踏み出した一歩が敷いたのは、砂の感触だった。
飛び込んだ際の勢いが、暫しその上を滑らせる。
「……、と」
きゅっと足首を捻って滑り止めを試みれば、それは容易く終わる。
巻き上がる砂塵が、鼻腔をくすぐる。
それに対して不快そうに鼻をひくつかせた千夜は、
「……これは、想像以上の【異界】だな」
感慨深そうに、辺りを見回す。
霧がかった視界には、どれもこれもが朧にしか映らない。
ただ、よく目を凝らせばそのフィルターの向こうに見えるものがある。
まるで砂場に突き刺した棒にように傾いて立つビルが無数。その向こうには、また別の建物らしきものが見える。
「これ全部が元は向こうにあったもの……だったか」
隔離世を構成するのは、廃ビルや廃工場などといった、かつては現世にあったものである。霊魂は、人の気配が離れ、けれど人の思念が染み付いたままとなった建物に
定着する習性がある。その習性を逆手に取り、取り壊すよりも再利用しようという案により隔離世の設立が発足されたのだという。
無限空間であるここには、質量の限界というものはない。それこそ現代とはかけ離れた時代のおそろしく旧弊したものまで放り込まれているという話だ。
そして、建物以上にここに入り浸る霊魂の数はその万倍を上回る。この人工の異界は、降魔庁の特別訓練施設としても扱われている一面があり、月に一度鍛錬を兼ねて
各課ごとに「掃除」も行われる。
あの総帥はここで起きている異変に気付いていた。
おそらく、今月の事件の調査を優先させてここの掃除は後回しにさせている。
「……ありがたいというべき、なのか………これは」
何処からか、吼えるような唸り声が聞こえてくる。
徐々に近づいてくる気配。
「っち、―――――――」
それは、降る様に灰色の上空から。
敵意と害意の固まりの接近を感じ取る。
「……夜叉姫っ!」
『御意』
剥かれた牙に対して、千夜は指一本動かさず不可視の相棒にただ促すだけだった。
了解の意志の直後、それは被弾する。
しかし、あと一歩という直前にて何かに弾かれて終わった。
目には見えない不可視の壁。
夜叉姫の【加護】である。
「……一人入ったくらいでもう反応返してきやがるか。これは、一定の場所に長居は無用かな」
死者の世界ともいえる場所に生者の存在は寧ろ異質であり、異常とみなすのが正しい。
その変化に対して『住人』たちは過敏だ。
余計な戦闘を引き起こす羽目になる前に、急がねばならない。
『主様。この奥の方に、凄まじい瘴気が』
口に出すまでも無く主の意向を察した夜叉姫が、サポートを買って出る。
声に出さず了解し、その意志は進行をもって表明した。
◆◆◆◆◆◆
行けども行けども廃墟が続く。
この世の終わりを体現したかのような、常人を絶望に追い込むには十分すぎる光景だ。
生きている人間は、自分一人しかない。
たった一人きりの世界。
昔は、そうなることが恐ろしくて仕方なかった。
どうせ滅びるなら一人だけ助かるのではなく、周囲の大切な人たちと共に滅びたいと思っていた。
そして、もしそれすら叶わないなら―――――――
「………あれ、か」
灰のような砂をどれほど踏みしめ、いくつの廃墟を通り過ぎたか。
異様な存在感を持つ建物が、進む前方で視野に入り込む。
そこに確かにあるのに、何処か幻のように朧げで、虚無を感じる他の廃墟とは異なる。
寧ろ、霞がかっていてもなお不気味な悪寒をもって存在感を主張している。
踏み込むごとに、霞は薄くなっていく。
だが、同時に悪寒も強くなる。
「っ、―――――――!」
一瞬だった。
まだ距離があったはずのそれが、こちらとの距離をゼロにしたのは。
「……これは」
いつのまにか、その中にいた。
気付けばあたりには、煤けた発電所やガスホルダー、タンクなどといったそれらしき設備に囲むように物も言わず佇んでいる。
視野が収める限りの光景には、似たようなものがちらほら見える。
「……工場、か?」
『主様。どうやら、ここは廃止された工場を寄せ集めた地帯ようです』
「地帯……ということは、ここら一帯だけではなく向こうもか?」
