「じゃぁ、まず一つ目の―――――――何故、駆け引きを選んだのか。これの理由を聞かせてもらいましょうか」






 

 開始を告げるゴス子―――――――こと黒蘭の手には、缶コーヒー。

 長話には水分が必要だ、と言われて久留美が近くの自販機で買ってきたものだ。

 補足すると、久留美の手には同じく缶のオレンジジュースだ。

 

「……前に、似たような状況には本音で挑んで………玉砕したから」

「魔法使いに約束を破られた件ね?」

 

 そう、と頷いて、

 

「同じことになると思ったのよ。二度も同じところで躓きたくなかった。同じ間違いは犯したくなかった………だから、私は」

「はい、アウトー」

―――――――はっ?」

 

 流れに乗るようなダメだし発言に、久留美は仰天した。

 まだ始めたばかりだというのに、と。

 

「初っ端から二つも地雷踏んでる。警戒心高めて挑んでそれじゃ、世話ないわね」

「じ、地雷……って、どこらへんが」

「自分で考えなさいよ」

「相談は―っ!?」

 

 ぞんざいな対応に抗議をあげる久留美に、はふぅ、と黒蘭は呆れるように目を細め、

 

「やぁね。なんたら教育の世代っていうの? 世間じゃ叩かれまくってるけど、これじゃ仕方ないわよねぇ。自分で物事考えて判断したり決めたりすることも出来ない子供

ばっか繁殖させちゃって………人に言われてはいそうですと頷いてるようじゃ、ロクな大人にならないわよ。本当に」

「何で突然ガチで説教!? 路線ズレてないっ?」

「言い逃れは見苦しいわよ、子供。ともかく、結論を導き出すのは、貴方の役目。私はヒントを出してバックアップするだけ。出来る子と評価して欲しけりゃ、やるだけの

ことちゃんとやりなさいダメ世代の申し子」

「………いえっさー」

 

 果たして自分のHPは最後まで持つのだろうか。

 相手のスパルタ要素が垣間見えたことで、早くも危惧を覚える久留美だった。

 

「まず、気になる点はやっぱりここね。どうして駆け引きなんてしたのか、よ」

「だから………それは」

「まだ、私が話しているのよ。無駄口叩かない」

「スイマセンでした、軍曹―っっ!」

「却下。低くても大佐よ。軍曹ごときじゃ満足なんてできなくてよ?」

 

 迂闊に口も挟めないと来て、久留美は既に閉口状態だった。

 

「……だぁから、魔法使いに本音でぶつかったって完敗したからって、なんだっていうの? それでどうして千夜には駆け引きなんてする必要があるの?」

「………し、失敗したからには同じ手段は使わない方がいいに決まって……」

「そういうのは、貴方は千夜に本音でぶつかった失敗したことがあるから言っているの?」

「そりゃそうに決まって―――――――

 

 不意に言葉が詰まる。

 これを肯定するのには、何かが引っかかる。

 

 それは、喉の奥でつっかえる魚の骨のような、

 

「あ、れ………?」

 

 おかしい、と久留美は違和感に探りを入れる。

 自身は、何か根本的なところで大きな間違いをおかしている。

 

 そこへ、思考する久留美を置いて独り言のように呟く黒蘭の声が流れ込み、

 

「千夜は何事にも平等で対応する人間よ。本音でぶつかれば、本音で応える。逆に駆け引きを求められれば、駆け引きで。……それで、貴方は何を引き出そうとしたの

かしら?」

 

―――――――、っ」

 

 骨が、喉を下った。

 目を見開く久留美に、黒蘭は、

 

「………ようやくわかったようね、ダメな子。過去のトラウマの一件はかなりショックが大きかったようだけど………引きずり、こだわったのはネックだったわね。

あのコが非日常という事項がついていたことが余計にそれを際立たせちゃったみたいね。

 でもね、―――――――わかるでしょ?」

 

 問われ、久留美は頷いた。

 ここに来てようやく理解することになるとは、と久留美の胸に苦いものが滲む。

 

 わかる。

 過ぎてしまった今になって、久留美はようやく真実を目に出来た。

 

「私……馬鹿すぎる。…………千夜、は………センセイじゃ、なかったのに」

 

 確かに非日常という共通点を照らし合わせて二人を見ていた。

 だが、違うのだ。

 それ以外は千夜と『センセイ』は全く違う人間だ。

 そうではないというのなら、それは久留美の勝手な見解でしかない。

 

