それは、まるで墓標だった。

 

 地面に真っ直ぐに突き立てられた、数えるのも馬鹿馬鹿しくなるような無数に等しい剣の総立ち。

 戦場にて散った戦士たちの眠りを示しているように見えなくも無い。

 だが、その切っ先が突き刺しているのは地面ではない。

 

 

 呻き声を発する人間―――――――ではなく、屍鬼。

 

 

「………屍鬼っていうのは、"頭を落とすか叩き潰さない限り、その場しのぎでも倒せない"っていうのが【復活】よりマシでも難点だけどな」

 



 呟く千夜は、己が描き出したその『絶景』を何の感慨もなさそうに見つめる。

 

 半径一メートルもない距離の先では、四方を埋め尽くす屍鬼がいる。

 それは変わりない。

 

 

 だが、一つ違うのは、

 

 

「……それが、まさか"利点"になるとは思わなかった。いい勉強になった」

 

 

 どれもこれもが威嚇も臨戦態勢もなく、ただ蝉のように地面に這い蹲っている。

 そして、その肢体には剣が突き立てられていた。

 大振りなものに胴体を串刺しにされているもの。手足という動作の役割を担う箇所を小物なもので縫いとめられているものもある。

 呻き、手足をもがくように動かすものいれば、敵意を変わらず千夜へ向けて、牙をむき出しているものもいる。

 

 しかし、余程深く突き刺さっているのか、肉体を貫通して地面にまで刃を食い込ませている剣は多くあるうち一本たりとも外れる気配はない。

 

 その光景は、磔にされているか、或いは昆虫の標本のような滑稽なものにも見える。

 

「………っ、くそ……くそっ……何で」

「その様子じゃ、魂魄体に戻らないと己の手では施しようの無いらしいな。その点では、賭けは俺の勝つということか」

 

 己の手駒を無力化された神崎は、焦れるように凝視している。

 何故なら、

 

「嘘だろっ………一匹(・・)()殺して(・・・)いない(・・・)のか!? あんな、あんな攻撃でっ!」

 

 神崎は見たのだ。

 天井で浮遊していた大量の刀剣が、雨のように降り注ぐ様を。

 

 それこそ、目の前には剣山のような有様がある。

 縫う隙間すらないように容赦なく落ちてきた大量の刃は、屍鬼たちを飲み込んだ。

 

 だが、それでも生きている。

 降り積もった刃の犠牲となった屍鬼は、一体残らず生きている。

 

 獲物に等しく降り注いだ刃は、それでも"肝心の部分"―――――――弱点である『頭部』を見逃したのだ。

 

「……馬鹿な………あれだけの剣をっ……全部トドメは刺さないように当てたっていうのかよ……っ!?」

「間違っても殺すな、と命令したからな」

 

 千夜は唯一攻撃範囲から逃れた己の立ち位置である足場から、進み出た。

 急く様子は無く、ゆったりとした歩み。

 それは、途中で縫い付けられた屍鬼を踏み越えつつ、神崎へと向かう。

 

 ゆっくりと。

 けれど、決して止まる意志はないことを剣呑な眼差しで訴えながら。

 

 神崎の余裕はそこで一気に崩壊した。

 

「……っ、と………止めろ、止めろおおおおっっ!!」

 

 狂ったように叫ぶ神崎の声に応える動きがあった。

 それは、包囲群の中でも後方に控えていたこともあって、天井の低い壁際の方へ退避したおかげで難を逃れた僅かな生き残りだった。

 

 その数はもう十にも届かない極少数。

 それが、神崎に残された戦力だった。

 

「来る、な……来るんじゃねぇええええええっ!!」

 

 叫びを代弁するように、一体の屍鬼が飛びかかる。

 千夜はそれに対しても一切注意を逸らさない。

 

 だが、

 

「つれないことを言うなよ」

 

 からかうような言葉と同時に襲う五指の凶刃は、次の瞬間に何処からともなく現れた剣によって届かず終わる。屍鬼は、弓のように放たれたその勢いを受けたまま壁

へと逆戻りし、串刺しとなった。

 

 後に続く者たちも、獲物を直前にして現れる刀剣を前に、先人の後に続くだけだった。

 歩むごとに両端の壁に突き立てられていく標本が増えていく中でも、千夜の目的は一つだった。

 

 そして、神崎の最後の戦力が、壁の標本たちと並んだ時、千夜の足も止まった。

 

 僅か五メートルほど先までに、その間合いは縮まった。

 

「………燃料がいくらあってもスペックがそれじゃぁ、半分も有利に生かせない。宝の持ち腐れもいいところだな……神崎」

「……う、ぎ………っ」

「降りて来いよ。別にそこにいてもいいが………()()出来ない(・・・・)だろう?」

 

 神崎が屈辱に大きく顔を歪めた。

 何も出来ない。

 少なくとも、自らを戦闘に駆り出すことは可能だ。

 だが、その程度である。

 

 何も出来ない、と千夜が評したのは、こうなった今では神崎自身の戦闘能力はたかが知れているからであった。

 僅かに自身に余力を残していても、ほぼ全力で投入した屍鬼という戦力を失った神崎はほぼ無力に等しい。

 仮に相手がただの人間であれば、軍配は神崎にあがっただろう。

 



 しかし、それはならなかった。



 

 神崎は既に手足をもがれたも同然。

 少なくとも、千夜という戦闘の専門家(プロフェッショナル)を前に、力に溺れて己自身が強くなったと過信して疑わなかった素人(アマチュア)の神崎に勝ち目はない。

 



「俺を、殺すのか……?」

「ああ」

「俺の夢を、奪う……のか?」

「ああ」

「見逃して……くれないのか?」

―――――――ああ。そうだ」



 

