。
今更、この程度のことで驚いていては、この先やっていけない。
「……じゃぁ、続けるわね。ならば、その中途半端な存在を確かなものとして確立させるには、何か必要なのかしら」
「…………うぉぷ」
「そんな吐きそうな顔しなくても。本当に肉体労働派なのね、貴方」
「勘弁してくれ」
小難しいことは苦手だ。
これ以上は限界だ。
表情でそう訴えると、黒蘭は、
「仕方ないわね。いいわよもう………そこも掻い摘んで説明してあげるから」
気を取り直すように黒蘭は、まずは先程の質問の解答を明かした。
「―――――――概念よ、概念。わかる? これが加わることで形があるんだか無いんだかの中途半端なモノがあらゆる可能性を持つ。さっき、貴方が
言ったような例のいずれにもなりえるようになるのよ。意志によって抽象されることによって力は悪にも善にも姿を変える。もっと簡単に言い表せば
………力に形を与えるのは私達、それを求め使う者達。力に電力という考えを見出したのは? 重力を発見したのは? ほら、力に意味を求めた過去の
人々………そして、退魔師や魔術師も同じ。今も尚、力を霊力や魔力と呼称し扱い自分たちの目的に使い、よりその形を安定させるべく攻守の属性を
添加させたりする。……力というものは、それだけではどうすることもできないただの木偶の坊。確かな存在として成り立つには、使う意志を持つ者に
意味を与えられなければならない。意味とは概念。与える私達も、すなわち概念よ」
「………で、人に散々壮大な哲学じみた話を聞かせておいて、それがなんだって言いたいんだ?」
「前提として知っておいてもらいたかっただけよ。坊やに関わる本題はこれからよ、こ・れ・か・ら」
「………これからかよ」
まだ始まってすらいなかったようだ。
「さて、本題。これらの概念をプラスの概念としましょう。けれど、硬貨のように物事に表があるなら裏もある………という理屈を通すと、これの逆は、
何だと思う?」
「………マイナス?」
「正解。与える概念があるなら、奪う概念も存在する。―――――――それが、【反概念】よ」
「アンチ……概念」
「全ての概念の真逆に位置に対立する特殊な概念なのよ。奪うといっても、この概念が力から意味を奪うということではないわ。こいつも力に意味を
与えるわ。ただ………これが与える概念、それは―――――――"侵蝕"よ」
「……っ」
台詞の最後を聞いた瞬間、何故か蒼助はブルリ、と震えた。
たった漢字二文字の言葉が、どういうわけかとてつもなく恐ろしい響きに思えた。
「他の概念に対する侵蝕………モノに付加されたプラス概念を消し去る。それが反概念の与える効能」
「………至って特別なもんでもないような気がするんだが」
「あら、どうして?」
「いやだって………そんなん、他の……普通の概念同士でもぶつかりあえば起こることだろう……理屈では」
そのはずだった。
だが、何故だろうか。
自分ではそう思っているのに、先程のあの戦慄した感覚はまだ余韻として残って消えてはくれない。
「ふーん………つまりは、言葉並べられたくらいじゃ信憑性がないってこと?」
「まぁ、はっきり言えば……そうなるな」
「―――――――三途」
突然話を振られた三途は目を瞬いた。
「何です、人を蚊帳の外においておきながら突然」
「拗ねない拗ねない。………ねぇ、ちょっとアンタの拳銃貸してくれる?」
