夢を見ていた。














 自分が体験するようなモノではなく何かを傍観する、そんな夢。



 宵の空に浮かぶ銀色の満月。

 白い花が大地を埋め尽くしていた。

 風に乗って舞う花弁が、その奥に佇む人影の元へ誘う。



 白い。

 否、花弁と共に風に弄ばれるその髪はどちらかと言えば、その人物の頭上に昇る月と同じ色だった。



 闇の中で輝く銀色。

 月の洗礼を受けたように煌めき、白い花と踊る。

 息を呑んでしまうほどの幻想の中心にいる人影は―――――――少女だった。

 後ろ姿を向けるその姿は存在感とは裏腹に酷く繊細で華奢だった。抱きしめれば折れてしまいそうなほどに。



 触れたい。顔が見たい。

 ふと湧いた欲求に押され、手を伸ばす。



 届くはずがないと理解っていても―――――――




 

 そして、眩いまでのフラッシュが全てを白く染めて、無に還した。









 

 ◆◆◆◆◆◆









 何も見えなくなった。





 そこで蒼助の意識は現実に帰り、覚醒する。



 フラッシュバックとともに観ていたものは全て忘却へと消えてしまった蒼助は、何を見ていたか思い出そうしたが、記憶の引き出しを開けてもまるで見つからない。

 それが大事な事だったか、それさえもよくわからない蒼助は、それを埋めるかのように一つの行動を選んだ。



「……………寝るか」

――――――寝るな」



 思わぬ一声、思わぬ痛快な一撃が、不意打ちとして寝起きの蒼助に襲い掛かった。



 左に背を向けた途端、露になった後頭部にそれが炸裂。



 サッカーボールを蹴るかのような抉るような一撃は蒼助の身体を浮かせ、蹴った方向にある障子をぶち破って廊下に蹴り飛ばされた。

 
よって、蒼助は本来望んだ形ではない一瞬の眠りにつくこととなった。



 しばらく、ピクリとも動けなかったが、持ち前のタフさは蒼助を三十秒足らずで復活に至らせた。

 そして、いきなりの暴挙を繰り広げた相手を睥睨。そんじょそこらのチンピラなら尻尾まいて逃亡するであろう、十代とは思えない禍々しい殺気を込めて、



「ふっ……何処の自殺志願者か知らねぇが、死にてぇならお望み通り……って」



 胸ぐら掴み上げて相手の面を見たところで、ドスの利いた声は勢いを失くした。



「死なすとは穏やかじゃないな、起こしてやった相手に向かって」



 やれやれ、と胸倉を掴まれながら肩を竦ませるのは―――――――少年だ。



 長身の蒼助とタメを張る身長だが、涼しげな目元に宿る落ち着きが蒼助との違いを感じさせる。

 短く切りそろえられた黒髪も明るい色の髪の蒼助とは相反する印象を持たせる。

 瞳には更に剛性の輝きが宿っていて、不用意に見る者をたじろがせてしまうだろう。

 その眼差しを対等の立場で向かい討てる人間は蒼助を入れて数は少ない。



あ、(あきら)?」



 目の前の存在は、『此処』にいるはずのない友人だった。



「何でお前がこんな朝早くから俺んちにいるんだよ! 鍵は!? まさか窓とか割ってねぇだろうな!?」

「それをまさに俺の家で実行したお前と一緒にするな。それに、お前の家はマンションの五階だからやりたくても出来ねぇよ」



 胸ぐらを掴む手を振りほどき、やれやれと肩を竦める。



「全く、せっかく助けてやったのに礼の一言も無しか。……命の恩人の胸ぐら掴んで、ギャーギャー騒ぎやがって」

「恩人だぁ? 一体何の話をして……」

「何だ、覚えてないのか。


 ―――――――お前、昨日の夜公園で血だらけでベンチの横で倒れてたんだぞ」



 昶の言葉が、蒼助の記憶回路の起動スイッチとなり、回想を促した。



 渋谷に徘徊する『魔性』討伐の依頼。

 交戦の中で起きたハプニング。




 そして――――――黒髪の女の乱入。




「血だるまもいいところだったから、本気で血の気引いたぞ。まぁ、それだけ元気なら無駄な心配したってことか」

「………なぁ、俺は一人だったのか?」

