振り下ろした白刃は迷いも無く使い手の意志がままに男に振り下ろされる―――――――はずだった。



















―――――――ちょっと、失礼」













 それまで空間には無かった声が―――――――"間"に響いた。



 まるで道を尋ねるかのような台詞が千夜と男の鼓膜を叩いた瞬間、白刃はその勢いを突如急停止させた。

 




 使い手の意志ではないモノによって。





 千夜は己の振りかぶった刃を()二本(・・)()挟んだ(・・・)だけ(・・)で動きを止めた小柄なその【存在】を見て、目を見開いた。

 驚愕の感情が促すがままに、その相手の名を叫ぶ。





―――――――黒蘭っ!?」





 突然現れた乱入者(イレギュラー)は、悪びれる様子も無く笑った。

 

「真剣白羽取りぃ〜。凄いでしょ? 褒めて褒めて?」

 

 この状況において全く見当違いな要求と発言をしてくる黒蘭に、千夜は怒りのあまりに眩暈を覚えた。

 

「っの………馬鹿言ってる場合か、即刻そこを退け!」

「心配後無用。―――――――邪魔者にはちょっと席を外してもらったから」

 

 千夜が眼を怪訝そうに眉を顰めたが、すぐに気が付いた。

 己が白刃で切り裂くはずだった対象が、先程までいた自分の目の前から無くなっていた。

 だが、すぐにそれらしきものは見つかった。




 黒蘭の向こう十メートル先で―――――――砂塵が巻き上がっていた。




 

「…………何のつもりだ?」

「貴方の為よ。………夜叉姫で、あの身体からアイツを切り離す気でいたんでしょう? アウトよそれは。そんなことをすれば―――――――玖珂蒼助も死ぬわ」

「…………どういうことだ」

「今はそれだけ理解しておいて。色々込みの説明は後でちゃんとしてあげるから……【彼】も一緒にね」

「…………」

 

 納得した、とは言い難い眼差しを千夜から向けられても、黒蘭は軽く受け流しながら、

 

「とりあえず、この場は私は引き継ぐから離れてて―――――――上弦」

「はい」

 

 新たな声は千夜の背後から発せられた。

 振り向く間もなく、千夜は背後の人物に抱きかかえられた。

 

「っ上弦!」

「姫様、ここは危険にございます。一旦離れましょうぞ」

「あ、こらっひょっこり現れて勝手に話を進めるなお前ら! ……降ろせ、降ろせったら」

 

 筋肉質な巨体の男にがっちりと抱え込まれた千夜は、その力強い抱擁の中でもがくがビクともしない。

 無駄な足掻きを繰り返しながら、遠くなりゆく漆黒の小柄な少女に声を張り上げる。

 

「っっ、黒蘭!!」

「大丈夫よ、大丈夫。………それより、彼を引きずり出す方法に早く気付きなさいよ? 


 ―――――――私が我慢出来なくなる前に」

 

 小さく呟かれるように発した不可解な最後尾の台詞は、怒鳴る千夜の耳には届かなかった。   

 徐々に離れて行く上弦の背中を確認しつつ、

 

―――――――さて」 

 

 黒蘭は先程自分が吹き飛ばした距離の向こうから何かが起き上がる気配を感じ、注意を完全にそこへの一点集中のものとして向けた。

 晴れていく土煙の中から姿を再三見せた―――――――青髪を靡かせる男。

 その蒼く鋭い眼光は、射抜かんばかりに黒蘭を見据えていた。

 

「やはり貴様が出て来たか………―――――――黒蘭っ!!」

「……はんっ。無駄に打たれ強いところは相変わらずみたいね―――――――(そう)(うん)】」

 

 殺気に満ちた荒れ狂う霊気が叩き付ける突風に煽られる黒髪を撫で押さえながら、黒蘭は目の前の男と正面を切って相見える体勢に入る。

 

「久しぶりねぇ………あの時以来かしらね? ほら、アンタと【彼】の契約執行の場に居合わせた四百年前。あれから結構経ったのに、お互い変わらないわねぇ」

―――――――戯言を抜かすな!」

 

 黒蘭の言葉を撥ね除けんとばかりに男は怒号した。

 男は三途や千夜の前では保っていた冷静さを崩し、憤怒という感情を露にして鋭く切り裂かんばかりの目で黒蘭を睥睨する。

 鮮やかな蒼の瞳の奥では、憎しみに煮えたぎる炎が揺らめく。

 

「アンタ、随分と突っかかって来るじゃない。何をそんなに怒ってるの……?」

「白々しい。………貴様、忘れたとは言わせんぞ………十年前、吾にしたことを!」

「…………ああ。あの時のこと? あらら、"その身体の奥深くに押し込んでやった時"に、そこらへんの記憶はぶっ飛んじゃったかと思ったのに……」

 

