路地裏。



 雪が降る寒空の下。



 

 身体は血塗れで薄汚れていた。

 

 

 地面に敷いた白い雪はほんのりと赤らんで、踏み敷いたせいで泥がついている。

 その上にいる自分の上に、穢れを知らない新たな雪が舞う。

 

 

 ここまで知覚して、千夜は気付いた。

 

 

 これは、『夢』なのだと。

 

 

 自分にとって夢とは、記憶を見直すものであって行為。

 それ以外の夢を知らない。

 幻想に浸る類も。

 未来を望む類も。

 

 そんなものは、視たことが無い。

 己に許したこともなかった。

 

 ………そうか。

 

 

 再生されている記憶という名のこの夢が、何であるかを千夜は知っていた。

 様々な過ぎ去った過去を夢に視てきていたが、ここにきてついに『これ』まで視ることになるとは―――――――

 

 

 ………いや、"今"だからだ。

 

 

 これは、己にとって『もう一つの原点』とも言える過去。

 原点回帰として向かうに等しい記憶だ。

 

 

 ………走馬灯には、まだ早い気がするが。

 

 

 見る暇があるかどうかも怪しい末路が待っているのだから、構わないかもしれない。

 

 

 ………えっと、この後どうなるんだっけ。

 

 

 そう思って、直後に落胆した。

 

 思い出そうとした行為そのものに。

 それを平然とやろうとした自分自身に。

 

 そんなことする必要すらない、大事なモノであったはずなのに。

 

 

 ………もう、ダメなのかも……な。

 

 

 身体のガタだけではなく、アタマの方にまでキているらしい。

 彼女の『顔』だけではなく、記憶そのものにまでその『症状』を来たしている。

 

 これではきっと、他の者らの記憶は思い出すことすら出来ないかもしれない。

 

 

 ………いや、でも……まだダメだ。

 

 

 これが最後でもいい。

 最後なら、せめてきちんと思い出して視ておかなければ―――――――

 

 

 

―――――――ねぇ、貴方………迷子なの?」

 

 

 

 目を閉じて、強く追憶を思った直後だった。

 

 出会いの第一声となったその一言が、全てを引き出す。

 

 

 そして―――――――

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 目を開けて、視界に映ったのは薄暗い闇。

 それが、目に映るものが夢ではないことをしっとりと教えてくれた。

 

 

 ………なんだ、これからだったのに。

 

 

 最後の最後で見れずじまいになったことで、落胆と肩透かしを喰う。

 しかし、一拍置いてそれはあまり関係なかったかもしれないと思い直す。

 

 目が覚めれば、全て忘れてしまう。

 現実に戻れば、どんな夢を見て何を思ったかさえも何一つ思い出せない。

 自宅で最後に視た夢がそうであったように。

 

 自分という存在は、そこまで来てしまっているのだから。

 

 千夜は、僅かに残る未練にそう言い聞かせて自身を納得させた。

 

―――――――うぇっ………ふ、ぅ……ぅぅっ」

 

 泣き声が、目覚めたばかりの千夜の意識に割って入る。

 

 何処から聞こえるのか、と視界を働かせ、

 

「…………久留美?」

――――――――――――っ!?」

 

 久留美は、うつ伏せに倒れていた千夜の背中に顔を突っ伏して、被さるような体勢で泣いていた。

 呼びかけに、一瞬硬直したかと思えば、バッと顔を上げて、

 

「……か、ずや?」

「そんなところで………何しているんだ?」

 

 付着した埃と砂で出来た汚れに、涙が合わさってクシャクシャになった顔が強張る。

 あ、失敗した、と思ったときは遅かった。

 

―――――――何してる、じゃないでしょぉぉぉがあああああああっ!!」

 

 腹の底から出していることが、イヤというほどに伝わってくる気迫のこもった怒号が部屋中に響く。

 周りで獲物の品定めをしていた死霊が、恐れ慄いて引っ込んだのが見えた。

 凄いな、と場違いな賞賛を抱く。

 

「こっちはあんたが急に動かなくなって死んじゃったかと思って、本気で怖かったんだからねっ!! あんたが気絶している間、周りに何かおっかないのいるし、あんた

動かないしで気が気じゃなかったらねっ!! それから、それから……」

 

