「ぅお〜くぁ〜さぁ〜ん〜っっ!!」

 

 

 

 

 腹の底から響く恨みがましげな怨嗟の声が食卓の時間に響いた。

 

 席に座る千夜の隣で久留美が椅子をひっくり返して立ち上がり、肩をいからせて目の前の母親をレンズ越しに睨みつけている。

 恐ろしく低く押し潰された声が、久留美の口から吐いて出される。 

 

「あれほど言ったのに……」

「まったくこのコは……親の仇見るみたいな目で親を睨みつけるんじゃないの」

「うっさい。アンタなんか親じゃないこの嘘つき」

「いーじゃない。煮物はその家の味の顔であり、誇りなのよ? 恥ずかしがるところなんかありやしないわよ」

「だったら、今日は今日でつくればよかったじゃない!」

「やーよめんどくさい。誰がつくると思ってるのアンタ」

 

 あーいえばこーいう。

 この巧みな会話術は間違いなく自分の親だと歯軋りしながら久留美は実感した。 



 反論を口の中で舌巻かせている娘を放って、母はその友人にして我が家の客人に完全に注意を移した。

 

「ゴメンなさいねぇ。こんな娘で……いつも迷惑かけてるでしょうに」

「いえ、いつもお世話になっています」

「そんな馬鹿な……って久留美、目で殺すを体現するような睨みで殺気立つのは止めなさい。生物学上では女の子でしょ、一応」

 

 一応って何よ!?と喚く娘を無視して、

 

「無駄に見栄っ張りなウチの馬鹿娘はほっといて。さぁ、遠慮せず食べて食べて」

「はい、ご好意に甘えて―――――――いただきます」

 

 と、まず千夜が伸ばした箸が取ったのは先程から久留美の怒りの素となっている問題の残り物。

 味がしみていることを証明するかのように茶色くなった大根を一口サイズに切り、躊躇なく口に運ぶ。

 数回の租借。飲み込んだ後に出た感想は、

 

「………あ、うまい」

 

 感慨深く紡ぎ出された賛辞に母は喜びを表情一杯に露にした。

 

「あら、本当? 嬉しいわぁ、お世辞でもヨソの人様に誉めてもらうのって」

「お世辞じゃありませんよ。本当に、おいしいです。凄いですね、こんなによく味がしみているのに、煮崩れしていない。……ん、タコも柔らかいですし」

「コツがあるのよ。それにタコを柔らかく煮るには大根と一緒が良いのよ」 

「へーそうなんですか。勉強になります」

「終夜さんは家で料理つくるの?」

「はい。うちは両親がいないので」

 

 さらり、と告げられた新事実に母子揃って固まる。

 食卓に衝撃を与えた張本人はなに食わぬ顔で気に入った煮物を口に放り込んでいる。

 母は少し後ずさって久留美に耳打ちした。

 

「このコざっくりしてるわね。地雷踏んどいてなんだけど」

「まぁ……こーゆーそんじょそこらの女とはワケが違うコだから……あんま気ぃ使う必要ないって事でヨロシク」

 

 やや投げやりに言って久留美は倒れた椅子を起こしてテーブルに着いた。

 

「お、この唐揚げも美味いな久留美。皮はパリパリで肉は柔らかくて……このタレもよく合うな」

「そ、そう?」

 

 我が家の夕食に舌鼓を打ってご機嫌の千夜は見ていて悪い気はしなかった。

 待ち望んだほんわりムードだったが、

 

「それにしても綺麗ねぇ終夜さんは。見てると隣のウチの娘が同じ生き物なのか疑っちゃうわ」

「悪かったわね………そう思うんならもう少し気合入れて産んでくれればよかったのに」

「入れたわよぉ? まぁ、アンタも終夜さんに及ばずながら上々な出来具合になったわよ。後は、もう少しおしゃれしてくれればねぇ……知ってる? このコ、眼鏡かけて

るけど本当は裸眼でも全然イケるのよ。ちなみにかけてるソレ、伊達よ」

「え、そうなのか?」

 

 少し驚いたように目を見開いて顔を千夜に向けられ、うっと怯む。

 余計なことを、と母を睨んだが母は何処吹く風を装う有様。

 

 彼女の言うとおり、実際久留美の視力は眼鏡をかけなければならないほど悪くない。

 寧ろ、必要などない。本ばかり読んでいてよく落ちなかったものだと自分でも思う。

 

「何で眼鏡かけてるんだ? 邪魔じゃないのか?」

 

 興味津々で尋ねてくる千夜の言葉が耳に痛い。

 ちろりと視線をやった先では母が前の席でテーブルに肘を突いて実に楽しげにニヤニヤ笑っている。

 

 実の母親に人生何度目かの殺意を抱いた瞬間だった。

 

「………あー、んと…………………聴きたい?」

「是非とも」

 

 今のが何の為のタメだったのか察しろよ、と悪態をつきつつも、もうどうにも出来ないのは空気で理解していて、

 

「………眼鏡、かけてるやつって………頭良さそうじゃん」

「ああ、見た目はな」

「…………私の理想の女性像って理知的な出来る系、なのよ………………つまり、だから……ね……」

 

 終わればこの羞恥心からも開放されるだろうか、と希望を僅かに抱き、そして、

 

「……………まずは形から入ろうと思ったわけです、はい」

 

 か細い声で言い切り、かの人の反応を待つ。

 それは大した間もなく返ってきたが、

 

―――――――アホか」

「あはは、そーよねーっ」

 

 半目で呆れ顔の千夜とケラケラ笑う母親。

 もういいんですけどね……、と血の涙が流せそうだと頬が引き攣った半笑いしながら、拳を痛いくらい握り締めて耐えた。



 そこへ、

 



―――――――たぁだいまぁー。久美子ー、今日の夕飯なんだ、ゆーはーん」



 

 玄関から聞こえてきたのは母・久美子の名前を呼ぶ能天気な男の声。

 近づいてくる足音が止まったときに現れたのは顎にだらしなく無精ひげを生やした男―――――――久留美の父だった。

 記者である父が帰って来るのは大抵夜遅い。

 仕事の進展が影響して朝帰りというのもある。

 故に夕飯の時間に帰って来るなんていうのは非常に珍しいことだった。

 

「あら、貴方今日は早いのね」

「いやー、狙ってたネタがガセだってわかって速攻で撤退してきたんだ………ん? そこの美人は誰だ?」 

「久留美のお友達、だそうよ」

 

 ぱちくり。

 久美子の言葉を聞いた父の目はまさにそんな動きをした。

 



「久留美の? 冗談だろう?」

―――――――死ねばいい」



 

 振り切った怒りのリミッターゲージに従って、久留美は迷いのないストレートを父に向けて放った。

 

 

 

 




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