音と声の満ちた空間。

 部屋の隅に置かれた観葉植物、部屋の空間を考えて設置されたであろう椅子とテーブル。

 大きな窓から差し込む暖かな日差し。

 シックな落ち着いた木目。

 木材の質感を生かし派手さをとらず落ち着いた雰囲気を取った茶色を基調としたインテリア。

 吹き抜けをイメージとした高い天井にはステンドグラス。

 サロンにはシャンデリアの淡く柔らかな光。

 外の人間が急ぎ足で過ぎては去っていく光景とはかけ離れたゆったりとした空間だ。 

 

 客が呼び出しボタンを押せば、ウェイトレスやウェイターなどの接客担当の店員が要求に答えに行く。

 皆、平均的に年齢は二十代前後と若い。客の年齢層も。



 売り出すものはケーキを初めとしたデザートであるこの店は、今日も賑わっていた。

 最近では、テレビや雑誌でもしばしば注目されることもあるようになった賜物である。

 客足も多くなり、経営も順調な軌道に乗ってきた当店は今日も、平和だった。 

 

 ――――――チリン。

 

 穏やかな世界に、また新たな来客が踏み込んできた。

 平和なこの場所の一定の空気を揺るがす、"波"が到来した。









 ◆◆◆◆◆◆









 美人がいる。

 

 "その人"の周囲の席、離れた席、挙句店員すらひっくるめて店内の全ての人間がその瞬間、同じものを見て同じことを思った。

 部屋の隅のシャンデリアの下、二人の女子高生。

 一人はどうでもいい、問題はその向かいに座るもう一人の方だった。

 あらゆる詩人もこの人を前にしては語りつくせないほどの表現と賛辞を口にし、決定的な言葉を出すことは出来ないだろう。

 故に詩人でもなんでもない、ごく一般人の彼等はこう思った。

 

 本物の美人。

 極限に無難で、最も適した言葉だ。

 

 周囲の反応は多種多様だった。

 くっちゃべっていた女子高生たちは一瞬水を打ったように静まり返り、ある男は恋人が隣にいることを忘れて彼女に見惚れ、その恋人は自分を放っておいてだらしなく

鼻の下を伸ばす彼氏に青筋立て、ウェイターたちは誰が注文の品を持っていくかと揉める。

 

 そんな中、誰かやるのではないかと思いつつも尻込みして誰もやらなかった行動につい出た一派が。

 

「ねぇ、彼女」

 

 茶髪。ピアス。軽い感じな服装。 

 いかにもナンパな装いをした男が二、三人。

 他に捻りの入った誘い方はないのか、と思わされる使い古されつつも現在も何故か愛用され続けるパターン。

 連れと思われるおさげ編みの眼鏡少女は、完全に数に入っていないらしい。

 目当ての獲物(ターゲット)は、美人一人に絞り込んでいる。

 

「良かったら俺達の席に来ない? あ、ついでにそっちのコも一緒にどう? 俺達奢っちゃ」

「間に合っていますので、気遣いは無用です」 

 

 にっこり。

 女神の微笑み。されど「帰れ」という意味合いは馬鹿にでも伝わる。

 比較的馬鹿に近いこのナンパ一行にもそれは脳に伝達された。

 しかし、馬鹿は愚かな事にそれで退こうとはしなかった。 

 この程度の拒絶で退くには獲物は上等すぎ、惜しかった。

 

「そんなこと言わずにさぁ。………二人じゃ淋しいでしょ、ねぇ」

 

 こうなれば多少強引にでも、と思ったのか獲物の肩を掴む。

 が、その手首に次の瞬間、思いがけない締め付けがかかる。

 

「え」

 

 先急いだ行動に出た男は、惚けた声を出した。

 ぎりり、と締め付ける手は他でもない、獲物の手。

 細く白い手から、どうしてそんな威圧感込もる力が出てくるのか。

 想定外のことに驚く男に、少女は男たちにしか聞こえないように言葉を放った。

 

「………二度は言わない――――――失せろ」

 

 先程の清楚な声色は何処へ行ったのか。

 握られた箇所の骨が軋むのを感じ、男は真っ青になった。

 容赦のない言葉と極寒の眼差しに、男達は首振り人形のようにおもしろいほどの速さで上下に何往復も振ると、転がるように店から飛び出して行った。

 食い逃げだ、と店員側は彼等が店からいなくなってから五秒経て気付いたが、既に遅かった。

 

