闇から陽の差すほうへと投げ放った言葉。
刹那の空白が置かれる。
そして呼びかけに対する答えは、その空白の消滅と共に緊張感の欠けた陽気な声色で返ってきた。
「―――――――やー、いつから気づいてたのさ」
奥にいる千夜には既に遠くにある、入ってきた路地裏と外の境。
そこに、応えた人物がひょっこりと姿を見せた。
外と内の境界線の上に立つのは、恐らく今までずっと付きまとっていた気配と同一の存在。
外見だけで判断すると―――――――それは、少年の姿をしていた。
ジーンズとパーカー。顔は帽子を深くかぶっているせいで見えない。
「………お前、俺が一人になる前からずっと張り付いてたな……とでも言えば、わかるだろう?」
「うわ、凄いね。じゃぁ、最初から?」
「どうでもいい。俺が聞きたいのは一つ―――――――何の用だ」
刃物のように研がれた鋭く真っ直ぐな問いに、少年は怯む様子もなく、
「言わなくてもわかるでしょ」
「微妙に答えになっていないが」
「だよねぇ」
神経を逆撫ですることを目的としているが如く、のらりくらりとした応答。
わざとか。それとも天然か。
………いや、前者だよなぁ。
後者に対してはその極限の立つ存在を知っている。
それ故の判断水準により、千夜は相手に対してそれを意図的なものであると見定めた。
「………お前、何者だ?」
「君がそれを言うかなー。………まぁ、いいか。一応、君にも正当性のある質問ではあるよねぇ」
そういって、少年は境界線の上かた一歩踏み出した。
同時に、
「―――――――っ!」
路地裏に、一つの異変が生じた。
目には見えない、確認できない変化。
それを確認することができるのは、ほかの五感のいずれでもない。
身体の奥に根付いた六つ目の超感覚だ。
………結界か。
先手を打たれた。
しかし、これにより相手の目的の一部が発覚する。
………逃がすつもりはないらしいな。
面倒だ、と心底げんなりとした気分で思う。
路地裏でくだらない鬼ごっこは終わらせてやろうと思ったのが、間違いだった。
あのまま振り切れないのを電車に乗って、三途の店まで直行してしまえばよかった。
あの店は自分のような一部例外を除けば、外部の者は招かれなければ入れない。
自然に追跡は断ち切れただろう。
………妙な意地が災いになったな、くそっ。
千夜が独り後悔を募らせている間にも、少年は最初の一歩からずっと止まらず、距離を縮め続けていた。
間合いを詰められる。
危険なことだが、それによってわかることもあった。
少年、という判断は若干変更の余地があったのだ。
近くで見ると、遠くの初見よりも体つきは出来上がっているように思えた。
蒼助に比べたら全くもって華奢に違いはないが、それでもただ細いだけではない。
………術者系か。それとも、身軽さと俊敏さに特化した接近戦タイプか。
しかし、そこで断定はしない。
見た目だけで判断するのは、命を危険に曝すタブーだ。
相手の潜在能力や実態は戦ってみないことにはわからないものである。
経験上の知識として、千夜はそれを踏まえて、あくまで判断を仮定とした。
「……声聴いても………わかるわけないか。あんまり接点なかったし、普段はこういう格好でもないし。………でも、顔見たらさすがにわかるんじゃない?」
足を止め、少年は深く被った帽子を脱ぐ仕草を見せた。
キャップの前方のつばを掴み、
「―――――――お久しぶり。終夜千夜さん」
露見した顔に、千夜は目を見開いた。
◆◆◆◆◆◆
帽子が齎した変化は、まず髪だった。
まとめて帽子の中に収めていたと思われる髪は、想像に反して長かった。
