移り変わった風景のあとに現れたのは今度ははっきりと見覚えのある光景だった。

 蒼助が立っているのは玖珂の武家屋敷だ。

 その中に建てられた、玖珂家の墓地。

 そこは玖珂の血を引く者のみが骨を埋めることを許された地。



 だが、何故此処なのだろう。



「今度は一体………」



 数多くの立派な先祖たちの墓石が立て並べられている中、蒼助は一つの墓石の前にいた。

 一際小さく、みすぼらしくすら見えるそれは、蒼助にとって酷く覚えのあるものだった。



 忘れるはずのない。

 何故ならこれは、



「………ああ」



 母親の墓だ。



 一族の墓地に入れることを最後まで反対された父が、小さく、ひっそりと墓地の隅に建てたのだ。

 よく見れば、角が少し欠けている。


 原因に覚えがあった。

 他でもない【蒼助自身】がやったのだ。

 加減を考えず、自身が痛みを受けることも無視して思い切り蹴飛ばしたのだ。



 母の死に皆が泣いていた。

 父親など一生分の涙をむせび泣いて。

 滅多に笑顔を崩さない迦織も静かに涙を伝わせて。

 声を押し殺して泣く者、人気のないところで泣く者、或いは声を張り上げて泣く者。

 生きている間散々騒ぎを起こしていた独裁者のような女が死んだことを、誰もが悲しんだ。



 けれど、蒼助だけは泣かなかった。

 悲しみを勝る感情(モノ)があった。

 怒りとやるせなさ、そして喪失感だ。

 最期まで勝手に気ままに生きて勝手に死んだ母親を、何者にも縛られず我が道を生きる様に焦がれたその相手を、この時蒼助は初めて恨んだ。



「……アンタがこんな風になってやっと気づいたんだよな……俺、アンタが大嫌いだったけど、アンタみたくなりたかったんだ………」



 彼女に一人前と認めてもらうこと。

 それが自身の【志】だったのだ。



 皮肉にもそれを奪った人間は、同時に与えた人間でもあった。

 その死によって、永遠に失った。

 胸にぽっかり穴が空いたような気分だった。

 半分自暴自棄になりながらもその穴を埋められる代わりとなる新たなそれを見つけようと思った。



 しかし、どれも空いた穴を塞いでくれる代物ではなかった。



「そういや聞いてなかったよな。………志がそんなに大事なもんなら失くしたらどうなるかって…………こんなことなら聞いときゃ良かったな」



 だが、母が生きてきた頃と今の自分を比較すれば、自分なりに答えは見出せた。



 定めた【志】が砕けた時、訪れるのは死だ。

 命がなくなるわけではない。

 だが、人生は死ぬ。



 志が人間の価値を測るものなら、それを失えば無価値、死んだも同然だ。

 いわば、自分は死人だということだ。



「そういや俺………」



 此処に来て、ようやく記憶が明確な形を描き始めた。

 確か、深夜に眠っていた時に【あの男】が起こす高温の熱と痛みに襲われたのだ。

 熱と苦痛をどうにかにしようと、浴室まで移動したところでついに力尽き、



「………死んだのか?」



 ならばこれは過去ではなく、










―――――――走馬灯でもないわよ?」










 心を先読みした如くの声が蒼助の背後で響いた。

 振り返るとそこには、



「お前は………」



 その姿を決して多く見たわけではなかった。

 だが、二、三度しか目にしなくてもその姿はそう簡単には忘れられないだろう。

 漆黒に彩られたその姿は。



「黒蘭………?」

「はぁい、元気してたかしら?」



 手をひらひらと振る黒蘭を本物と認識した蒼助の思考が、再びパニックを起こした。



「な、何でここにっ!? つーか、何でお前っ?」

「そ・れ・は・私がカミ様だからっ♪」

「答えになってねェっ!!」



 いたずらっぽく笑う黒蘭は名も知らない先祖の誰かの墓石に座っていた。



「おい、それ一応俺の先祖の墓石なんだけどよ」

「構やしないでしょ。どーせ、貴方の【記憶の断片】の中だもの」

「俺の、記憶の断片?」

「そ。貴方がさっき見た光景もこの光景も……全て貴方の記憶を映し出したモノ」



 あの母親と自分も過去の映像。

 これで、向こうにこちらの存在を認識されなかった理由とこの事象の正体も納得が行く。

 だがしかし、一つ腑に落ちないのは、



「俺、死んだのか?」

「私もそう思って貴方の深層意識に入り込んだのだけど………違うわ、貴方は生きてるわよ」



 その言葉が与えた安堵は、何故か少なかった。

