粉塵巻き上げる蒼と黒の激闘を十メートルほどの距離が空いた位置から傍観の体勢に入って、二分が経過した。



 時折及ぶ余波や突風を夜叉姫の護りで防ぐ中、戦闘不能の志摩や三途、B.Sを後ろに庇いながら、千夜は上弦と前へ出て目の前の戦況に目を凝らし、






「……おい、上弦」

「一応、手加減をしろと申し上げはしましたが」







 心中を読み当てた上弦の言葉に、「はぁ」と深く溜息をついて、グイと親指で問題の光景を示し指し、

 

「……アレは?」

「この上なく殺気だっていると、思われます。………ええ、それはもう」

「噛み締めんでいいから、どうにかしろ! お前らには色々聞きたい事があるがこの際細かいことなんぞ気にしないから、とりあえずあの中に突っ込め上弦っ!!」



 GO!と投げた棒を犬に拾わせに行くような調子で言う己の主のあまりにも無情な命令に、上弦は本気で血の気を引かせた。

 

「そ、それだけはお許し下さい! そのお言葉は、死ねと同意義でございますっっ!!」

「大丈夫だ、お前なら出来ると俺は信じる。―――――――根拠はないが」

「ひ、姫さまぁぁぁぁぁぁっっ」

 

 本気で嫌なのか大の男は涙目だった。

 自分の倍以上のデカイ図体の上に厳つい顔の男に泣きつかれた千夜は、舌打ちしつつもこの案は断念する。

 

「………じゃぁ、どうしろっていうんだ」 

 

 涙を拭う白髪の巨男を放置し、千夜は解決策を練ろうと試みる。



 黒蘭は言っていた。

 【あの男】を蒼助の肉体から切り離そうとすれば、蒼助も死ぬと。だから、黒蘭が止めに入り今に至った。



 だが、このまま放っておけば暴走している黒蘭が確実にあの男ごと蒼助を殺してしまう。 



 そう確信づける理由はある。

 【あの男】とて相当なカミとしての神格を持つ強大な存在だ。

 恐らく、力量は黒蘭と並ぶ。






 ―――――――だが、黒蘭が相手となるとそんな(・・・)こと(・・)()関係(・・)ない(・・)






 力の強さなど、黒蘭という『別格』を前にしては何の意味もない、塵芥も同然だ。

 千夜にとって黒蘭という存在は、奇妙な腐れ縁の相手であると同時に、生きている限り絶対に殺し合いたくない相手でもあった。

 早くどうにかしなければ、最悪の事態を迎えることになる。 




 しかし、焦る千夜の思考に、記憶から滲み出て入り込む言葉あった。










 

―――――――彼を引きずり出す方法に早く気付きなさいよ?』











 少し前に、黒蘭が言い残した言葉だ。

 

 

 

「………上弦、さっきの黒蘭の台詞は聞いたか?」

「……はい」

「アイツを切り離す以外に………玖珂の意識を引きずり出す方法がある……ということか?」

 

 上弦は返答するべく口を開いた。

 が、その間に割り込む声があった。

 

「……無理だよ、千夜」

 

 膝をつけて地に座り込む三途だった。

 否定の言葉に千夜は意味を探る。

 

「どういう意味だ、三途」

「……彼は………あの身体にもう玖珂蒼助の人格は残っていない。【あの男】がそう言った。恐らく、彼を銃で撃った時に……」

「だがっ今もああして……」

「弾ははじかれ、肉体に致命傷はおろか傷一つ負わせることは出来なかった。けれど、蒼助くんの意識は"撃たれて死ぬ"という強迫観念にとらわれ、大きく揺らいだ。

あの男にとっては、これ以上にない待ち望んだ隙だっただろう。………最も、その最悪の展開への後押しをしたのは私だけれども」

 

 脳に衝撃を感じた。

 金槌でぶっ叩かれたような、揺らぎ。

 思考が打ち震える中、絶望が千夜の内で染み広がっていく。








 もし、それが事実なのなら、全てが無意味になる。

 自分がやろうとしていたことも。

 これからやろうとしていたことも。




 何もかも全てが―――――――



















―――――――それはない」

















 暗くなりゆく視界に沈みかけた千夜の耳に、上弦の否定の言葉が入りこんだ。

 三途はその言葉にどうして、と困惑気味に問いかけた。

 

「何を根拠に、そんな」

「無いからだ、三途。それこそが、有り得ないことなのだ。確かに、お前の言うように玖珂蒼助の意識を【あの方】は呑み込んだ……それは事実に違いない。だが、それで

消えるなど……あるはずがない」

「………取り込んでも、しばらくは消化されないということですか?」

 

 三途の言葉に首を横に振り、激しい騒音の現地を見つめ、

 