『そのようにございます。しかし、これは自然になった形ではなく、なんらかの力によってそれぞれが意図的に密集させられているようですが……』
「……なるほど」
ここに放り込まれる建物は、なんらかの弾みで" いわく"がついて魑魅魍魎の巣になったか、長く使われ続けて人間の想念が付き、霊魂を惹きつけ易くなったかという
いずれかの経緯を持つ。どの建物も、数に差はあれ全て等しく霊魂の住処となっている。
霊魂はより強い霊気によって引き寄せられる。それと同じように、強い霊気を宿す建物が他のものを引き寄せてこの集合地帯を作り上げた。
そして、ここはその中心たる―――――――神崎の巣。
「いや、やつに言わせれば……【王国】といったところか」
なんて滑稽な響きだ。本人の目の前で思い切り笑い飛ばしてやりたい。
「行こうか」
この世の全ては己の意のままになると勘違いしたこの王国の主に。
抱いたその夢想に。
終わりを突きつけてやるために。
◆◆◆◆◆◆
多くの工場を寄せ集めて出来たこの地帯は、常人なら迷い続け、果てるであろう迷宮のような複雑なつくりをしている。
しかも、歩くたびにその構造は変化しているようだ。
迷い込んだ者をいたぶるような仕組みは、実に主の嗜好を如実のままに顕している。
「蛙のやかましさと蛇のしつこさ……更に、蜘蛛のねちっこさか……。つくづくゲテモノだな、あの野郎は」
陰湿かつサディスティックな仕組みをこの迷宮に組み込んだ男に、侮蔑を吐く。
出口の無い迷宮。
それは、迷い込んだ者を弄ぶだけが目的でつくられしもの。
だが、そんなもの千夜にとっては無意味だ。
出口など必要ない。
求めているのは、それとは真逆の位置にあるものだ。
「………だが、お遊びに付き合うのはこれくらいでカンベンしてもらおうか」
立ち止まり目を閉じる。
千夜はここになく、されどある者へと語りかける。
「やれ、夜叉姫」
瞬間、空気を裂くように甲高い音がキィンと響く。
耳鳴りとも感じられるようなその微かな響きの直後、閉ざした視界を再び開く。
「ご開帳」
そこには、彷徨い続ける中で見慣れた工場の光景はない。
真新しく現れた無数の工場と倉庫の集まり。
それは一つの一際大きな建物を核としてその周囲に広がっている。それは傍から見れば、まるで、城を中心に出来た城下町のようにさえ見える。
否、そうなのだろう。
ここが。これこそが、あの男がこの世界で築いた【王国】なのだろう。
………こいつは重症だな………手の施しようが無い。
くくっと笑い、息を吐く。
あの男の【王】への執着は、ここまでのものだったとは正直思っていなかった。
子供が絵本の御伽噺に抱いた憧れをそのまま描いたような光景に対し、千夜は少々神崎という男への印象を変えざるえなかった。
邪気と欲望に満ちていると思っていたが、これではまるで子供だ。
無邪気な子供の願望。あの悪意を模したような男の中で、根底に敷かれていたものがこんなものだったとは恐れ入る話だ。
子供の頃の夢。それが男にとっては他者の上に立ち、その足下にいる者を支配する【王】になることだったのだろう。
夢。子供のうちは、夢想と呼べる可愛らしいそれは、成長という過程にて薄れて消える。
だが、神崎はそうではなかった。
子供の夢を欲望へと昇華させてしまったのだ。
あれは、今、子供の頃の夢を叶えようとしている。
それは叶えられるのだ、と何者かに唆されて。
理性という縛りから解き放たれて、それまで幾分は抑えられていたであろう本能を暴走させて。
「神崎、陵……」
教えてやらねばなるまい。
欲望のままに動いた者の末路を。
思いしらせてやらねばなるまい。
その欲望のために何を糧にしたのかを。
どんな夢にも、所詮は夢であるなら果てがある。
それをわからず、拒み、受け入れられないのなら、
………俺が、お前の夢の終わりだ。神崎陵。
まっすぐ開けた一本道。
それは、招くように千夜を神崎の【城】へと導こうとある。
左右それぞれに町並みを模すかのように立ち並ぶ廃工場や倉庫からは、風のざわめきのような怨嗟の唸りが幾重にも重なって聞こえてくる。
