土曜日。

 休日であるのその日だが、学園に生徒は登校していた。

 

 昨年度をもって学園を離れる教員たちを送る離任式が催されるためだ。

 よって、振り替えとして休み明けとなるはずの月曜日が休日となる。

 

 しかし、その日は、予定されていた離任式など吹き飛ぶような騒然とした空気が学園全体に流れていた。

 

 

「今朝のニュース見た?」

「死体、バラバラだったってー……こわぁ」

「久留美は……?」

「無事だって。……病院に搬送されたらしいけど」

「じゃぁ、やっぱり見たのかな? ……犯人を」

「唯一の目撃者を消しに犯人は再び現るってやつ……あるかな?」

「なんていうか、久留美も案外願い叶ってかもね……ほら、あいつ危ないこと好きだったじゃん」

「ちょっと、よしなよ」

「だってさぁ……」

 

 教室を行き交う言葉は全てが同じというわけではなかった。

 

 身近で起きた事件に畏怖する声。

 クラスメイトに対する同情の声。

 所詮他人事と面白半分に囃し立てる声。

 

 その三種が混ざり、三重奏として喧騒を成していた。

 

「……クラスメイトの不幸にも、この反応か。人間ってやつは、情深いんだか薄情なんだか……時々わからなくなるな」

 

 蒼助の傍の窓に寄りかかる昶が、語りかけるような独白を呟いた。

 

「ただの、クラスメイトだろ。そんなもんだろ、人間なんて……」

「シビアな感想だな。都築なんか、この陰口を聴いてられなくてさっき出ていったぞ」

「お優しいことで何よりじゃねぇか。久留美も喜ぶだろうよ」

 

 どうでもいいとばかりに言い捨て、蒼助は手に握り締める携帯電話に意識を向けた。

 開いた画面の変化を、待っていた。

 

 そして、

 

「……っ」

 

 受信拒否。

 これで、十回目だった。

 

 これまで千夜の携帯に送信したメールは、全て等しく跳ね除けられている。

 一つ返される度に、蒼助の中で不安と縋る気持ちが増幅していく。

 

 千夜の不在と所在不明。

 そして、昨夜に起きた新條久留美の自宅での惨劇。

 そこに関連性が無い、と考えを切り捨てるには、些か無理がある。

 

 電話も繋がらなかった。

 既に携帯そのものが使用不可能な状態にあるのか。

 それとも、携帯の持ち主が使えない状態にあるのか。

 

 どちらにしろ、蒼助の緊張の糸を緩ませる可能性にはなりえない。

 

「どうした、さっきからケータイばっかり気にして」

「……別に」

 

 誰かに話したところで、何にもならない。

 三途には、朱里が連絡を入れているだろう。

 

 しかし、その三途からも今はまだ何の情報も舞い込んで来ない。

 

 誰も何も掴めない。

 まるで、煙のように姿を消した千夜。

 

 たった一日姿を見ないだけで、こんなにも認識が危うくなる存在。

 

 こんなにも強く想い続けているのに、気を抜けば記憶からも存在を失くしてしまいそうな気がした。

 

「おい、本当にどうした。顔色が……」

「何でも、ねぇって……」

 

 うるさい。

 あいつから意識を逸らさせようとするな。

 

 気遣う昶の声すら、今はどうしようもなく煩わしい。

 ブスブスと燻るように苛立ち始めた矢先、

 

 

―――――――蒼助くん」

 

 

 背後。

 呼びかけと共に、肩を掴む手を感じた。

 

 ここ暫く聴いていなかった人間の―――――――

 

 

 

「……朝倉?」

 

 振り向くよりも早く、昶がその名を口にした。

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 無人の屋上。

 ちょっと話がある、としばらくぶりに見た渚が、場所を変えようと蒼助を連れてきた場所だ。

 

 もうすぐ体育館で離任式が始まるが、そんなことは気にかからなかった。

 人に聞かれたくないことなのか、渚は来る途中まで一言も言葉を発しなかった。蒼助はそんな渚の後に続き、黙って従った。

 

 只事ではないことを、本能で察していたが故に。

 

「……ここらで、いいかな」

 

 少なくとも、この時間帯に人はやってこないであろう場所。

 そう踏んだのか、渚はようやく止まった。

 

「………なんだよ、話って」

 

 普段の茶化しや戯れは一切挟まず、蒼助はストレートに内容を欲した。

 対して渚は、まるで蒼助の心境を既に予知していたかのように、

 