「当たり前だろう。でなきゃ、誰かがとっくに救急車呼んでお前は今頃病院だ」

「……そう、か」



 女との出会いに確信が持てず、実感が湧かない。

 混濁する意識の中で見た幻だったのだろうか。

 しかし、それでは自分が今こうして無事に生きている事に説明がつかない。

 あの魔性を倒した人間も。

 噛み合ない疑問と答えに四苦八苦している蒼助に声が舞い降りる。



「そういえば、あれだけ血まみれだったくせにお前何処も怪我してなかったぞ。どういう事だ」



 傷がない。



 告げられて芽生えたのは、否定だった。

 そんなはずはない、と思うがままに、蒼助はシャツを捲った。 



 昨夜、ずっぷりいかれたはずの脇腹を確認した。



「……………ない?」



 跡形も。

 まるで傷など最初からそこにはなかったように完治していた。



 思考を巡らし、昨夜に起こった出来事が鮮明に思い浮かぶ

 そもそも両腕両脚を再起不能なまでに折られたはずだった。

 確実に死に至る瀕死の重傷を負った、はずであった。



 それが痕跡すら残さず蒼助の身から消えうせていた。

 彼女と昨夜出逢った証拠となるものが。



「何だ、どうした?」

「…………なんでもねぇ」



 夢が現か。

 蒼助は、存在が曖昧なあの名も知らない少女の姿を思い浮かべた。



 不思議なことに、瀕死の状態であったにも関わらず蒼助は女の顔をしっかり覚えていた。

 自分が今まで知り合った中でも、一際美人だったからだろうか。



 そう考えたが、即座に違うなと否定した。



 美人だけで、というならいくらでも知り合って来た。行きずりの女よりも短い時間の、それこそ刹那とも言える逢瀬をしたにすぎない相手をこんなにもはっきりと覚えて

いる理由にはならない。

 行きずりに知り合ってセックスした相手の事など行為が終わればすぐさま忘れてしまうのに何故かあの少女のことは忘れられない。

 寧ろ、考えるのを止めようとすればするほど思考回路をあの女の残影が侵していく。

 あの状況じゃなけりゃ携帯番号聞いてたんだけどなぁ、と後悔を募らせた時。




 ―――――――蒼助はふと『ある違和感』に気づいた。




 その違和感の正体。それは自分が『今いる場所』に対してのもの。

 先程、昶に蹴られて飛んだ際に突き破った障子。足下の木の床。背後からカコーンと鹿威しの音が聞こえて来る池のある――――――― 広大な中庭

 見回す限り、和のテイスト満載の構造の『屋敷』。 



 あれ、おかしいぞ?確か俺んちってマンションの一室だったはず。

 池もなければ庭もねぇぞそもそもこんな長い廊下も、とぶつぶつ頭抱えて呟いている蒼助に、昶が一声。


「お前の家だろう。ただし―――――――『実家』の方だが」

「やっぱりかぁぁぁっ!!」

「反応遅すぎる。起きて最初に気付くだろ、普通。あと、今来てるのも着流しだしな」

「ああそうだなぁ! 俺の目の前にいる馬鹿野郎が後頭部をサッカーボール蹴るみてぇに手加減なしでぶっ飛ばしてくれたおかげで周りどころか、自分の格好にも目が

いかなかったぜおいテメェっ!!」 



 胸ぐら掴み、がくがく揺すり喚く蒼助。



「っ何で親父の屋敷なんかに運んだんだよ! せめてマンションとまではいかねぇからお前んち運べよ!」

「血だらけの人間を家に連れ込めるか。夜食買いにコンビニ行った帰りにそんなもん背負って帰って来た日には、お袋が倒れる。あの人、元・一般人で血に慣れてないん

だから」



 もっともな意見に反論できずにいると昶がこれ以上にないと言える極上の笑顔を満面に浮かべて肩を叩いて告げた。



「お前を運んで来た時、親父さんものすごく狼狽してな。屋敷中の人間叩き起こしそうな勢いで騒いでたからな夜分に組の皆さんに迷惑かけないように手刀を首に打ち込

んで黙らせてそのまま放置した。だが、さっきの騒音で起きたかもしれんな」

「てめぇが蹴飛ばしたんだろうがっ!! ……って、あー、そうだっけ、みたいな顔するな!」

「死にかけだったくせに、朝から元気だな。それよりも心配すべきことがあると思うんだが」