千夜は誘うように叩き付けるようにも聞こえるそれらを無視し、先へ進む。
目指すは、ただ一つ。靄のような霧で黒く浮かび上がるのみの神崎の【城】のみだった。
無心のまま歩み続けると、霧は徐々に薄くなっていく。
そして、霧の向こうの【城】も、ついにその姿を現した。
「これが、お前の【城】か………」
聳えるは、今まで見てきたものの中でも格別な規模と大きさを誇る廃工場。
あちらこちら錆付いているが、それぞれの設備を繋ぐ錆付いたパイプが織り交って出来上がる複雑な構造は、歪な幻想を醸し出す。その城内に踏み込むと、柵のように
天上を覆うパイプ越しに細切れとなった霧で曇った灰色の空が見えた。
見つめていて、ふと『永遠』という言葉が浮かぶ。
時が止まったようにさえ思えるこの退廃感は、それに繋がるものを感じさせる。
己が永遠に君臨し、支配し続ける王国。
それを追求したのが、まさしくここであるのだろう。
「永遠、か………」
口にした言葉が、酷くおぞましいものに思えた。
酷くまずい後味のようなものを口内に残して、千夜は奥に見える建物へと近づく。
周りの赤土色の錆が目立つそれに対し、まだ白い。
その精練さが、周囲から浮いていて逆に不気味な違和感を覚えさせる。
だが、踏む込むことへの躊躇を優先させるには取るに足らない。
あそこだ。
あそこに、いる。
「ようやくだな。……随分と焦らせてくれたものだ」
歩みが重なるに連れて。距離が縮まるに連れて。
己の内側が、研ぎ澄まされていく。
思考から余計な雑念が取り払われる。あらゆる状況に正確な判断を下すための機能として性能をあげるために。
これから火蓋を切る戦いに、全力で身を投じる下準備として。
◆◆◆◆◆◆
カツン、という硬質な足音は、それまで踏んでいた砂の大地の終りを教えた。
建物の中は、闇が溜まっている。
常闇の漆黒は濃く、その奥を見透かすことを視覚に許さない。
僅かに白く浮かび上がるのは、建物を内部から支える幾数本の支柱のみだ。
建物の正面において、門の大きさにくり貫いたように開いていた穴をくぐった千夜は、その闇を目前にして一度止まった。
表情に怯えや恐怖を匂わすものは微塵とない。
けれど無のそこに他の感情も見えず、相対する者にその心中を探ることも察することも許さないようであった。
その停滞も数秒で進行へと切り替わる。
数歩の歩みが床を鳴らしたところで、背後の穴に異変が起きた。
「―――、――――」
穴が収縮するようになくなった。
一瞬のことだった。
退路を断たれた。
それが、誰によって成されたのか。
それが、己にとって何を意味するのか。
考えずとも至る答えは一つしかなく、一人しかいない。
「……神崎、神崎陵。そこに……いるな?」
己の圧倒的劣勢の下に置かれても、千夜は事実を受け止めるのみ反応しか返さない。
声色も表情も動揺で揺れ動かさない千夜の呼びかけに、
「―――――――ああ、いるとも。いるに決まってるだろう?」
声は闇の向こうから放たれ、千夜に届いた。
その瞬間、周囲の闇が薄まり出す。
濃度を下げるかのように己の掌すら捉えられないほどに濃かったそれは、薄暗い程度の通常の屋内のそれと同等になるまで薄まった。
その変化は、千夜の視界に大いに貢献した。
空間の広さがどの程度のものさえわからなかったそれまでと違い、全てを明確に捉えるまでには届かずとも、内部がどうなっているかはわかるようになった。
だが、千夜が見据えるのは、一方のみ。
ただ正面の、その奥を―――――――そこにいる者を。
「……神崎、なのか?」
距離はだいぶ開いている。
だが、千夜の視力は、遠く離れた奥。そこに高く積まれて出来た材木の山の上に立つ人影をとらえることは出来た。
その顔も。
「しばらく見ない間に、随分と様変わりしたようだな……」
「……くくくっ……驚いたかぁ?」
笑う神崎の顔は、千夜の記憶にある見知ったそれとは違う。
全くの別人の顔が、神崎の声で喋っていた。