「………お断りです」
「何でよ、いいじゃない一杯持ってんだから」
「だからといって、貴方に駄目にされちゃたまりません。断固拒否します」
黒蘭が何をしようとしているのか知っている口ぶりで、三途は本気で嫌がっていた。
そこまで拒否するほどのことなのだろうか、と傍観しながら蒼助は二人の会話を見守った。
「ケチ。じゃぁ、弾でいいわ」
「…………一個だけですからね」
譲歩した要求に、それでも渋々とした様子で三途は、応えとして何処からともなく拳銃に込める弾丸を手の平の上に出現させた。
コロリとしたそれを黒蘭は指先で摘むと、
「見てて」
蒼助に見えるようにそれを持ちながらそう言った。
何が起こるのか、と軽く身構えた次の瞬間にそれは起こった。
「―――――――っっ!!」
見開く目に飛び込んできたそれは、蒼助の想像の範疇を一っ跳びした光景だった。
二本の指先に挟まれた弾丸は、触れた端から徐々に黒ずみ始めた。
じわじわ。
じわじわ―――――――と。
ゆったりと揺蕩うようなその進行は、まさに"侵蝕"と言い表すに相応しい。
瞬く間に弾丸は、鉛色のソレから黒一色に染め上げられた。
「―――――――侵蝕完了」
押し潰したわけでもない。
閉じるように弾のある隙間を無くすと、弾はスカスカに焼かれた消炭のように崩れ、塵になった。
破壊による崩壊ではなかった。
存在も意義も全て蝕まれ、中身を失い残った抜け殻が崩れたのだ。
起こった現実を目にして、蒼助は全てを理解した。
相殺などではない。
こんなもの、一方的な進攻だ。
為す術もなく飲み込まれるしかない、無慈悲な暴虐。
「これが反概念の侵蝕。いかなる概念であろうと問答無用で己の色に染め上げる【黒】を概念色として象徴とするマイナスの概念。聖魔の両極から
外れた異端。赤、青、黄、白、緑のように多色を混じることのない、孤高の原色。そして、その概念属性を持つのは原色者ただ一人………」
理解した。
目の前の存在が何であるかを。
この消えない恐れの正体を。
蒼助は恐れていた。
黒蘭が、怖い、と。
途方も無い畏怖を、目の前の少女の姿を象る存在に向けていた。
「さて、理解は出来たようだし…………はっきり言わせてもらいましょうか」
畏怖の対象はそれを見透かしているのかいないのか、クスリと笑う。
優美に。
華麗に。
妖艶に。
不敵に。
濃縮された"巨大な侵蝕そのもの"である存在は、その微笑に幾つもの要素を絡めて笑い、断言する。
「私なら、貴方を助けてあげられるわ。無論、私もその気は充分あるわよ。貴方には、それだけのことをしてあげる価値を感じている。ここで喪すには
坊やは惜しい存在だと思うから」
「随分と、デカく買ってくれてるんだな………たかが人間に」
「意外と謙遜なのね…………あと、もう人間じゃないってば」
「ああ、そうだったな。………でもよ、そんなことより早く言ってくれねぇか?」
「何を?」
白々しい。
そう思いながら、言わせる気でいるのを見越し、あえて蒼助はそれに乗った。
「惚けるなよ。アンタ、さっきからどうにか出来ると仄めかしても………"助けてやる"とは言ってねぇだろ。…………何が、望みだ。助ける代わりに、
俺に何を望む」
「頭は悪いみたいだけど、察しはいいみたいね。ますます気に入ったわ……。交換条件と言っても、決して何か寄越せとかそういうのじゃないのよ?