「全く、人が優しくしてやっているうちに退けばいいものを………どうした、久留美」

 

 目の前で溜息を着いている三つ編み眼鏡――――――久留美は、どこか遠くを見て、 

 

「……これから先、アンタとどこか行くたびにこうなるかと思うとちょっと気が遠くなっただけよ。うん、頑張れ私――――――さぁ、放課後のお楽しみー」

 

 切れの良い切り替えを終え、久留美は持って来られた頼んだケーキを受け取った。

 なかなか適応力に長けているようだ。

 

「あーむっ………はうーん、この為に生きてるぅ」

 

 口をもぐもぐさせながら極上の幸せの浸っている表情の久留美。

 ケーキ一つでこうも盛り上がれるのか、と眺めていた千夜の元へも頼んだ品が到着する。

 極上の微笑を貼り付けた外面で紅くなるウェイターに対応した後、さっそくフォークを突き入れる。

 

「あ、ザッハ頼んだの。渋い線行くわねぇ、チョコ好き?」

「ああ。ん……これは美味いな。少し酒の味が………これはラム酒か」

「へぇ〜、食べただけでわかるんだ。もしかしてケーキに関しては結構うるさかったりするの?」

「昔、ある人に散々行きつけの店やら気に入った店やら連れ回されたんだ。で、食べるケーキ一つ一つに親切な解説が添付されてな。知識に関してはそれで、だ。特に、

チョコレートを使ったケーキに関する薀蓄はこと細かくてな。気がついたら好物になっていた」

「ふーん」 

「それは……ちょっと変わってるな、どれ」  

 

 と、千夜のフォークが久留美のケーキの一部を攫う。

 

「あ、ドロボーっ」

「栗の味がする……中はマロンペーストか。なんだこれは」

「もうっ……この店自慢の特製モンブランよ。そっちのももらうからね」

「変わったモンブランだな、土台がロールケーキなのは初めてだ……」

「そう? 割とあるけど……でも美味しいでしょ? 私、ココのこのモンブラン大好きなのよねぇ」

 

 そう言ってまた一口。噛み締め、プルプルと快感に悶える。

 女子高生っていう生き物はどうしてこうも人目も憚らずリアクションがオーバーなのだろう、と素朴な疑問を抱きつつ千夜も久留美同様に(ただしリアクションは無い)

ケーキに舌鼓を打つ。 

 

「そーいえばさ……あむっ……」

「久留美、食いながら喋るのはよせ」

「んっ……さっきの連中追っ払うの、随分雑な仕事だったわね」

「そうか?」

「そうよ。だって、いつものアンタならすぐそこの路地裏に自慢の外面で誘い出して二度と馬鹿できないように全治二ヶ月の重傷負わせて六十日間の悪夢に苛ませ」

「………お前、私を何だと思ってるか言ってみろ」

「遅れてやってきた恐怖の大王」

「……久留美ちゃんにイジワルなこと言われた」

 

 くすん、と鼻を啜る声を無視しつつ久留美は話を進めようと試みる。

 慣れって怖い、と実感しつつ、

 

「なんかあったの? 今日、アンタ機嫌悪く見える」

「気のせいだろ。あ、この季節限定のタルトショコラっていうのもいいな。すみませーん、追加お願いしまーす」

「あ、ちょっと、いくつ頼む気よ」

「小腹が埋まるまで」

「太るわよ」

「哀しいことに燃費の悪い体でな。過去に店十件渡ってケーキ三十個食わされたが、体重は微動だにしなかった」

「財布は」

「お前の奢りだろ、学校出る前に言ったじゃないか」

「言ってねーっっ!!」

 

 まずい、と久留美は全身の血液が冷たくなっていくのを感じた。



 敵は痩せの大食い。

 テレビでよく見るが、まさかこんな身近に現れるとは。



 なんて羨ましい体質――――――ではなく、なんて恐ろしい体質。

 こちとら財布の中身など高校生の平均程度の金額。

 ココのケーキだって安くはない。

 数が重なればとんでもない額になる。それこそ、財布の中身が冷える。

 幸い、今財布の中は今月の頭に稼いだ転校生の新聞の売れっぷりでホカホカだが、このままでは店を出る頃には財布の中だけ真冬に突入してしまうことは火を見るより

明らかだった。

 フォークを噛み締めながら涙目の久留美は後悔の念を吐き出す。

 