「親と顔は選べないって奴だよなぁ……。まぁ、それも昔の話だ」
「出来のいいのを拾ったようだな……。作ったのか?」
「いや? 食ったやつらの中から良さそうなのを選んだ。……どうだ? 手当たり次第選別してやった中じゃ一番だったやつだがよぉ……」
整った顔立ち。
それは、誰かと似ていた。
「………最悪だ。センスだけはどうにもならなかったようだな」
「そうかぁ……? お前の好みって奴を重視したんだがなぁ……」
悪意に満ちた笑みが、その両手と共に表情に広がる。
「ようこそ。―――――――俺の王国へ」
出迎えの動作で、ばさり、と纏うローブがマントのようにはためいた。
仰々しく飾り立てたその振る舞いは、まさしく王様気取りでいることを知らしめる。
否、気取りではなく本気なのだろう。
そして、少なくともここでは神崎は王なのだ。
この異空間は、腹立たしくも神崎のテリトリーであり支配下にある。
「ここに来るまでに見てきただろう? どうだった?」
「…………」
「最初はなんてへんぴな場所に来ちまったんだと思ったが……住めば都たぁこのことだ。ここの連中も始めこそは俺に歯向かってきたが、今じゃ可愛いもんだ。やつらは、
あんな状態になっても……いや、あんな状態になったからこそ強者というものを理解し、どう相対すべきかをわかってやがるよ」
千夜は沈黙を保ったまま、神崎を見つめる。
憤る様子も、不快も、その視線には込められていない。
ただ、自賛に浸る神崎という存在を静観する。
「もう俺を馬鹿にするやつなんかいない。誰にも俺を見下させなんか出来やしない。俺は王になったんだ。俺は………全てをひれ伏せる力を手に入れたんだ!!」
恍惚と酔いしれる神崎の謳いは続く。
「喜べ。そして、感涙を流して噛み締めろ。お前は、その俺の女になる資格を持つ唯一の存在として選ばれた。この国の母……この世に永遠に君臨する俺の妻になるんだ。
お前は俺の傍らで、この【外】を取り込んで発展していく俺の国の姿を目にすることが出来るんだ。……どうだ、黙っていないで感想を聞かせてくれ」
独白から問いかけへと変じた言葉に対し、千夜は目を細めた。
そして、吐息を一つ落とし、
「……そうだな。この感想を言葉にするなら、一つしか思い浮かばん。
―――――――馬鹿か、お前は」
反撃の火蓋を切って落とした。
「予想以上の馬鹿っぷりだな。大人しく黙っていてやった時間が、無駄な浪費以外の何物でもないじゃないか。……あと、一つ訂正だ」
半目から放たれていた視線に鋭さが加わる。
「……お前の国の発展などない。ここで、俺に潰される。完膚なきまでに」
くっ、と口端を吊り上げて、
「先手はお前にくれてやる。だから、さっさと何か手を打てよ」
千夜が放つ不遜な挑発。
ここで、千夜が認識するどおりの感崎なら、舐められていることに腹を立てて抑えながらも怒りに動かされるだろう。
だが、
「…………く」
神崎の顔が歪む。
しかし、それは憤怒の色ではない。
歓喜。
なんとも嬉しそうに、笑った。
まるで、了承の言葉など最初から望んでいなかったかのように。
その暴言こそ、己の期待を満たす上等の返事であったとでも言うように。
「……イイぜぇ。そうだ、それでいい。―――――――それが、いいっ!!」
高らかに響く声で、その周囲の空気が振動する。
そして、その振動に感応するかのように、建物の中で大きな”胎動”が脈打った。
空気に馴染んでいた瘴気が浮き立ち、宙で身を捩るように蠢く。
そして、それは―――――――あちらこちらで”形”を取り始めた。
闇から生まれるように、屍鬼が次々と出現していく。
「いいぞ、千夜! イイコだっ! ヒャハハハハハハハッ―――――――」
哄笑が相乗効果と成しているかのように、屍鬼は絶えることなく増える。
水のように湧き出るそれらは、獰猛な本能を渦中にいるただ一人の獲物へと向けて、唸り威嚇を放つ。
「その調子だ! ノってきた、ノって来たぜぇ……。そんなすかした顔して大層な殺気ぶっ放ちやがって……やっぱり最高だよ、お前は! なんてイカした愛情表現だよ!
