「………撃っちゃったわねー」
「………撃ちましたね、とうとう」
同じ光景を見て、同じ感想を述べる大小の存在。
少女と大男―――――――黒蘭と上弦だ。
見つめる先と台詞が同じでも、反応はそれぞれ違った。
一切の動揺の無い黒蘭。上弦の方もそうだったが、その表情は何処か沈んだ色を滲ませていた。
「貴方の計画通りではありますが………本当によろしいのですか、これで」
「愚問ね」
「…………自分は嫌でございますぞ。あの方の相手をするのは……」
「本当に嫌そうね。どれくらい嫌?」
「貴方とガチで殺し合うのと同等でございます。選択肢として出されたら、負け犬のレッテルと生涯貼られることになろうとも土下座の道を選びます、微塵も迷わずに」
真顔で答える上弦の表情は真剣そのものだ。
「あの男と同じ扱いっていうのは気に喰わないけど………まぁ、いいわ。
―――――――さて」
黒蘭の出だしに何かの予兆を感じた上弦はすかさず、
「行きますか」
「いいえ、ここでもう少し様子見。向こうからのアクションがあったら、志摩を迎えに行きましょ」
「………何故ですか?」
「だって、三途に痛い目合わさなきゃ。自分の度量ってものを一度再確認させる絶好の機会だもの。一石二鳥、これ以上のタイミングはないわ。いい? 文字通り絶体絶命
ってとこで行くのよ?」
「…………自分は貴方は最低最悪のサド野郎だと思いますが、間違っているのでしょうか」
「野郎じゃないわよ」
サドは否定しないのか、と相手が自覚ありであるというタチの悪い事実に上弦は頭を項垂れて、黙った。
ふぅ、と一息をつき黒蘭は眉を顰めた。
困っている、といったそんな顔だ。見た事のない珍妙な光景に上弦は酷く戸惑った。
「ど、どうなされました」
「困ったわ……」
全てを手の平の上で操るような女が何に困ると言うのか。
上弦はゴクリと息を呑み次を待った。
すると、
「……………殺さないように気をつけるって約束したんだけど………自信無いわ。あの男の顔見た途端、理性飛んじゃうかも。どうしましょ、ねぇ上弦」
「………………努力して下さい」
◆◆◆◆◆◆
匂い立つ硝煙。
嗅ぎ慣れたはずのそれが、いつになく三途の中で不快感を募らせる。
己の得物がこの悪臭を放つ時は、それが役割を一つ終えたその時。
銃は今とてそれを使い手の意に従い、果たしたまで。
そうさせた三途も、慣れた行為をまた繰り返しただけのはず。
なのに、
「…………っ」
目の前で倒れる男の姿にショックを受けている自分がいた。
俯せに倒れている日本人にしては色素の薄い黄土色、下手をすれば金髪にすら見える短髪の男。
ピクリとも動かない。
当然だ。
僅か十数秒前にこの男の生命活動は停止した。
他ならぬ三途の放った鉛玉によって。
「………手が……」
身体の違和感に不審を感じ、見れば銃を持つ手が震えている。
為した行為への恐怖、そして罪悪感を表しているのは如実だった。
何故、と三途は自身に問う。
初めてとは到底言えない所業。
今まで何度も繰り返してきたことを、さっきもまた行っただけだ。
………それだけなのに。
一番大事なものを護る為に、それ以下であるものを切り捨てた。
出会ってそう日が経たない相手。
接触したのも、二、三度程度。
ただそれだけの人間。
だが、
「………そうとも言えないか」
今死んだ本人は知らないだろうが、三途と蒼助の縁はそれだけではない。
少なくとも、『彼の両親』とは。
千夜の両親と同じく、浅からぬ因縁を持っている。
「あーあ………怒られちゃうな、あの二人に」
決意づく前に迷いはあった。
彼が『玖珂』と名乗った時は、顔を見た時は、内心驚いた。
父親の性に母親にソックリの顔。
間違いなく、彼の出生を辿った先に『かつての知人』が居ると確信を得た。
間接的な再会。
だからだろう、自然と彼に心を開いていた。
志摩からよく指摘される。
『お前は人殺しには向いてねぇな。………喫茶店の店長の方が俄然天職だから、早いとこ辞めとけ』
反論は出来なかった。
非情に徹せない。
下崎三途に殺せないものはこの世に二種類ある。
一つは年端もいかない子供。そして、二つ目は自らの至上の存在である『彼女』。
それ以外は何とか殺せる。
たとえ、それが親愛の感情を持ってしまった相手であろうとも。