「こんなことなら、アンタ抑えてあのナンパ組に奢らせるんだったかなぁ。見返り求められてもどーせアンタだし。どーせ支払いは全員コンクリと冷たく熱くチューだし」

 

 自暴自棄に呟いていた久留美は、ふとあることに観点を置いた。

 

「……そういえば、アンタって基本男に厳しいわよね。もしかしなくても男嫌いだったり?」

「………お前達の目からはそう見えるのか」

「いや、どう見たってねぇ」

 

 そこで、一度フォークを置いた千夜は傍らのコーヒーを一口啜り、一息。

 

「男に限ったことじゃない。私は、濁った目をした人間は性別関係なく生理的に受け付けない、それだけのことだ」

「目? アンタもしかして目で人間の人柄がわかるって人?」

「祖父の教えだ。人間の中身を唯一肉眼で捉えることが出来る部分、それは二つの目」

 

 と、千夜は久留美のそれを人指し指で示した。

 

「瞳の奥には光がある。真っ直ぐな人間のそれは一層強く輝いていて、性根の腐った人間、もしくはそれに近い人間は光がくすんでいる。そして、正気を欠いた人間はそれ

自体が無い。狂気に走った人間は光が爛々として何処かおかしな輝き方をしている」

「それって目でわかるもんなの?」

「この間の化物、屍鬼はどう見ておかしいと思った?」

「んー……あっ、なるほど」

 

 その時のことを思い出したのか、久留美は納得したと表現するように手の平で手を打った。

 

「鋭い人間は無意識に相手の目を見て異変を感じ取るんだろう。鈍い人間は、本能の危機感で。だから、気がついた時には大抵手遅れな事態を迎える。まぁ、お前に関して

は心配は
必要()らないな。勘も察しも良い、度胸もある上観察眼は特に。ジャーナリストを狙うだけの素材は充分備えているだけある」

「そりゃどーも。………で、中身は?」

 

 問われた言葉に、千夜の目が伏せられる。

 そして、上げられた目はにやりと口元の歪みと共に細まり、

 

「よろしくないな」

「失礼しちゃうわねー、私みたいな純粋無垢な女の子を捉まえて」

「どの口がそんな戯言をいうのか。まぁ、生憎私は――――――嫌いじゃない」 

「……そうこなくっちゃっ」

 

 かんぱーい、と千夜の持った陶磁器のカップと久留美の差し出した紅茶のそれがぶつかりカツン、透き通った音を奏でた。

 

「で、大分話の路線がズレた気がするんだけど、実際のトコロはどうなのよ」

 

 あんむ、と大口でモンブランの欠片をパクつきながらの久留美の問いだった。

 

「どう、とは?」

「……んく、男、嫌いなの?」

「どうしてもそこに拘るのか」

「………ちょっと、気になるのよね。アンタの、もしそうだとしても、なんか違うように見える」

 

 久留美の指先で操られるスプーンが紅茶に渦を生む。

 

「その違うっていうのは……アンタの男に対する拒絶が、女が男を恐れるそれとは違うように見えるのよ、私には。アンタの場合……恐れ、というよりは……憎しみ?」

 

 ぴくり、と千夜のカップを置いた直後の手が震えた。

 しかし、死角となっていたそれは己の意見を述べるのに夢中の久留美の目には入らなかった。

 

「………そう見えた理由は?」

「ほら、普通さ。過去に男によるトラウマとか作った女で、男勝りになる奴いるじゃない? そーゆー奴ってさ、なんだかんだ強がってもいざ追い詰められるとトラウマ

の前じゃ何もできなくなっちゃうらしいのよ。怖くてね。でも、アンタの場合さ、さっきの見てても全然。心の底では怖がってるっていうのすらちっとも見えなくて。つ

まり、私が言いたいのはね、仮にアンタが男嫌いだとしても、アンタは男が"怖い"んじゃない、憎いんじゃないかってことなのよ」

 

 と、久留美は掻き回していた銀色のスプーンを渦から取り出し、千夜に先端を向けた。 

 

「……人を指差しちゃいけませんってお母さんに習わなかったのか」

「悪かったわね、不躾な女で。そんなこと言ったらさっきのアンタも。それと、これは指じゃなくてスプーンよ」

 

