守る。






 この言葉はいつだってたった一人のために口にしていた。

 無論、行為そのものもたった一人のためのものだった。






 

 己には無縁だと思っていたこの言葉を口にするようになったのは、いつも不安に目を揺らす幼い少女に安堵を与えたかったからだった。



 決して少女に優しくはない世界。いっそ無慈悲ともいえた。あまりの救いのなさに、他人のことながら絶望感を覚えたものだ。

 脆く小さなその存在を絡めとろうと蠢く世界から守ってあげたかった。永遠と言わずとも、確かな安穏と呼べる時間を僅かでも捧げたかった。何かに怯えることなく、

ただの子供のように無邪気に笑えるように。

 

 大丈夫、誰にも傷つけさせないから、と念を押して、同じ何度も言葉を重ねた。

 言い続けることで真実味が増すならと、何度でも。

 

 

 けれど、少女から返るものはいつも期待を満たすものではなく、

 

 




―――――――いい加減目を覚ませ。俺は、【お前の千夜】じゃない』




 

 

 不安げな表情を哀しげに歪める。

 ただ、それだけだった。

 



 今も昔も。

 

 

 それだけは、変わらなかった。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 その違和感は、ドアノブの手応えからだった。

 

―――――――開いた?」

 

 辿り着いた当初は、WGの玄関の仕掛けを思い出して声をかけたが返事がなく、いきなり先を塞がれて苦悶したものの、ダメモトでドアノブを捻ったのだ。

 しかし、予想していた浮遊感はなく、ドアは難なく開いた。

 

 

 結界が解除されていた。

 

 

 その事実に、蒼助は直感的に嫌なものを感じた。

 しかし、躊躇している場合でもなくそのままドアを全開して店内へと踏み込む。

 



「………センセ?」



 

 名前を再度呼びながら、明かりが一切ついていない空間を数歩進み、

 

「……………センセ、だよな?」

 

 奥の方の席にて、蹲るように座る人影を見つけた。

 暗闇に慣れた視界が、それが誰であるかを明確化し、

 

「……千夜なら、ここにはいないよ」

 

 テーブルに伏せていた上半身がゆるりと起きると、背を向けたままそう言葉を放った。

 

「………来たのか」

「夕方に、ね」

 

 自分との別れの後か、その前か。

 いずれにせよ、千夜はここに決別を下しに現れたのだろう。

 ひょっとしたら、三途から連絡が一切来なかったのは、この有様のせいなのだろうか。



 蒼助は憶測を思考しながら、歩みを進めるが、

 

「……なに、するの?」

「奥の部屋。【試験】は、そこでやるって黒蘭のやつは言ってたからよ」

「……見ていないよ」

「瞬間移動なんてチートが使えるやつだぜ? どうせ、不法侵入やらかしているに決まってるって」

「行って、どうするの……?」

「あ? 試験に合格して、晴れてあの馬鹿を連れ戻しに―――――――

 

 

―――――――やめて」

 

 

 暗闇の中、僅かに浮かび出た背中が遮りの言葉を放った。

 

 何処か縋るような響きを持った拒否は、芋ずるように続く。

 

「……もう、いいんだよ……蒼助くん」

「何がいいんだよ」

「あのコは、誰かに強制されたわけじゃなくて……自分の意志で選んだんだ。

 

 ―――――――だから、もう放っておいてあげて」

 

 耳を疑うような言葉に、蒼助は少しばかり目を見開いた。

 疼くように拳が震える。

 けれど、そこにある衝動を押さえつけ、

 

「……センセ」

「もう……開放してあげようよ。あのコ……疲れたんだって。身も心も削って……何度も血を吐くような思いをして……。あのコは、私たちが思っているよりずっと辛く

苦しい思いをして険しい道を歩いてきたんだ。もう十分だよ……十分なんだよ、蒼助くん。あのコが、これ以上苦しむ必要なんか……ないんだ。そんなことあっちゃ……

いけないんだ」

 

 語りかけは途中からただの独白へと変わっていく。

 

「……どうして、だろうね。誰もが……たくさんの人間が笑って生きること許されている時代なのに……どうして、あのコだけ……。人を、殺したからかな? そうして

誰かを踏み越えて道を歩んでいたから……? だったら……だったら、そうなる前は何だったんだ。何もしていなかったのに……普通に生きることができたはずのあの頃

だって………いつもいつも、どうして……あのコだけが……っ!」

 

 そして、最後は叫びとなり、そこが区切りだった。

 尋常ではない消沈ぶりに蒼助は声をかけるタイミングを見出せない。

 

 今の三途には、昨日までの穏やかさは見当たらない。

 見ているこちらが痛み入るほどに悲痛を滲ませるその様は、それまで時折見せていた翳りとは比べ物にはならない。

 口から次々と流れ出る恨み言のような言葉は、積年の代物であることを感じさせる。

 

 この女にとって、千夜が切り出してきた決別は身を切られるような壮絶な苦痛であったのだろう。普段はなりを潜めている内側の脆くボロボロの部分を、こうして恥も

外聞もなく曝け出してしまうほどに。

 

