そういえば、と気づいた一つの事実に意識が向いた時、
「……上弦さん、戻ってこないね」
「え……?」
まるで蒼助の考えに重ねが蹴るようなタイミング。
たった今、蒼助が抱いたそれに"似通った"ことを疑問として一足先に口にしたのは、三途だった。
「蒼助くんが部屋から出てくる前に出てきて、ちょっと出かけてくるって行ったきりなんだよね」
「え、そうなんすか?」
てっきり店内の何処かにいると踏んでいた蒼助は、予想外に少し声を上ずった。
「多分、黒蘭と何処かにいると思うけどね」
「黒蘭と……」
重なった。
黒蘭を今日は一度も見かけていないという事実という、蒼助が今しがた気づいたことに。
「………他にいろいろあるからあまり気にしてなかったけどよ。あの二人の関係もよくわかんねぇんだよな」
「あー……それは私もかなぁ」
それは蒼助にとって、意外をいく発覚となった。
少なくとも蒼助よりは遙かに拘りも深いであろう三途もわからないというのだから。
「………まぁ見てる分でわかるのは、男女のそれじゃないってことと」
「そりゃまぁな」
もし、そうだとしたら相当コアな関係だ。
主従関係に見えなくも無いが、上弦の発言からそれは違うことが既にわかっている。
「……間を繋ぐ存在あっての関係だってこと」
「間を繋ぐ存在……」
「上弦さんの見てる方は涙が出そうな忍耐力が続くのも……一重にそれがあるからじゃないかなって私は思っているんだけど」
「………そうか」
「あ、一応店は閉めておくけど、上弦さんが帰って来るまでここで留守番頼んでもいいかな? 今晩のおかず買いに行かなきゃならないから。今日、食べていくよね?」
「ああ……別にかまわねぇけど」
それじゃぁよろしくね、と了解を得た三途はそのまま店を出た。
財布は既に準備済みだったところを見ると、この結果を見据えていた上での申し出だったらしい。
一人となった蒼助に、話し相手がいなくなった。
鍛錬の時間も未だと控え、そうして完全な暇を手にすることとなり、
「………暇、だな」
事実をなんとなく口にすると、より一層その気分が高まった。
それを失くそうと、さっき達成した結界をより安定させるべく訓練を積もうかと思いもしたが、
「間を繋ぐ存在………か」
そう呟き、思い浮かべたのは――――――千夜。
それ以外に三途の意図して述べた言葉に当てはまる存在は、蒼助には思いつかない。
そして、多分正解だ。
根拠も何も無い穴だらけの核心だが――――――それ以外にあるだろうか。
………オイオイ接着剤かなんかかよ、あいつは。
だが、冗談めいた考えに不思議と違和感はない。
寧ろ、
………いや、そうかも……な。
思えば黒蘭、上弦に限らず皆そうではないだろうか。
朱里も。
三途も。
千夜という存在無しでは関係など持つことはなかったのではないか。
そして、蒼助自身も。
………考えてみりゃ、こんなこと無かったよなぁ。
一ヶ月足らずで随分多くと知り合った。
これまでの人生で一族以外で、名前を覚えるに至った他者は昶や蔵間を始めとして十人も行かない。
それなのに、今度はどうだ。
たった半月程度で五人は行った。
こんなことは、今まで無い。
………何処見ても、あいつばっか見える。
朱里と話していても。
三途と話していても。
上弦と話していても。
黒蘭と話していても。
全部――――――千夜という存在越しに相手が見える。
………病んでるのか、俺は。
自嘲気味にぼやいたが、実際に己が行っていることは正気の沙汰ではないのは事実だ。
「そういや、どうしてっかな………あいつ」
気に喰わない同級生に一日借りられてしまっている千夜。
今頃、何処を連れ回されているのだろうか。
「妙なとこ連れてってねぇだろうな、あのヤロウ」
二度と借りなんぞつくるものか。
あとで様子見のメールでも打っておこうと決心し――――――数秒後、
「……………会いてぇな、ちくしょう」
人恋しい気持ち、というのだろうか。
そういった感情の経験の浅い蒼助には、何処か曖昧な判断しか下せない。
誰かがいないだけ物足りなさを得る。
そういった心の安定の欠乏を、蒼助は母親が死んだ時以来感じたことはなかった。
それを思い出し始めたのは、修行期間が始まると同時に起きたいざこざで千夜と別離していた時間の際だった。
それからというものの、一人でいるとその感覚の到来が必ずと起こる。
そして、そういった心の不安定さは千夜の不在だけが原因ではなく、
「………言われるままにあのオッサンと殺し合いじみた鍛錬して、センセーと結界の構成の練習して…………」
その合間に千夜を追いかけて校舎中を駆け回って。
