逃がすまい。
離すまい。
ようやく捕らえた獲物を執念めいた光でギラついた眼で三途は見据えた。
三途の途切れ途切れの、されど揺らぎの無い決意を感じる言葉に、男は信じられないものを見るような目を向け、
「……、……生きて帰るのではなかったのかっ」
男の言う言葉は、三途の意志から外れたものではなかった。
ほんの少し前までは、それに対し未練があったのも事実。
だが、
「…………そうしたかったん、ですけどね………まぁ、貴方を逃がすくらいなら俄然こっちですよ………」
「っ………命が惜しく無いのか」
命が惜しい。
直後、三途はきょとん、と目を丸くした。
そして、その響きに三途は己の喉の奥からおかしさが込み上げてくるのを感じた。
「………命が惜しい? ………ぁ、ははははははははははははははははははははははははははははははははっ」
三途は声を出して笑う。
ヒューヒューと喉を鳴らしながら、おかしくて仕方ないとばかりに。
男は気が狂ったように笑う三途を怪訝な眼差しで凝視し、
「何がおかしい」
「………くくっ……貴方の質問がですよ………もう、私にとって………その言葉ほど馬鹿らしいものなどありませんから」
おかしい。
おかしくて仕方ない。
三途は笑いが堪えられなかった。
それは嘲笑でも渇いた笑いでもなく―――――――ただ、純粋におかしかったから笑った。
一頻り笑い切ると、三途は口元の笑みとは裏腹の鋭い眼を男に向けて、馬鹿らしいと評した先程の問いに答える。
「―――――――答えは肯定です。………惜しくなどありませんよ………もはやこんな命。…………だって、私は」
―――――――度死んだ身ですから。
◆◆◆◆◆◆
三途の言葉に男はますます顔を顰める。
「……死んだだと? …………貴様、今度は一体………何を」
「ああ……勘違いしないで下さいね。死んで甦ったとか、肉体的な死ではあり……ませんよ?」
「………巫山戯ているのか……」
「いいえ………では、逆にお尋ねしますが…………―――――――生きるって………【生きている】ってどういうことですか?」
突然の問いに男は答えない。
それをいいことに三途は己の言葉を続ける。
「脳が動いていることですか? 心臓が鼓動を打ち続けることですか? …………違いますよ、そんなの……を………繰り返しているくらいじゃ…………生きているなんて
言わない………ただ、【在る】だけです。…………人はね………笑ったり、泣いたり………怒った、り………苦しんだり………外部から入り込む事象に感情を揺れ動かして
表情を変えて…………生きる事に……目標や目、的………夢を………持ったり、誰かといる事に喜びを感じたり……しながら、………人生を歩むことで【生きている】こと
を自覚して、証明するんです、自分に………」
身体が動き、命が宿ることが、それが【生】であっても、【生きる】ことを立証することにはならない。
二十四年という月日の中で存在してきて、三途はそれを自らの【生】を以てして知った。
「………私は、そういった意味で六年前に死んだんですよ………二年前、息を吹き返すまで…………私は死人だった………ただ、彷徨うだけの………」
六年前のあの日。
三途は生きる目的、希望の全てを奪われ、失い―――――――【死んだ】。
それからは死人として、ただ意味もなく世を彷徨っていた。
死ぬ事は出来なかった。
『生きろ』
あの日、最期に【彼】が告げた―――――――呪い。
彼は己を【――――した】事に対する罰を三途に科した。
そして、立て続けに訪れた絶望。
彼が遺した少女を守る事で償おうと、残る人生を全て注いで生きようという願いすら奪われた。
何もかもを失った。
【復讐】も。
【恋心】も。
【希望】も。
【贖罪】も。
残った絶望の闇の中を、ただ一人歩む以外に何も無くなった。
四年の月日を虚しさと孤独を抱えて、過ぎる日々に三途は身を任せていた。
それに終止符を打つ日が来るなどと、思いもせず。
―――――――【彼女】が、己の前に再び現れた二年前のあの日まで。
「貴方が狙う【彼女】は………私にもう一度人間としての【生きる】実感………【命】を与えてくれたんです。灰色だった世界に色鮮やかな色彩を………感情を揺り動かす
ということを思い出させてくれたんです………」
今思い出しても、鮮明に記憶は映る。
自分が知っている幼い面影はなかったけれど、その立ち振る舞い、言動に―――――――【彼】の面影を感じた。
夢を見ているようだった。
あの時の心が打ち出した気持ちは、まさにそれだった。
もう叶いやしないのだと諦めていた自分に、運命は哀れんだのか。
それとも、実はとっくに狂ってしまった自分が作り出した幻なのか。
どちらでもよかった。
夢でないのなら、何でも良かった。
例え、あの頃のままでいなくても―――――――【生きていてくれた】という事実が救いだったのだから。
それからの彼女と過ごした日々は楽しかった。
楽しかった。
楽しかった。
楽しかった。
―――――――楽しい、という意味を思い出させてくれた。
【彼女】から与えられた二度目の【生】は語りきれないくらいに充実していた。
本当に。
本当に。
「………もう一度、言います………貴方は【彼女】の元へなど行かせません………ここで、私と…………死んで下さい」
「何故………そこまでして………」
「何故…………って、………決まってるじゃありませんか。―――――――【彼女】こそが私の全てだからです」
何も持っていなかった三途の唯一となった【彼女】。
あの喪失をもう一度、【彼女】で味わうなど―――――――絶対にあってはならないことだ。
脅威となる全てから【彼女】を守る事。
それが―――――――かつて、【彼女】の幸せをこの手で撃ち抜いた自分の贖罪だ。
「ならば………何故、授かった【生】を無駄にしようとする! ここで捨て去れる程度のものだったのか、それはっ!」
「………違います、捨て去るのではありません…………もらったものを………還す、だけ」
言い終えるその瞬間、ぐらり、と意識が揺らいだ。
もう視界は白くぼやけて、ほとんど見えない。
手足に感覚はとうに無くなっている。
男の方も既に両腕は動かなくなっているはず。
最初に浸食された両脚にはそろそろ崩壊の予兆が出ている頃合いだ。
目標は頂きである脳まで。
それまでに自身を保たせなければならない。
ぱきん、という音が遠くなった耳に僅かに届く。
もう片方の足も砕けようとしているらしい。
「………ま、だ………」
動いているか、もうその実感すらない舌で三途は自身を奮い立たせた。
もう少し。
もう少しだ。
この男を完全に仕留めるまでは、死ねない。
無駄死にだけは、絶対にしない。
意味のある死を。
この命を使って、彼女の為になれることを為すまでは、死ねない。
「………終わり、です…………」
終着を予感し、三途は最期の気力を振り絞り全魔力を総動員させようと―――――――
「―――――――させるかあああぁぁ、この馬鹿女あああああぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――っっっっ!!!!」
遠くなった耳が、確かな覚えのある、されどここには響く筈の無い声が紡ぐ荒々しい音を拾った。