「そうではない。どちらか一つが残ることも消えることも無いのだ。【あの方】が存在しているのは、小僧の意識が在るからであり、小僧が消えないのもまた、【あの方】

が存在するが故のこと………最も、どちらもその事をまだ知らないようだがな」

 

 上弦によって述べられるあまりにも含みと不可解な点が多く存在する言葉に、三途の表情の曇りは深くなる。

 もはや、何処から追求すればと思考回路が展開について行けない。



 一方、志摩は理解出来ているというわけでもなく、ただその言葉を耳に入れるに留めていた。

 いずれ説明されるだろう、とこの場では言及せずにいようと踏んだのだ。

 

「なんだっていい」

 

 その中でまた違う反応を見せたのは千夜だった。

 言及することもなく、静観もなく、彼女の目は現状に向いており、

 

「まだ、あいつを……玖珂を元に戻す手段があるのなら教えろ。……上弦」

「………姫様」

 

 絶望に浸りかけた寸前から這い上がった千夜の眼差しは、強くギラついており、それでいて縋るようなものも上弦には見て取れた。

 それは、ある昔話の一説の仏の垂らした蜘蛛の糸にしがみつく罪人を彷彿させる。

 上弦が見慣れた、この主君が何かに必死となる時の目付きだった。

 その多くの場合は、自身の他者を失うまいとする際に見せるものだった。




 この場にはいないあの男は、既に主君のその域まで踏み込んでいるのだと上弦を確信を得た。




 腹立たしい、と無表情の下に男に対する怒りを孕ませた。

 ほんの僅かな先の未来に、この主が【再び】あの気に喰わない小童に掻っ攫われるのかと思うと、腸が煮えくり返るような心地であった。

 それを黙って見守るしか選択肢がない自分にしても、歯痒くて、腹立たしい、と。

 

 しかし、上弦はそれら全てを捻じ伏せて言の葉を紡ぐ。




 全ては己の至上の存在である―――――――主君が為に。





―――――――ひとつだけ、ございます」

「それは、何だ………」

 

 千夜の問いかけに上弦が返したのは、答えではなく新たな問いかけだった。

 

「………姫様、人が己という存在を最も強く意識し、自覚する時とは―――――――いかなる時でございましょうか」

「………は?」

 

 唐突過ぎる言葉に千夜は唖然とし、目を瞬かせた。

 質問を無視するかのように放たれた―――――――新たな質問。

 脈絡のなさに、上弦の意図が見えなくなる。

 

「………上弦、今はそんなことを言っている場合じゃ」

―――――――名前、か」

 

 言いかけた言葉に、後ろから上がる別の声が割り込む。



 とっさに振り向く。

 志摩だ。

 

「………志摩?」

「答え。名前だろ? 大勢いる人だかりの中で自分の目的の相手を見つける時、どうする? どうやって探していることに気づいてもらう? ………どうよ、ゲンさん」

「……私は姫様に質問したのだがな」

「細かいこと言うなよ。時間はねぇんだ、出来るだけ省けるところ省くにこしたこたぁねぇだろ〜?」

 

 アッタマ堅ぇなゲンさんは、と茶化す志摩に図星を突かれたのか、喧しい!とバツが悪そうに怒鳴る上弦は、堰を一つ入れて、

 

「……【名】とは、その存在に与えられた【自己そのものを証明する強力な言霊。呼ばれれば、すぐさま意識は強く反応を示すように……」

「つまりは、こういうことか。押し込められた弱ったあいつの意識を名を呼ぶことで………」

「御察しの通りにございます」

「だが……そう簡単に」

 

 言葉を濁す千夜に、上弦は諭すように語りかける。

 

「………【名】は、言霊の中でも一際特殊な代物です。その効力に差が開くのは、術者の力量の影響ではなく………その存在に対して、存在そのものがどれだけ影響力を

所持しているかなのです。それらに該当する例は家族、友人……或いは―――――――想い人」

「……………何が言いたい」

 

 渋い顔をする千夜の後ろで、志摩が納得げに呟く。

 

「なるほどなぁ……惚れた女に必死に名前を呼ばれでもすれば或いは、ということかぁ。やぁ〜、嬢ちゃん罪な女だなぁ」

「っっ、何でお前までそれを………黒蘭か、黒蘭なのか!?」

「まぁまぁ、それよか早いところ済ましちまった方がいいんじゃねぇの? ―――――――取り戻したいんだろう?」

「…………っ」

 

 胸倉を掴んで揺さぶった際に見えたサングラスの下から覗いたふざけた台詞回しとは対照的な真摯な視線を受け、言葉詰まる。

 それから、暫し苦悩に表情を歪ませたが、吐き出すように長く溜息をつき、

 

「………確実なんだろうな」

「それは姫様………否、あの男次第かと」

「ふん、いいだろう。―――――――やってやる」

 