 考えることも、意思も、全くの別物で。

 魔法使いに裏切られたからといって、千夜が同じ事をするという根拠は何処にも―――――――無かったというのに。

 

「本音は本音でしか引き出せないというのに、貴方はそれに気づかないで怖気づいたんじゃなくて? 言ったところでどうにもならないでしょうけど、魔法使いの件に

関しては貴方は悪くないわよ。そいつは貴方から逃げた。最初から結果が見えていたくせに、貴方を突き放せず中途半端に気を許したそいつが悪いわ。でも……今回は

皮肉にも、貴方が同じ事をしてしまった。己の本心から逃げるという、ね」

 

 言われている通りだった。

 あの場で、本音は既に自分の中にあった。

 だが、いらぬところで過去のトラウマを思い出し、自分は怖気づいた。

 あの時幻聴した『あの日の自分』の声は、理性という臆病な部分の歯止めだったのだ。

 

 結果、自分は―――――――

 

「……これで疑問は、四つのうち二つが消化。で、後に残る二つが私として本命なんだけど……」

「………本命?」

 

 黒蘭が次に持ち出したそれは、久留美が落ち込む気分を無理やりにでも引き上げなければならない発言だった。

 

「あなたは非日常へ来ることを拒まれて落ち込んでいたのか……そもそも貴方の望みは本当に非日常そのものなのか。ねぇ、もう一度聞くわよ。



 ―――――――貴方の本当の望みは何?」

 

 最も揺らがせた問いが、再び久留美に降ってかかる。

 

「……何って、私は………行きたいから」

「何故? 何処かに行きたいというからには、それに伴う理由があるわ。貴方は、何故そこに行きたいの?」

「だって、私はそこがいいから……こっちには無いモノが、そこにあって……だから、だから」

「……こっちには無いモノって、何かしら」

「……………」

 

 どういうわけか、その問いに対して出てくるものが無い。

 どうして、と空洞の喉を押さえる。

 

「………まだ、どっかで意地がこびり付いているみたいね。まー、素直じゃないこと」

「よ、余計なお世話よっ」

 

 素直じゃない上天邪鬼だというのは、親からも折り紙付きの承認済み。

 しかし、人に言われて気にしないわけではない。

 決してそんな自分が好きではないからだ。

 

 むくれる久留美を見て黒蘭は何を思ったのか、ふと笑い、

 

「気を張る必要は無いわよ。聞かれて困るような相手はいないし」

「………うわ、まさにその相手がそ知らぬ顔で堂々と言いおったよ」

「あら、失礼ね。私がこんな面白いことを吹聴すると?」

「一部怪しいトコ漏れてるしっ!」

 

 胡散臭い、という揺ぎ無い不断の事項が久留美の脳内事項に追加された。

 

「言って、認めた方がスッキリするわよぉー? 溜め込んだ期間が長い分、出したらきっと気持ちいいわよ?」

「………わざとそういう言い方してるの?」

「まぁまぁ、そこは置いといて。……じゃぁ、もっとストレートに聞きましょう。

 ―――――――貴方は、二人の何処に惹かれたの? 本人そのもの? それとも、二人がまとう非日常に?」

 

 逃れようも言い訳も出来ない二択の選択肢が突きつけられる。

 ずるい質問だったが、それでも久留美は二つのうち正しいものを選ぶために思考作業を始める。

 

 センセイ、と呼び慕った魔法使いを思い返した。

 切欠は彼女の起こした『魔法』だった。

 酷く興奮して、興味が沸いて。

 彼女との交流はそうして始まったのだ。

 どちらが先だったかは、よくわからない。

 

 なら、千夜はどうだっただろうと、と思考を切り替える。

 

「…………―――――――

 

 思わず手で目を覆う。

 目にも当てられない己のくだらない意地から逸らす為に。

 

 こんなものの為に、とっくに見えているはずだった『答え』は霞んでよく見えずにいたのかと思うと情けなくて泣けてきそうだった。

 

「………だって、あの人たちはそっちにいるのが当然の人たちだったから」

 

 口にしなくてもわかる当然の事実だった。

 一緒にいると錯覚してしまうこともあったが、彼女たちは間違いなく『非日常』の世界の住人で。

 何かしら理由があるから『日常』にいる。

それも束の間の一時という猶予付きで。

 

