茜色に染まる街がある。
商店街と呼ばれるそこは、主婦を筆頭とした買い物客である人間を呼び込む声や、カセットに録音された宣伝曲がBGMとなって流れていた。
東京に常にありがちな人の混みあう騒々しさとは別の賑やかさがあった。
その中、やけに見目顔立ちのいい青年二人と白髪の少女が歩いている。
人ごみの中でも隠せない小さな特徴を連れ歩いていることも彼らを周囲から浮かせている要因の一つだが、若い青年二人が今晩の夕飯らしき収穫をスーパーのビニール袋で引っ下げているだけでも十分だった。
「…………」
「何だ、さっきから大人しいと思っていたが………もうへばったのか」
「この格好見て尚それを言うか。お前、今俺が両手にいくつ持ってるか数えてみろ」
「喜べ、これからもう一つ増えるぞ」
ニヤリ、と笑う千夜を見た蒼助の脳裏に『女王様』というこれ以上にない抜擢な言葉は浮かび上がった。
「くそっ……なんつー人遣いの荒い奴だ……」
「買い物に男がついて来るってのは、そーゆー覚悟が必要なんだ。今まで散々女と付き合って来たクセにそんなことも知らなかったのか」
「少なくとも、何日分あるか知れねェ食材を持たされた覚えはねぇな………」
息を荒くしながら反論する蒼助を見ないで、千夜の隣を歩いていた朱里が一言。
「……根性ナシ」
「なんつった雪ウサギ」
「べーだ」
あっかんべー、と思い切り舌を蒼助に向けて出し、千夜の腕に抱きついて歩く。
小憎たらしい朱里に神経を逆立てつつ、とりあえず両腕にかかった重量を支え、尚且つ先方へ続いて歩行することに努める。
「なぁ……これだけ買えば十分だろ。この上、わざわざ初台まで足伸ばして何買おうってんだ……」
「今晩の夕飯の材料」
「これはっ!?」
「週末の買出し。男手があるからいつもより多めだが」
「お前も男だろっ!!」
「今は八割ぐらい女だが。いいから黙って歩け。今晩は客用に我が家なりに豪勢にしてやろうって言うんだ」
豪勢、という言葉に蒼助は反抗の色を弱めた。
一人暮らしで、しかも仕送りナシで自分の身体で(ヤラシイ意味ではなく)稼いでいる金のみで日々を食い潰している身としては、ロクなものを糧にしていない。
極貧とまでは行かないが、あまり贅沢が出来ない生活を送る者として、蒼助はこの手の誘惑に非常に弱い性質を持っていた。
「……で、何でココなんだ?」
「品が良くて安いからだ」
「………何故に」
「スーパーと違って、店主本人と顔を毎度合わせる。通いつめると馴染みとして扱ってもらえて、安くしてもらえるからな」
「…………」
「八百屋のおばちゃんは若い男に弱い。肉屋のおっさんは子連れに甘い。魚屋は……今日はダメだな、女の時に顔出してるから」
「……お前、真っ黒だなホント」
惚れた女にはいろいろ問題があると知っていたが。
やはり、自分は道を大きく踏み外しているんじゃないかと改めて蒼助は思い返した。
◆◆◆◆◆◆
身体がだるい。
それは決して体に残る熱のせいではなく。
「この、人一人が持つにはあまりにも過酷過ぎる大量の荷物のせいだ……っ」
「誰に説明しているんだ、玖珂」
そんなツッコミすら今はどうでもよく感じれた。
とにかく今は休憩したい。
体力回復の時間が欲しい。
心の底からの願いだった。
「………買う物は買ったし、急いで帰る必要も特にないからな。………少しここらで休んでいくか……って行動早いな」
発言の直後、既に通りかかった公園内の中にいて、ベンチでふーっと息を吐きながら座っている蒼助を見て千夜は言った。
「私達も一足遅れて休もうか、朱里」
「姉さん姉さん。朱里、鳩にエサあげたい」
「ああ、ほら買っておいで」
渡された小銭を手に握り締めて走っていく背姿を見送り、千夜は蒼助が座るベンチへ向かった。
「お疲れ」
「かーっ、よく言う。………俺ぁ、一瞬自分が召使いになったかと錯覚したぜ」
「文句を言ううちは向いてないから安心しろ」
千夜は足元に寄って来た鳩を見た。
「ははっ……ここにエサはないぞ、向こうだ向こう」
言うが、千夜の言葉には興味を示さず。
ポッポッ、と鳴きながら他にも大量の鳩がてくてくと可愛らしい足取りで寄って来た。