 怒涛の勢いで捲くし立てていた久留美は、急に詰まるように苦しそうな顔をして、

 

「………うぐっ」

 

 睨んでいた目に、再び涙がたっぷりと溜まる。

 ボロボロと落ちると同時に、

 

「うわぁぁーん………生きてるよぉぉー」

 

 泣き声と共に、安堵を口にした。

 

 死んだかもしれない人間と、二人。

 それも、周りにはいつ襲い掛かってくるかはわからない生者に飢えた死霊たちが屯している状態で、たった一人で意識を保ち続けていた久留美に与えられた責め苦は計り

知れない。呼吸をしているかどうかを確かめる余裕だってなかっただろう。

 

「……俺は、どのくらい気絶していたんだ?」

「………ん、わかんないけど…………多分、十分そこそこだと思う」

 

 意識の無い時間は、自分で思うよりも長かったと千夜は知った。

 

「すまない。……迷惑、かけたな」

 

 労わりの意を込めて言葉をかけて、身体を起こそうと身を捩るが、

 

「………………久留美、退いてくれ」

「イヤっ!」

 

 動きを見せた途端、久留美はしがみつく様に千夜の上に被さっていた。

 意味がわからない。

 

「……何で?」

「離したらまた行こうとするくせに」

「……しないよ」

「うそ」

「それ止めたから」

「嘘よ」

「本当だって」

「いーやー」

 

 埒が明かない。

 離す離さないの応答から、話の路線を少し変えてみようと試み、

 

「……じゃぁ、離さなくていいからあの壁まで連れていってくれ。それなら、いいだろ?」

 

 返事は、少し時間を置いた。

 そうして久留美は、ちらり、と一瞥して、

 

「………わかった」

 

 一瞬何処か怪訝そうな表情を浮かべた後、久留美は千夜をひっくり返し、後ろから左右の脇の下に腕を通した。

 引きずるようにして、後退しながら共に壁へと寄っていく。

 

 何で、こんなことをしているのか。

 地面を滑らされる間、千夜は今のされるがままの自分を客観的に見た。

 

 久留美の抵抗を振り払い、そのまま出て行くことは出来たはずだった。

 だが、あえて久留美の抵抗に屈した。

 

 ここまでの自分の行動が、千夜には己の事ながら理解できなかった。

 こんなはずではなかったのに。

 そんなつもりではなかったのに。

 

 何故か、と原因を突き詰めてみる。

 自然とそれは己自身へと向かう。

 

 ―――――――そうして、わかったことは一つだった。

 

「……到着」

 

 ぽつり、と落とされた呟きに、我に返る。

 ふとした瞑想の間に、すぐ傍には壁が来ていた。

 久留美は自ら退いてそこに人間一人分の僅かな隙間を残し、隣に座り込んだ。

 

「……………」

 

 久留美が退いた後の隙間を埋めるように腰を引き、千夜は壁にもたれかかった。

 自然と、そこから沈黙が生まれる。

 

 互いに口を開くことなく、その中を漂う。

 気まずい、というほど不自然な空気ではなかった。

 

 だが、久留美にとってはそうではなかったらしく、

 

「………ほ、本当に行かないの?」

 

 言葉が固い。

 まだ警戒態勢は解いていなかったのか、と千夜は踏んで、

 

「さっきから言っているじゃないか」

「……いや、そうだけど………」

 

 腑に落ちない、と顔に有り有りと描いてある。

 わかりやすいな、と口元を緩めて、

 

「……ああ。行かない。………もう、治まったみたいだから。大丈夫だ」

 

 ふ、ふぅん、と久留美は引っかかりを感じたようだったが、そこで一旦沈黙した。

 しかし、それを千夜は破った。

 

「さっきは、すまない。あと………ありがとう」

「ぇぇっ? ……え? え?」

 

 びくん、と過剰とも思える反応。もはや、ビビリの範疇にまで達している。

 

「な、なにが……?」

「いや、俺……多分さっきまでぶっ壊れてただろうからさ。迷惑かけたことに関して、ごめん。止めてくれたことに関して、ありがとうって意味」

「……全く意味わかんないわよ」

 