「終夜さんは、昨日………君のところに帰ったかい?」

 

 いきなり核心をついた。

 

 驚愕。

 違和感。

 受けた衝撃が生んだ蒼助の感情は、その二つだった。

 

 どうして、知っているのか。

 あのいざこざの際に、渚は不在だった。

 表情に全部描いてあるとでも言いたげに、渚は蒼助の内心をそのまま口にした。

 

「……デキちゃった報告は、七海ちゃんから。結構長めに詳しく経緯を話しくれマシタ」

 

 一部の疑問は晴れた。

 だが、本題はそこじゃない。

 

「そうじゃ、ねぇよ……お前」

 

 渚の口ぶりは、まるで千夜が昨日帰ってこなかったことを前提にしているようだ。

 

 

 いや、そもそも―――――――

 

 

「何を、知ってんだ……?」

 

 

 千夜の不在。

 そして、新條久留美の身に起きた惨劇。

 それらに関して、何かを知っている。

 そう思わせる何かが、渚から匂っているように蒼助は感じた。

 

 問いに対し、渚は一度視線を蒼助から逸らした。

 それによって生まれる一瞬の沈黙。

 一拍として置かれたそれの終わりと共に、

 

「………実は、さ。実家での用事を済ませてこっちに帰ってきた後……マサの頼みで、俺は【とある人物】を丸一日尾行していたんだ」

「……と、あるって……まさか」

 

 話の流れを汲んで思い当たる人間は、一人しかいなかった。

 

「終夜千夜……と、名乗っている人物を追ってたよ。彼女は、この都市(まち)を取り巻く異常の正体に辿り着く鍵だって………マサが、言ってたから」

「鍵って……てめぇら、何を根拠に」

「俺たちよりも距離を縮めた君なら……彼女が何なのか、わかっているはずだろう?」

 

 お前も知っているはずだ。その言葉に蒼助は抵抗を抑えつけられる。

 

「……確かに、あいつは”澱”の……あっち側の住人だ。けど、あの事件に関わったのは偶然……」

―――――――本人は、そうじゃないって言ってたけど?」

「っ、お前……」

 

 尾行だけではなく、接触もした。

 言葉を解釈すれば、そういうことになる。

 

「調べたんだよ、彼女のこと。……いや、今となっては"どちら"で言い表せばいいんだか」

―――――――……っ!」

「戸籍は全部偽造だった。今の名前はもちろん、ここに来る以前の高校で使っていた名前も嘘。………いないんだよ、終夜千夜なんて人間は。この世には、存在しない」

 

 

 この場にいない少女の存在の不安定さを、容赦なく畳み掛ける衝撃だった。

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆ 

 

 

 

 

 幼少期の記憶がない。

 それを聴いた時から、千夜という存在に陽炎のようなものを感じるようになっていた。

 

 過去が無い。

 それは人として大きな欠損だ。どれだけ忌み嫌うようなものでもそれが個人の歴史となり、先の礎になる。

 だが、千夜にはそれが無い。

 十年という大きな穴を抱えたまま、どんな想いで歩んできたのだろう。

 自信に満ちた姿は、前に進む意志のみで織り上げられていたのだと知った。

 

 過去が無く、性別が無い。

 人として当然のことと授かるものを、記憶の始まりの際には全て失っていた。

 一度赤ん坊同然の状態に戻ったところから築いた―――――――無くした分の半分程度にしか届かない記憶(かこ)すら、人にはおおっぴらに言えないような仄暗いもの。

 生きるために犠牲として結果だ。

 だが、それを盾としない誇り高さ。目を逸らさない意志の強さ。

 だからこそ、千夜はあれほどまでに自分を拒んだ。

 

 そして、だからこそ―――――――千夜への愛しさが募った。

 

 黒蘭から聴いたことは、【そうだったという事実】のみ。

 千夜がどういった経緯でそうなったのか。

 千夜はどんな心情を抱いていたのか。

 事実の中身に関して、黒蘭は何一つ語らなかった。

 

 それを誰から聞くべきが正しいのか、語らずとも暗喩されていた。

 いつか千夜自身の口から、千夜の意志を以って。

 すぐでなくとも、いくら時間を掛けても。

 

 全て打ち明けられるまでに強くなったら、きっとそれは叶う。

 

 

 そう思っていた、というのに―――――――

 

 

 

