真正面から放った宣言。


 対して、男は大きく皮肉んだ笑みを浮かべ、






「俺を倒し、帰るだと? ………随分と大きく出たものだ、混血如きが。その台詞、再び言えるか見物だな」

「帰るったら帰るんですよ。手加減してくれるなら、いくらでも怪我させてくれてもいいですから。その方が、あとで怒られる量も少ないもので」

「寝言は寝て言え」

 

 命がかかっているこの場でそんな悠長なことは出来るわけないだろうが、と貼り付けた笑顔の下で三途は悪態づいた。

 

「……ふん、まぁいい。その意気込みに免じて貴様に許してやる。―――――――足掻きの先手を」

 

 足掻きは余計だ、と思いつつも正しいのは否定できなかった。



 相手と自分の力の差は恐らく大きいのは三途は充分わかっていた。

 三途の慢心に変じていない理性がそう予想づかせていた。力量だけではなく、男が使い魔の言うとおり生粋のドSであることも。



 完全に絶望させたいのか。

 それとも、最初に衝撃を与えて、そこからじわじわと堕として行きたいのか。
 どっちにしろ、ろくでもない。



 だが、気になるのは、




 ………何だ、この違和感は。 




 言い様のない感覚が三途の中でとぐろを巻いていた。

 明確とはいえないがこれは「居心地の悪さ」に似ている、と三途は感覚から己の答えを出した。

 己という存在を異分子と見なされ、周りから拒絶されているような気分だ。 

 そういえば、とピチョン、と足元で響いた水音で別の観点に移る。

 視線だけを下げてみれば、足元に溜まる赤黒い水溜りがあった。三途の胸から流れ出たものだ。




 ………傷が塞がらない。




 違和感。



 半妖の身にはほぼ五分に分かれてカミの血が流れている。

 世界に流れる霊気を糧とし、不死身に近い肉体を持つ性質であるカミ。

 その血が周囲の霊気を吸収し、負った損害を癒す―――――――それが半妖の急速な自己治癒力の正体。



 三途も過去何度それに助けられたことか。  

 だが、頼みの特殊機能は上手く働かない。

 そして、出血も勢いはなくなったものの、止血の気配は一向にない。




 異様だ、と三途は眉を顰めた。

 何かがいつもと違う。 




 

 ……けれど、一体何が。





 考える。

 考える。

 考える。

 考える。




 ……って、落ち着きなさい私。




 考えればいいってものではない。

 敵は目の前で、いつ何をしてくるかわからないというのに。

 先手は譲るという発言だって、背後からの不意打ちをやってのけた輩の言う事なのだから信じるのは愚行だ。

 

「どうした、半妖。………来ないのか?」

 

 明らかな挑発。

 こちらを舐めきっている態度に神経を波立たせないように精神を震い、三途はついに思い切りに踏み出した。




 ………やらなきゃ、やられる……というわけか。




 考えるよりも行動。

 三途の中で選択は定まった。

 

「………契約を展開す。その身に刻みし名は汝の隷属の印………其が隷属は我が元にあり………」

 

 三途の立つ場所を軸に周囲に吹き巻く風。

 それは召喚の前兆だ。

 ここに喚ばれるモノが降り立つ足音として。



 呼びかけは続く。

 

「支配者たる我が()び出しに応えよ―――――――来たれ、我が下僕!」

 

 叫びと共に、三途の足元が青の光を放ち出し、光が紋様を描いていく。

 円を描くように瞬く間に書き綴られていく紋様は魔法陣を形成する。

 バシャリ、と濡れてもいない地面で水の跳ねる音が発せられたかと思えば、次の瞬間には三途の姿さえも隠す勢いでその足元から大量の水が天に向かって噴き上がった。

 それを見て、男は感心したように口を開き、

 

「ほう……随分と上等な(ミズノ)精霊(タミ)を従えているようだな」

 

 男の見据える先で、噴き出る水の柱は既に無く。

 あるのは、三途の周囲に漂う女性の姿を象った水―――――――精霊だ。

 

「イギリスにいた頃に、使役した精霊でしてね。ブリテンの騎士王に【王者の剣】を貸し与えた湖の貴婦人です。気位が高さと私の若さの短気もあって、少々荒っぽい契約

の結び方をしましたが」

 

 ねぇ、と水の貴婦人に声をかけると、貴婦人はその時のことを思い出したのか眉間にしわを寄せて、不自然なまでに美しく整った顔を歪ませた。

 戦いに負けてしぶしぶ服従したものだから、仕方ないといえば仕方ない。

 ヘソを曲げる精霊に苦笑いしつつ、前を向き直る。

 

「自分の魔力に自身がないというわけではありませんが、貴方ほどの存在を相手に慢心している場合ではありませんからね。……彼女の力を借りて、譲ってくださった先手

を打たせていただきますよ」

 

 言い切り、口を閉ざす。

 そして、意志を精霊へと伝える。

 精霊はそれを感じ取り、姿を変貌させていく。

 人の姿が崩れ、水の塊へと変わった精霊は大蛇のようにうねりを見せ、

 