「何だよ!」

「この―――――――床に響く足音とか」



 それは本能か、長年の直感か。

 急速に接近してくる壮絶な足音の持ち主の姿が、蒼助の脳裏を駆けていった。


 バッと振り返れば、自分の名前を叫びながら騒がしく突進してくる紺色の着流し姿の初老の姿が視界に飛び込んで来た。 






「そぉぉぉぉぉぉぉぉすけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!!!!!!」






 年相応の白髪入り混じった角切りの髪、幾本もの皴が刻まれた厳格な顔つき。

 それを強調させるかのように生やされた口髭。

 ヤクザの親分を連想させるこの初老の男はまさにそれであり、紛れもない蒼助の父親だった。



 止まらない勢いとその切羽詰った険しい表情で、迫力五割増しで突進してくる様に怯んだ隙に生まれた―――――――一瞬の隙が命取りとなった。

 抗う暇もなく伸びたゴツイ両手が蒼助の秀麗な顔をガッシリと掴み、固定しキスしそうなくらい厳つい顔を近づけられ、



「顔は!! 顔は無事か!? 美沙(みさ)()さん似の顔に大事はないかぁぁっ!?」

「っ、っ………久々に顔合わせた息子に言う第一声がそれかこっの夫バカがぁぁっ!! むさ苦しい顔近づけんじゃねぇぇぇぇっ!!!」



 箇所がズレた安否の確認をしながら、整った顔を隅々まで傷は残ってないか痣はついてないかと嘗めるように見回される。生暖かい息が顔にかかり、鳥肌が立った。

 暑苦しすぎる実の父親に対し息子は応戦するかのように罵倒し、着物を襟を掴みあらん限りの力を込め―――――――それを池に背負い投げた。



「ぐぼぁっ」



 途中、うめき声と共にごきんっ、という硬いものに硬いものをぶつけたような音が聞こえたが、それはすぐに水音で被さるように掻き消えた。

 それを最後まで見届ける事なく、蒼助はくるりと向き直り廊下を歩き出し友に尋ねる。


「………………逝ったと思うか?」

「逝っちゃマズいだろ。……んー、過去に似たような光景を十回以上見た俺から観ての推測だが。

 ―――――――昼には復活する」

「だろうよ。さて、朝っぱらから誰かさんから頂戴した不満は解消できたし、暴走親父は鎮まったところでとっとと学校行くか」



 夜中一度帰宅して朝に再びやって来たと思われる昶は、蒼助の支度次第ではすぐにでも登校出来るようにという腹づもりだったのか、既に制服姿だった。

 しかし、視線は少し何かへ名残を宿しており、


「……ああ、そうだな。池に浮かぶ頭の頂点にタンコブ生やした土佐衛門はほっといていいのか?」



 ぷか〜、と水面に突っ伏して力なく浮かぶ自分の父親の無残な姿には目もくれず、蒼助は答える。



「後始末は、ウチのやつらがなんとかするからいらん気ぃ使うな。おーい、望月(もちづき)ぃ〜


 歩きながらの呼びかけと同時に、通りかかった一部屋の障子が開く。

 出てきたのは黒一色の背広を着たスキンヘッドにサングラスを掛けた男だ。


 
姿勢は何故か正座で、



「お呼びですか、若」

「池にぷかぷかしてるアレをどうにしかしといてくれや。二、三時間すりゃいつもみてぇに痙攣して目ぇ覚ますから。寝かすのめんどくさけりゃ床に転がしといてもいい。

頭打ってるから記憶一部抜け落ちてるかもしれないがそん時は黙っていましたが夢遊病ですとでも吹き込んどけ。………あと、そんときゃ俺がここに来た事は言うなよ」

「かしこまりました。制服は既にマンションから手配しております。」



 言葉の終わりと共に、蒼助に望月と呼ばれた男は綺麗に折りたたまれた制服を差し出した。

 受け取り、そんじゃ着替えて来るから、と昶に告げて蒼助は進行方向を180度変えた。 


 そして、先程まで寝ていた――――――もといかつては蒼助の――――――部屋に蒼助は引っ込んだ。









 ◆◆◆◆◆◆









「苦労してるな、望月さん」



 いえ、と望月と呼ばれたスキンヘッドは首を振り、



「玖珂の補佐として当然の務めですから」