「マサのところに調査結果を報告しに来た時に、彼女のことを話さなかったのは………君も知らなかったからか?」

「……………」

「まぁ、今となってはどっちでもいいけどね。ただ、彼女は間違いなくあの化け物に大きく関わっているのは確かだ」

「……あいつが、話したのか?」

 

 搾り出した己の声に肯定無く、しかしそれ同然の言葉が渚から続いた。

 

 

「ひょっとしたら、君が話を聞いたという魔術師よりも深い拘わりを持っているかもしれないよ。三年前………そして、ここに来る三ヶ月前に起きた―――――――今回と

同じ事件の当事者だろうからね」

「………何だとっ!?」

 

 蒼助は己の耳を疑った。

 三年前。三ヶ月前。

 前者はともかく、三ヶ月前とは千夜がこの月守学園に来る少し前―――――――まだ以前の学校にいた頃。

 

 そして、身体の異変が起き始めた時期だ。

 

「彼女がここに来る前にいた明稜学園は、三ヶ月前に生徒の立て篭もりによる騒動があった。その直後、御月千夜という男子生徒が退学している。ほら、これが……」

 

 渚がスカートのポケットから取り出したのは―――――――写真だ。

 差し出してくる写真を見て、蒼助は凍りついた。

 

 

 その姿を見るのは、初めてではなかった。

 千夜の部屋の机の引き出しにしまわれていたアルバムの中に、【それ】はいた。

 

 紛いも無く、男の姿の千夜だった。

 

 

「どっちが本当なのかは置いておいて……それは間違いなく、君の恋人だ。本人の肯定ももらっている。あの学園内で起きた事件の裏についてもね」

「……裏、だと?」

「生徒の立て篭もりっていうのは、表向き。事実としてあったのは、完全にこっち向きの事件さ。しかも、降魔庁の処理付き」

「ちょっと待て、三ヶ月前だろ? そんな話、聞いたこと……」

「それを言うなら、俺たちが追っている二十年前のこともだ。……降魔庁の黒くなっていくばかりだね」

 

 二十年前を始めに十四年続いた悪夢。

 そして、更には近年のうちに起きた二つの事件。

 

 降魔庁がそこまで執拗に隠したがる理由は何なのか。

 そして、そこにどうして千夜が拘わっているのか。

 

「その様子だと……本当に、何も知らなかったんだね」

 

 哀れむような渚の声が決定打だった。

 自然と顔が俯く形になる。

 

 自分がいかに蚊帳の外に置かれていたか。

 何も知らずに時間だけを消費していたか。

 

 そして、それは今も続いていることを蒼助は思い知った。

 

「……なら、多分これもそうだと思うから言うけど。

 ―――――――神崎陵は生きているよ」

「っ!」

「しかも……俺たちが戦ったアレは、【偽者】だってさ。本物は、この都市の何処かでその様を高みの見物していたってことに……なるね」

 

 神崎は死んだ、と千夜から聞かれた夜。

 それで全てが終わったとは思ってはいなかった。

 だが、それすらもまだ終わっていなかったというのか。

 

「この前の君のところの火事の件も、神崎の仕業だ。……今朝の、新條さんの件も」

「何でっ……一般人の久留美がどうして」

「……共通点なら、あるだろ?」

 

 知っているくせに、とでも言いたげな促しだ。

 見据えられると同時に、蒼助はズクンッと心臓を揺さぶるほどの重い何かが内側に居座わり込む衝撃を感じた。

 

 共通点。そこに当てはまる人物の残像だ。

 

「……千夜が、そうだっていうのか?」

「そうだよ。君も、新條久留美も……―――――――彼女が関わったから狙われたんだ」

 

 その言葉を聞いた途端、意識から何かが吹き飛んだ。

 

 せめて、『が』ではなく『に』であったら、まだ踏みとどまれたかもしれない。

 

 それがトぶ寸前に思ったことだった。

 だが、もう遅い。

 目の前の友人は、発射スイッチを押してしまった。

 

 抑止も制止にもならなくなった理性が客観的視点でそう思う中、野放しとなった本能は身体にGサインを連打し、

 

 

―――――――っ、ふぶ」

 

 

 従って振りかぶった腕は、その狙いを外すことなく渚の頬を横殴りした。

 噴き出すような呻きと共に衝撃の向きへ崩れかける。

 