 高いところにある神崎との視線の交じり合いは、言葉が途切れても続いた。

 慄くように顔を引き攣らせる神崎は、一瞬の表情の欠落の後、

 

 

 

「……くひ」

 

 

 

 何故か笑った。

 心底嬉しそうに。

 

「は、はっ………そうか、俺を………殺すのか。はは、は……ははははははっ!」

 

 力を奪われ、無力化された神崎は、楽しそうだった。

 愉快。そう言わんばかりに声を張り上げて笑う。

 

 ついさっきまで形勢逆転の事態にうろたえていた姿は、そこにはない。



 笑う様は、まるで―――――――

 

「いいよ、上等だっ! 上等だよ、お前!」

 

 上等。

 その言葉に、千夜は目を細めた。

 不可解という意味を込めて。

 

「ああ、やっぱりだ。お前は、そういうのが一番いい。その目に戻るのを俺はずっと待っていたんだっ!! なぁ覚えているか、千夜………俺たちが出会った日のことを」

「走馬灯すら一人で巡れないのかお前は。……出来れば、記憶も出来事そのものも抹消してしまいたいがそれがどうした」

「……あの時、お前は……俺に言ったな? ……殺す、と」

「そうだったかな……。今思えば、あの後……裏できっちり完殺しておくべきだった。過去に戻れるなら間違いなくそうするだろうな」

 

 済んでしまったことは仕方ない、と千夜はさして興味なさげに言葉を吐いた。

 そんな千夜とは対照的に、

 

「……俺は、覚えているぞ。あの時の……お前の目を。ちょうど、そんな感じだった。………獣のような、獰猛な目をしていた」

 

 うっとりと蕩けそうな表情で独白する。

 

「ゾクゾクした。こんなやつがいるのか、と……腰が抜けそうになった。たまらなくなって思わず、俺ぁ……勃起しちまったんだよ。だが、場違いでも異常でもなんでも

ない……男として……オスとして、それは当然の反応だ! 自分に相応しいメスを見つけたんだ……興奮しなきゃ不能か気狂いだ! 歓喜と興奮が入り混じって…………

喉が渇いてどうしようもなくお前がほしくなったっ!」

 

 告白だった。

 まるで狂言のように謳い紡がれた言葉は、荒い息と共に吐き出されていく。

 

「……なぁ、お前……そうなんだろう?」

「何がだ」

―――――――人殺し、なんだろう?」

 

 千夜の顔から表情が消える。

 そこに、人間らしさというものが一切なくなり、無地の一面となる。

 

 そして、能面のようにつるりと表情の落ちたそこは、

 

 

「だから、どうした?」

 

 

 無感情のままに、返す言葉を落とした。

 

 神崎は、告白に頷いてもらえたかのように笑みを濃くした。

 

「やぁっぱりかぁ………。お前のぶつけて来る殺気は、玖珂や氷室の奴が向けてくる甘っちょろいやつとは全く違う………別格だ」

「…………」

「お前は、わかっているんだろ? この世の真理が……弱肉強食だってことを。だからだ……そんなお前に俺は惹きつけられたんだ………ようやく、理想の女に……俺と

同じ考えを持つ、獣に巡り会えたんだってな」

「弱肉強食……か。自分のキャラをよく理解した主張をお持ちのようで何よりだ。……で、もういいか? 降りてこないなら……」

 

 待ちくたびれたかのように零し、右手を準備運動のように鳴らす。

 しかし、神崎はその攻撃態勢を前にしても怯む様子は無く、今だ己の演説に酔っていた。

 

「……だがっ! お前は、今自分を見失っている。俺と会った時のお前は、もっと獣の目をしていた。今よりもずっと鋭く、今よりももっと飢えた目をしていた。お前は、

獣だ。俺以上の! ……俺を、更なる高みへと連れていくんだ」

「息詰まり過ぎて脳ミソ窒息してんのか? ……俺は、お前を殺すと言ったはずだ。高みなんぞ行かせない。お前は、ここで終わりだ」

「くくっ……だから言ってるだろぉ。……お前は本当の自分を見失っている。そうだろ? 俺たちは、本来なら同類として理解し合えるはずなんだからよぉ」

 

 尚もくどく続く言葉に、千夜は眉を顰めた。

 不快感ではなく、不信感によってだ。

 

 これは、単に延命の時間稼ぎを意図しているのか。

 しかし、それにしては話題が一向にズレる気配がない。

 

 それとも、これは何かの口上なのか。

 何か手の内を明かす前の―――――――

 

「言いたいことは、それだけか……」

「……ああ。言いたいことは……な。―――――――オイ」

 

 呼びかけの放られた向きが自分ではない。

 千夜が感じた違和感より理解した直後、

 

 

―――――――

 

 

 その呼びかけの向きを見つけた。

 千夜は、絶望と安堵の入り交ざった表情をもって、被っていた能面を落とした。

 

 動揺。

 相手に隙を一切見せないことを維持してきた千夜の姿勢が崩れたことに、神崎はしたり顔となる。

 

「何うろたえてんだよ。……なぁ、千夜……言ったとおりだろう?」

 

 神崎の嘲弄も聞こえていないかのように、千夜は一点を凝視していた。

 

 

 覚束ない足取りで、ゆっくりと前へ出てくる人影。

 ひたり、ひたり、と微かな足音を立てる足元は素足だった。

 服装は、夕方(・・)()会い(・・)()行った(・・・)()()見た(・・)まま(・・)の質素な寝巻(パジャマ)

 

 

 僅か数刻前の出来事だった。

 見間違えるはずも無い。

 

 

「………くるみ」

 

 

 名指しに対し、虚ろな眼差しが声も無く応えた。

 

 

 

 






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