 一息で三度も揚げ足をとった久留美に溜息をつきつつ、千夜はスプーンを奪い取りテーブルに置いた。

 

「つくづく感心させられるな、その観察力の良さ。てゆーか、何でそんなところまで事細かに私を観察するんだ? ストーカーされてるみたいな気分になったぞ、一瞬」

「人を変態と一緒にしないでよ。興味があるからよく見るの」

「それこそ軽いストーカーだろ」

「はぁっ? アンタ、友達をそういう風に言うわけー?」

「………何で、お前みたいなの友達にしたんだったっけ」 

 

 はぁ、と溜息の変わりにザッハを抉り取り、一口放る。

 

「んぐ……まぁ、問われたからには答えないとな。別に隠し事じゃないし。――――――お前の言うとおりだよ、ほとんど当たりだ」

「よっしゃっ……え、でもほとんどって」

「別に私は、さっきの連中や……男全部が憎いってわけじゃない。ただ――――――

 

 ただ?と先を促すように久留美が繰り返す。

 

 

 

――――――世界で生まれて初めて憎んだ存在が男だった、それだけだよ」

 

 

 そう答えた千夜の表情は恐ろしいまでに、無表情だった。

 









 ◆◆◆◆◆◆









 カチリ、とフォークの先が皿を突付いた。

 

「そりゃまた、スケールのデカイ言い方するわね」 

「事実さ。ついでに言えば、そいつは最悪の意味で私の人生に大きな影響を与えてくれたよ」

「………影響って……」

「その男は、私が信頼していた少ない人間の一人でな。まぁ、信頼の度合いで言えば一番低い位置にいたかもいれないが。―――――そして、ある日そいつは私を裏切った」

 

 ごくり、と久留美は唾を飲み込んだ。

 裏切った、の意味を探る。

 最悪の意味で人生に影響を与えたとまでいうほどなのだ。

 よほど酷いことをされたのだろう。

 しかし、この場合その『裏切り』に値する『酷いこと』となると、男と女でそれを探索すると行き着く答えは一つで――――――

 

「あ、あのさ……ちょっと、確認したいことあるんだけど」

「なんだ、話の途中で」

「いいから……何も言わずに耳貸して」

 

 訝しげに眉を動かしたが、千夜は久留美の言葉どおりにする。

 ごにょごにょ、と千夜の耳元で久留美は小さく囁いた。

 

「…………」

「…………」

 

 しばしの硬直。

 その後、二人は顔を見合わせた。

 千夜は渋い顔で。久留美はやっちゃった、と言う顔で。

 呆れたように声を先に出したのは千夜の方だった。

 

「…………お前」

「だ、だってー! 気になるじゃない、この話で一番大事じゃことじゃないの! で、ど、どうなの、そこんとこ」

 

 問い迫るその顔は羞恥で真っ赤だ。普通なら逆だろう。

 恥らうくらいなら言わなきゃいいのに、と思いつつも千夜は答えた。

 己と久留美にだけわかるように言葉を控えて、

 

「ないない。至って清いまんまだよ。前も後ろも」

 

 その発言が世間一般的に控えめと認められるかどうかは置いておくとして。

 

「で、でも……」

「……されかけはしたがな。奴に一線越える度胸が無かったのが、救いだったな」

 

 だが、と千夜は続けた。

 

「その後しばらくの間、人を信じられなくなった。そいつよりもずっと信じていた人間までも、誰一人と…………いわゆる人間不信という奴をプレゼントしてくれたのさ、

奴は。まぁ、今は大分よくなったが………まだ男は全然だな。多分、この先治る見込みはないな」

 

 言葉にはしなかったが、久留美もその考えには肯定だった。

 自意識過剰でも自信過剰でもない。千夜に近寄る男は皆多かれ少なかれ、そういう欲望を膨らませて近づいてくるのだろうから。

 

「男達の目の奥の光が、アイツと同じ欲望を仄めかせた光が、奴を彷彿させるんだ。あの男の幻影がダブり、私の奥底で眠る強い感情が昂ぶるのさ……殺してやりたい、と

思うほどに」

 

 なんてことないように千夜の口から言葉が流されていく。

 何でもないことだと言うようには、千夜を見る久留美にはとても思えなかった。

 言葉を棒読み。怒りで拳を震わすという無意識の動作の表れもない。

 だが、目だけは誤魔化しきれていなかった。

 横の窓越しに外を眺める目はナイフのように鋭い視線を放っていた。 

 視線の先に捉えているのは、此処にはいない誰か。されど、この世界の何処かで生きている誰か。

 そいつに対する憎悪の眼差し。

 