女性のそれのように手入れされているように、美しく黒々とした髪は束縛を取り払った後は、清々するようにバサリと持ち主の背中や肩にしな垂れかかる。
「………お前は、」
「覚えてる?」
『普段』はカチューシャで後ろにやっているであろう前髪が、帽子を取り去った後も目元を隠すように被っていた。
それを仕上げとばかりに手で後ろに掻き上げ―――――――ようやく顔が披露された。
「―――――――朝倉、渚」
「せーかい。これで、お前、誰だっけ……とか言われたら、ショックで立ち直れなくなってたよぉー」
クルクル、と指に引っ掛けたキャップを弄びながら、少年―――――――朝倉渚はホッとしたように笑った。
ソレに対して、千夜は胡散臭い笑顔だと辛辣な評価を内心にて下す。
己の知るある種のタイプであると、ソレを見て朝倉渚を分類分けしながら、
「それは、良かった。もう少し時間が空いていたら忘れるところだった。だが、休日の暇に他人の尾行する趣味があるというその特徴で、もう忘れられないから安心しろ」
「ちょっ、俺なんかエラい人格評価されそうになってる!?」
「ハイハイ。で、何の用?」
「弁解すらスルー!?」
あしらわれる渚は、そこでジトリとした目つきになり、
「なんか、随分な変わりようじゃん。俺、間違えてよく似た別人を尾行しちゃったとかオチじゃないよね」
「………そういうことにして帰ってくれないか?」
これは名案だと、千夜は思った。
しかし、さすがにそうは問屋が卸さなかった。
「無し無し」
「………だよなぁ。わかったよ………何が目的なんだ?」
「それはこっちの台詞でもある。―――――――君は何者?」
全然噛みあってない、と思いながらもツッコミは控えて、
「……お前もご存知だと思うが」
「いやいや。―――――――君は、終夜千夜さんじゃないよね? ………というか、大体さ」
―――――――そんな人間はこの世にいないもの。
渚が突きつけられた言葉に、千夜の顔の筋肉が動きを止める。
表情を落としてしまったかのように、そこには停滞した無のそれだけが残った。
「……ふーん。で、お前……いや―――――――"お前たち"は何を知ったんだ?」
「たち?」
「お前一人じゃないだろう? ………まぁ、実際に動いたのは殆どお前だろうがな。
―――――――動けない、相棒の代わりに」
その一点の指摘で、渚の表情も変化する。
この程度の指摘で動揺が出てくるようでは、と千夜はクッと嘲笑を零し、
「そんなに動揺するな。大体見当がつく。……朝倉と土御門は長い友好関係を持つ家同士だ。自然と思いつくもんだ」
「………そこまでわかっているんなら、遠慮なくネタバレするよ。俺と、あいつがここ数日何をしていたか」
「……実家に帰省していたという話はデマか?」
「それは本当。学校に顔を出さなかったのはそれだけじゃないってことさ」
その点に関しては、千夜もどうでもよかった。
気になるのは、これから話されるであろうその先。
朝倉渚と、その相棒―――――――土御門雅明が何処まで自分のことに首を突っ込んできたか、であった。
「それで、お前たちは何処まで辿り着けたんだ? ………聞かせてくれよ、答え合わせだ」
「………まずは君の経歴から探りをいれてみた。………びっくりするくらい、真っ黒だったけどね」
つまりは、何一つ事実とは異なる結果であったということ。
「まぁ、まず戸籍登録のところでドカン!だったよ。……書かれている出身地とか、通っていた小学校や中学校、高校。わざわざ足運んで、在学記録も見てきたよ?