後に来る胸の幻痛を覚悟すれば。
「っ」
胸を突き刺すような痛み。
無論、実際に痛んでいるのではない。
罪悪感に苛まれた良心が作り出す偽りの痛みであると、あのセクハラ霊能医は言っていた。
それはあの日を境に襲うようになった。
三途の人生において『特別で大切だった人』をこの手にかけたあの時から。
そして今度は、大切な人の特別になるかもしれなかった男を。
その死と自分の行いを知った時、彼女はどんな表情で自分を見て、どうするのだろう。
「泣かれる、かな。………ビンタは……痛いだろうなぁ」
独り言と共に口から出た酷く渇いた笑い。
鏡があったら目にする自分の顔は、酷く情けない顔をしているに違いない。
「ねぇ……蒼助くん」
どうして、君だったのか。
もし、君がどうしようもない悪人であったなら、もっと冷徹に事を為せただろうに。
それこそ利己的なこの理由を貫き通して。
彼女の傷を癒しながら育つはずだった淡い恋を摘むことに、こんなに罪を感じることも―――――――なかったはず。
返事を返すこともない男の屍から振り切るように目を強く閉じ、背を向ける。
「―――――――さようなら」
静かに、己の胸の奥に刻み込みように永遠の別れの言葉を告げた。
しかし、決して謝ったりはしない、とそれ以降は口を噤む。
自分の信念を、彼の死の意味も濁したくはなかったから。
踏み出す歩みは、彼の存在を過去にしていく秒刻みの時間の経過。
三途は、ゆっくりとそれを踏み出そうとした。
「―――――――何処へ行くつもりだ?」
結界によって特殊な空間として隔絶された空間には、三途一人のはずのそこに響いた声。
先程、ただの物を言わない屍へとなった彼を除けば、一人だけのはずだった。
しかし、耳元で聞こえた問いかけは聞き間違うことなく。
この手で殺したはず男の声。
振り返ることすら出来ずにいる三途に、男は再び口を開く。
「まだ、何も終わってはいないぞ?」
ずくん、と心臓が大きく脈打つ。
それは、本能が心臓を通して伝える危険信号。
振り返る―――――――前触れとして視線がその方へ向かう。
―――――――ドシュっ
突き破るような音。
そして全身に痺れるように伝わるその感覚。
胸が熱い。
その暑くなった中心には異物があり、その代わりに何かが急激な速さで抜けていく。
見下げた胸には、濡れた赤の華が咲いていた。
◆◆◆◆◆◆
突然のことだった。
突き刺すような痛みが、心臓に襲いかかった。
「―――――――ぐっっ!!?」
苦痛の呻きを挙げて前足を折って地面に蹲った黒猫の異変に、千夜が気づき、
「どうした、クロっ!?」
「っ………あ、三途………」
顔を歪ませながらも呟いた名前で、この事態に何が関連しているかを千夜はすぐに察した。
「主従の契約は、片方に何か降りかかった場合はもう一方にもその影響が及ぶ……だったな。……三途に、何があったクロ」
「………」
「クロ」
「…………どうやら、三途も僕も見測り損ねたらしいよ。彼という存在を」
何のことを言っているのか、わからなかった。
だが、三途が誰と出かけて行ったのかを思い出す。
彼の残像が千夜の脳裏を過ぎる。
「お前ら、一体……」
「……っ……彼は、無事だよ。………僕がこの状態であるから………代りに、三途が危ないようだけど」
おそらく失敗したのだろう、とB.Sは踏んでいた。
三途は気を許した一部の人間には甘いところがある。
玖珂蒼助はその類となってしまい、踏み切れなかったのだろう。
もしくは、相手がこちらの予想を遙かに上回る存在だったかだ。
悔いても仕方がない。
この心臓を痛みは、相当の深手を負わされたことを証明している。
「行かなくちゃ………さん、ず……っ」
息をするだけでも激しい激痛が胸を射抜く。
それでも行かなくてはならない。
主の元へ。
使い魔としての忠義からではない。
そんなものよりもっと重く深いな感情がB.Sを突き動かすのだ。
唯一無二の大切な女性の元へ行け、と。
その時、不意に身体が何かに引き上げられ、浮く。
「………千夜」
「場所は」
「え」
「場所は何処だ。使い魔ならわかるんだろ? 連れて行ってやるから案内しろ」
ふぅ、と頭痛げに片腕にB.Sを抱いて額を押さえた。
「ちゃんと、後で説明しろよ……」