むしろ、貴方に損は無いわ」
「デメリット無し? 交換条件かよ、それ……」
「細かいことは気にしないで先に進みましょう。といっても、後は私が条件を出して貴方が頷くだけだけどね」
「選択の余地は無し?」
「あるけれど、必要ないんじゃない? 私は奪う気はない、でも予想では多分貴方はそれを自ら放棄するはずだから」
「ほほぉー………なら、言ってみろや」
自分の身の振りが掛かっているということは、一旦脇に除けて、蒼助は挑むような姿勢で先を促す。
どういう状況であろうと、自分の意思を無視されるのを蒼助は良しとしなかった。
「もう一度言っておくけど、貴方から何かを差し出せっていうことじゃないの。逆に、受け取ってほしいだけ」
「何だよ、贈物でも貢いでくれるのか?」
「ふふっ…………………自慢の宝物だから、黙って受け取ってくれると嬉しいわ」
「へぇ………ぇ?」
蒼助は軽く受け流そうとしたが、流し損ねた。
黒蘭の指が動き、それを追った先にあったモノを目にしてのことだった。
その指先が指さしたのは蒼助―――――――ではなくその隣であった。
「…………オイ、何の冗談だ」
隣に座る人物が不機嫌そうに口を開いた。
黒蘭はそれに構わず、はっきりと、一句一字に満遍なく本気を込めて公言した。
「私が出す条件は簡単なことよ。その娘を―――――――千夜を貰ってくれればいい。それだけよ?」
浮かべる穏やかな笑みからも本気を滲み出しながら。
◆◆◆◆◆◆
気が付けば、蒼助は廊下の床で引きずられていた。
襟首を掴む有無も言うことも抵抗も許さない力に引っ張られて、人為的に床を走らされていた。
「あのー、千夜さん?」
そんな状況を作り出す相手は、返事を返さない。
ただ向かっているであろう場所に絶えず足を動かすのみだった。
そして―――――――
「オイオイマジでいい加減にしろよ!? 足とかケツとか段々熱くなって……っどわ!?」
突然、床と接する部分の摩擦が止まったかと思えば、一層ぐんっと強く引っ張られた。
喉仏に強い圧迫感が強襲したが、それは一瞬のことで自分が投げ出されたのだという自覚に掻き消された。
べしゃり、と床に顔から突っ込んで熱いキスの強制の後、蒼助はそれが自分の目の覚めた場所である寝室の床だと気づいた。
「っつ……お前、もう少し丁寧に扱えよ。つーか何っ? 本当、何なんだよ!」
黒蘭の「もらって」発言から始まって、ここまで僅か一分足らず。
脈絡も何もあったものではなく唐突に引きずり回された挙句、元の部屋に戻されて何の説明も無いのでは割りに合わな過ぎる。
しかし、抗議は床を激しく叩くように踏みつけた足音に消された。
「やかましい。理解しろとは言わんから黙って俺の意見を聞き入れろ」
暴虐無尽な発言は釘打つが如く低い音程で、一方的に突きつけられた。
これに蒼助は先程とは別の恐怖を覚え、思わず舌を巻いて黙る。
「俺は向こうで話を続けてくる。お前は俺が良いと言うまでこの部屋にいろ。いいな、絶対に出てくるなよ―――――――ぜっったいにだ!」
鼻先がくっつきそうなくらい超至近距離で顔を近づけられ、念を押される。
迫力に負けて蒼助が思わずただ首を縦に振るのを見て、満足したのか部屋を出て行こうとする。
「………待っているのが退屈なら寝てしまえ。ついでに全部夢に置き換えろ。明日からまた学校だ。最近寝てなかったんなら、ここで存分に惰眠を
貪れ。………目が覚めたら、全部元通りだから………何も………心配するな」
背中越しに言葉を残し、ドアが閉じる。
床に座り込んだまま、蒼助はドアをしばらく見つめた。
そして、脳裏で反響させる。
全部元通り、という言葉を。
「………ざけんな」
口から出たのは、理不尽に対する怒りを表す言葉だった。
「全部元通りにされて、たまるかっ………」
全てを0に還す。
何もかも無かったことに。
そんなことを望んでいるのは、自分ではない。
自分は望まない。
蒼助は衝動がままに立ち上がり、ドアに手をかけ―――――――かけた。
「……………」
握り取っ手を見つめる。
金属だ。
蒼助の脳裏に、二度にわたるガラス崩壊の光景が映像として流れる。
そして、ここは人様の家だ。
「………わざと閉めていきやがったな………トイレ行きたくなったらどうすんだよっ……」
かくして、ドア一枚を相手に傍目おかしな心理戦を開始する羽目になった蒼助であった。