「げっ……鳩も一羽二羽ならともかく、これだけ集まると怖ぇな」
「そーか? 可愛いじゃないか」
差し伸べた千夜の手に一匹の鳩が飛び乗った。
首を傾げる姿は確かに可愛いかもしれない、と蒼助は思い直す。それも一羽だけならの話だが。
「しかし、手乗り鳩なんか出来るほど懐かれるなんて………既に洗脳済みか?」
「平和の象徴に洗脳とか言うなよ。もともと人懐っこい生き物だろ」
「だからってこの数は………」
しかも寄って来ている鳩全てが、千夜に一点集中して集まっている。
ある一羽は肩に、ある一羽は膝に、と場所さえあれば鳩たちは千夜の身体に触れようとさえしている。
「っ、こら……あんまり人の身体で歩くな、くすぐったいだろ」
戯れるその様は本当に人間を相手にしているかのよう。
もはや、懐くというよりは慕っているという言い方の方が適切な当てはめだと感じれるほどに。
「お前、動物好きなんだな」
「ああそうだな……もっと広く言えば自然が、かな」
「自然が?」
「私は田舎育ちだからな。私が此処に来る前に住んでいた土地には、住民も怖がって踏み入れようとしない深い森があるんだ。そこは古くから住み着く精霊、住処を追いやられた動物が住む森なんだよ。よく寝静まった夜に無断で入ったなー。ああそうそう、とうの昔に絶滅したはずの日本オオカミまでいてな。……と言っても、長く生きてとっくに神格入りした奴だが」
そうやって故郷の話をする千夜は子供のように幼く見え、楽しそうだった。
自分の事のように、森に住むモノたちのことを自慢して。
語るそれらが千夜の中の最上の思い出なのだと、蒼助は察した。
「夜中にそいつらのところへ行った日には遊び呆けて、翌日は夕方まで起きなかったりして。それで夜中に森に入ったことがバレてよく怒られた」
「お前ね……それじゃ人間のダチなんかいなかっただろ?」
軽口のつもりで言った言葉が思わぬ結果を導き出した。
その言葉の後、千夜から表情が消える。
そして、さもどうでもよさげに形の良い唇から零れ落ちる。
「さぁ? 欲しいなんて思わなかったよ……」
今の今まで楽しげだったその表情は、酷くつまらなそうなものになっていた。
ひやり、と冷たいものを蒼助は背中に感じた。
もしかすると自分は今とんでもない地雷を踏んだのでは、と。
「……相容れない。理解されない。そうだと解り切っている連中と無駄な接触をするより、ケモノや精霊と共にある方があの頃の私には気楽で、大事で、とても充実していると思えた。なぁ、玖珂……決して自分を受け入れないとわかっている人間と両手を広げて歓迎しているモノ……お前だったらどちらの手を取る?」
思わず蒼助はごくり、と息を呑んだ。
その問いの答えによっては、千夜の自分を見る眼がどう変わるのかと、自分の中で酷く脅えを感じた。
沈黙の蒼助の答えを待たずに千夜は再び口を開き、
「簡単な話さ。誰だって、自分に近しいと感じるものを選ぶ。そうするのが、自分にとって誰かと共有する中では最も充実な時間を得る方法だから。私も、そうだった。人と過ごす息苦しい時間よりも、人ではない者達と意思を通わす時間の方が、充実していた」
人から理解されない。
それは蒼助にも身に覚えのある思いだ。
一時期は、蒼助もそんな思いに焦燥し、めちゃくちゃやっていたことだってあった。
だが、それでも千夜ほどの非常識に走ったりはしなかった。
通常ならそれこそ相容れないはずの人外の手をとるなど。
「人は人外を恐れる。だが、私にはそれがちゃんちゃらおかしな話にしか思えない。人は笑って嘘をついて他人を欺いたり、平気でさっきまで親しくしていた者をどたんばで切り捨て裏切るという惨い行為をする。私は、そんなことを何てことなく繰り返して行うことが常識だと思っている人間の方が恐ろしい存在だと思うよ。特に、多様な表情で取り繕って本心を隠し続ける人間はな。私が知る限り、そんな人間にはロクな奴がいなかった。よりにもよって、そんな人間ばかりが私の周囲を固めていた」
なんてことだ、と蒼助は頭を抱えた。
久留美のバカが。これはもう男嫌いなんてレベルじゃねぇぞ。