 向けられた者は恐怖するだろうその視線、久留美は怖いとは思わなかった。

 それは自分に向けられていないからというのは当然のことなのだが、そうでなくても見る者にこれは怖いと思うのが普通。

 けれど、久留美には何故かそれほど怖いものには感じれなかった。 

 あの時見た表情に比べれば、だが。

 機械人形のような、無感情な表情。

 アレに比べれば、こんなものそれほど怖くは無い。

 寧ろ、安心さえしていた。

 憎しみ。愛情の対となる人間の中で最も強い感情の一つ。

 それがこれほどまでに表現し抱ける千夜に、久留美は心の底からホッとしていた。

 

 なぜならば、それは彼女が人間だという証だから。

 人間らしい感情を持っているという証明だから。

 

 あの夜以来、心のずっと深い底で消えないで凝り固まっていた残骸が、今跡形も無く崩れていくのを久留美は全身で感じ取った。

 

「…………美人って苦労すんのねー……あ、でもさ」

 

 不意に沸いた、泡のような疑問。

 

――――――じゃぁ、何で蒼助は平気なの?」

「……………………は?」

 

 この瞬間、久留美は驚くべきものを見た気がした。

 きょとん、とした顔。

 あの。あの千夜が。

 しかし、その表情もやがて気分を害されたというような不機嫌なものへ移り変わる。

 

「………何で、ここで玖珂の話が出てくるんだ」

「だって……アンタ、アイツとじゃ態度違くない? アイツだって男なのに、アンタ普通に話してたじゃない。しかも素で」

「態度が違う………? いや、それは初日にアイツに見られたから」

「いや、そうなんだけどさ。でも、アンタ……アイツと話してるとなんか楽しそうだから……」 

「………楽し、そう?」

 

 千夜は久留美の言葉を疑った。

 

 楽しそうだとは、一体何のことだろう。

 他人から見て、自分は蒼助と一緒にいるとき、本当にそんな風に見える表情をしているのか。

 

「私は寧ろ、それが不思議なのよね。……だぁって、あの蒼助とよ? あれこそ、この世の中で一番警戒すべき最悪の男、女の敵じゃないのよ」

「どうしてだ」

 

 だって、と久留美はテーブルの向こうから身を乗り出す。

 

「アンタは知らないかもしれないけど、アイツって我が学園一の女たらしなのよっ! 下級生と同学年はどーゆー理由かこだわりだか知らないけど守備範囲外だけど………

上級生と他校生が何人アイツに食われたことか。股がけは最高で五股。人妻に手を出して夫に怒鳴り込まれたこともあるらしいし。行きずりの女とも平気にラブホ直行よ? 

どうなのこれ、会ったばっかの女とヤるだけやってハイさよーならなんてっ! ………絶対、アイツ女を昂ぶる性の捌け口としてか思っていないのよ、きっとそうよ、絶対

そうよっ!!」 

 

 ダンっ!、と言い切ると同時に久留美は拳をテーブルに力いっぱい叩きつけた。

 周囲の注目の視線が一気に二人の席に集まる。

 熱弁を終え、一気に捲くし立てた反動か、肩で息をする久留美に千夜は若干引きつつも、

 

「……おい、大丈夫か」

「ぜぇ……はぁ………私としたことが……つい犠牲者の女子達の代弁に熱くなっちゃったわ。………とにかく、アイツはそれだけケツの軽い男なのよ。歩く性犯罪なのよ」

 

 酷い言われ様だ、と千夜は思う。

 しかし、自宅で見つけたモノを考えるとフォローも考えものだった。

 

「で、何でそんな奴がアンタは平気なの? アンタが嫌いな"男"そのものじゃない」

「…………――――――アイツは、違うだろ」

 

 へ?と久留美は目を丸くした。

 違うと言って返って来た千夜の返事に。

 

「アイツは違うだろ」

 

 もう一度繰り返される言葉に久留美はますます怪訝な表情になった。

 

「違うって……何が?」

「だって……玖珂は………」

 

 玖珂の目は少しも欲望で濁ってなんかいないのだから。

 いつだって真っ直ぐな光が見える。

 それに、

 