「ここにはずっと居てくれないって、それが出来ないって……わかってた。だから、私は………」

 

 そうだ。

 ここが、起源(はじまり)だった。

 幼く、安直で、愚直なまでの想いは、それなりに考えて答えを導き出したのだ。

 

 あの人がここに居れないのなら、自分がそっちに行けばいいのだ、と。

 

「だから、非日常が欲しかった……。そうしたら、離れていかないって思ったの。……でも」

 

 ダメだった。

 それでも、ダメだと言われた。

 

「何で……それでも、ダメなの?」

 

 たまらなくなり、久留美は衝動的に訴えかける。

 目の前の黒蘭にではなく、ここにはいない者達へ向けて。

 両手で掻き毟るように頭部を掴んで顔を伏す久留美を悲観の海から引き上げたのは、黒蘭の否定とも肯定ともつかない中立的な言葉だった。

 

「別に、ダメってことはないでしょうけどねぇ」

「じゃぁ、何でっ……」

「まぁ、落ち着いて」

 

 中途半端なフォローは、返って久留美の神経を逆撫でしただけだった。

 しかし、それを失態と捉える様子もなく黒蘭は、

 

「……自分から歩み寄ろうというのは、なかなか懸命な考えよ。だけど、彼女たちはそれを望まなかったわけだから……ね」

「何で……」

「貴方に【夢】を見たんでしょうね」

「……夢?」

 

 そう、と黒蘭は頷き、

 

「貴方の場合は、目的と手段の混合による錯覚だったけど、彼女たちは確かな想いで貴方に夢を見たのよ。自分たちでは絶対に手に入れることが出来ない日常を、そこに

生まれて生きることを許された貴方に……ね」

「そんなのが、夢なんて言えるの……?」

「十人十色よ。みんなが違う夢を持つのよ。十人居て、十人のうち共通の夢を持つ人間は半分もいないのも当然。意思とは、そういうもの。個性とは、そのためのもの。

息もつかさせない目まぐるしい出来事に追われて、遠い先に想いを馳せる暇もなかった人間が、安息を欲して日常を羨むことを……夢と呼ぶのはおかしなことかしら?」

「…………」

 

 夢を呼ぶにはありふれたことだ。

 そう思えるのは、ありふれている場所にいて、そう感じてきた久留美だからこそ言えることだ。

 千夜が言った、「傲慢な言い分」という言葉が今になって理解できた。

 怒りに駆られて口走った言葉が、どれだけ軽薄であったことも。

 

「自分たちの夢を持っている貴方が羨ましく、時に妬んだかもしれない。嫉妬に走って貴方を引きずり込んで、人生を滅茶苦茶にすることだって出来たわ。でも、そうし

なかったのは、何故だと思う?」

「そんなの………邪魔だとか、目ざわりとか……そう、いう……」

―――――――………本当に、そう思うの?」

 

 念を押すように、問われた久留美は口を噤む。

 

「……どうでもいい存在だった、となんて思うのは、貴方が貴方自身に過小評価を下しているだけよ。相手の考えることなんて、わかるわけがないから無理もないかもしれ

ないけどね。……でもね、人間とは、感情とは、とても複雑なものなのよ。どういうわけか、大切したい人間であればあるほど、ソレに対してうまく立ち回れない。それど

ころかとんでもないヘマすら出る始末。………貴方にも、そういう覚えはない?」

「………っ」

 

 急所ともいえる場所を突かれ、久留美は思わず顔を伏せた。

 

「相手の良いようにしてあげたいと考えながら、現実はなかなかそうは上手くいかない。ふとした拍子で心と頭の……考えと想いが噛みあわなくなって、気がついたら心に

も無い言葉で相手を傷つけていたり………ままならないわね」

 

 そう、何もかもがままならない。

 本当に告げたかった想いは、ちっぽけなプライドと怖気によって遮られた。

 望んだ結末は遠のき、受け入れ難い結果だけが今の久留美の元に残された。

 何一つ、思い通りにならなかった。

 

 核心といえる場所を容赦なく刺激してくる黒蘭の言葉が、とても耳に痛い。

 そして、その痛みは心にも及んだ。

 

 唇を噛み締めて、それでも断罪を受ける罪人ような気分でそれに耳を傾け続けていたが、

 