 自身の記憶を探るように呟いた刹那、黒蘭の黒髪の一部が薙ぎ散る。 

 一瞬にして距離を縮め迫った蒼髪の男の腕が放った―――――――突きの一撃によるものだった。

 

―――――――殺すっっ!」

「熱くなりやすいのも進歩してないわね。………それじゃ、人間になった意味まるでないじゃない」

 

 第二撃がもう一方の腕で撃たれる前に、黒蘭はその小柄な姿を宙に跳び立たせ、逃れる。

 すとん、と足先から優雅に地面に着地した。

 弾けとびザンバラに短くなった部位を指で掬い、

 

「あーあ、やってくれちゃって………。酷い腕の美容師がいたものね………こんな切り方見た事無いわ」

「それは申し訳ない事をしたな。―――――――次は首ごと綺麗に刈り取ってやろう」

「遠慮しておくわ。次はもっと腕のいい美容師にあたるから」

 

 撫でるように髪を摘んだ指を伝い下ろすと―――――――その動きに合わせて髪が【伸びる】

 指を離した後には、元の長さの髪がするり、と肩から胸に落ちた。

 

「貴様があの時余計なことをしなければ……………この身体は吾のモノのままだった。貴様が、吾を押し込め、【あの男】を人間としての人格として確立させて目覚めさせ

なければっっ!!」

 

 感情の爆発。

 それが起こしたかのように男の周囲の地面がヒビ入り、円状に陥没した。

 男の醸し出す殺気と怒気に満ちた威圧感が空気を震わせる。

 

「わかってないわね………」

 

 強烈なプレッシャーに当てられる中、怯む様子は微塵も見れない黒蘭は呆れたように呟いた。

 

「何に変わっても思慮の足らないままの男ね、アンタは……………だから、あの時―――――――

―――――――っ黙れ!」




 男の周囲の霊質粒子に雷の氣が帯びる。



 見る見るうちに男は迸る電流を身に纏わせた。

 掌にそれらを凝縮させ、球形のエネルギー体と化した霊質粒子の群を黒蘭に向けて地面に叩き込んだ。

 地面に吸い込まれるように消えた、かと思えば―――――――異常はすぐに生じる。




 溶け込んだかと思わせたそこから電光が発した途端、大地が下から砕け散った。






 大地の氣を喰らっているかのように、再び現れた光球は進行するにつれてその姿を膨張させ、巨大な電磁球(プラズマ)となって黒蘭を飲み込まんと迫る。







「………本当に、何処までも見下げた奴。私ね、昔からアンタのそういう見たくないものから眼を逸らそうとするところが―――――――

 

 迫る脅威を前にしても、黒蘭の反応は冷めていく一方だった。

 細められた眼に宿るは、蔑みの色を濃く見せる凍てついた眼差しであった。









―――――――反吐が出るくらい、大嫌いなのよ」









 瞳の漆黒が赤へと移り変わった瞬間、黒蘭が動いた。




 片手を前へ突き出し―――――――電磁球を掴んだ。




「あらあら……"半分"人間になっても、活きの良さは全く衰えていないみたいねぇ。………いいわ、食い尽くして(・・・・・・)あげる(・・・)






 黒蘭は荒れ狂う極上の霊気を前にして、己の概念気質の本能が促すがままに―――――――()らった(・・・)





 

 凶暴なまでに鳴り散らしていた放電はみるみる内にその勢いを衰えさせていく。それだけではなく、その大きささえも萎んでいく。

 

 まるで、黒蘭にその力を吸われているかのように。

 

 やがて、雷電の塊は黒蘭の掌に収まるまでにその存在を縮小させ、最後にはその手の奥へと消えた。

 

「………まあまあ、ってところね。理由はアンタのもんだから―――――――以上」

「世界を喰らうべく生まれた獣たる由縁の暴食ぶりも相変わらずか……。全く、貴様ほど殺しにくい存在は他に例を見ない。各世界に反世界存在として産み落とされ、全ての概念属性を相殺し喰らう―――――――(アンチ)概念【黒】の原色者よ」

「いちいち説明口調にならなくていいわよ、メンドくさい奴ね……………ん?」

 

 視線の端に映った赤色に黒蘭は気を止めた。

 それは先程吸収する際に男の電磁球に触れた手の指先から小さく湧き出る自身の血であった。

 

「……ふん、活きが良すぎるというのも食べる側には問題ね………。まぁ、いいわ。上弦には我慢するって言ったけど………もう充分我慢したわよね。

 ―――――――私的には」

 