「久留美は、手を出されたのか?」

「な、なわけないでしょ!! んなことされたら、とっくにアイツを殺してるわよっっ」

「都築は? クラスの女子は?」

「………いやー、ないんじゃないかしら。………って、何が言いたいの?」

「なんだ……潔い奴じゃないか。――――――友人には、手を出さないのだから」

 

 呆気に取られた久留美に千夜は言う。

 

「本当にどうしようもない奴は、平気で裏切るんだ。友達も、仲間も。自制もできない奴は。アイツはちゃんとそれが出来ている。分別がきっちり付けられてる。友達は

友達。セフレはセフレ。自分の中で相手に付けた取り決められた枠から外れたことはしない。久留美も、アイツが根は腐った奴じゃないとわかっているからつるんでいる

んじゃないのか?」

 

 う、と図星を突かれた久留美は喉を詰まらせた。

 

「………アンタ、知り合ってそう経ってない相手のこと、よくそんなところまでわかるわね」

「人のこと言えるのか。……実は、ぶっちゃけるとこの前の休日にちょっとした成り行きで玖珂の家に泊まってな」

「どんな成り行きでそこに至ったっ!?」

「それで部屋で女物の派手な下着を見つけたりしたが」

「………やっぱ、さいてー」

「でも、私には手を出さなかった」

 

 千夜の告白に久留美はポカーンの状態になった。

 信じられない、と。

 そんな世間一般で言う『据え膳』又は『美味しい状況』下であの男は一晩何もしなかったというのか。

 何故そんなことになったのかその成り行きも気になるが、何もしなかったその真意は数倍気になる。

 

「一体どーゆーこと………まさか、ヤりすぎで不能に」

「お前、もう少し公衆前での発言に抑制かけろ。じゃないと服着た逆セクハラになるぞ」

「………っと、そうね。……ふーん、アンタの言うことが正しいとしたら……ちょっと見直したかも、アイツのこと」

 

 久留美にとって馬が合わないが、嫌いではないあの男。

 若干、認識に改竄の必要があるようだ。

 

「でも、いがーい」

「……? 何がだ」

「アンタの感情をそこまで動かしたのが、蒼助だったって話。……ひょっとして、苛々している原因も蒼助だったりして………なーん、て」

 

 ビシッと久留美は言葉を途切らせ固まった。

 目の前の千夜が一瞬、物凄い不機嫌な形相をしたのを正面から見逃すことなく見てしまったから。

 にこー、と極上の、されど凄みが伝わってくる笑顔が描かれ、

 

「久留美」

「は……い?」

「話していたら腹が減ってきた。追加するが………かまわないよな?」

「え、ちょ……」

「あのーすみませーん、さっき頼んだのと一緒にまた追加を」

「きょ、拒否権なし!?」

「えーと、シューにコシールにアップルパイにベリーフロマージュにカスタードプリンにタルトショコラに苺のショートケーキに……」

「きゃー!! やめてーっ!!」

 

 一体何の地雷を踏んだのだろう、と千夜を怒らせた理由を探る余裕は久留美にはなかった。

 今はただ、衰える様子なく並べられていく追加注文を止める言葉だけを死ぬ気で考え、叫びに近い声を上げ続けた。

 しかし、一時間後、彼女はすっかり軽くなった財布と共に店を出ることになる。









 ◆◆◆◆◆◆









 チリンチリン。

 

 小気味いいベルの音に見送られ、二人は店を出た。

 外に出た時には、真っ赤な夕陽が沈みかけてる寸前。薄暗い。

 そして、久留美の心も深い闇に沈みそうになっていた。

 

「………持ってかれた。全部持ってかれた」

「元々は私の記事で稼いだ金だろ。因果応報、めでたしめでたし」

 

 ちっともめでたくなーいっ!と叫ぶ久留美を無視して歩く。

 手応えがすっかり軽くなった財布を抱いて、ぶちぶち文句垂れていた久留美が不意に別の言葉を漏らす。

 

「……アンタ、本当にナニ苛ついてるのよ」

「全然。腹の虫が治まって気分爽快なんだが」

「そりゃ店のケーキ全品制覇すればねっ!! ………でも嘘ね、だって目が笑ってないもの」

「一度、眼鏡の度の調整した方がいいんじゃないか」

「人の眼鏡にケチつけて丸く治めようとするなっむ」

 