「かの偉大なる王に剣を授けた清き水の乙女よ……今再び汝の身を以ってして王者の剣を顕現させることを―――――――我、下崎三途は命ず!」

 

 命令が下された精霊は、三途の言葉に準えるように己のカラダのあらゆる場所から無数の水の剣を生み出した。

 全ての剣先が男に向けられる。

 

「考えたな………純血のカミによる攻撃なら、たとえ同じ純血が相手であっても無事では済まない」

「わかっているなら……―――――――黙って全て受けなさい!!」

 

 三途が張り上げた声と共に、無数の剣も一点を目掛けて一斉に引き絞られた矢のように放たれた。

 水の剣の猛攻が男へと凄まじい勢いで迫る。

 が。

 



 ………何故、動かない?



 

 三途は男が回避するどころか、一歩もそこから動こうとしないことに目を見張った。



 避けるまでも無い、というかのようなその慄然とした佇み様。



 だが、この水の精霊は、生まれながらの聖なる湖から発生した生まれながらの高位のカミ。それも相当の年月も積んでいる。

 そうとなれば、同じ純血同士であることも重なって傷つけることも可能であり、上手くいけば殺すこともできる。



 しかし、三途の目に映る男の余裕は微塵も揺らぎを見せない。

 それは、もう目の前まで脅威が迫っても変わらない。







 そして―――――――









 ◆◆◆◆◆◆









 

 公園の敷地に踏み込んだ。

 途端、千夜の周囲に満ち始める異変。 

 それは、景色を覆い隠すほどの濃霧となって目の前に現れた。

 唖然と、千夜は呟いた。

 

「何だ、この霧は………周りが全然見えないぞ」

 

 疑問に対し、答えたのは腕の中で焦げ臭い匂いを放ちながらぐったりとしている黒猫―――――――BSだった。

 

「君に対する……対策(トラップ)だよ。勘づかれて、ここに来られた場合のね」

「大層なもん仕掛けてくれたな。お前ら、ここまでして私に隠れて何しようとしていたんだ」

―――――――玖珂蒼助を、殺すつもりだった」

 

 迷いの無い台詞に、千夜の放つ空気が張り詰めるのをBSは感じた。

 それは驚愕か。それとも怒りか。

 殺気に至っていないのが、せめてもの救いだった。

 

「………怒るのは、まだ待ってくれ。理由はあるんだ、それだけの動機は」

「………言ってみろ」

 

 感情を押し殺したことから来る無感情な声色がBSに先を促す。

 言われるがままに、黒猫は口を開いた。

 

「三途は初対面から………彼の何かに気付いていた。そして、その直後に僕に命じたんだ―――――――彼の監視を」 

「………それで?」

「その時点では、三途もどうにかしようなんて考えていなかったと思う。……けど、昨日」

 

 言葉を途切らせ、BSの視線は己の前足の片割れへと下げられた。

 

「………この足、昨日メタクソにやられたんだ。………あいつに」

「………アイツ?」

 

 何の話をしている、と言いかけた千夜の言葉を遮り、

 

「初台に足を伸ばした買い物帰りに、公園寄っただろ。見てたよ。君が眼を離した……ほんの一瞬の時だったけど………【玖珂蒼助ではない何者か】があの身体を使った」

 

 千夜は、歩みを止めた。  

 脳裏に過る青の残影。

 ただ一度の邂逅に過ぎなかっ瞬間に焼き付いた色彩だった。

 一度であっても、その男の鮮明な青色は記憶に焦げ付いて離れずにいる。

 

「しかも、大神級の純血だ。半端じゃない力の持ち主だよ。…………そんなのが、何で人間の躯なんか手に入れようとしてるのかはわからないけど…………君を狙っている

ことは、向こうの口から証明されている」

 

 BSの言葉は限りなく近くから発せられているのにも拘らず、その声が千夜の耳にはとても遠く聞こえた。 

 

 腕の中の黒猫を負傷させたという。

 三途を窮地に追いやっているという。



 そして、

 

―――――――奇妙な夢、見てんだ………』

 

 夜中に起きた蒼助が語った夢。

 

―――――――……【あいつ】が現れるんだ』

 

 瞳の中の不安を揺らして、脅えながら話していた話の中に出て来た蒼助に―――――――『沈め』と呪いの言葉を投げかけてくる夢の中の何者か。

 肉体そのものを焼かんばかりの熱による責め苦を蒼助に科した―――――――顔も知らない誰か。

 全てが一つの答えに集束していく。

 一つの記憶にある存在へと。

 

 かつては、己を救った青色の男へ。 

 

「……千夜?」

「………クロ、三途の霊波はどの方角から来ているかわかるか」

「え……うん、えっと………こっちだよ。こっちから三途の存在を感じる」

「よし、いくぞ」

 

 そう言って、千夜は霧の中をB.Sの言葉だけを頼りに進み始めた。





 脳裏に、青の男の残影を掻き消せないまま。


















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