これは、もう人間嫌いの領域だ。
しかも相当深くて重傷な。
同時に蒼助は気づいた。
千夜は仮面で人と接している。
それは心許していないという表れ。
彼女はまだ他人を拒絶し続けている。
ふと次に至った考えは、自分に対してのことだった。
こうしている間も、千夜は仮面を被っているのではないだろうか。
拒絶されているのは自分も例外ではないのでは、と。
その時、猜疑心に捕らわれかけた蒼助の目を覚まさせる言葉が耳に響いた。
「……と、以上がかつての私は思っていたわけだ。考えてみれば、こんなのただの自分の殻に閉じ篭もった子供の言い訳だな」
「……は?」
「視界が狭かったんだな、あの頃は。偏狭の箱庭の中で、何もかも理解した気になっていただけだったんだ。ここ、東京に来て、いろんな人間と出会って思い知ったよ」
「…………」
「嫌な人間も少なくなかった。……でも、こうして世界の見方を変えるキッカケとなった例外もいた。理解しようと努力してもいい、と思える人間がな」
ちらり、と横目で蒼助を見ながら千夜は笑った。
意味を解すると蒼助は嬉しいような照れくさいような痒い気分になり、下手な笑みを浮かべ返した。
「だからな、自分から近づいてみようと思った。決め付けるのは止めて、挑戦しようと思った。本当に相容れないのか。そうではないかもしれない、と試してみたくなったんだ。この"世界"で」
「なら、もう少しクラスの連中と溶け込めよ。何で、上っ面被って必要以上接しようとしねんだ」
「……え」
気づいていたのか、と言わんばかりに千夜の目が瞬く。
気づかずにいれようか。
本性を知ってしまった者には、はっきりとわかる仮面を被って他人の接する姿を見続けていながら。
「別に、その過激な性格を表に出しても誰も疎遠にしたりなんかしねぇぜ、あのクラスは。既に教師一同と他のクラスから疎遠されまくってる問題児の集まりだから、ちょっとやそっとのことじゃ怯みもしねェよ、寧ろ……」
「浸り過ぎないようにしているんだ」
蒼助の言葉を断つように放たれる言葉。
「最初は居心地が悪く感じたぬるま湯の中が浸り過ぎてちょうどよく感じるようにならないように。ふやけないように。じゃないと、いつか結果が出て、やはりダメだと冷たい水の中に戻った時その凍えるような寒さに耐えられなくなる。私は、用心深い人間だから……保険がないと不安でしょうがないんだよ。だから気をつけているんだ―――――――あの寒さを忘れないように」
一瞬距離が遠くなった気がした。
千夜と自分の間隔が。手を伸ばせば届く距離が、それが叶わなくなるほどの間が空いたように思えた。
「……おっと、何だか話が暗くなったな。すまん。……そうだ、何か聞きたいことがあるなら遠慮なく聞いてくれ。詫びだ、何でも答えてやるぞ」
「そうか、じゃぁ」
「ああ何だ」
「お前、童貞?」
「……今物凄いデジャブを感じたが前言撤回。TPОを踏まえた質問しか答えない」
これくらいの下ネタは今時昼間でも盛んに発されているが、と反論を抱きつつも、条件に応じ、形を変えて再び問う。
「お前さ………男の時に、彼女とかいた?」
◆◆◆◆◆◆
ぱちくり。
呆気にとられた表情で見てくる千夜のその反応に、蒼助はやばい直球過ぎたかと内心冷や汗だった。
「………野暮な奴だな。お前、人の恋愛経歴を酒の場の勢いでまんまと聞き出して、別の場所で酒の肴にするタイプだろ」
「何でそれを………じゃなくて、ふつー気になるだろ。お前みたいなそこらの女を敗北のどん底に突き落とすようなツラした野郎と並びたがる勇者がいたかぐらい誰だってよ」
「誉めてるのか小馬鹿にしているのかはっきりしろ」
面白くなさそうに一息。
渋々と口を開き、
「……いたよ、一人。それがどうかしたか」
やはりか、と蒼助は目を細めた。
あの写真に写っていた女が恐らくそれだろう。
「へぇ〜、そんなら詳しく聞かねぇとな。で、どーゆー系だよ。可愛い系? 美人系?」
「妙に楽しそうだな。………そうだな…………適切に言い表すならチワワかな」
「んだそりゃ、プルプル震えてるのか?」