 しかし、それを許さず蒼助は胸倉を掴んで引き戻した。本来あった位置を過ぎて引き上げられる形になるまで。

 タッパのある蒼助よりも身長の低い渚は、因って胸から吊り上げられるような形になった。

 

「い、きなり……過ぎる、ん……じゃない? つか、速、す……っっ」

 

 戯言は締め上げて黙らせた。

 この期に及んで不要な言葉は聞きたくない。欲しいのは、そんなものじゃない。

 

「……あいつは、何処だ」

「しら、ない」

「会ったんだろ? その後、どうした。それぐらいはわかるだろ」

「…………」

「ほら、言えよ。触られたら痛まねぇはずがない過去をザクザク堀まくった女を、そのあとどうしたかを……よ」

 

 地面から浮きかけた身体をガクガクと揺さぶる。

 苦しそうな渚の顔など、見えていても気にはならなかった。

 それどころか凶暴な部分にエンジンがかかり始める。

 

 それほど前ではない頃、一度は戦線を共にした仲間というべき人間だ。

 だが、そんな値札は今の蒼助を抑える鎖にはならない。

 そして、その事実は同時に理解も促した。

 

 結局、【コレ】はその程度の存在だったのだ。

 三途が言っていた言葉を思い出す。少し前、彼女に殺される間際に言われた言葉だ。

 

 一番とそれ以下の数字。

 どちらか一方を取ることを迫られれば、どちらか。

 考えることなど、馬鹿らしい。躊躇もいらない簡単な問題だった。

 

 今となっては、三途のあの時の選択には賛辞を送る。殺されかけた身でありながら、その決断に好意すら持てる。

 来るまでの人生で培った判断基準なのだろう。経験と反省を重ね、そうすることにしたのだろう。

 

 だが、自分は違う。蒼助は、確かな実感を手に感じつつ思った。

 友人も仲間もそれなりに大事だった。

 そのはずだった。

 

 しかし、己の世界は確立してしまった。

 何処に立って、何を見て、何を中心に動けばいいかを理解し、納得してしまった。

 

―――――――言えっつってんだよ」

 

 声は自分でも聞いたことは無いほど冷静を超えて冷徹なまでに冷えていた。

 今まで憤ると、あれほど声を荒げていたのに。これでは、あの気の合わない誰かさんのようだ。

 

 これが、自分の憤怒なのか。

 本当に臨界点に達した時、こんなにも冷静に容赦を見失うのか。

 

 友人を、こんな風に感慨も無く痛めつけようと思うようになるのか。

 

 

 渚はまだ吐かない。

 こんなことをしている場合ではないというのに。必要なことを聞いて、早く行かなければならないのに。

 締め上げるだけ足らないのなら、直接首を絞めてやろうか。

 

 喉を潰さねぇように気ぃつけないとな、と思考は確実性と酷薄を追求していく。

 

 

 その時。

 

 

「っ……わかっ、た………話すっ……か、ら」

 

 

 観念した、と渚がパシパシと襟元を締め上げる手を叩く。

 危うい一線を越える前に、理性が僅かに重さを取り戻した。

 従って蒼助が圧していた手を離すと、渚の身体はどさりとその場に崩れ落ちた。

 

「げほっ、げ、ふっ……っ」

 

 酸素補給に取り込む空気を喉につっかえ、咳き込む。

 前屈みに両手をついて、乱された息を整える渚を待った。

 

「は、ぁ…………はぁ……。……彼女に接触した目的は二つ。彼女が何者なのかを確かめること……そして―――――――神崎に対する共闘を持ちかけに」

「……共闘?」

「彼女は神崎の生存を既に感知して、おそらく単独で追っていたはずだ。しかも、神崎の方も理由は不明だけど彼女に異常なまでの執着を向けている。だから……」

「………つまり、囮に使おうとしたってことか。神崎を誘き出すために」

 

 無言。

 肯定であると察した蒼助はもう一発殴りたいと疼く拳を宥める。

 まだだ、と。まだ聞きたいことは残っている。

 

「……その皮肉った解釈は彼女にも言われたよ。……それが事実であることには変わりないから、反論はしないけどね」

「それで……あいつはどう答えた?」

 

 まさか、応じたのか。

 そうだというのなら、行方を眩ませること至る理由は何なのか。

 

 まず最初に疑念は、次の瞬間に渚によって晴らされる。

 

「こっぴどく振られたよ。こっちの協力要請をボランティアのつもりかって、ね。交渉は決裂………ただで帰れるわけなんてなかったから、交戦に持ち込んだ」

「…………」

 