女との始末にヘマしたおかげで千夜を危険な目に合わせて。救けて。
突き放される前に暴いて。怒らせて。泣かせて。好きだと言わせて――――――
眼が回るような変化と共に時間は過ぎて、気がつけば、
「……明日が本番」
気分は、一夜漬けで期末テストに挑もうしているようなそれだ。
直前まで何もしなかったわけではない。
それこそ血を吐くような想いをした。
ほぼ二つ以上のことを同時進行しなければならないそのスケジュールは、相当なハードなものだった。
スタート地点の時よりは、成長している。少なくとも。
まだ走り始める前だったあの時よりは、この手に得たものはあると確信している。
けれど。
けれども――――――
不安は少しも揺らがず、蒼助の胸のうちでとぐろを巻いて居座ったままだ。
それもそのはず。
何故なら、
「試験ったって………何するんだよ?」
とはいえ、内容はわかっている。
四日前――――――日曜日に、黒蘭によって見せられた霊剣。
黒染めのそれに使い手として認められることだと言われた。
だが、どうすればいいかは聞いていない。
聞く間もなく始まった鍛錬の中で、その見えない試験方法は蒼助の中で不安として燻り続けていた。
本人に直接聞けば問題ない――――――わけが無い。
「………聞いてすんなり答える奴じゃねぇし」
きっとはぐらかされる。
そして、絶対に本番まで答えないだろう。
そういう奴だ。
「…………………あ゛ー、くそっ!」
ガリガリと痒くもない頭をいてもたってもいられなくなって両手で掻き毟り、蒼助はそのまま振り下ろすようにテーブルに突っ伏した。
額でゴチン、と鈍痛が響いたが、寧ろそれで少しでも気を紛らわせればいいと思いながら、
「……………早く帰ってこねぇかな、ホント」
千夜、と。
祈るように、蒼助は低く唸った。
◆◆◆◆◆◆
上映が終わると同時に出てくると、同時刻に同じく上映終了した空間から出てきた人が波を作っていた。
「平日なのに、意外と人がいるもんだな」
「あれは、あんな中の半数はサボりね」
「かもなー」
他愛無い会話を交わしながら、押し寄せる波の中に入り込む。
逸れない程度にその流れに乗りながら進み、
「………てゆーか、アレ面白かったけど……三部構成だったのね。あんなところで終わるから監督ったら映画舐めすぎとか思っちゃったわ」
「ああ。まさか、旅の仲間が分散するところで終わるとは思ってなかった。二部はいつぐらいに公開になるんだろうな」
「現在誠意製作中ってところでしょ。来年よね、どう見積もっても」
それまでファンは待ってくれるかが問題だな、と久留美は三部構成のネックに関して分析しながら、
「あんたは、アレどうだった?」
「ん? 普通に面白かったと思うが。注ぎ込んだ費用に見合う出来だったんじゃないかと」
「その点に関しては同感」
たかが娯楽に土地が買えるどころではない莫大な金を注ぎ込めるのだから、人間とはトコトン享楽主義をいく生き物だ。
呆れるが、そんなことを考える他所で久留美も同じ分類の中の人間であるという自覚はあった。
そうでなければ――――――隣にいるこの相手と、こうしていることなんてないだろう。
「あ、ゴミ捨ててくる。それも寄越せ」
「え、あ……うん。……じゃ、お願い」
近くにゴミ入れがないことを確認すると、千夜はそれを探しに久留美から遠ざかる。
その際、硬質な衝突音が足元で響いたのを久留美は聴いた。
「ん………え、ちょっ……千夜っ」
咄嗟にそれを拾い上げ千夜の背に声を投げるが、それも空しく遠のいていった。
落ちた『ソレ』を手に、一人残された久留美は、
「………携帯電話なんて、落としてんじゃないわよ……もう」
ジャケットのポケットから零れ落ちるのを見た。
人波の中を揉み合っているうちに押し上げられたのだろう。
とりあえず、落ちた衝撃で何処か壊れていないかを確認しようとした時、
「っ、!」
振動した。
着信の知らせだった。
表示がメールであることを久留美に教える。
そして、その相手は――――――
「――――――っ」
蒼助。
その事実が中身の確認への躊躇を久留美から奪い去る。
罪悪感の存在は無視され、手は携帯を開いてメールの内容に辿りつくまで淀みなく動いた。
そして、指先はメールの中身を暴くまで行き着き、
「…………」
内容はシンプルなものだった。
何時に帰って来るか。
夕飯は何処かで食べよう、など。
至って特別なものはない。
けれど――――――久留美には手の届かない特別なものに感じた。
同時に湧き上がったのは、激しい嫉妬心だった。