 上弦の言葉に、千夜は口端を吊り上げ笑った。




 中途半端な別れなど認めない。

 なんとしてでも再び相対してみせる。




 いつか必ず来る、避けられない別れの瞬間を迎えるために。









 ◆◆◆◆◆◆









 激戦は衰える気配もなく、寧ろ激しさを増す一方であった。





 蒼の猛攻は大気を振るわせ、黒はそれを受け流しつつ時折明確な迎撃を撃つ。

 

 互いに一歩も引かぬ戦況が描かれる中、







―――――――答えろぉっ! 何故、裏切ったぁっっ!」







 憤怒に震える叫びが、黒蘭を穿たんばかりに放たれた。

 もはや、蒼の男に先程までの余裕は一切見れない。

 剥き出しにされた一つの感情―――――――燃える炎のような憎悪は、相対する存在である黒蘭を灰燼に帰さんとばかりに攻撃に反映されていた。

 

「裏切った? 何のことかしら」

 

 華奢な身体を胴から真っ二つに引き裂かんと閃光に見間違うような疾さで振り抜かれた一閃を、踊るような振る舞いで紙一重で避ける。

 激戦の渦中にいる当事者の一人であるにも拘らず、黒蘭は相も変わらず飄々としていた。

 それが、蒼の男の神経を逆撫でする。 

 

「恍けるなっっ!! ………忘れたとは、言わせんぞっっ」

「した覚えのないことを忘れるなんて……支離滅裂なことを言わないでくれないかしらね。私が、いつアンタと裏切るなんて行為が成立するような協力関係になったの?」

「貴様ぁっ………」

 

 男は低く唸ると、絶えず繰り出していた攻撃の手を止めた。

 黒蘭もそれを見て、間合いと呼べる一定間隔の距離の取れた位置に場所を落ち着ける。

 射殺さんばかりに睥睨したまま、男は口を開く。

 

「自分が持ちかけた【計画】を忘れたと………本気で言っているのか」

「…………」

「昔から貴様のことは何一つ理解出来なかった…………………だがっ」

 

 男は砕かんばかりに歯を噛み締め、

 

「だが、あいつに関しては…………あいつに関しては同じ想いであると思っていた。だから、吾は………あの【契約】を」



















―――――――黙れ」




















 凍てつきそうなまでに冷え切った声が、男の言葉を遮った。

 

 直後に響く何がひび割れる音。

 黒蘭の足下の地面に大きく亀裂が生じていた。

 

「アンタみたいな卑怯者と一緒にしないでほしいものだわ。………あのコを貶されたようで、吐き気がしそう。速攻でリミッター外して、存在しうる限りの殺害方法でぶち

殺してやりたくなりそうだからそっから先は口に気をつけなさい」

 

 瞳の奥で赤い光が爛々と輝き、殺意に満ちた眼差しが男を刺し貫く。

 男のそれに少しの引けも取らない。



 それどころか、黒蘭のそれの方が上回る勢いだった。

 

「すればいいだろう。望むところだ………返り討ってくれる……」

「………ああ、もう…………その気にさせないでよ。

 ―――――――本気になっちゃうじゃない」

 

 ニタリ、と凄絶な笑み。 

 恐ろしくも尚も美しいそれは、まるで般若の(かお)そのものだった。

 高まる黒蘭の放つ殺気に触発されたかのように、周囲の霊質粒子達が連鎖を起こし力を増幅し、その流れが大気の渦として目に見えるようになる。

 黒蘭を中心に旋廻する気流は、霊質粒子を餌に徐々に規模を拡大させていく。

 

………昔から失礼な呼び名だと腹が立ってたけど、アンタと顔合わせた時ほどその通りになってやりたいと思うのは他にないわ。理性も、加減も……何もかも忘却

の彼方に捨ててね」

「奇遇だな、吾もだ。……だが、吾は抑えはしないぞこの衝動。貴様のような嫉妬深いヒス女、この場で跡形もなく消えてなくなれ。どうせ貴様はこの世界】の覚醒前

の【黒】を殺して成り代わった本来ならイレギュラーである存在だ……世界とて、正しい軌道に戻せるとせいせいするだろう。…………もう、計画なんぞ知ったことか。

どういう意図が絡んでいるかは知らんが貴様から破棄したことだ。………貴様を消して、吾は今度こそ………」

「過去の過ちも自分の落ち度も、全部清算して一からやり直せるって? ………つくづく見下げたヤツね。



 ―――――――でも、無いわよソレ」







 冷めた眼差しから一転して、黒蘭が意味ありげな笑みを口元に刻んだ。 

 

 

 

 しかし、どういうわけか。





 そこには見下すような皮肉はあれど、先程まで双眸から溢れんばかりであった殺意は消え去っていた。




















BACKNEXT