 むしろ現在進行形で壊れっぱなしなんじゃ、と失礼な言葉が後に続いた。

 何ださっきまで泣き崩れていた割にタフじゃないか、とムッとしながらも、

 

「なんと説明すればいいのかな……俺自身もあんまり自覚がないし……」

「いやほんと、何の話をしてるのよ……」

 

 すっかり置いてけぼりを食らったような顔をしてぼやく久留美に、

 

「あー………周りの奴ら曰く、俺って何でもかんでも我慢し過ぎらしい。痛みに関しても、ストレスに関しても。いろいろためこんだまま生きているから………ひょんな(・・・・)こと(・・)()突然(・・)おかしく(・・・・)なる(・・)んだと」

 

 他人事のように告げる。

 久留美は、何かを呑みこんだように目を見開き、

 

「………それって、つまり―――――――

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 扉を開ければ、そこは幻想世界だった。

 

 一歩足を踏み入れると、くしゃり、と儚い感触。見渡す一面が、白い蓮に埋め尽くされていた。通常、蓮は花一つに対し葉の量は圧倒的なはずだが、これはそのバランス

を崩壊させていた。葉が殆ど見えないまでに、白い花が足元と視界を覆い尽くす。

 そして、ちらほらと白い花弁が舞う。

 

 現実離れした世界。

 ここが、三途の空間術式を施されたある意味の人工的な世界であると知っていても、溜息をつかずにはいられない。

 

 しかし、そんな気分から脱することを強いる者がいた。

 

―――――――そのまま入ってきても大丈夫よ? その下、水が張ってるけど沈んだりしないから」

 

 声の主は、黒蘭だ。

 何処にいると視界を巡らそうとしたが、その相手は先手を打つように突如現れた。

 真正面の向こう。真っ直ぐ歩けば、容易く近づけるところにいた。

 

 白い世界に反する黒い存在。

 凄まじく、そして美しい対比だった。

 

 世界で孤立するその存在は、背を向けて動かない。

 ここまで来い、という雰囲気と先ほどの台詞から意味を察し、蒼助は純白の世界に招き入れられることにした。

 歩いてみると、黒蘭の言うとおり蓮が生息するために必要な水の感触があるが、足元が池というわけではないようだ。かといって、地面のように硬いわけでもなく、薄い

膜が張られている上を歩くようなフワフワとした不安定な手応えだった。

 完全に入り込むと、出入り口からはわからなかった天上が見えた。

 

 夜空。

 そして―――――――白い月だ。

 

 思わず黒蘭を見た。

 この空間術式が読み取って実現させる世界観は、先人の黒蘭のもの以外の何物でもない。

 なら、この白い月を飾ることを望んだことも黒蘭。

 

 蒼助は、千夜と出会った夜にコレを一度だけ目にした。

 

 そして、

 

 

 ………そうか、こいつかっ!

 

 

 別れ際の会話で、千夜が言っていた『通りすがりのお節介』という空白の枠の中に埋まる者が誰なのか。

 今この瞬間が、答えを指し示した気がした。

 

「……ねぇ、坊や」

 

 疑問が晴れたかと思った矢先、黒蘭は背中越しに声をかけてきた。

 ハッとした蒼助は何を言い出すのかと気を引き締めるが、

 

 

 

―――――――【死の衝動】って、感じたことある?」

 

 

 

 その一瞬、引き締まるところを飛び越えて固まった。

 唐突過ぎる問いの内容は、身構えも意味のないものとするほどに難解すぎたのだ。

 

 それでも、蒼助はなんとか硬直状態から立ち直り、

 

「……ここは、"よくきたわね、待っていたわよ"ってくると思ってたこの期待……どうしてくれるよ」

「あらあら、意外と保守的ね。伝統に囚われていると、時代に置いていかれてしまうわよ坊や」

「………で、何だって?」

「んもう、ノリが悪いわねぇ……」

 

 ノッてこない態度に溜息をつかれようが、蒼助には知ったことではない。

 

 ただし、それが―――――――『目の前でのこと』であればだったが。

 

