蒼助は見知らぬ空間にいた。




 最初に視覚が捉え認識したのは古びた濁った赤の鳥居。

 
ほぼ均等に敷かれた石の地面。

 ちょうど立つ位置から左右を固めるように置かれた表情の異なる二対の石造りの狛犬。



 頭の上から照り差す日光。春の陽射しとは程遠い、焼け付くように強く厳しい印象の陽射しだ。



 しかし、不思議なことにそれに暑さを感じない。




「ここは……」



 

 そう思った時、声が耳に入った。

 ハッとしてその方向を見遣る。

 鳥居の向こうだ。



「今の声、どっかで………っ!」



 言いかけた瞬間、人影が鳥居の向こうから現れた。



 影は跳躍していた。

 鳥居を軽く越えるまでに高く。



 その果ての着地を見事こなした影を見て、蒼助は思考が凍りついた。

 現れた影は、藍色の着流しを着た女だった。

 薄い色素の後ろで無造作に束ねられた長い髪が、立ち上がる際にさらりと揺れる。

 化粧っけのない整った顔立ちは、射抜くような目付きの鋭さ相俟って気の強そうな印象が強い。

 何処か野性味を感じる美しさだった。





 蒼助には、忘れられる(・・・・・)はず(・・)()ない(・・)()だった。





「ゴールッ! ははっ、またアタシの勝ちだな、蒼助ぇ!」



 女は高らかに何らかの勝利を宣言し、敗者である後方のまだ姿を見せない者を振り返った。

 しかし、いくら待ってもその相手はなかなか姿を現さない。



「……おーい、どしたぁ。坊ちゃんはママが手伝ってあげなきゃこんな石段も登りきれないのかぁ?」

―――――――……ぅるせぇ! 誰が坊ちゃんだクソババア!!」



 高い声が響いた。蒼助の耳に。



 その声の主はようやっと姿を見せた。

 女と同じ、髪色。目の前の女を連想させる幼いながらの顔立ち。



 それは、



「……んな馬鹿な」



 信じられない、と蒼助は自分の周囲、状況、目にしているもの全てを疑った。

 疑わずにいられるものか。

 何故なら、ここは。あの二人は。

 過ぎ去った遠い日。己の過去の光景。

 幼き日の自分。



 そして、








おふくろ……」








 焼き尽くさんばかりの陽射しを木陰で免れた蝉の鳴く声が、木霊する。









 ◆◆◆◆◆◆









 幼い頃の自分を振り返るといつも母と何かを競っていた。



 かけっこ。

 ゲーム。

 早食い。

 大食い。

 武道の稽古など―――――――

 種目様々でいろいろ競ったが、何一つ勝てはしなかった。 



 文武両道にたけた性格は生粋のどSにしてオレ様。

 それが、蒼助の母親―――――――【美沙緒】という女だった。

 相手が弱かろうが下っ端だろうが、歯向かう者には一切の手を抜かない何事においても徹底主義。

 もちろん、子供相手にもだ。


 いつも立ちはだかっては全力でぶつかり、叩き伏せる。

 敗北した自分を見下ろすその様は悪の帝王。

 母の慈愛という言葉からあれほどまでにかけ離れた女を、蒼助は他に知らない。

 母親としては最悪だったかもしれない。





 だが皮肉なことに、退魔師の家に生まれながらその才の欠けたオチこぼれとして生まれた蒼助を唯一人真正面から受け止めたその人だった。  





 かつて望月から聞いた話があった。

 自分が生まれて間もない頃、子の霊力の弱さを知った父は、正直な話、嘆いたらしい。

 決して、父自身に霊力云々のこだわりはなかったらしいが、問題は一族とその周りの人間だった。

 血統と非凡の力を何よりも誇りに思う連中がそんな存在は認めるはずがなかった。

 生まれた子供の鼻を摘んで遊んでいた母に父はこれからの心労を打ち明け、すまないと謝ったそうだ。

 決して、オチこぼれを産んだことを責めずに。




 しかし、母は何故か逆に父を殴り飛ばしたそうだ。




 そして冷静な口調で、据わった目付きでこう言ったという。





『何で謝る。霊力が低いから苦労する? だからどうした。上等じゃねぇか。才能揃った将来有望のガキ育てて何が楽しいってんだ。アタシはそんなクソつまんねぇもん

いらねぇよ。そんなもんより、この才能なしの運にも神にも見放されたガキが、地のどん底から這い上がってどんな風に成り上がるのか、そっちの方が楽しみだ。それに