「けど、どうでもいい相手を扱うのは簡単。大して考える必要も無く、ただテキトーにあしらえば良い。一番いいのは、無視ね。相手にしなければ、そのうち寄って来なく

なる。………ところで、貴方はどうだったのかしら?」

「えっ」

 

 ふと問いかけへと言葉は変容し、

 

「貴方の自己評価とあのコの評価は………はたして本当に同じものだったのかしらね?」

―――――――

 

 その刹那。

 久留美の脳内にて、記憶のフラッシュバックが起きる。

 現れるいくつかのそれは、全て久留美自身が千夜を呼び止めるシーンだった。

 

 時間の経過の異なる記憶の一ページ一ページであるが、その中には確かな共通するものが存在していた。

 

 どのシーンにおいても呼び止める自分に対して、彼女は―――――――

 

「………っ、あ、ぁ」

 

 あの廊下で自分が引きとめた時、何故彼女は振り払わなかったのか。

 拒もうと思えば拒めたはずだった。

 

 いや、と久留美は場面をシャッフルさせる。

そんなところを振り返らずとも自分は既にもっと明確な事実を知っているはずだった。

 それよりも、ずっと、もっと目新しい記憶として。

 

 

 そして、

 

 

 ―――――――しょうがないな。

 

 それは、出かけ先のこと。

 衝動的な訴え。

 対して彼女は困ったような笑みで、そう言って。

 妥協のようだが、それでも掴んだ手は振り貼られず。

 そうして、彼女は―――――――呼べば止まってくれた。

 

 それは間違いなく、本音で訴えた久留美への『応え』だった。

 千夜は―――――――ちゃんと応えていたのだ。

 

 

 それを理解した途端、久留美は喉がキュゥっと絞まるのを感じた。

 

「………そんな」

 

 実際はどうだったのかはわからない。

 だが、自分の悲観が単なる被害妄想でしかなかったということを知り、久留美は途方も無い後悔を頭から浴びさせられた気分になった。

 

 思い描いていた事実とは違うものを、久留美は問答の果てに見つけてしまった。

 

 そして、不意に泣きたくなった。

 

 嬉しいのか。

 哀しいのか。

 希望なのか。

 絶望なのか。

 

 どちらともつかない、或いはそれら全てが入り混じった混沌とした感情が久留美の中で爆発した。

 

 飛沫が飛び散るその拍子に、嗚咽と共に涙腺が決壊した。

 

「あ―――――――っ、っ」

 

 欲しかった。

 千夜の中に、自分の居場所が欲しかった。

 

 けれど、欲しかったものはとっくに手に入っていた。

 ただ、自分がそれに気づかなかっただけだった。

 気づかずに、一人で空回りばかりしていた。

 

「馬鹿、みた……い」

 

 拒まれて、逆上して。

 それがどういう意味を持っていたのかも考えずに。

 見放されて当然だった。

 こんな自分勝手な人間は、あんな風に見送られても文句のつけようない。

 

「本当にねぇ」

「っ………とことん容赦ないわね」

「本人の意見に同意しているだけだもーん。………で、どうするの?」

「……どう、するって」

「納得できる事実は露見した。ここから先は、選択。

 ―――――――諦めるか、まだ諦めないか」

 

 聴いた瞬間のそれは、久留美には選択とはとれない響きだった。

 

「………それ、選択肢なんかじゃないでしょ」

 

 たった今、定められたばかりではないか、と久留美は黒蘭の言葉を訂正しようとする。

 だが、

 

「いいえ、まだ貴方には選ぶ権利が残っている。どれを選ぶかの自由もね」

「どうして………諦めなくても……出来ることなんて、何も」

「あるわよ。貴方には、彼女たちの望みを叶えることが出来るわ」

「……望み?」

「貴方の手は非日常を掴むことは出来ないけど、日常が収まっている。彼女たちは、それにも拘らずそれを大事にしない貴方に嘆いた。……なら、どうすればいいかなんて

すぐにわかるわよね?」

「…………」

 

 千夜の言葉が蘇る。

 不遇な扱いばかりしている日常ともっと向き合うべきだ、と。

 それはかつて魔法使いにも言われた言葉と似た内容だった。

 そして、今は黒蘭に、それが己に諦めずにして出来ることであると言われている。

 

