陽が傾き、空が朱色に染まり始めた時刻。





 喫茶店『WG』のドアにかかる掛け札は『CLOSE』。

 いつもより早い閉店を迎えていた。


 『WG』は二階建てのビルの一階を使っている。

 その上は、三途の自宅として扱われていた。

 

 

 そのリビングにて、

 

 

 

 

 

「あいたたっ……ちょっと、志摩さん。もう少し、丁寧にやってくれませんか? それと、ここんとこ緩んでます」

「な、なにぃ? く、くそ……おのれ包帯の癖にナマイキなっ」

 

 

 

 

 

 ソファでは、三途が多大な損傷として負った一つである胸部に包帯を巻こうと悪戦苦闘する志摩。

 その向かいのもう一つのソファでは、黒蘭と上弦がその光景を茶を飲みながら見守っていた。





 ―――――――一行は、黒蘭によって代々木公園から『W・G』へと移動させられた。



 早々に店じまいし、全員が二階の三途の自宅へ集まっていた。

 

 そして志摩はというと、しっちゃかめっちゃかになりながらも、努力と根性のおかげで包帯巻きに終わりの兆しが見せ始めて、

 

「よし、こうして………―――――――よっしゃ完璧、出来たぁっ!!」

「何処が。……………赤点です」

 

 なにぃ、と下された無情な評価にあからさまな異議を唱える志摩を無視して、三途は新しく出してきたブラウスに腕を通す。

 体のあちらこちらに、傷の保護を成す処置である白い包帯が服の下から覗いている。

 

「おい、本当に黎乎サンのとこ行かなくていいのか?」

「いいですよ。怪我してる状態でセクハラまでされたら治るもんも治せません、気力的に」

 

 黎乎は腕は、間違いなく最上級だ。

 しかし、どうにも安心して任せられない面が別にある上、必要のない精神的疲労が重なる恐れがあるため、それは出来れば避けたかった。

 

「だけどよ、足は……」

「これですか?」

 

 三途は尚も言い募ろうとする志摩に、彼が気にする『問題の足』を掲げるように上げて見せた。

 志摩の目が見開く。

 

 

 見せ付けられた足には、欠如(・・)して(・・)しまった(・・・・)はず(・・)()足首(・・)から(・・)()()何事(・・)()なかった(・・・・)よう(・・)()存在(・・)して(・・)いた(・・)

 

 

「いつのまに……」

「後ろでヘタクソが奮闘している間で充分足りますよ、肉体の再生なんて。……まぁ、といってもまだ神経まで再生できていませんから、明日までこっちの足先は指一本動かせませんが」

 

 何せ凍りつかせたせいで、傷口と神経と細胞が一度壊死しているのだ。

 通常に比べて再生に時間がかかってしまうのは仕方ないことだった。



 耐性だけではなく、混血の自己治癒力は人間の比ではない。

 例え心臓を突かれようと、即死はない。

 頭であろうと手足であろうと吹き飛ぼうが、体内を循環する濃密な魔力を動かせば僅かな時間で再生させることができる。

 大量の霊気が満ちる土地にでもいれば、いくら傷つこうが霊質粒子をすぐに取り込んで再生。

 不死に近い状態になる。

 

 店と自宅は、三途の支配する領域内。

 そこに満ちる霊質粒子は、全て空間の主である三途の味方である為、傷も順調に治っていくだろう。

 

「私にしてみれば、これぐらいで済んだなら安い買い物です」

「まぁ……片足欠けるのが安いなんてもんかは置いておくとして。―――――――人の忠告を無視して死亡フラグ立てちまった割りにゃ、軽くすんだもんかもなぁ」

 

 ぐさり、と志摩によって致命的な箇所に釘が打ち付けられ、三途は顔を顰める。

 反論が出来ないところが実に哀しく、悔しい。



 だが、しかし。

 

「…………ちょっと黒蘭、一つ聞きたいんですが」

「なぁ〜に?」  

 

 素知らぬ顔で茶を飲む黒蘭は、返事はしても顔を向けない。

 怒りを煽られつつも、

 

「貴方、ちょっと出てくるタイミングおかしくありませんでしたか?」

「あら、アレ以上に絶妙な登場シーンが他にあると?」

「絶妙すぎて逆に不自然でしたよ。―――――――まるで、遠くから出てくるタイミングを正確に計っていたみたいでしたがね」

 

 じろり、と睨まれても何処吹く風といわんばかりに黒蘭は笑みを絶やさず、

 

「さてね………まぁ、最近いっちょ前になった気でいるから懲らしめてやろうかなぁとは思ったけど。でも、私は何もしてないわよ? 

