その瞬間は、自分の胸に咲く毒々しいまでに紅い花の意味が三途には理解出来なかった。
だが喉から込み上げて来る嘔吐感が、胸から突き抜ける紅い腕が―――――――全てを瞬時に理解を促す。
勢い良く引き抜かれる異物。
同時に杭となっていたそれを失ったそこからは、真っ赤な噴出が起こる。
「……がっ」
口から溢れ出した赤黒い体液は、紛うことなく三途自身のものであり、水音を響かせて地面を染める。
出血と共に抜けていくのは全身の力。
がくん、と力を失くした膝が地面に落ちる。
「……ぐ、ぅ」
遠のこうとする意識をすんでのところで繋ぎ止め、傾きかけた上半身を咄嗟に地面に立てた腕で支える。
鉄の味と臭いで満たされた口内にある舌を動かす。
「どう、し……て」
首だけ動かし、背後に立つ男を見る。
男は赤く染まった腕に伝う雫が落ちていくさまを見つめながら、口を歪めた。
そこに、自分が知っている青年の面影は存在しない。
「何故? 当たってもいないもので死ねとは奇異なことを言うな、貴様は」
と、指先に何かを挟んで見せてみせる手には、小さな金属の塊。
三途が男の心臓に撃ち込んだはずの―――――――今は歪に拉げた銃弾だった。
「まさか……確かに当たったはずっ……、」
「なら、もう一度同じ事をしてみたらどうだ。―――――――今度は、頭を狙ってみろ」
皮肉がこもった言葉と共に、とんとん、と男は己の額を人さし指で叩いた。
挑発であることは明らかだった。
「………っ」
ぬるついた手で、一度は収めた懐の拳銃を取り出す。
震えに妨げられながらも標準を定め、引き金を引いた。
言われたとおり、額を狙い、真偽を正すべくその行き先を見届けるべく視線を釘打つ。
が、放たれた秒速の弾丸は目標を寸前にして動きを止めた。
「っな……!」
勢いを失った弾丸は力尽きたように落下に、男の手に受け止められる。
「………今のは、【概念防壁】?」
弾丸が止まった瞬間に、見えた一瞬の不可視が可視に変わる場面。
その刹那に三途の視覚は光の壁を確かに捉えた。
「……純血のカミのみが行使可能の概念使用。………やはり、貴方は」
「ふん、人間にしては博識だな………いや、―――――――ヒトではないな、貴様。混じり者ながらの丈夫に出来ているようだ。……さすが、曲がりなりにも我らよりという
ことか…………【混血種】」
「………っ」
自分が純粋な人間でないことを、僅かな間で見抜いていたようだ。
「こんな安易な概念の被いしか施していない鉛球で、吾を殺す気だったのか? ………小僧に対するせめてもの報いのつもりだったか」
人間として、せめて。
その気で三途は、ほぼ拳銃単身のみを使用した。
「………見事に仇となったようでしたがね。余計な情けを……かけてしまったものです」
傷の激痛を口の中で噛み殺し、三途は地面から膝を何とか離し立ち上がる。
胸に空いた穴は、まだ半分の修復できていない上出血も止まっていない。
虚勢でしかないが、しないよりはいい。
「お初にお目にかかります………と、いっても………使い魔の有様を見てからは、出来れば御免被りしたかったのですが」
今となっては心底そう思う。
三途は自嘲じみた笑みを貼り付けて、内心で吐いた。
「…………それが、貴方の本性ですか?」
向き合った相手は、異なる姿へ変貌していた。
衣服はそのまま。変わったのは髪と二つの瞳の色。
短かった髪は腰先まで伸び、瞳と同様に鮮やかな青へ塗り変えられていた。
纏う装いに対する違和感など掻き消してしまうほどに、神秘的なまでに美しい色鮮やかさ。
「こんな状況でなんですが…………綺麗ですね」
場違いであると、わかってはいても見惚れてしまう。
幻想的に浸ってしまうまでに、現実離れしている存在。
神秘は不敵に哂う。
「いい加減聞き飽きた誉め台詞だな。いっそ貶された方が幾分マシだ」
「………捻くれてますねぇ。だから、人間にとり憑こうなんてナナメ目線な行動を起こせるんですかね」
本当に何を考えているのかわからない。
脆弱な造りの肉体であるヒトに、次元違いのカミが乗っ取りを図る。
そこに何の利益があるのか、傷の修復の時間稼ぎとしなくても知りたい気持ちが三途にはあった。
対して、男は目を細めると、
「……く、」