「……でも、それは……諦めろって言っているようなものじゃない!」

「どうして?」

「千夜を……センセイを………私の中で無かったことにして、日常に埋もれていけってことじゃないの。何が違うのよ…………諦めても、諦めなくても……結果は……

結果は、同じじゃない」

「……確かに、どちらを選ぼうと取るべき手段は一つね」

「………っ」

 

 暴いた事実を肯定され、久留美はまた目が熱くなるのを感じた。

 しかし、まだ話は終わっていなかった。

 

「でも、行き着く結末は一つじゃないわ」

「………どういう意味?」

 

 言っていることが矛盾している。

 そう言い含めて久留美は黒蘭を見た。

 問う視線に応えるように黒蘭は、

 

「微妙なニュアンスの違いがあるのよ。諦める。それは千夜も非日常も全て諦めるということ。諦めない。これにおいても非日常は諦めざるえないけど………ただ、肝心

なものは諦めずに済むということ」

 

 その部分に何が入るのかはすぐにわかった。

 だが、矛盾が訂正されたようには見えない。

 

「……だから、それは矛盾してるって」

「あら、どうして? 非日常を諦めたからといって、千夜まで切り捨てる必要はないわ。そもそも千夜とは何処で出会ったの? ……貴方たちの関係は、何処で築かれて

いったの?」

「……え、そりゃぁ……―――――――

 

 言いかけた瞬間、『それ』はふとした拍子に落ちてきた。

 

「あ」

「………わかるわよね? 過去にしろ、今にしろ………貴方は、非日常に踏み込むには至らなかった。だからこそ……だからこそ」

「…………だから、こそ……」

 

 出会えた。

 自分と彼女たちは、ここで。

 非日常という世界で。

 

 自分が非日常に出会ったのではない。

 寧ろこの世界では異分子である彼女たちこそが―――――――自分と出会ったのだ。

 

 自分という日常に。

 

 彼女は日常が好きだと言った。

 手に入らないそれに焦がれる想いを、大事に胸に抱いていた。

 だからこそ、自分たちの関係は成り立っていた。

 

「……何だ………そうだったんだ」

 

 長い間、一つの問題を全く見当違いな方式で解いていたような錯覚がようやく晴れた。

 これが正解だというのなら、自分は、

 

「……なんて、馬鹿なのかしら。本当に馬鹿ね……私」

 

 あの人たちが何故こんな平凡な人間と拘り続けていてくれたのか。

 それは、彼女らの望みを、自分が知らずのうちに叶えていたから。

だから―――――――

 

「……そっか。そういえば、思い出も……全部、日常(ここ)で積み上げたものだったっけ」

「そう。その理由はわかる?」

「……うん」

 

 他でもない自分が居たからだ。

 彼女たちの求めてやまない日常の一部である自分。

 きっと、彼女たちは―――――――

 

「自惚れて、いいのかな………」

「立ち直れるって言うのなら、多少はいいんじゃない? そういうのを踏まえると、馬鹿に出来たもんじゃないわねぇ、自信過剰って」

「……もう、持ち上げてんだか下げてんだかわかりにくいこと言わないでよ」

 

 六年もかけてようやく正解を導き出せた。

 だが、だからといって久留美の気は完全には晴れなかった。

 何故なら、

 

「…………でも、もう遅いよ」

「……あんな別れ方をしたから、って?」

「…………酷いこと言った。勢いに任せて、散々罵倒した。普通なら、完全に決別状態よ………今更、なんて言えばいいのよ」

 

 自分だった一生顔を合わせたくなるような台詞をバラ撒いた。

 吐き捨てた言葉一つ一つが、今になって久留美の中で生々しく反響し出す。

 

「後の祭りって、やつよね。手遅れになって……こんなこと、検討しても……無駄だったのよ」

―――――――何処が?」

 

 沈みかける久留美を引き止めたのは、今までとは何かが異なる声色をもって吐かれた黒蘭の声だった。

 ハッと黒蘭を見ると、

 

「手遅れって、本当にそうなったことがない人間が言う台詞なのよね。或いは、それゆえにその意味は理解していないか」

「……理解、していないって……」

「もっと徹底的に問い詰めてみて………そこに行き着く最悪の事態って何かしらね。たとえば、そう……恋人同士にとって手遅れってどういう事態を意味すると思う?」

「……わ、別れる……とか」

「もっと、問い詰めて。意志の擦れ違い、距離が開くなんてものではなく………極限の別れとは何かしら?」

 