 アンタが勝手に神風特攻しちゃっただけだものね、―――――――"サンちゃん"」

「……っ、……っ、……!」

 

 ぎりぎり、と奥歯をかみ締めながら反撃の隙のない台詞を耐えるしかない三途を、志摩が宥めるように頭をポンポンと叩き、

 

「ほれほれ、力んでると塞がんねぇぞ傷。…………まぁ、本当の話、あんまり一人で無茶すんのは止めてくれ。…………心臓に悪すぎる」

「…………志摩さん」

 

 振り返った志摩の顔があまりに真剣だったもので、三途は自然と燃やしていた怒りを鎮火させた。



 黒蘭は腹が立つが、冷静になって考えれば自分の行動は周りから見ればさぞかし危なっかしいことこの上なかっただろう、と三途の心の沸きあがって

来るのは、後悔と申し訳なさ。

 心配させたのは志摩だけではない。

 千夜とて同じ気持ちのはずだ。



 傷ついた自分を見つけた時、彼女はどんな気持ちで怒鳴っただろうか。

 

 もし少しでも何かが異なった果てに最悪の結末を迎えていたら。

 

 それを考えると、自分が行った行動がどれだけ思慮の浅いことだったかを改めて身に滲みた。

 眉を寄せて、俯く三途を見て志摩は一息。

 

「まぁ、何はともわれ………無事でよかった」

「…………すみません、でした」

「わかればいいんだよ、わかれば。………忘れんなよ、お前が死んで哀しむ人間はまだ……少なくとも、俺を含めて二人はいるんだぜ?」

「………っ」

 

 息を呑み、三途は絞るように目を閉じる。

 そしてもう一度、ごめんなさい、と謝罪を繰り返した。

 

「もういいよ。…………じゃ、俺帰るわ」

「……え、突然ですね。貴方にかけた迷惑のお礼というわけではありませんが、お茶でも出すんで飲んでい………」

「いーって。怪我人に茶汲みさせるような人でなしにゃなりたかねぇよ。―――――――じゃな、お大事に」

 

 それ以上引き止めさせる暇も与えない素早さで、颯爽と志摩は帰っていった。

 いなくなってしまった余韻を感じながら、

 

「………ツケが増えるわけでもないのに、なんでしょうね」

「自分不器用ですから、ってやつよ。しょーがないわねぇ………」

「どっかで聞いた台詞ですね…………まぁ、それはこの際おいておくとして―――――――

 

 場を切り替えるように、三途の視線が鋭くなる。

 異様に和やかだった部屋の空気も、緊張感の張り詰めたそれへと様変わりし、





「……いい加減、話してもらいましょうか」

「あら、立ち直りの早いこと。タフになったわね……」

「そこ、話を逸らさない茶化さない。………貴方、仕組みましたね?」

「…………人聞きの悪い出だしね」

 

 黒蘭の言葉を三途はハ、と鼻で笑い飛ばし、

 

「その通りでしょう? 違うなんて、言いませんよね? …………黒蘭、貴方はこの件に関して、殆んど動きを見せなかった。………誰よりも狡猾で

手回しのいい貴方が」

 

 核心を突いたつもりだったが、黒蘭の表情に一点の曇りも見れない。

 この程度ではダメだ、と更に深く潜り込もうと三途は試みる。

 

「おかしいでしょう。千夜を何よりも大事と自称する貴方が、今回のことを察しなかったわけがない。おそらく、彼の中の存在に私よりも先に気づいて

いたはずだ。その危険性も! ………にも関わらず、貴方は今日まで何の手出しもしなかった。逆に玖珂蒼助に澱のことを教え、こちらに近づけようと

そそのかしさえもした。………私がどう出るかさえも予想済みでしたね? そして、この件………志摩さんも一枚噛んでいるんでしょう?」

「……………」

「………貴方は、一体何を考えているんです。………何処までその手は及んでいるんですか、―――――――黒蘭っ!」

 

 投げつけるような三途の荒げた大声が、リビングに響く。



 上弦は手にした湯のみの水面を見つめたまま微動だにしない。

 というよりも、自分の出る幕ではないと自ら蚊帳の外にいるようであった。




 そして、黒蘭は、




「………くっ」




 顔が不意に俯き、深淵の色彩の髪が深く覆い被さったその下から漏れた呼気。

 ようやくは反応を見せたかと思えば、その両肩は小刻みに震えていて、覗く口元には笑み。



 笑っていた。




 嘲笑ではない。

 ただ、笑っているのだ。

 愉快だ、と。





「ふふふっ………成長したわねぇ、三途。あの頃に比べたら、大分物事の見通しがよくなってる。………これから先を考えると、そこは安心したわ。

あとは、見かけから外れた一人で突っ走る猪突猛進ぶりを直すことが課題ね………」

「私の事はどうだっていいんですよ……質問に」

「考えてること、ね…………愚問じゃないの、これは。私の世界は、いつだって【我が愛しの君】を中心に廻っているんだから。………でもね、あなた

の推理は大分ハズレが混じっているわ。確かに、私は前もって彼のことを知っていたわ。……彼が何処の誰に縁があるものか………その内に何を内包

しているか、もね。けれど、あの二人を引き合わせたのは私じゃないわ…………それに関しては、それこそ目には見えない【縁】が引き合わせた運命って

やつじゃないかしら」

「ふざけないでくださいっ!」

「大真面目よ。皆馬鹿にするけどね……………宿命や運命って奴は、鼻で笑えるほどチャチなもんじゃないのよ。………この私でも、思うままに動かし

操ろうなんておこがましいくらいにね」

 