よ、正直安心したんだぜ? コイツが霊力極貧だって聞いたときは、嬉しくて飛び跳ねそうだった。何で? 昔から決まってんだよ。優等生より問題児の方が、実は将来

大物になるってな。アタシとお前でそれを証明しようぜ、パパ』





 異能の血統の元に生まれた平凡は祝福などされない。

 母はそれを鼻で哂い、平凡に近しい子を息子と呼んだ。

 周囲の中傷や蔑みの中で抗う自分のたった一人の味方となった。 


 だが、慰めなどしなかった。

 寧ろ、劣等感を煽る言葉すら口にした。

 周りには手酷く扱っているようにしか見えない、ひどく歪んだ愛情だったかもしれない。

 けれど、自分とその可能性を信じ、敵となり続けた唯一人の女。

 優しさや慈しみは与えない代わりにへこたれない雑草根性の促進を。



 立ち向かう限り、全力で応えてくれる人間。

 蒼助が求めていたモノ。

 蒼助にとって、あの母親とはそういう存在だった。









 ◆◆◆◆◆◆









 蒼助はただ呆然と立ち尽くし、見ていた。

 記憶に残るいつかの夏の光景。

 目の前には、それを証明するモノが二つ。



「どうなってやがんだ……」 



 混乱する脳がまず叩き出したのは、ここが過去。これは、過去の記憶にあるとおりの光景。

 自分は過去へ来てしまったのか。

 前後の記憶がはっきりしない蒼助は、何がどうなってこんなことになったのかわからなかった。

 ただ言えることは、自分は今、ただならない状況下にいるこということだけだ。



 少年―――――――幼き日の自分はようやく昇り終えた石段を後に、完全に息が上がって座り込んでいた。

 母親は、それを呆れと小馬鹿にする様子をかけて割ったような表情で見下ろしている。



「なっさけねぇな……これくらいの段差登ったくらいでそんなにヒーヒーいっちゃってよぉ」

「……そりゃアンタは霊力補強で一ッ跳びしちまったらいいだろうよ……」

「勝負の世界は厳しいんだよ」

「その厳しさに反則技は含まれてねぇだろ!!」



 母は非常に負けず嫌いだった。

 子供相手にこんな風に反則技を使うこともしばしばだった。

 だから、蒼助は、いつか真っ向からぶつかって彼女に勝つことが何よりの夢であった。 



「……にしても、暑いな………ちょいと木陰で休むか。………どうした、早く来いよ」

「無茶言うなよ……。足腰しんどい、歩けねぇ」

「ああ? ったくしょうがねぇな坊ちゃんは」

「坊ちゃん言う、な―――――――あああああああっ!?」



 抗議は途中で叫びに変わった。

 母親が突然、胸倉を掴み上げて神社の社向けて分投げたからだ。  

 在りし頃の自分は社の中にピンボールのように叩き込まれた。


 母はいつも自分の扱いはぞんざいだった。

 傍目で見ている父親や屋敷の人間はひやひやしていた。

 しかし、誰も止めなかった。


 だって、怖いから。



「おーい、涼しいかぁ? しっかし、大分重くなったなぁ。……片腕でこれが出来るのは来年までが限度か」



 言葉どおり、中学に入ってから両腕で投げられるようになった。

 ほぼ日常的に投げられて、よく自分もここまで育つ過程で死ななかったものだ。

 などと考えていたら、母親が自分の目の前までやってきた。



「あ、………あ?」



 まずい、などと思っていたら、そのまますり抜けて、通り過ぎた。

 さっきから気になっていたが、まるでこちらが見えていないようだ。

 この時代の人間ではない異分子である自分は、幽霊みたいなものになっているのだろうか。

 そんなSFチックなことを思考にめぐらせていると、



「お、でっけぇ瘤。つんつーん」

「いってぇー!」



 賽銭箱に衝突して伸びていた二分の一スケールの自分は、膨れ上がった脳天の突起物を無遠慮に刺激されて息を吹き返した。



「おはよう、マイサン。あん? 何青ざめてんだよ、周り全然寒かねぇぞ?」

「お、おれ……いつか、ぜってぇ殺される……っ!」

「誰に?」

「アンタにだぁぁっ!」

「ひでぇ言いようじゃねぇか。可愛い息子を殺す母親が何処にいるんだよ…………第一、勿体無い」

「…………」