 ぺろり、と紅い舌で指先の血を舐め取る。

 長い睫毛から除く赤い眼差しは、挑戦的に男を見据え、






「アンタ、私を殺すんだっけ? ……いいわよ。そのムカつく面見てたら………私もその気になっちゃった」






 くすり、と黒装束の少女は、優雅にそれでいて妖艶に哂う。







 その赤い瞳に―――――――確かな殺意を仄めかせて。









 ◆◆◆◆◆◆









 

 千夜が抵抗を諦めて、されるがままに上弦の腕の中に収まり始めた時だった。





 そんな彼らの背後で―――――――鼓膜を破る勢いの轟音が鳴り響く。





 思わず振り向く上弦と共に腕の中の千夜も、その光景を見る事になった。

 二人の目に映ったのは、激しくぶつかり合う黒と蒼の二つの色彩だった。

 

「っ、黒蘭様………上弦はあれほど手加減をと申し上げたというのに」

「無理難題だな、それは………」

 

 千夜の記憶には、黒蘭という輩はやれと言われてやった試しがない根っからの天の邪鬼である。

 言われなくても上弦もそれは承知のはずだった。






―――――――おーい、嬢ちゃーん、ゲンさーん」






 絶景を見つめる彼らの背後から呼び声が近づいてくる。

 振り返った先には、片足を失った三途に肩を貸しながら歩み寄って来る志摩の姿があった。 

 

「おお、雪叢か」

「オイオイ……やらかしてんなぁ、黒い姫さんは。………ありゃ、スケール小の怪獣戦争に相応するぜ」

「………言い得て妙ですね」

 

 志摩の手を借りながら共に歩む三途が、納得げに相打つ。

  

「三途っ」

 

 下ろせ、と上弦に命じ腕からその身を解放させた千夜に、三途は志摩の手から放れて倒れこむ形で抱きついた。

 不安定な身体を地面に下ろし、千夜を見上げる。

 

「千夜……怪我は」

 

 その開口一番の台詞を聞いて、千夜は思わず呆れ返った。

 

「お前………自分の状態見て物を言え」

「私なんてどうでもいいんですよ。足が欠けたところで、【この身体】に何の問題がありますか」

「………そういう問題でもないだろが、阿呆が」




 本当に、わかっていない。




 千夜は諦めの境地に立つ心境になりながら、深い溜め息をついた。

 一方で、志摩と上弦はそんな二人をヨソに声を最小限に抑えながら、

 

「ゲンさんよぉ、何だよこりゃぁ。黒蘭のヤツ、自分じゃ手ぇ出さないんじゃなかったのかよ。思っくそ、ヤッてんじゃねぇか」

「……そう言うてくれるな。この場合、仕方がないのだ。あのままあの方が間に入らねば小僧は問題なかったが、姫様の【宿業】は知れるところだった」

「……何だよ、それ。なんかマズいことでもあんのか?」

「大有りだっ! ………何としても、アレは他者に知れるワケにはいかん。当人である姫様自身にも、だ」

 

 僅か前に見た光景を思い出し、上弦は再び冷や汗を滲ませる。



 黒蘭の突入タイミングは、まさに絶妙であった。 

 もしも僅かにでも遅れていたら、避けねばならない事態は確実に避けられなかっただろう。



「断じてならんのだ。………幸い、不完全である為視る事は出来んようだが………」

「よくわからねぇが、重要機密だってことは肝に銘じておくよ。………で、それはともかくとして」

 

 話題に切り替えを入れながら、志摩はある方向を見た。 

 上弦も相手が何が言いたいのか汲み取ってか、それに倣って同じものを見据える。

 

「どうすんだよ、アレ………俺の記憶の限りじゃ、俺達の時代(とき)にゃあんな熱い表情した試しがなかったぜ。何よ、そんなスゲぇ因縁持ちなわけ? ……うおっ」

 

 志摩の疑問を遮るように一際大きな轟音が響く。

 

「しかし、まさに激闘の一言に尽きる殺り合いぶりだわな。特に、黒蘭なんかこのまま放っておくと殺しちまいそうな勢いだぞ。いいのかよ? ヤバいんだろ、殺しちゃ。

ここまで相当な手間かけておいて、こんなところでパーになるなんざアンタらにゃシャレにならんだろ」

「言われずともわかっておるっ。だが………」

 

 下手に止めようとあの間に入れば―――――――暫くの間、肉の塊の状態から立ち直ることは出来なくなる。

 長年の培われた生存本能の警告が頭痛にすり替わらんばかりに、上弦の頭の中に響いていた。

 

 

 誰も間に入る事が出来ない中、黒と蒼のぶつかり合いはその激しさを増していく。









 だが、その終結は思いの外近いところまで来ていた。

 














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