 千夜はそれだけ大きな存在だったのだろう。

 それを欠いてしまった今、彼女はこの有様だ。

 その気持ちが同等かはわからないが、蒼助もまた少し前まで同じ状態に落ち込んでいた。少なからず、気持ちに共感はある。

 

 だが、だからこそ―――――――

 

「もうどうしても無理だっていうのなら……せめて、楽にしてあげたいんだ。あのコが、楽になれると考えた方法だというのなら………私は。だから、もう―――――――

 





―――――――さっきからごたごた寝言ばっか並べ立ててんじゃねぇよ」







 

 許せない。認めない。





 押し付けられた結末に甘んじようとしているその姿勢が。





 

「あんた、本当にそれでいいと思ってんのかよ」

 

 そんなわけがない。

 そうだというのなら、どうしてそんなにも未練たらしく言葉を連ねているのか。

 

 反応のない三途に、蒼助は勝負を買ったかのように口端を釣り上げた。

 

「いいのか? 死にたくても死ねなかったあんたが死ぬために必要なもんを、こんなことでなくしちまってもよ」

―――――――ぇ」

「一昨日の夜、あんた俺に言ったよな? 自分は一度死んだ身だから、今更命は惜しくなんかないって。……あいつのために使えるなら本望だって。

 ―――――――それ、ちょっと違うだろ?」

「違うって……なに、が」

 

 こちらの反撃に持ち出した材料は予想とは違っていたのか、そもそも反撃そのものを想定していなかったのか、三途の声には戸惑いが滲んでいる。

 最初に得た手応えに、蒼助は己の行為に見込みを見た。

 

 そうでなくては困る。

 蒼助は、『探り』から本格に攻め入る体勢に入り、

 

「死にたがりのあんたは、唯一死ぬ理由になりえるあいつを……ここで見逃しちまっていいのかよ。俺は、自殺願望者の思考とか気持ちとか一生理解できないしたくねぇ

けどな………あんたにとって、あいつは自殺するための理由みたいなもんだろう? いいのかよ。踏み台なしじゃ死ねないんだろう、あんた」

「……違う」

「違うって? 何が違うんだよ。【誰かのため】っていうのはさ、【誰かのせい】にするってことだろう………? 自分の死に意味を持たせたいあんたには、格好の獲物

だったのにな……あいつは」

「ちが、う……っ」

「それとも……【予備】が残っているから、別に大したことじゃねぇのか? まぁ、あいつなら傷の舐め合いってことであんたのこと慰めてくれるかもな。何より、自分

の大事な人間が大事に思っていたやつだし、贅沢言わずに妥協さえすりゃなんてことねえよな?」

「やめて、私は、そんな……」

偽善(イイコ)ぶるなよ、センセ。……ひょっとすると、今のこの状況は、あんたにとってこれ以上にない都合のいい展開なんじゃねぇか? あいつはあいつの望みどおり死ねて、

あんたはあんたで代わりがいるから望みはまだ叶う。だから、あんたは……」

――――――――――――――!」

 

 先を遮るような殴打音。

 騒ぎ立て倒れる椅子と共に、

 

―――――――わかったようなこと言わないで………っ!!」

 

 三途は床に突き立てるように立ち上がり、同時に両手をテーブルの上に叩きつけた。

 ここにきて強く放たれた言葉は、ようやく聞けた力のある意志のこもった声だった。

 

「君に、何がわかるっていうんだっ! 私が、私がどんな思いであのコの傍にいたかわかるのかっ!?」

「わかんねぇよ。……そんでもって、あんたもわかってねぇ」

「わかってるよ! 私だって……私だって千夜とずっと一緒にいたかった……ずっと、一緒にいたかったよ! ……ずっと続けばいいと、何を引き換えにしてもいいくらい

思ったよ! でも、私には……私は、先のことを考えずに……ただそれだけを信じて願い続けることなんてできない。そんな風に、信じ続ける勇気なんか持てない……! 

君みたいに、何とかなるとただひたむきに信じて前を進むことは……何も恐れずにいることは、できないんだよ。自分のために、誰かを廃人同然にしてまで縛り付けておく

勇気なんて……もう……っ」

 

 怒りに満ちていた感情は、滲み出た涙で押し殺された。

 連なる言葉をただ聴くに徹していた蒼助は、それを区切りと見据え、

 

「……だから、言ってんだろ。あんたは、わかっちゃいないんだ。何も」

 

 どいつもこいつも、何でそうなのか。

 自分の本当の望みなんて自分が一番わかっているはずなのに。

 それを認められず、見えないフリをする。怖気と臆病で作り上げた【偽物】の願望で誤魔化す。

 

 自分に嘘をつき続けて何が得られる。

 我慢し続けて何を成し遂げられる。

 

 そんなもの、いざ失った時、手遅れになった時に傷から湧き出す後悔がひたすら大きく噴き上げるだけだ。

 

 欲しいのは、嘘の果ての代償ではない。

 あんただってそうだろう?