口端を吊り上げ、笑みのつくった。
そして、大きく声を張り上げて高笑い。
「………何が、おかしいんですか」
「ははははははははっ、………貴様、取り憑いただと? 全く、見当違いもいいところだ、このうつけが」
「………?」
見当違いとは、一体どういうことか。
自分は何を取り違えているというのか。
三途の思考に混乱が生じだす。
「貴様の言うとおり、そんなことして何の得がある。吾がそんな物好きではない」
「………はっきり、言ってくれませんか?」
苛立ちを口調に浮き彫りにさせる三途に、男は悠然と言い放つ。
「ふっ……この肉体は元々俺のものだ。それを取り戻しただけのこと。何の問題がある」
意味を理解り兼ねた。
何も言えずにいる三途を見て、男は更に続ける。
「理解できないか、半端者? この身体は吾が母胎から授かったモノだ―――――――すなわち」
男は胸に手を当て、決定的な言葉を紡ぐ。
「―――――――俺は人間だ。元・カミのな」
◆◆◆◆◆◆
異常の起こる代々木公園を通行人は平常のそれと変わらないと、そう思って通り過ぎていく。
それも当然。
外から見れる敷地内には不気味なまでの人気の無さもなければ、人の注意を惹きつけるような騒動が中で起きているわけでもない。
至って普通の日常の風景がそこにあるだけなのだから。
そんな中、一人の少女が代々木公園前に向かって走り寄って来る。
その腕には、ややぐったりした黒猫が抱えてられていた。
長いポニーテールを揺らしながら駆けていたその足は、公園の入り口を前にして止まる。
「………ここか?」
こくり、と黒猫―――――――B.Sが首を縦に振る。
公衆の前で人語を話すわけにはいかなかった。
千夜の鋭くなった眼が公園を見据える。
「公園全体を結界で隔離したのか。………三途め、真っ昼間か非常識なことをやらかしやがって……」
「………君に非常識とだけは言われたくないだろうにぐえぇ」
ぼそり、と腕の中で独り言を吐いた黒猫を腕で締め上げつつ、
「中で何が起こっているかはここからではわからんが………行くしかないな」
「で、でも、結界が」
「俺には、夜叉姫の概念加護が常にある。すり抜けていくくらいわけない」
「………僕は?」
訪れる沈黙。
破ったのは、異様に陽気な千夜の声だった。
「さー、はりきっていくぞー」
「なにそのカラ元気な陽気さしかない棒読み口調はぁぁぁ―!!」
激しい抵抗を見せる黒猫をがっちり腕に挟んで、千夜は前進。
中に入る瞬間の謎の「にぎゃーっっ」という悲鳴に通りかかる人々が振り返ったが、それらしきものが見当たらずそれぞれが奇妙な思いをした。
◆◆◆◆◆◆
驚愕に、三途は自身の目が大きく見開くのを自覚した。
「………そういうことか……いや、しかし何故」
世界には輪廻転生の法則は敷かれている。
ありとあらゆるものが、来世へ無数の可能性を有している。
異種混合によって、生まれながらにして禁忌という罪を背負わされた存在である―――――――【混血種】を除けば。
カミがヒトに転生し、ヒトがカミに転生することも有り得ることだ。
ただここで修正が働く。
転じるということは存在が変わること。かつてあった全てが、ただの記憶となり深層意識の奥深いところへ押し込められ、本人が思い出すことはない。
たとえ、過去にカミであったとしてもヒトに生まれ変わったというのなら、かつての力もその現世においては何の意味も成さない。
だが、
「………ありえない、前世の記憶と力をそのまま遺してあるなんて……一体、何故」
驚愕に染まる三途の唖然とする言葉に男は答える。
「おかしい、のも当然か。何しろ正規に沿って手に入れた生ではないからな」
「………それは、」
「―――――――古に為された契約によって、吾はヒトの体に産まれ落ちた」
契約?と三途は口の中で一部の言葉を舌で転がすように呟いた。
僅かに遠い目をして男は語る。
「かつて、吾は人間の男と契約を交わした。男は己の願望を叶えるべく。……そして、吾自身にも願いがあった。無償で叶う願いなどない。祈ったところで、誰が聞きとめ
ようか。………それゆえに、吾と男は互いに願いを叶えることした。幸い、我らは相手の欲しいモノを持っていたからな………」
焦らすような説明に三途は耐えながら、次を待つ。