……まぁ、結果はさっき言ったとおり。―――――――ひとりの人間の存在不成立がなったわけだ」
「そうか。……当然だが」
「よくもまぁあんな穴だらけの経歴で、表に居れたよね。油断しすぎじゃない?」
「……そうだな」
短く返すと、渚は僅かにいぶかしむような歪みを表情に見せた。
秘密を暴かれたにもかかわらず、千夜は動揺どころか少しも態度に変化を見せない。
それどころか、こうなることが前もってわかっていたかのようにさえ見える。
「随分冷静だね。ひょっとして、俺たちの行動………バレてたとか?」
「いや。今、初めて知った。………だが、まぁ……遅かれ早かれこうなるんじゃないかとは予想していた」
「………穴だらけの履歴は、まさかわざと?」
「わざとといえばそうだがな…………別に誰かに調べさせるためじゃない。あの学園に長居するつもりはなかった……気が変わったら二、三ヶ月くらいで姿を消すつもりで
いたから。それだけだ。……と、こんなことはどうでもいい。そろそろ本題に入ったらどうだ? まさか他人の粗探しが目的ではあるまい?」
「…………君の目的は何?」
「質問に対して質問は行儀が悪いぞ。それに、前置きが足らん。答え合わせにならんだろうが」
今度ははっきりと顔を歪め、一度冷静になるためなのか、渚は目を閉じて呼吸の動作を一つ置いた。
そして、
「そもそも俺たちが君に目をつけたのは…………綻びが生じ始めたタイミングに気がついたからだった」
「タイミング………?」
「おかしくなり始めたのは、神崎が魔性に堕ちたところだと……俺たちは最初思っていた。だけど、もっとよく考えてみれば………それにも何かしらキッカケがあったはず
なんだよ」
「………何が言いたい」
思った以上に低い声が出てしまったと自覚したのは、渚が気まずげに目を逸らしたのを見てからだった。
その態度には躊躇の色が見えた。
千夜は、不意に苦笑いが出そうになった。
ここに来て言おうとしていることがどんなものかについて気付いたらしい渚。
その性根は、完全なる非情さがまだ根付いていないのだろう。
若さか。
それとも、少なくともこの男には確固たる決意がないからなのか。
いずれにせよ、ここを踏み切れないようなら―――――――
「……お前の言いたいことを代わりに代弁してやろうか。つまり、お前はこう言いたいわけだ。奴は、停学期間に魔性になった。その原因となったのは、俺だ。まぁ、あの
馬鹿は単に性欲突っ走らせて見当違いな方向として俺に向かってきただけなんだがな。
―――――――しかし、これはそのまま捉えていいのだろうか、とお前らは通り過ぎずそこで踏み止まった」
ここで千夜は止まった。
全て自分の口から語ることはしない。
晒すのではなく、暴いてもらわねば意味がないのだから、と。
さぁ、言えよ。
お膳立てはしてやったぞ。
視線で先を促すように訴え、千夜は相手の動きを待った。
「………最初はふとした疑問だった。こじつけもいいところだった。だが、考えて踏み込めば踏み込むほどに君の不審な行動が浮き彫りになった」
「ほー、どんな?」
「……君は、神崎の校内襲撃の際………どうして、校内にいたの?」
「新條久留美に記事に載せるインタビューを頼まれた。図書室で待ち合わせていたんだよ」
「…………本当は?」
「本当さ。当初はな。………あの、昼休みの一件で変わることとなったがな」
告げると、渚の表情に追及の色が濃くなる。
「やっぱり…………君は偶然ではなく、目的があってあの場に居合わせていたと判断してもいいんだね?」
「ああ、ついでこれも遠慮なく含むといい。―――――――俺は、お前たちと同じく神崎に接触する為に残っていたと」
沈黙が降りる。
一つの区切りとして、渚に次へと踏み込ませる助走となった。
「………ここまで君を調査するに至らせた疑惑。けれど、本命はここから」
「言ってみろ」
「―――――――私立明陵学園。君が、転校前に通っていた学校だよね?」
「何故、聞く」
「【終夜千夜】はいなかったからね」
「では、お前はそこで何を見つけたんだ?」
「………そこに終夜千夜という人間の在学記録は無かった。ただ、代わりに同じお名前を持つ―――――――男子生徒を見つけた」
「――――」
心臓に突き刺さるような痛み。
顔を歪めないように徹しながら、その先の言葉に身構えた。
「その男子生徒は既に在学していなかった。三ヶ月前に転校したと記述されていたよ―――――――その学園で起きた、とある事件の直後にね」
渚はパーカーの腹部に取り付けられたポケットに手をつっこみ、何かを取り出した。
それは一枚の紙―――――――何かを写した写真だった。
そして、そこに映り込んでいたのは、
「この先に触れる前に、確認をしておきたい。問うよ、自称【終夜千夜】さん」
千夜は、目を逸らさずソレを視た。
逸らす事は忌むべき逃避だった。
向き合わなければならなかった。
今度こそ、日常と決別する為に。
「―――――――【御月千夜】。性別に関しては、君が答えてくれないとどうにもならにから置いておくけど…………これは、君だよね?」
千夜は、肯定すべく目の前に曝された過去の己を直視した。