 渚がいて、千夜がいない。

 目の前の現実に、一度は切れて結び直された理性が再び引き千切らんばかりに張りつめていく。

 

 本能が促す引く力を抑えるべく、蒼助は拳を握り締めた。掌に爪の食い込む痛みが、なんとか相殺の効果を生んでいた。

 

「結果は………惨敗の二乗ってところかな。俺の。……実力面でも精神面でもボコボコにされちゃった」

 

 張り詰めていた琴線が緩むと同時に、蒼助は小さく一息吐いて力を抜いた。

 しかし、それも一瞬のことだった。

 

「だけど、その負けは無駄にはならなかった。その直後だよ。……【あいつ】は現れたのは」

「……神崎」

「実際に接触して、彼女に言われた罵詈雑言が………全部事実だって、実感させられた。あいつは……ヤバいよ。実体じゃなかったけど……それだけでも、あの迫力満点

だった偽者とはまるで桁違いだ。結界を侵食された時、あいつの瘴気が身体に流れ込んで来て…………」

 

 最後の方で、声が小さくなっていった。

 それだけではなく、見れば地に付いた手が小刻みに震えている。

 

 その【侵食】とやらを受けた恐怖が、一夜明けた後も離れず残っているのか。

 

「その場に居合わせてわかったけど………あいつの終夜千夜に対する執着は狂気の沙汰だ。あいつのイタイ妄想の中では、彼女の御主人様ってことになってる。……よく

わからないけど、彼女が"澱"の住人であることに異常なまでにこだわっている。その本来の在り方をぶれさせる存在として、当初は君が狙われていた……けど、昨日それ

が一変した」

「……どういうことだ」

「標的を変えたんだ。やつの中で、【自分の女】を日常に浸らせて毒している人間は、君ではないという考えに変化が現れた。……それが、今朝の有様さ」

「……久留美が、駆逐する標的になったのか?」

「昨日の行動がきっかけとなったのか、それとも前から君の次点に位置されていたのか………どっちにしろ、神崎は終夜千夜に悪影響を与える存在として、新條久留美を

排除対象に定めた。そして、新條家が襲われた」

「……その場に、久留美はいなかったのか?」

 

 一昨日から久留美と千夜は行動を共にしている。

 だが、昨日久留美が襲われたのは自宅で家族と共にだ。

 

「遠くから様子は見てただけから、どういう理由があったかは知らないけど……途中でなんか仲違いしたみたいで、二人は昼間別れたんだ。けど、終夜千夜が無事を確認

するために電話をかけた時は、まだ家にはついていなかったみたいだ。……彼女は、家への到着を防ぐ為に、新條さんのもとへ向かった。………間に合った、というべき

かは、なんともって感じだけど」

「あいつは久留美の家に行ったんだな? 久留美が生き残ったのは……」

「そういう意味では、無事に間に合ったんだろうね。……多分」

 

 だが、惨劇を防ぐという意味では間に合わなかった。

 その後日である今日は、それを意味していた。

 

「……俺が知っていることと、予測できるのはここまで。彼女は一人で新條さんの家へ向かった。俺は……瘴気にヤられて暫く動けなくなって、途中リタイア。そのあと、

彼女が何処へ行ったかは……知らないよ」

「………本当、なんだな?」

「本当、だよ」

 

 両手をつく位置を後ろに下げ、顔を上げる渚。

 見上げる視線をかち合い、しばしそのままになった。

 

「………わかった」

 

 零した一言が、沈黙の幕となった。

 蒼助は座り込む渚に背を向け、出口へ向かうが、

 

「何処に行くの?」

「……あいつを探しに行く」

「当ても無いのに? ……しかも、君に大事なことをたくさん隠して……たくさん嘘をついていた相手だよ」

 

 渚の言葉に、一度足を止めた。

 振り向かないまま、

 

「……だから何だ。他人の口から聞いて済ませて納得しろって? ……俺は、あいつの口からまだ何も聞いていない。だから、聞きに行く。……何かおかしいかよ」

「おかしいっていったらおかしい、かな。……というか、変わったね。以前の君は、面倒なことはお金でも付いてこなきゃ仕事だって請けなかった」

 

 言われなくてもわかっている。

 それが、今じゃ自分から全速力で飛び込もうとしている始末だ。

 それも超ド級の災厄に。

 

 どうかしている。

 だが、どうだっていい。

 