 そうやって口じゃ奇麗事ばっか並べ立ててるあんたって、本当は―――――――

 

 

「あいつは、そんな奴なのかよ。簡単に自分の人生をあきらめちまうような……そんな弱い奴なのかよ」

「……だっ……て」

「今まで、血反吐吐くような目にあっても前進し続けてきたんだろ? 誰かに助け求めりゃいいのに、自分でどうにかしようと無茶すること選んできたんだろ? そこまで

してきて、どうして今になって諦められるんだよ。死んだ方がマシだって思いまでした奴が、今更死にたいと本気で思ってるなんて、どうして信じるんだよ!!」

 

 いつだって逃げ出せたはずだ。

 だが、自分の為に死にたいと願い続ける相手を千夜は見捨てなかった。

 馬鹿な奴らだ、と悪態つきながら、それでもその手を離さなかった。

 

 不安で仕方なかっただろう。

 いつ繋ぎとめている手を振り解いて、死が渦巻く闇の中へ身を放り投げてしまうか気が気ではなかっただろう。

 喪失の恐怖と隣り合わせで、それでも自分の願いなど聞き入れず聞こえないふりを続ける愚か者どもを支え続けた。

 

 あの時、千夜は【何か】に呑まれていた。

 相対していた自分をはっきり知覚できていたかさえも、今は怪しく思える。

 奥の奥に押し留めて、無理矢理蓋をしてしまいこんでいたものが何かの拍子に溢れ出て暴走しているようだ。本人では止めようがないほどに。

 

 己を見失っているのなら、止めなればならない。

 その為にはまず、目の前の人間の目を覚まさせなければならない。

 

「……マジで、今まであいつの何を見てきたんだよ。あいつが、賢そうな顔してすっげぇ馬鹿なのは、俺よりもあんたの方がずっとよく知ってるはずだろ!? 救いよう

のねぇ馬鹿だから、あんなベタベタに甘やかして世話焼いてきたんだろっ、ほっとけなかったんだろ!?」 

 

 捨て猫や根無し草に、むず痒くなるような温もりを与えたからには最後まで面倒をみてやれというのだ。

 拒絶されたくらいで、自分のものをそう簡単に諦めるなど愚の骨頂だ。

 

「あんたも今更なんだよ!! 俺を殺してでも守ろうとしようとした大事なもんをどうしてここにきて諦められちまうんだよ! 物わかりのいい大人ぶってんじゃねぇよ! 

怖気付いて自分をごまかそうとするな、下崎三途!!」

 

 散々守る相手の言い分など聞く耳持たずに、自分のエゴを主張し続けたのだ。

 

 だったら、その自己(エゴ)を最後まで―――――――

 

「あんたは………あんたが、守ろうとしたもんは…………結局何だったんだよっ!」

「っ、わたし、は―――――――

 

 

 

 

 

―――――――この痴れ者が。そのように責め立てて女を泣かすやつがあるか」

 

 

 

 

 

 二人の空間にて行われていた問答に割り込む、存在しないはずの第三者の声に我に返ったのは同時だった。

 

「……上弦、さん」

 

 暗闇の店内という空間にて新たに存在を認められた者の名を僅かに掠れた声色で明示したのは、三途だった。

 上弦は、蒼助が向かうはずだった店の奥に続く扉からその姿を現していた。

 三途の言葉に応えることはなく、蒼助の方を見て溜息を吐く。

 

「表がやかましいと思えば、やはり貴様か小僧。……私の話を聞いていなかったのか、馬鹿者め。人の世話になどかまけている場合か」

「…………」

「来い。黒蘭さまが首を長くしてお待ちしておられるぞ」

「……わかった」

 

 三途を睨むように一瞥し、蒼助は止めて大分経った歩みを再開する。

 押しのけるようにズカズカと入り口の向こうへ踏み込んでいく。

 上弦はそれを見届けると、

 

「……私は、説教じみたことを述べる気はない」

 

 伝う涙を拭いもせずそのままにする放心状態の三途に、上弦は諭すような口調で語りかけた。

 

「だが、経験者として言わせてもらえるのなら………自分がもっともなしたいことを選べ、三途。他人の是非は関係ない。お前の心が指し示す、答えをな」

 

 先人としての知恵を授け、上弦はそれ以上三途に構いはしなかった。

 未熟な蒼助の叱咤であっても、少なくとも目は既に覚めているはずだった。

 それなら、後は誰も口を挟むべきではない。

 決めるのは、三途自身だ。

 他の誰でもなく、己の意志で何をするかを決断させるしかない。

 

 上弦は、かつての己と同じ穴に嵌まっている存在へ健闘を祈り、蒼助の後を追う。

 願わくばあの時の自分と同じ途を辿れれば幸い、と思いながら。

 

 

 

 扉を閉める際に、彼女が唇を強く噛み締めるのを視界の端に見た気がした。

 

 

 

 

 

 

 

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