「いや、癒されるとゆーか、和むとゆーか。まぁ、一家に一人は欲しい癒し生物」
一応恋人だった女のことを家電製品みたいな言い方するなよ、と思いつつ、
「で、何処まで行ってたのよ。イクトコまでイったのか?」
「肘で小突くな鬱陶しい。つーかお前言動が完全にセクハラ親父…………」
悪態をつくと、気恥ずかしそうに、面倒くさそうに千夜は吐いた。
「キス。それしかしてない」
「キスぅ? お前………普通、それを勢いにしてどーんと押し倒してだなぁ……」
と、言いつつも内心ホッとしている蒼助だった。
そうか、キスだけか。
全体的に身体は真っ白か。
って男の方は別にいいんじゃねぇ俺。
「行きずりの女とラブホ直行のお前と一緒にするな。こっちは友達上がりで付き合い出したんだ、順序ってものがある」
「順序ねぇ……って何でそのことを」
「久留美印の情報だ」
あの女余計なことを、と高笑いしている脳裏の久留美に怒りを燃やす。
「まぁ……付き合っていたと言っても僅か二ヶ月足らずだが」
「そりゃまた急な展開だな。何で………」
言葉を待たず、千夜は答えた。
「仕方ないさ―――――――死んでしまったんだから」
その瞬間、血の流れが凍りついたような気がした。
言葉だけがそうさせたのではない。
告げた千夜の表情が。
その一部の眼が。
まるで切れない鎖で繋がれた囚人のようだった。
それを見た途端、蒼助の中であの写真の女に対する感情に変化が起きた。
嫌いですむようなものではなく、一気に憎悪へと変わった。
千夜を死という形をもって永遠に自分のものにした【彼女】が、どうしようもなく憎くなった。
「……ねーえーさーんっ!」
ベンチの二人から遠く離れた場所から朱里の声が届く。
「餌なくなっちゃったー!」
「あー、わかった。新しいの買ってやるからそこで待ってなさい」
立ち上がり、朱里の元へ小走りで駆けていく千夜を見送りつつも、蒼助はその場に留まったままだ。
鳩が飛び去っていく中、蒼助は何かに耐えるように歯をきつく噛み締める。
―――――――だんっ
後の背もたれに握り拳が叩きつけられ、板がミシリ、と悲鳴を上げた。
くそっ、とやりきれなさの篭もった声が噛み締めた歯の間から漏れた。
◆◆◆◆◆◆
その姿を近くの茂みから見つめるモノがいた。
枝の間に潜むのは滑らかな黒い毛並みの紫の瞳を持つ細身の猫だ。
シルバーの首輪には『B・S』と刻まれている。
この黒猫、B・C―――――――ブラック・スノーは今週の日曜から今日にかけて『ある人物』を監視対象として見張っている。
事の始まりは任務開始の初日、六日前の日曜日のこと。
散歩から帰ってきた彼は突然この役目を己の主人から任された。
理由は説明されること無く、任務中に何度尋ねようと「確信はないからまだ話せない」の一点張りでしつこく聞くと物干し竿に干されるという始末。
そんな不条理な仕打ちを受けつつも、報酬の鯵―――――――もとい主の為に下僕として忠実に命令をこなして六日目。明日でちょうど一週間になる。
しかし、監視対象の男には一向に変化や異変は見れない。
……そもそも何でこんな男を監視させているんだろうか、三途は。
そこが一番の疑問だった。
男の名は玖珂蒼助。
退魔師らしいが、感じる魔力はその役職に不釣合いなほどに微弱なもの。
監視しろというには、何らかの危険性があるのだろうが、この貧弱な霊力しかない男の何を主は警戒しているのだろうか。
………期限は当分って言われてもね。
こうも何もないのでは報告のしようもない。
その上、この仕事の終わりも来ない。褒美も手に入らない。
主も難儀な仕事を押し付けてくれたものだ。
………もう何でもいいから、なんか変化見せてくれないかなぁ……。
いい加減な考えを巡らせていた時―――――――だった。
ぼんやりと眠たげに目をとろんとさせていたブラック・スノーの意識が硬直した。
彼は何者にかに射竦められていた。
………誰、だっ。
ロクに身動きの取れない身体で、何とか目だけをぎょろりと動かす。
答えはその視線の先にあった。
圧倒的な威圧感でブラック・スノーの動きを制する者がいた。
………なんだ、とっ?