ハッ……ちくしょう、たまらねぇ……身体が疼いて仕方ねぇよ千夜ぁ。ああっ……俺は、今っ……俺はお前を……」
身悶えするようにくの字に身体を折り、ビクビクと痙攣させる。
その震えが止まると同時にバッと顔を上げ、
「犯してやりてぇ」
ぎょろり、と目が飛び出んばかりに開く。
露になるその眼球は血走っていた。
「辱めてやりてぇ」
ぐぱっと開いた口から、飢えを訴えるかのように唾液が伝う。
「だが、まだだ。まぁだ、足りねぇよぉ……。だから、そいつらは愛するお前への贈りモノだ。完璧な俺に必要なのは、完璧なお前だ。……そうでなきゃ、意味がねぇ。
その化物どもを倒して、自分を取り戻せ。そして、俺のところまで来い。……そうしたら、好きなだけ相手をしてやるよぉ」
話している間にも、屍鬼は増え続けていた。
既に完全に千夜を完全包囲するほどにその数は出来上がっており、無数の欲望の視線と意識が千夜一人に向けられている。
対して、千夜は眉一つ動かさず、神崎を見据えている。
己の状況が見えないほどに神崎を凝視しているというわけでも、己の圧倒的劣勢さに押されて神崎を悔しさから睨んでいるというわけでもない。
そして、
「おい、どうした……武器を構えろよ。連中、そろそろ痺れを切らすぜ」
周りには目もくれないまま、無防備を解かない千夜。
それは、陶酔状態に近しい神崎の目から見ても、この状況においては不審であるとわかることだった。
「……必要ない」
「ああ?」
「それよりも、口上はもう十分か?」
「口上だと……?」
「無駄口を叩くのには、もう満足したかと聞いているんだよ」
そこで千夜はようやく表情に変化を見せた。
ニヤリ、と不敵に笑う。
だが、目だけは鋭利な光を宿している。
「……まぁ、関係ないけどな。お前の言葉なんかこれを逃がしたらまともに聞ける機会なんぞもうないだろうから、残り少ない仏心とやらを消費して耳を貸してやっていた
のに………。顔云々以前にその空気読めなさが女との縁の無さの原因じゃないのか?」
黙っていた分も一緒くたにしたかのように矢継ぎ早に繰り出される言葉には、絶対的不利の状況下にいる者とは思えない余裕を感じる。
虚勢か。
それとも沈黙の間に形勢を逆転させる策を練っていたのか。
神崎は、表情からは伺えない千夜の内心を見透かそうと凝視する。
そんな神崎を嘲笑うかのように、
「おしゃべりの時間は終わりだ。……さっさとそこから降りて来いよ」
千夜が一歩を踏む。
その瞬間、その身体から―――――――大きな隙が生まれ出た。
「ハッ、馬鹿がっ! そいつらを片付けるまでお預けだと言っただろうがよっ!!」
嘲りが飛ぶと同時、包囲網のうち何体かが威嚇から攻撃の態勢へ移行した。
人よりも獣に近くなった彼らの動きは、同じく獣のそれに等しい。人間離れした瞬発力で群れの中から飛び出した。
飛びかかった屍鬼は四体。
前方以外、上空を含めた四方からの一斉攻撃は、回避という手段を許さない。
「贅沢を言うなよ。―――――――まぁ、しかし」
確かめるように呟いたのは、四体の怪物の凶刃がほぼ同時に降りかかる瞬間だった。
そして、千夜の右腕が無造作に振り上げられたのも。
その刹那。
それぞれ異なる方向から向かった屍鬼は、
「―――――――そんなに言うなら、お望みどおりにしてやるよ」
続いた一度の旋回。
微妙な捻りを加えた乱れない動き。
舞うような、それだけの動作の後。
四方全ての屍鬼が―――――――その肢体を四散させた。
その空中分解は、四肢が裂かれたというレベルではない。
文字の通り―――――――バラバラになった。
屍鬼はその一瞬の出来事を理解する間もなく、地面に落ち、黒ずんだ土塊のようになって消えた。
だが、消えるまでの地面に落ちている間、それら残骸の痕跡は共通したものを残していた。
まるで引き裂かれたかのような乱雑な切り口であったこと。
そう、まるで―――――――
「―――――――すぐ行ってやるから……念仏唱えとけ」
言いながら、千夜は右腕を下ろした。
まるで鉤爪を模すように、五本の指を強張らせて。