 僅かではあるが、落胆すらあった。



「ちょっとヤバイかとらしくもなく焦ったけど………今回の事で大分貴方(・・)たち(・・)の状態が把握出来たわ。思わぬ収穫って奴よね」

「……なに、言ってんだ?」

「こっちの話よ」



 にっこりと微笑んだ笑顔は、それ以上の拘りをきっぱり拒絶する力を持っていた。



「まぁ、いいけどよ。………とりあえず、俺は何だってこんなところに来ちまったんだ?」



 問いかけても仕方のない台詞だった。

 しかし、独り言をぼやいたつもりのそれに思わぬ返答が返ってきた。



「深層意識でふわふわしてた貴方を私が放り込んだからよ。場面を入れ替えしたのも私」

「なっ……」



 驚愕入り混じった蒼助の非難の視線を受けた黒蘭は、事無さげに言う。



「ちょうど良い機会だと思ったのよ。せっかく、こっちの手間いらずで深層意識に落ちてくれたんだから、見るもん見てもらって気づいてもらわなきゃって」



 蒼助は、黒蘭の言う事を何一つ理解出来ないでいた。



 どういうことだろうか。

 見てもらわなきゃならないとは?

 それが何故母に関する記憶なのか。

 疑問が量産されていく。



「あの光景とこの光景が………俺が見なくちゃならないモノなのか?」

「そう、貴方が失ったものの再確認、そしてその誤認を改正するために、ね」

「再確認………? 誤認って……」



 自分が失くしたと思っているものをもう一度改めて認識しろという。

 しかもそれが間違っているから改めろと。 



「とぼけちゃって。………貴方、ついさっき自分で言っていたじゃない。自分が失くしたものについて考えて、自分は死人だ……なんてネガティブな思考に突っ走って浸っていたようだけど。おかげで出るタイミング見つけるの大変だったのよ?」



 心の中まで見透かしたような発言が、答えを促す。



「……俺の【志】……か?」



 確かに失ったものだ。

 だが、誤認とはどういうことだ。



「……オイ。……なにが、間違ってるって?」

「それに関する全部。得た気になって、失った気になっているその考えよ」

「なに、言ってやがる……」



 くすり、と幼い顔立ちが不意に妖艶に笑う。



「貴方は志を失ってなどいない。それどころか手に入れてすらいなかった。それを認識しろって言ってるのよ」



 言葉を聞いた心が吐き出したのは、反論を評する怒りだった。



「勝手なこと抜かすなっ! わかったような口をきくんじゃねぇっ!!」



 ふざけた話だ。

 母親が死んで四年間、自分が彷徨い続けた時間が無意味だと言っているようなものだ。

 何より、何もかも理解しているというその風情が癪に障る。



「カミ様なんだか知らねぇが、俺の事を知りもしねぇで何もかも把握したようなツラするな……っ」

「知りもしないねぇ………。少なくとも、今の坊やよりは知っていると断言できるわ」



 突然、黒蘭が視界から消えた。

 直視の対象の消失と同時に後ろから抱きつかれる。

 白く細い腕が蒼助の首まわりを抱くように絡みついた。

 

「"本当はただ怖かった。裏切られるのが"」

 

 びしり、と身体が凍りついたように固まった。

 表情が強張る蒼助の耳元で構わず言葉が囁かれていく。



「"俺に志について語り教えたおふくろは、その死で裏切りを形作った。俺の中で絶対と信じていたものが簡単にぶち壊された。絶望した。俺が信じていたものはこんなにも脆くて壊れやすいものだったのか、と"」



 やめろ、と小さく漏れた声。

 しかし、それは聴き止められず言葉は続く。



「"それからだった。いくら新しい志になりそうなものを見つけても、必ず恐怖が引き止める。何かを志にしてもその何かにまた何らかの形で裏切られるのではないかと思う。また、あの喪失感を感じるのは嫌だ"」

「やめろ……」

「"だから、全部おふくろのせいにした。おふくろが、俺の志をぶっ壊しちまったから俺は志を永遠に失った。だから、俺はずっと新しい志を見つけられない。そう唱えていれば俺は俺を守れる。もう、あの喪失感を感じる心配も、しなくていい。だって、そうじゃないか。―――――『アイツ』だって、結局は俺を裏切ったのだから"」



 限界だ。











―――――――っっっだぁぁまれぇぇぇぇぇぇっっっっ!!!」












 唸るような絶叫。


 それが空間に轟くと、何処かで()きっと(・・・)()()()()入る(・・)よう(・・)()()()した(・・)