どうして、という疑問の形をとった嫉妬。
何故、蒼助なのか。
何故、あの男だけがそんなにも千夜に深く立ち入ることが出来るのだろうか。
自分だって千夜の本性が露見するあの場に居合わせた。
スタート地点は同じはずなのに、気づけばあの男と自分はこんなに差がついている。
何処で――――――何処で出遅れてしまったのか。
「………どうして、邪魔するのよ」
どうせ今日が終われば、またこのメールの主の下に千夜は戻る。
明日からは、また蒼助のモノになる。
けれど、今日は自分といると彼女は言った。
そう望んだ久留美の願いをきいてくれた。
なのに。
なのに。
どうして――――――
「邪魔、しないで」
気づけば指先は――――――メールの削除に動いていた。
◆◆◆◆◆◆
メールの痕跡を残らず消し去った。
それらの行為を全て完了した後に、抑えていた罪悪感が疼く痛みとなって胸に滲み始めた。
何をしているんだろう、という今更の後ろめたさ。
千夜のプライバシーを勝手に侵害したということよりも、自分の仕出かしたことへの空しさだけが久留美の心中を満たす。
閉じられた機体の中には、もう蒼助のメールは残っていない。
これで千夜との時間は守られた。
けれど――――――少しも満足できない自分がいた。
「……今日、だけ」
では、明日にならどうなるのだろう。
明日の自分たちは、一体どうしているのだろう。
見えない明日に向けて、不安がもくもくと立ち込めていく。
明日は今日の振り替えで、土曜日でも学校がある。
心配などする必要はなく、明日はそこで会えるのだ。
だが、思わず想像してしまった。
明日の教室に、千夜の姿がない光景を。
「――――――久留美!」
久留美の思考の世界に、割り入るように声が響いた。
ハッと我に返った久留美の目には、周りの人間は完全に排除された状態で駆けて来る千夜の姿だけが映った。
自分に向かって。
それが久留美の荒れる心の波を少しだけ鎮める。
「待たせたな。ゴミ入れがなかなか見つからなくて結構遠くまで行く羽目になって」
「そ、そう……あ、ほら……コレ」
「携帯? 何でお前が」
「……ポリバケツ探しに行く時、あんたが落としたのよ。気をつけなさいよ」
「ああ、悪かったな。ありがとう」
気づかない。気づくはずもない。
千夜の姿が視界にないのを確認してから、消したのだから。
手渡す瞬間に、罪悪感が一層胸の奥から突き出てきたが、久留美はその苦悩を表情に出さないように耐えた。
だが、千夜の顔を見ることだけは、どうしても出来なかった。
切り替えなくては、と一つ息をつき、
「……さって、これから何処いこっか。ゲームセンターとか、この辺りで服とか見てくとか……遊園地なんかもいいかもね。時間はまだあるし、私はどっからでもいい
けど、あんたはどうした――――――」
「久留美」
遮断するような響きを持って呼ばれ、久留美は言葉を思わず止めた。
すぐ目の前の外へと進めようとしていた歩みを止めて、
「………な、なに?」
まさか、と嫌な予感が過ぎった。
見られていなかった思っていたのは自分だけに過ぎず、久留美の愚行を千夜は死角にてしっかり見ていたのではないか、と。
額が嫌な汗で濡れた。
だが、
「……お前に、ずっと言わなければならなかったことがある。ずっと、言い損ねていた………あの時こと」
え、と久留美は眼を見開いて首だけ振り向いた。
己の予想とは違う内容である兆しへの安堵を抱きながら。
顔だけ向き合い、見た千夜は、
「………あの時、巻き込んで悪かった。それを、ずっとお前に謝りたかった」
本当にすまなかった、と千夜もまた目を逸らして口にした。
何故今になって、と久留美は複雑な心境でその謝罪について思う。
確かに自分はあれには巻き込まれた形で拘ることになった。
あれは千夜の巻き添えも同然。
その点については否定も弁護もしない。
けれど、
「……なら、教えてよ」
謝罪は求めていない。
もうそこに踏み込まずに済むように、遠ざけられることも望んでいない。
ただ――――――恐らくは、蒼助に許したように。
自分にもそれを許して欲しい。
千夜の中に、入っていくことを。
「――――――あんたのこと。教えて」
だから、久留美は自ずと紡ぎ、明かした。
自らが求めていることを。
正面から向き合って。
真っ直ぐに要求を突きつける。
千夜はそれに驚いたように眼を瞼を瞬かせたが、やがて久留美の意図を呑み込むように一度その視界を閉ざす。
そして、再び視界を切り開くと、同時に笑みを刻んで、
「――――――ダメに決まってんだろ、ボケ」
容赦も手加減もなしに、ぶった斬った。