 ちらり、と二人は池で浮いているその当主を見る。



「毎回よくやるよな。親父さんもあの馬鹿も」

「父親と息子とはそういうものですよ。あれも一種のミュニケーションの取り方です。夕日を背景にキャッチボールするように」

「さっきの場合、球は親父さんで一方的に投げるだけだった気がするが」



 その投げられたボールは未だ動く気配はない。 

 二人は暫く奇妙なものが入り込んだ庭を眺めた。



 ふいに望月が口を開き、



「最近、どうですか。若は」

「何が?」

「女性関係です」



 ああそっちか、と昶は思い最近の蒼助とやらを思い返す。



「相変わらずっすよ。今月ひっかけた行きずりの女の数、聞くか?」

「いえ………そうですか、変化は特にありませんか」



 表情や言葉そのものに、特に落胆が表れているわけではなかった。

 が、その声色は何処か残念そうだった。



 といっても顔はサングラスに遮られて、殆ど変化など見れるわけがないのだが。



「………思っていたことを口にしていいですか?」

「どうぞ」

「あまり過度な期待は溜息のもとだと思う」

「……過剰でしょうか」

「あいつに、それは……難しいんじゃないかと」



 望月は池の水面にて浮き沈みを繰り返す当主を眺めながら、



「……この期待は、過剰だと思われますか」

「対象があいつとなるとな。………まぁ、難題だ」

「………そうですか」



 同時に俯き、内の気苦労を溜息して吐く。

 二人でもう一度池の土左衛門を見た。そのまま意味もなく見つめる。



「アイツにそういう希望は持つだけ無駄だと思うぞ」

「まだわかりませんよ。気長に待った結果、今の当主があって若という子宝があるのですから」

「父さんからたまに聞くよ。昔はあの人相当な女たらしだったんだろ?何人も妾を囲って。まんま今の蒼助だな」

「エロいところは当主譲りですから。―――――――当時は亡き先代も行く末を心配しておりましたが、やはり希望は棄てないで良かったと今では思っています」

「希望ってのはアイツのお袋さんだったっけな」



 はい、と何処か遠くをサングラス越しに見つめながら望月は語る。

 過ぎ去った遠いあの日を思い浮かべるように



「今も鮮明に思い出せます。御友人の妹であった美沙緒様と当主が出会った日を。一目惚れなされた当主が結婚を申し込んだ返事代わりに脚払いをかけ見事な背負い投げで

先程の若のように池に投げ込んだ瞬間。あれを運命的な出会いと言わずになんというのですかね」

「…………うちの父曰く―――――――奴がマゾの気質に開花した日、だとか」



 昶の言葉を無視して続ける。



「若にもそんな出会いがあることを望みます。どうも当主といい若といい普通の女性では物足りないようですから」

「どんな女なら満足できると思うんだ?」

「そうですね…………あの方が言うには女は骨、だとか」 

「………骨?」

「骨のある女、という意味らしいですよ」



 そこで話は打ち切りになった。

 背後の障子が開いたからだ。

 出て来た蒼助は昶がマンションから持って来た学ランに着替え鞄を抱えていた。



「よぉ、待たしたな………って、何話してたんだ?」 

「いえ何も。もう、お行かれるのですか?まだ時間があると思うのですが」

「進級早々、遅刻するといろいろうるせぇからな………それとちょっと寄りたいところあってよ。行こうぜ、昶」



 それに応じて昶は先を歩いていく蒼助の後に続く。

 望月を横を通り過ぎる際、



「骨がある女、見つかったら報告するよ」

「よろしくお願いします」

「俺もそんな女がいれば、アイツの面倒全部押し付けられるからな」 



 お互い微笑を浮かべ合い、一人は見送り、一人はそれを背に進む。








 ―――――――未だ、その期待を一身に背負う女の存在など知らぬまま。





















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