「欲していたモノ………男は力、吾は……―――――――人であること」
「先程人間の身体を欲するほど物好きではない、とご自分の口でおっしゃっていませんでしたっけ………?」
矛盾している言葉を指摘すると、
「肉体はな。………求めたのは、その生だ……終わりある、短き生を」
尚の事奇妙な話だと思う。
カミの殺されない限り続く悠久の命は、人間には人間であるからには絶対に得られない高嶺の至宝。
そして、カミはそれを生まれた存在としての誇りにしている。
それをこの男は捨てた、と。
「貴方のようなタイプはそれこそカミであることを誇りにし、人間を見下す難儀な性格だと思うんですが…………いろいろ変わった趣向をお持ちでいらっしゃるようだ」
「………哂うか、このような愚かな望みを持った吾を。吾とて、以前は貴様の言うように、人間などコチラから見れば刹那の生しか与えられなかった蝉のような存在だと
見下げていた。だが、長い時を用意されていると、自分でも予測できなかったことは否が応にも降りかかるものだ。……永遠を煩わしい、などと思うようになることも」
一瞬、男の口調に憂いが混じる。
しかし、感じた違和感を即座に覆い隠すかのように、男はふてぶてしい態度へ戻った。
「そこへ、ちょうどよく現れてくれたものでな。………契約は為された。吾は人間の生を手に入れ………男は力を手に入れた。力だけはな」
浮べる笑みが酷くあくどい。
その手口に、あっさりとそれに乗った前世の彼に、呆れてしまって三途は渇いた笑みを口端に乗せるしかなかった。
「それにしては…………うっかりさんが相も変わらずいるようですが」
「先ほどまではな。貴様のおかげで、ようやく契約に背いた痴れ者を完全に制圧することが出来た。………ヒトのくせになかなかしぶとかったからな。少々骨が折れた」
「貴方に責められたくはないでしょうに………まぁ、私もなかなか痛いところではありますけど」
これほどまでの桁違いの存在に人間である蒼助は必死で抵抗し、自我を保ち続けていた。
そのギリギリのバランスを崩してしまったのは、他ならぬ自身であることを述べる青きカミの言葉が、身体ではない別のものを深く抉る。
結果、蒼助は消えてしまった。
罪悪感が内側から染みて行く。
唇を強く噛み締め、自ら生み出した痛みで弱気になった自分を引き戻す。
「………ですが、これでもう何も躊躇する必要はなくなりました。今度は私の質問に答えてくれませんか?
―――――――貴方の目的が何なのかを」
「……知ってどうする」
「そうですね。私の大切なモノにさえ関わらなければ、どうもしません。ヨソんちのことは関係ないのでお好きしてください」
「随分とあっさりしているな」
「触らぬ神に祟りなしですからねー。……世界の危機が絡んできたら、さすがに首突っ込みますが。この世界で、彼女と生きていくには関わりますからね」
「ふん…………貴様の言う大切なモノとやらに関わるようなら、どうする」
笑顔のまま三途は答えた。
「邪魔させてもらいますよ。でなければ、彼を切り捨てた意味もない。私の存在にも意味がなくなりますから」
「なら案ずるな。心配せずとも、どう足掻こうと貴様の存在意義はまもなくしてなくなる………この場でな」
それは、生かしてここから帰さない、という宣言だったのは聞くまでなかった。
ただではすまないというのは、充分理解していた。
人間に転じているとはいえ、転生前の記憶や力を保持しているような相手だ。
実力もまだ底知れない。不安要素だらけの中に確実な勝機を見出せない。
だが、だからといって諦めるわけにはいなかった。退く気もない。
『―――――――サンちゃん』
幻聴。
不意に聞こえたそれは幼い舌ったらずな声。
懐かしさと、過去の罪を思い起こさせる。
「ご冗談を。私はこんなところで死ぬ気なんてさらさらありません。守れなくなってしまうじゃありませんか、彼女を……」
約束を、と小さく付け足す。
「貴方には悪いが、彼女には指一本触れさせません。私も、ここで終わりもしない。
命以外の対価ならいくら払ってでも、貴方を倒して、帰ります―――――――彼女の元へ」
今だ痛みやまない胸を押さえつけ、もう片方の手にある拳銃を力強く握り締めた。