 極限の別れを数秒間黙考し、久留美が出した答えは、

 

「…………どちらかの、死?」

「せーかい。手遅れ、よね? 相手が自分の目の前ではなく、この世界からいなくなってしまっては足掻きようも無くなるというもの。これが、そうなのよ。だから、

こうでもならない限り、いくらでも手のうちようはあるというわけ」

「極端……過ぎない?」

「事実よ。そうでもない限り、手遅れなんていう奴は甘ったれか根性なし。或いは、その程度の想いってことね。…………残念だわ、所詮貴方もそこで止まるような愚図

だっただなんて」

「なっ………違うっ!!」

 

 思わず、久留美は立ち上がった。

 

「わ、わたっ……私だって……そうじゃないんだったら、足掻きたいわよ! でも、そんな保障が何処にあるかわかんないじゃない! 保証の無いことに不安を思っちゃ

いけないのっ!? 無茶言わないでよ……誰だって怖いに決まってるじゃない! 皆が、そんな風に迷わず後先考えずで生きれるわけないでしょ!! ダメだったら、と

か……本当にコレで正しいのか、とか……考えて、立ち止まっちゃうわよ! だって、絶対に何が正しくて間違っているかなんて…………教えてもらわなきゃわかんない

んだからぁっっ!!」 

 

 散弾銃のような勢いで射出される不安という想念。

 出すだけ出した後、残るのは思い切った自分への客観意識だった。

 

「あ……ぅ」

 

 またやらかした、という実感に嫌な汗が滲む。

 人生思い切りが大事だと自分に言い聞かせて生きてきたつもりだった。

 だが、やはりその後の羞恥心とやってしまった感だけはどれだけ回を重ねようとなくなりはしないのだろう。

 

 奇妙な沈黙の中で、久留美が一人脂汗を分泌していると、

 

「……別にいいのよ、正しいか間違っているかなんて」

「へ……」

「それを追求したら、答えを出すのに一生を使ったって足りない。そんなことはどうだっていいのよ。大事なのは、―――――――貴方が、どうしたいかではなくて?」

「………どう、したいか」

 

 言葉を繰り返す久留美に、黒蘭は頷くような仕草をし、

 

「正邪、正否あるいは成否………迷いになるようならそんなもの捨ててしまえばいい。貴方が欲して、求めている……その衝動の妨げになるのなら、ね。今が貴方にとって

かけがえのない瞬間であり、重要な選択史の前に立たされる瞬間だというのなら………貴方が思考の中心に置いておくべきなのは、正しいかそうでないかではない。他人の

目から見た判断でもない。………貴方が、貴方自身が………どうしたいか」

「…………そうすれば、少しは楽になるってこと?」

「まさか。……でも、それが一番貴方の避けたい後悔を回避出来る手段だとは思うけどね」

「私の避けたい後悔………」

 

 呟き、その言葉について思考する。

 何を避けたいと思っているのか、と。

 

「かと言って……どんな選択の果てにも、全く後悔は無いというのは無いものだけどね。でも、たとえ後悔が待っていようと……それを受容してでも選び取りたいやつを

取る方が、自分としては納得できそうじゃない?」

「……自分だけ、納得したって………」

「周りも納得してくれなきゃ嫌って? 贅沢ねぇ……それこそ、無いモノ強請りというか……」

 

 その声色が、若干嘲るような響きを持っているように聞こえた。

 しかし、久留美がそれを確かめる間もなく黒蘭もまたその席を立ち、

 

「……まぁ、悩みなさいな若人。吐き気をもよおすまで苦しんで、神経痛むまで悩んで………どんなに失敗して挫けても、立ち上がって、這い上がって。生きているうちは

それら全部がまだまだ手遅れにならないのだから。そう、だから……今わかったことを踏まえて、もう一度考えてみなさい。諦めるのか、まだ望むのか。……貴方なりの折

り合いとやらを見つけて、答えを導き出してみることね」

 

 台詞の終わりと共に黒蘭の足が一歩踏み出され、距離が開く。それに逢瀬の終結を感じた久留美は、去られる前に最後の問いを放つ。



 一つ。

 一つだけまだ聞きたいことがあった。

 