 言い終える言葉尻の方で、呻き声に変わった。

 突然ぐきっと首を向きを変えられ、両頬を両手で挟み込まれた久留美はやはり目が笑っていない凄まじい笑顔の千夜とご対面する。

 

「触らぬ神に祟りなし、という言葉知ってるよな? 意味、わかるよな? 祟られたくないだろ?」

 

 顔の両サイドのほっぺをムニムニ捏ね繰り回される中、久留美は一心不乱に首を縦に振った。

 若干、涙目で。



 頷く久留美に満足したのか、手を離して帰路を辿る再開をしようと前を向いた時、

 

――――――っと」

「ん? ……あー」

 

 面倒くさそうな顔とうんざりした顔が見た前方では、道を塞ぐように立ちはだかる見覚えのある男たち姿があった。

 店でしつこく誘いをかけてきた、千夜が手酷く払い落としたあの連中だった。

 

「なにかしら、アレ」

「辺りが薄暗い、周りに人気がない、多勢に無勢…………こんな条件が揃った状態で向こうがやりたいことなど一つしかないだろう」

「無勢の頭数に私って入ってるのかしら………」

「なんなら聞いてみるか」

「……止めとく」

 

 聞かなくても、空気が久留美の肌に伝えてくる。

 優しくしてやりゃつけあがりやがって男なめんなコラーってところだろうか。

 眩暈が久留美を襲う。

 どーして世の中こんな男ばっかりなのか。女と見たらヤりたい一直線なのか。

 こういう男の汚れたばっちぃ面ばかりを見せられると男を嫌う千夜の気持ちを嫌でも理解してしまう。

 

「で、どーすんのよアイツら……あからさまに逃がす気ないわよ」 

「とりあえず、そこの路地裏に入る」

 

 と、千夜が見やった先を追うと、こちらと男達の間隔のちょうど中間地点に――――――二つの建物の間に出来た広めの空間が。

 

「あそこ通って逃げるの?」

「いや。それと入るのは私だけだ。鞄、持っててくれ」

 

 持ち上げられた鞄が久留美の胸に押しつけられる。

 

「何する気?」

「食後の運動を軽く」

 

 向こうの男達には見えないように向けられた笑みは実に、人の悪いものだった。

 それによって『運動』の正しい意味を察した久留美は少なからず同情した。

 これから『運動』に付き合わされるだろう男達に。

 果たして、軽くで済むだろうか。

 多分無理だろうが。

 

「頼むから殺人とか起こさないでよー。……いやよ、死体隠すの手伝うの」

「もう証拠隠滅まで考えが飛躍してるのか。安心しろ、半分くらいは生かしとくから………――――――いや、やっぱり10分の3くらいに」 

 

 それは生かす方と殺す方のどっちに当てはまる分配なんだろう、と久留美が思っている間にも千夜は路地裏へと入っていく。

 男たちは伺うように久留美を見た。  

 

「わ、私よりあのコの方がオイシイわよっ」

 

 反射的とはいえかなり卑怯な台詞かもしれない。 

 しかし、事実だ。言っていてかなり哀しい気分だが。

 言わずもがな、男たちは元々の獲物を選び、各々想像に先走って欲望に染まった表情で、草食動物の皮被った猛獣の檻へと入っていく。





 数秒後、まず暗い奥から聴こえてきたのは肉を打つ打撃音。僅かに遅れてくる呻き声。仲間の怒号。また打撃音。奥で何かがひっくり返る音。以後、連続的に起こる打撃

音。そして、つんざくような複数の男の悲鳴。 

 



 ごめんなさいすみませんもうしません家に帰してごっぺぁっ。

 



 奥の凄惨な光景は見なくても充分だ。 

 寧ろ見たくないもはや一方的な暴力と化した闘いなど。人が来ないうちに早く終わって欲しい。  

 

「……まだ、続いてる」

 

 衰える様子ない闘争の音色。

 彼女の転校初日で巻き込まれた神崎の時は案外あっさりだったが、これは妙に長くないだろうか、と久留美は違和感を覚えた。

 

「ナニよ、やっぱり苛ついてるじゃない………」

 

 何が千夜をこうもぐらつかせているのか、と久留美は思考に走る。

 有力な可能性は一つにして一人しかいないが。

 

「………何があったんだか」

 

 とりあえず、この物騒な協奏曲が一分でも早く終わることを久留美は願った。 

 
















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