驚愕に、ブラック・スノーは強張る瞼を見開けない代わりに痙攣させた。
彼の今や自由を失った視界に映る存在は、先ほどまでただの人間だったはずの監視対象。
その眼は、こちらに鋭い視線を放っていた。
………玖珂、そう、すけ?
頭に浮かんだ言葉をすぐに否定した。
違う。
アレは人ではない。
自分と同じ、『人為らざる者』だ。
己を視線で刺し貫く青い双眸を、ブラック・スノーは見てそう判断した。
「―――――――ふっ……ご苦労なことだな、成り上がり。主の為に健気に今日も吾を見張りに来ていたか」
口調も高圧的なものへ変貌している。
しかも、男は自分が純粋なカミではないことも見抜いていた。
身体から放たれている波紋を描くオーラから、只事ではない強大な霊力を感じる。
………桁が、違う。
カミとしての存在の霊位が、二桁も三桁も。
次元違いとはこのような者に使う言葉だ。
「……アンタみたいなカミにこんな人間の欲で穢れた街でご対面するとは……な」
声を絞り出す。
「何のつもりかは知らないけど………ここは止めておいた方がいい。力の強い奴ほど、闇に飲み込まれやすいか、ら―――――――」
次の瞬間、見えない力の衝突にブラックスノーは身体を吹き飛ばされた。
短時間の飛躍の後、その小さな身体は地面に叩きつけられた。
「く…、…が…」
受身すら取れず、まともに衝撃を受けた体から痛みの悲鳴が上がる。
………何だ、今のは……。
奴は動いていない。
一歩たりとも。
指先一つも。
しかし、自分は攻撃を受けた。
………まさか……不可視の攻撃が、出来るのか……。
指定した空間を霊力で歪める。
そんなことが可能なのか。
信じられない気持ちがブラック・スノーの中で膨らんでいたが、それは急激に萎んだ。
………この男だから、こそか。
これが、生来のカミたる者なのか。
圧倒的な力の差に悔しげに眼を細めるブラック・スノーに青い眼の男は言う。
「小物が随分と偉そうな事をほざくのだな。………貴様の主は、下僕に目上の者への口の聞き方というものをしっかり躾けなかったみたいだな」
「僕の目上は………一人だけだ」
「ふん、大した忠誠心だ」
男はベンチから立ち上がり、ゆっくりとした足並みで地面に伏せるブラック・スノーの足を踏みつけた。
「―――――――っっ」
「悲鳴もあげないか。ただ、温室育ちで生きてきたわけではないようだな……」
ぐりぐりと地面に擦り付けられるように足の裏のとの間に挟まれた足が、ブラック・スノーに変わって悲鳴をあげていた。
………ぐぁ、ぁっ。こ、コイツ、カミのクセにドSかよ……。
なら絶対に悲鳴をあげちゃいけない。
自分の人間よりは長い人生経験の中で、本物のサディストは悲鳴を上げると更にテンションあげることは知っている。
口から飛び出そうな呻き声を噛み殺し、堪える。
「安心しろ、小物。この場では殺さん。……貴様には貴様の主に伝えてもらわねばならないことがある」
と、言いつつも足は変わらず踏みつけたまま、
「吾はもうすぐこの身体を手に入れる。そして、あの女を手に入れる」
青の鋭い視線が、背後の離れたところで少女と一緒になって鳩と戯れる男を射る。
「……あの女の前にその死に様を曝したくなければ、邪魔はするな、と」
威嚇か。
警告か。
それだけ言うと、玖珂蒼助の姿をしたカミは向こうの二人の元へ歩いていく。
男は振り返った二人に何事もなく接する。
その様は、ブラック・スノーが六日間監視する中で見続けた『玖珂蒼助の振る舞い』そのもの。
「……まずい、な……」
報告事項が出来てしまった。
そして、今になって気づいた。
主としては、無いままで終わって欲しかったのだろう、と。
当分、と期限を曖昧にしたのは、心配ないと安心できたら切り上げるつもりだったから。
「っ……」
地に立てると、傷ついた足が軋む。
折る直前まで骨を痛ぶられたようだ。
「なん、のっ―――――――」
ぐ、と堪えて、ブラック・スノーは片方の後ろ足を引き摺り、歩き出す。
時間はかかろうと、主の元へ帰るべく。
―――――――不穏は人知れず、影で静かに動き出していた。