 微笑を掻き消した翳りのある真顔で呟く黒蘭に、三途は思わず押し黙った。

 その言葉は悠久の刻を生きることを許され、流れゆく多く魂のそれを見てきた者としての説得力に満ちていたからだ。

 

「自分に結ばれた糸の先が気になり、それを手繰り寄せた先にあるものが運命っていうなら………彼らは自らの意志で出会ったのよ。私じゃないわ」

「…………」

「彼が千夜に惹かれたのも彼自身の意思。私は、やきもきしていた彼に親切心で手助けしてあげただけよ? 貴方だって、私がああしろって言ったから

行動に出たわけじゃないんでしょ? 蒼助が善之助と美沙緒の子供だって気づいていながら、千夜を優先したのは他でもない貴方の決断だったじゃない」

 

 何てこともないように図星を突いてくる黒蘭を苦々しく睨みながら三途は、質問の角度を変えることにした。

 

「………どうして彼を……こちら側へ誘ったんですか?」

「来たがっていたから、誘導してあげただけよ。年下を誘惑する悪女みたいな言い方して……や〜ねぇ〜」

―――――――真面目に答えてくださいっ!!」

 

 一喝のような声にその場は一瞬静まる。

 黒蘭も茶化す笑みを消してそれを受け止め、沈黙していた。

 上弦もその隣で依然と黙したまま。

 黒猫は主を見守るように見上げるだけだ。

 

 沈黙の破り手はその打破となる口上を述べるべく口を開けた。

 

「………貴女たちの為すことが全て千夜の為に繋がるということは信用しています。ですが、今回のことについては、その内情を話していただかなければ

信用など出来ません。私には、千夜を守る上で貴女たちの懐に抱え込まれた事情を知る必要がある。………教えてください、何故っ………貴女は何を

考えて彼のような危険因子を千夜に近づけるんですか。…………彼は、一体何者なんですか!」 

 

 荒れる感情の吐露の後、再び沈黙が訪れる。

 不満を吐き出しきった三途は、険しい顔つきのまま黒蘭の動向を見測る。

 

「………教えろ教えろって……何でも知りたがる駄々っ子じゃないんだから、少しは年齢相応に振る舞いなさいよ。本当、感情に突っ走るとすぐに熱くなって冷静さを失うのは……変わんないわねぇ」

 

 呆れを表す冷めた目つきで見つめられ、カッと頬を赤らめる三途。

 怒りのままに立ち上がりかけたところを制するように、

 

「何事にも時期と順序というものが付き物よ…………秘密にもね。大事なことよ? これにズレが生じると、例え全て明かしても………わかることも

理解できないわ」

「………黙秘を主張しているんですか?」

「誰も教えてあげないなんて言っていないでしょー? ここで語るには余る………結構なポジションにいる存在とだけは理解してくれないかしら」

 

 口調は軽いは目はそうではなかった。

 

「ま、細かいことは抜きして言えば―――――――切り札(ジョーカー)なのよ……………あの二人は」

 

 ぼそり、と最後に呟かれた部分は、三途の耳に拾われることはなかった。

 

「切り札………?」

「或いは、それとなる素材というべきかしら」

「……黒蘭、回りくどい言い方をしないではっきり言ってくれませんか。貴女は彼を一体に何に使おうと……」

―――――――【神狩り】」

 

 その一言を告げられた途端、三途は大きく目を見開いた。

 信じられないものを見るような目つきで、黒蘭を凝視した。

 構わず、黒蘭は続けた。

 

「実は去年の誕生日……私、まだ千夜にプレゼントあげてないのよ。まだ、手元(・・)()なかった(・・・・)から(・・)仕方なかったけれど。

…………でも、これでようやく渡せるわ」

 

 

 

 黒蘭の表情の笑みは一層深くなる。

 クスクスと声を赤い唇の端から零しながら、楽しげに呟く。

 

 

 

 

「はりきって"つくらなきゃ"…………私の最後の作品を。―――――――三ヶ月遅れの贈り物として恥じない、あのコの傍に置くに相応しい最高傑作に。

きっとこれ以上にない素晴らしい代物に仕上がるわ………何せずっと待ちに待ち続けた最高の素材だもの」

 

 

 細まる漆黒の瞳は、底知れない策略を渦巻かせた。

















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