夜の都市の一角に明かり灯る店があった。
喫茶店『WITCH GARDEN』。
扉のノブには「CLOSE」と描かれたプレートが下げられており、店はとうに閉店していた。
点灯する店の中には一人と一匹のみがいた。
店主、下崎三途とその飼い猫のB.Sだ。
B.Sはあるテーブルの上に横倒れになり、四肢を伸ばした状態でいた。
「……あー……うー……」
「情けない声出さないの。カミ様でしょ、一応」
「カミでも痛いもんは痛いんだよ。………あー、酷い目にあったホント」
「その台詞、帰ってきてから十回目。もー、わかったから」
「他人事みたいに言うなぁー。……事件は現場で起きてるんだ、会議室で起きてるんじゃない」
「ここ、喫茶店なんだけどねぇ」
よいしょ、と近くにあった椅子を引き寄せて、三途はB.Sが乗せられたテーブルの前で座った。
「さて、それじゃぁ何かあったみたいだから報告聴こうか」
「え、ちょっと待って。この場合治療が優先じゃないの? 足、すっごい痛いんですけど」
「治してあげるから早く言って」
鬼畜だ鬼畜ばっかだどーして自分にはこんな人間としか巡り合わせが来ないなんだ、とB.Sは己の境遇を嘆き、心で涙した。
「……何で、君が彼を見張れって言ったのか。……今日、やっと理解ったよ」
「と、言うと?」
その促しに、答える。
「あの男は―――――――クロだよ。君の危惧は的中だ」
「そう。……やっぱり、彼は魔性に憑かれていたんだ」
「いや、違う」
違う?
三途は小さく驚き、
「違うって、一体何が」
「あれは魔性じゃなかった。彼の中にいたのは―――――――あれは、カミだよ」
「な、に……?」
三途の耳に欠片も予想していなかった言葉が入った。
「それは……本当に?」
「ああ、本当さ。それも僕みたいな【ヒト】から成り上がった【雑種】じゃない。生来生粋の骨の髄までカミ様な奴だ」
「―――――――【純血】? ………まさか、そんな大物が何故この東京に」
純血。
それは生まれながらにしてカミとして生まれ、カミとして生き、カミとして終わっていく超越種。不老不死の分類たるカミの中のカミ。
寿命と老化に縛られるヒトからカミとなった者である雑種も同種として一括りにされるが、その差は力の面でも認識の面でも大きく、埋められるものではない。
「僕としては………そんな青森とか出雲とかの辺境で、穢れの及ばない聖域作って籠っているような大神レベルのカミが人間の男を乗っ取ろうとしている魂胆の方が気になるけどね」
「そうだね」
魔性なら何らおかしくないことだが、そうでないとなっては状況も考え方も大きく変わってしまう。
カミが人間の身体を乗っ取る。
"降りる"のとはまるでワケが違う。
ヒトの中でも人間は身体的に最も脆い。
そんな壊れやすい容れ物の中に入れば、乗っ取ってもそれ以前の力は使えない、無理をすれば器は簡単に壊れてしまう。
B.Sの言うカミがすることには、デメリットや問題点ばかりでメリットが見えない。
「でもまぁ………一つだけ確かなことはあるよ、三途」
B.Sはその確信を口にした。
「奴は―――――――千夜を狙っている。目的は……多分、一ヶ月半くらい前のアレの時と……同じと考えてもいいんじゃないかな」
三途の表情が険しいものへと変わる。
やはりか。
警戒の裏にあった、己の危惧していたこと。
敵の正体が違っても、それだけは違わなかったようだ。
「……三途、どうする?」
B.Sの問いかけが三途に投げられた。
次の行動を促す問いではない。
その問いかけの真の意味は―――――――
「……さん」
「そうだね。とりあえず、君の怪我を診ようかな」
と、不意を突くように立ち上がり、伸ばされた四本の足の―――――――後ろ足の左を持ち、握った。
「―――――――に゛っ」
「あー、これは酷くやられたねぇ。……あと一息で折れちゃうよ、これ」
にぎにぎ、と揉むように幹部を触られ、B.Sは生き地獄に突き落とされた。
悶えるように苦痛に呻く黒猫を見ながら楽しそうに、
「とんだサディストだったみたいだね、そのカミ。皹くらいなら自然治癒にしても全然構わないんだけど、こうもギリギリのところまでやられてると骨が瀕死状態って感じになってて自力だろうが他力だろうが治癒かからないんだよね。しかも歩くと折れそうな骨が響くからすっごい痛いんだって」
「ああ、痛かったよ! 途中何度も泣いて挫けちゃおうかと思ったよ! てゆーか、今アンタが追い討ちかけてるよ、ねぇっ!! つーか今泣いてもイイッ? 泣いてもイイ?」
本当に涙が滲んできたところで三途は手を止めた。
そして、先程の問いに対する返答を並べた。
「………クロ、私の命はもう私のものじゃない。六年前のあの日からそうなって、二年前に千夜と【再会】してそれを思い出した。
あの人と交わした約束を―――――――あのコに誓った約束を」
視線をここではない何処か―――――――現在ではないいつかへ向けて己に言って聞かせる三途に、B.Sは溜息混じりでぼやく。
「その約束とやらを………千夜がどれだけ嫌がっていても?」
「それでも、だよクロ。誰にだって譲れないものって……あるでしょ?」
「勝手だって、迷惑がられるよ?」
「そうだね」
「いい加減にしろって怒鳴られるよ?」
「そうだね」
「泣かれるよ?」
「……それはちょっとキツイかな」
困ったような苦笑を浮べた後、眼に真摯な光を宿し、
「でも、それでも私は考えを変えはしないよ。恨まれても、責められても、拒絶されても、私はあのコを、千夜を守る。千夜の為に戦う。千夜の為に血を流す。千夜の為に山となる屍を積み上げる。あのコが、生きているから……私は救われている。過去の犯した罪に贖罪できる。私は、あのコの為に、あの人と交わした約束の為に―――――――」
既に彼女の中で固められていたであろう決意をB.Cは、ただ聴く。
哀しくも、揺ぎ無いその言葉を付き従う者として受け入れるべく。
そして魔術師は―――――――
「―――――――彼を、玖珂蒼助を殺す」
その一つの決意をかみ締めるように、決断した。