―――――――どわっ!」

 

 耳に生温かい息を感じたかと思いきや、視界から黒蘭は消えていた。

 代わりに、首周りにはありえないはずの二本の腕がまとわりついていた。

 

「死にたいって、猛烈に思ったことはないかって聞いたのよ。何もかもどうでもよくなって、ただひたすらに………死だけを求めたことはない?」

 

 表情は、見えない。

 だが、口調や声色は冗談めいているものの、問いには不思議と真剣味が帯びているように感じれた。

 

 蒼助は、黙考のために沈黙を産み落とす。

 そして、沈黙が産んだ答えは、

 

「……ねぇな」

「でしょうね」

 

 わかっていたとばかりに、黒蘭が蒼助の言葉を強く肯定する。むしろ、断固たるものとして誇張しているようでもあった。

 

「一生懸命生きている人間にある現象だからね。なんとなく生きるだけの坊やには、縁遠いものよねぇ」

 

 さりげに酷い言い様だった。

 しかし、否定できる材料は持ち合わせていなかった。

 

「……嫌味かよ」

 

 ぼやいてみるが、顔が見えないのは黒蘭も一緒であることいいことに相手にされることはなかった。

 

「よくあることよ。……がむしゃらに生きてきて、何らかの出来事で己の中の何かが崩壊した際に、ふと訪れる破滅への焦がれ。順風満帆な人生の中で、とんでもない挫折

を踏んだ拍子にヤバいスイッチが入っちゃったりしてね。生への執着が強ければ強いほど、その陰で死への衝動も育っているの。……そういう人間って反動がすごいのよ。

暴走したら、それはそれは……厄介なものでね……」

 

 あまりに感慨深く言うので、それが特定の誰かを当てはめているのだとすぐにわかった。

 

「それ……あいつのことを言ってんのか?」

「85点」

「……100点満点での評価だろうな、オイ」

「今のは、あくまでそういうがあるって話よ。……無論、あの子もその枠内の人間だけど………その中でも、少し屈折してるわ」

「どういう意味だよ」

「……あの子の人生が順風満帆なんて呼べるものであったら、もっと楽に物事が進んだのでしょうけどね」

 

 蒼助は、それ追求しなかった。

 その全貌を語らせずとも、察することが出来た。

 

 千夜が積み重ねてきた挫折。

 それは、あの墓場の亡霊との邂逅を果たした後の今ならば想像がつく。

 

「まぁ、今の話との共通点は……反動って部分ね。あの子の場合は、我慢した分から来るってやつだけれども」

「我慢?」

「挫折に直面しても、折れないのよ。ぐっと堪えて……前へ進むの。痛みも傷も、癒やす間もなく。今までずっとそれを繰り返してきたの。……何度も何度もね。だから、

一層たちが悪いのよ。堪え続けた痛みに耐えきれなくなって、折れてしまった時は。止めようとした貴方には、わかるわよね。―――――――この意味」

 

 黒蘭に促され、蒼助は夕刻の出来事を思い返した。

 苦味が心中に広がり、込み上げる。

 それを押し戻すように飲み下しながら、続く黒蘭の話に集中する。

 

―――――――光が強ければ、闇も濃くなる。人の心もそう………片方だけでは成り立たない。聖人君子なんて、人の理想と幻想の中でしか存在しえない泡沫(うたかた)なのよ」


 

 一見電波じみている発言は、実のところかなり的を射ている。

 そして、蒼助の傷の患部を抉るものだった。

 

 知っていた。

 わかっていた。

 わかっているつもりだった。

 眩しいばかりに光る千夜が時折見せる陰りから、それを察しているつもりでいた。

 

 けれども、千夜の抱える闇は、予想など遙かに上回るほどにずっと深かった。

 

 あの夕暮れの教室で、蒼助はそれを知った。

 目の当たりにして、怯んでしまった。

 

 恐れてしまった。

 

 そして、千夜の手を―――――――

 

 

「……と、いっても………あの子の厄介さはそこんところ"だけ"じゃなくてねぇ」

 

 

 新たな投下が、蒼助の後悔に浸る時間を強引に奪っていった。

 

 

 

 

 

 

 

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