「わ、私はっ!」

「何?」

「………わ、たしは………このままでいいの?」

 

 返事は返らない。

 曖昧すぎた言葉では意味も汲んでもらえないことを数秒で察した久留美は、言葉に手を加えて再び放出する。

 

「……私は、多分……周りの迷惑を全く省みないで、自分本位でいろいろ選んできた。それがよくないことだって、わかってた。でも………私って人間は………あんまし、

良くない人間だと思う。………私、このままでもいいの? 悩んで、苦しんで……そうして、今までどおり…………他人を二の次にして、自分勝手な考えを突き通しても

いいの? あんたの言ってることって、そういうこと………よね」

 

 きっと自分は、善良な人間ではない。

 お世辞にもそんな型には当てはまらないだろう。

 だからこそ、直視しないできた。

 自分という人間は、そういった自分が一番嫌う人間そのものであったからこそ。

 

 だが、黒蘭の言うことはそんな今の久留美の在り方を肯定しているような意味としてとれた。

 本当にそれでいいのか。

 目の前の人物はその答えを知っているような気がして、久留美は問わずにはいられなかった。

 

 沈黙の持続と共に募る緊張と共に、久留美は返事を待った。

 そして、振り向きの動作が沈黙の終わりを告げ、

 

「んー………私は、好きだけどねぇ。感情で動く人間って」

 

 肯定とまではいかないが、否定ともとれない言葉。

 少なくとも好意的ではあるのは言葉からは聞いてとれた。

 しかし、

 

「………ただ、もう一つだけアドバイス。大事だから、覚えておいてね」

 

 その瞬間、黒蘭を取り巻く空気が僅かに変動する。

 久留美はそれを読み取ったが、深くは意識しなかった。

 ただ、黒蘭の言うアドバイスとやらを聞き逃さない為に、意識はそこに一点集中してしまっていた。

 

―――――――自分が決めて、自分が選ぶこと。それはどんなことであろうと、どんな結果を迎えようと………そうするというのなら、後に来るもの全てを背負うのは、

貴方自身。責任も、後悔も……他の誰でもない、貴方が受け止めるのよ。責任転嫁は、厳禁。……たとえ、何があろうとね」

 

 さして特別なことではない、と久留美は黒蘭の言葉を捉えた。

 だが、寧ろ至極当たり前のことが、久留美には不釣合いなほどに重く感じてとれた。

 

「さて……それじゃぁ、相談終了。どうするかは、貴方次第ということで。………影ながら応援しているわよ。貴方が、貴方にとって最良の選択と結果を得られることを」

 

 ひらり、と手を振り、黒蘭は軽やかに去っていった。

 再び一人となった久留美は、相対している間にて始終付きまとっていた奇妙な緊張感からの開放と共に、息を吐き、肩の力を抜いた。

 腰を元ベンチの上に落ち着けて、背中をズルリと後ろにもたれさせた。

 天を仰ぐ。

 ふと気がつけば、青かった空は淡い橙に色づき始めていた。

 

 久留美は、少し前をおさらいするように振り返った。

 時間の経過すら忘れて、話し込んだ。

 不満、不安。それら全てを吐き出して。

 叱咤され、気付かなかった間違いなどを一つ一つ見直していった。

 間違いは少しずつ正され、隠されていた真実が見えてきた。

 

 そうした結果として、残ったものは何であったかを探る。

 

「………諦めるか、諦めないか」

 

 言葉にしてみて、久留美はここでも気付いた。

 

「…………何だ、やっぱりこれって選択肢なんかじゃないじゃん」

 

 最初から選ぶと決めた道は一つだった。だから、他に並ぶものなどない。

 ただ、それを選ぶことに根拠も成否も見出せないことから怖気づいていた。

 だが、言われた。

 大事なのは、

 

「私が、どうしたいか……」

 

 思っても、すぐには踏み切れない自身に苛立つ。

 しかし、たくさん悩んでいいと言われたのを思い出し、

 

「……なら、もう少し頑張れそう」

 

 不安がないわけではない。

 寧ろ、多すぎるくらいだ。

 けれど、それを前にしても折れない気持ちがずっと最初からあったことに、さっき気付いたのだ。

 

 

「………まだ、諦めたくない」

 

 

 今度は、意地もプライドも体面も全て放り出して。

 自分の気持ちと、とことん向き合おう。

 

 

 












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