 子供の自分ともども蒼助は沈黙した。

 この時、何がどうも勿体無いのか、聞かなかった理由は大体想像がついたからだった。

 子供なが利口な判断だったと思う。

 知らなくてもいい事も、あると今なら言える。  



「なぁ、おふくろ……毎日毎日、こんな風に身体鍛えてばっかで………こんな調子で本当に俺、退魔師になれるのか?」

「どいつも最初は体力づくりから始めんだよ。霊力扱うにも精神力はもちろんそれなりの体力も必要だ。敵さんだって、じっとしていてくれるわけじゃねぇ。スポーツと

同じだ。攻めるには相手を上回る行動力は自然と欠かせなくなる。のろのろしてたらあっという間にゲームオーバーだ。特に、霊力っつーもんが徹底的に偏っちまってる

お前は、普通の退魔師の十倍の機動力を持たねぇとな。せっかくのその"眼の力"も全く活かせねぇぞ」



 才能がない分、体力にはまでは見放されていなかったのか運動神経は抜群に秀でていた。

 たかが知れている短所をそこそこ伸ばす努力を目一杯するよりも、その長所を可能な限り伸ばそうというのが母の考えだった。

 その考えをより強くさせたのは、自分が持つたった一つの"特異な力"だった。



「アタシの考えが正しけりゃ、お前のその眼と俊敏な動きが加わりゃ、どんな一流の術師もお前ににゃ敵わなくなるね」

「アンタよりもか?」

「ばっか、調子にノンな。このアタシ相手じゃお前みたいなハナタレ、一生かけても敗北記録伸ばすだけで終わるよ」

「〜〜〜〜今に見てろよぉ、絶対に……」



 そうだ。

 他の誰かより強いと言われてもしょうがなかった。

 自分の願いは、この人に勝つことだったから。

 ハナタレから一人前に認めてもらうことだったから。 



「なぁ、蒼助。"志"って言葉が、世の中にゃある。これがどーゆーもんかわかるか?」

「何だよ、突然………わかんねぇよ」

「だろうな。じゃなきゃ、説明のしがいがねぇ」





 ―――――――これは……。





 酷く心を揺さぶる言葉が出てきた。

 思い出した。

 この場面は。



「いいか、"志"ってのはその人間ごとにある人生の命題(タイトル)だ。人間の価値ってのは生きている間に何をしたかじゃねぇ。何を思って、何のためにどう生きたかだ。どれだけ

人から誉められる大層なことしても自分を偽ってちゃ何の意味もねェ。逆にどれだけ人から詰られるような悪行をやっても、それが自分の意志を通したことなら、他の誰が

認めなくてもアタシがその価値を認めてやる。自分が定めた何かの為に精一杯人生を注ぎ込む、それが最高点だな」

「じゃぁ、何だよ……悪いことしても、それが俺がやりたいことだったらアンタは文句言わねぇってのか?」

「まあな。……ようはだな。アタシが言いたいのは、後悔するような人生で終わらすなってことだ。魂は存在する限り何度も巡るが、玖珂蒼助の一生は今回たった一度しか

ねぇ。今の人生、自分に嘘つかないで力いっぱい生きろよ」



 これが母が唯一自分に教えたマトモな教えだった。

 最初で、最後の。

 心に焼き付いて離れない。自分を振り返るたびに思い出し、響く言葉だ。



「まぁ、まずはお前が自分の志を見つけるのが先だな」

「その志ってのは……具体的には何だよ」

「まぁ、目標みたいなもんだな。それも一生分のな」

「よっし、それなら俺はもう持ってるぜ!」 



 ほぉ、と眉を上げる母親に幼き自分は高らかに宣言する。 



「アンタより強くなることだ!」 

「無理だな」

「早ッ!? 何で、言い切れるんだよ、証拠はあるのかよ!」

「決まってら。アタシが強いからさ」 

「うわ、なんてしじんかじょうだっ!」

「自信過剰の"自信"くらい漢字でかけるようになってから言うんだな。まぁ、本当の志ってのは見つけられるのは、口で言うより結構難しいことなんだぜ? 見つけられず

終いってのも少なくねェ。これからまだ長いてめぇの人生で、ゆっくりでいいから確実に見つけてみせろ、そしたら―――――――

 

 とりあえず、ハナタレは卒業だな。

 

 彼女がそう言ったところで変化がおきた。

 周りの風景に。















 


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