 吐き捨てるように思い、蒼助は前進を再開しようとする。

 その前に、

 

 

「……ねぇ、行く前に一個訂正させてよ」

 

 

 何だ、と口にはせず、進行の停止で示す。

 それを聞く体勢ととったのか渚は、

 

「さっき、君の恋人が全部悪いみたいな言い方をして………ごめんね」

「…………」

「彼女は、君にも拒絶した?」

「……ああ。散々こっち来んなってな。おかげでオトすのに、苦労した」

 

 そうなんだ、と背後の渚が苦笑した気配を感じる。

 

「本性剥き出しの状態で対峙した時は、詰るは侮るわ小馬鹿にするわで腹立ちまくりだったけど………今思うと、悪いヒトじゃないよね。あのヒト」

 

 なんか似てるし。

 

 そうして独白のような言葉は、ぽつりぽつりと続き、

 

「……【生きる】のが下手なだけなんだな、きっと。なんとかしてやんなよ、蒼助くん」

「さっきから、何言ってんだかわかんねぇが……」

 

 理解をする気はないとばかりに、溜息。

 そして、この場で口にする最後の言葉を紡いだ。

 

 

「言われんでもするっての」

 

 

 言葉に対し、渚がどんな表情を返したかも確認せず、蒼助は今度こそ屋上を後にした。

 

 

 振り返る気も、ここにこれ以上留まる気も毛頭ない。

 心を占め、突き動かす存在は、ただ一人だった。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 慌しい様子で帰ってきた蒼助を、驚いた様子で出迎えたのは留守を頼んで置いた朱里だった。

 

「蒼助?」

 

 ただいまの挨拶もなしに朱里を通り過ぎ、寝室に飛び込むなり制服を脱ぎ出す。

 無視された朱里は、取り付く島も無くただその様子を何か言いたげに傍観する。

 

 制服を全て放り捨て、私服へと着替えた蒼助は、ジャケットに腕を通したところでようやく、

 

「朱里」

「ぇっ……」

 

 もう一度声を掛けようとしたところを先手を打たれた朱里は、出鼻を挫かれたことにより小さく悲鳴のような声を漏らした。

 【お前】や【ユキウサギ】ではなく、初めて名前を呼ばれたことによる驚きも大きかった。

 

 蒼助はジャケットを身にまとうと、帰宅してから初めて朱里に向き合う。

 

「これからちょっくらお前の姉ちゃん探しに行ってくる。なんかあったら、連絡入れるからお前は家で待ってろよ」

「…………」

「腹減ったら、下崎さんのところ行け。ついでに、そのまんまそこで姉ちゃん待っとけ」

 

 蒼助は膝を折り、朱里の目線に合わせた。

 腰までしかない朱里との目線は、座り込んだ体勢でようやく一致し、

 

「……必ず、連れ戻してくるから。イイコにしてろよ」

 

 ポン、と朱里の頭を撫でる。

 細く白い長髪は、いつものツーテールにはなっておらず、地面に下っている。

 その姿に、蒼助はここにはいない人間を重ねて見たのを最後にして、立ち上がる。

 

「じゃ、行ってくるわ」

 

 握り締める手には、鍵。あの火事の後、唯一無事だった蒼助の単車のものだ。

 朱里を背に置いて、家を出ようとする。

 

 そこに、

 

「そ………蒼助っ!」

 

 

 張り上げられた引き止める声に、蒼助は振り返った。

 振り向かれた朱里は、何かを言い籠もるように「あ、ぅ、え、と」と言葉の成り損ないを零し、目を泳がせる。

 

「き………気を、つけて……ね」

 

 一瞬、目を丸くする蒼助。

 それは、了解を表すように笑みとして細まり、

 

「行ってくる」

 

 再度言い直して、蒼助は玄関のドアの開閉音が響く間を縫うように出て行った。

 数分前にように再び一人になった朱里は、蒼助が出て行く姿を見送った後、項垂れて溜息を一つ漏らした。

 きゅ、と下唇を噛むと、顔を上げてソファとテレビの間に置かれたテーブルの前に立つ。

 その上にある携帯電話を手に取った。

 徐に画面を開くと、つるんとした爪がつくひとさし指をある意図を持って動かした。

 

 開いたのは、履歴。

 

 そこから選び取り―――――――

 

 

 

 

 

「……もしもし、朱里だよ。―――――――姉さん」

 

 

 

 

 

 

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