 それは前兆だったのか、次の瞬間に空間は跡形もなく弾け飛んだ。

 まるで、シャボン玉が割れて消えるような―――――――そんな表現が当てはまる形で。



 風景と呼べるものは掻き消える。

 残ったのは何もない―――――――地面はおろか地平線があるのかすらわからない白一色の空間。

 そして、肩で息をする蒼助と、いつの間にか離れ、それを見つめる黒蘭。


 力を失くしたように、その場に座り込む蒼助。

 今度は歩みをもって近づいた黒蘭は、黒いレースをあしらったドレスをふわりと浮かせてしゃがみこむ。

 項垂れる蒼助の表情を伺うように見つめ、



「アレ、見たのね。自業自得でしょうに、人の秘密を盗み見ようなんて無粋な真似するからよ」



 諭すように語りかけてくる黒蘭に、蒼助はいたずらがバレた子供のように拗ねた様子で言い返した。



「あんなもん見つけなくったって………結果は同じだっただろ。ダメなんだよ、もう。………どう足掻いたって、アイツは……」

「あら、そうかしら。そのどう足掻いたって振り向いてくれる望みのないあのコは、今向こうで貴方の為に必死なんだけど」



 は?と顔を上げると、両手を包むように顔に添えられた。



「ダメかどうか諦めるのは、帰ってそれを確認してからにしなさい。それとね、さっきはああ言ったけど、貴方は確かに失ったわね、【信念という志】を。でもね、得てもいなければ失ってもいないというのも本当よ」



 何のこっちゃ、と目をぱちくり瞬きさせる蒼助に、黒蘭は呆れたように笑う。



「貴方のお母さんは、片方の志しか教えなかったのね。…………まぁ、いいわ教えてあげる。志って言葉にはもう一つの意味があるのよ、知ってた?」

「もう一つ……」

「これが貴方が得てもいなければ、失ってもいなかったモノ。……あのコに会うまでは、ね。わかる? 


 ―――――――愛情よ、愛情」



 呆然とその言葉を受け入れる蒼助に黒蘭は更に言葉を重ねる。



「お母さんの言葉、よく思い出して。ゆっくりでいいから確実に見つけろって言ってたわよね。一生分を貫き通すモノがホイホイ見つかるワケないでしょ。ねぇ、いい加減気付きなさいよ。………貴方がようやっと見つけた【志】ってやつに」



 脳裏に過ぎる影があった。

 一人の少女の姿を象ったものだ。


 恋は駆け引きと、溺れるものは愚か者と考えてきた蒼助の常識を一瞬にして打ち砕いた人間。

 性格にも抱える事情にも難アリな女だった。


 だが、接するごとに、その回が増えるごとに育つ想いがあった。

 それに引き摺られるように芽生えたもう一つの感情。

 決定付けさせたのは、路地裏で傷ついて気を失っている彼女を見つけた時だった。


 何者にも、この女を傷つけさせたくないという思い。 

 護りたい。

 その想いの名は庇護。



「………俺は、」

「とりあえず、帰りなさい。あんまり長く居て良いところじゃないのよ、ココは。まだ残ってるその不安も、きっと戻ったら吹き飛んじゃうわ。
それと………」



 ぐいっと添えられた手に力が入り引き寄せられる。 



 黒蘭の顔が近づいたと思った瞬間―――――――触れ合うモノがあった。



 二、三秒ほどで、ちゅくっと音を立てて離れた。

 突然のことに目を見開く蒼助に黒蘭はいたずらっぽく笑った。

 幼女が浮べるそれとは思えぬほどの大人びた表情だった。



「元気が出るおまじない。……あのコにはちゃんと手順踏んでしてね。いきなり濃いのしちゃダメよ?」



 若干、ドキリと来る言葉に対して後ろめたい部分は胸の奥に押し込み、とにかく頷く。

 相手がこの人物では、隠せたかどうかは微妙なところでだが。



「さて、それじゃぁそろそろ頃合よね。あのコにこれ以上心配させるのも気が引くし」



 立ち上がり、見下ろす形になった黒蘭は何を思ったのか腰を屈め、



「この次はちょっとドタバタした中で会うことになるだろうけど、その時は………」



 浮べた表情は大輪の花のような笑顔。





―――――――出来るだけ、殺してしまわないよう心がけるから安心して……?」





 

 次の瞬間、水の中から引き上げられるような感覚が訪れた。




















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