―――――――体、何の因果が巡ってこうなるんだ。
千夜は己の状況について考え、気怠げに心の内でそう吐き出した。
柄にも無く自分の人生とやらと振り返ってみた。
「………………」
思考開始―――――――終了。
僅か五秒の黙想だった。
もちろん、五秒の人生なわけがない。
五秒以上思考する気になれなかったのだった。
………改めてもロクなもんじゃないな。
己の今までの軌跡を振り返って、ゲンナリとした気分になる。
しかし、一つこの状況について頭を捻らす己を納得させる理由にはなった。
とことん、ツイていない。
常に厄介ごとが降りかかり、付き纏う。
それが、己のこれまでの人生だ。
―――――――ならば、こんなことがあっても今更の話じゃないか、と。
だれる自分に言い聞かせ、千夜は数メートル先の前方の地に立つ男を見据えた。
三途の捨て身攻撃による被害はある程度立ち直ったのか、男は身体を慣らすように動かしていた。
己の十指をバラバラに動かしながら、男は言う。
「……乱入とは、無粋なことをする………だが、助かった」
「お前を助けたなんて思ってるのか? ………これはいつかのお前の科白だったな」
「………ふ、そうだったか……」
おどけてみせる男を千夜はジッと凝視した。
長く伸びた蒼い髪。
青い双眸。
目立つ特徴は千夜に確信を与えた。
間違いない『あの男』だ、と。
誰かはわからない。
名も知らない。
ただその存在をもって、千夜自身が知る玖珂蒼助ではないことのみを事実と証明している蒼き存在。
「……にしても、なんだ。こんな再会が……いや、また相見えることになるとは思っていなかったが………」
言葉探しの中、同時進行させる作業が千夜の内で行われていた。
―――――――移行せよ。
―――――――移行せよ。
―――――――移行せよ。
思考回路の中で無機質な命令が繰り返し響き、脳神経全体に伝達していく。
「うちの馬鹿店長に関してはいい………―――――――だが、【そいつ】は返してくれないか」
頭に命令はもう響かない。
それは作業が終わった証だった。
男を―――――――【敵】と認識を改めた、と。
対して、千夜の言葉に男は不敵な笑みを浮かべ、
「貴様が言っているのは………俺の身体を分不相応にも巣食っていた残りカスのことか?」
「………巣食う、ね………確かに、立場逆転されてたら残りカス呼ばわりもフォローしようがないなあの馬鹿……。
―――――――だが、俺は生憎その馬鹿を要求している。お前の身体、返してやってくれ」
「出来ない―――――――と言ったら、どうだというのだ?」
お決まりだな、と返された返事を千夜は然程反抗無く受け止めた。
この要求も通過上必要だと思ったから、言うだけ言ってみただけものだった。
要求を蹴られるのも、承知の上で。
そう、必要だったから。
本来の要求を通す為の、通過条件として。
「―――――――そうか、まぁ俺は一応言ったからな…………これで、あとで文句は言えないぞお前」
あとで言い逃れできないように、手筈は踏んだ。
これで本来の自分のやり方を通せる。
労働だ。
だが―――――――簡単で、てっとり早くもある。
「…………もう一度言うぞ。―――――――その身体、アイツに返せ」
「くどい」
「…………あ、そ」
千夜の思考は完全に切り替わる。
一瞬伏せられた双眸は、目尻をきつく吊り上げて、
「なら、強制退去だ―――――――来い【夜叉姫】」
すると、まず千夜の腕が動いた。
ここにいる誰にかけられたわけでもない言葉に応えるかのように、何かの余興のように上げた右腕に集束する力の顕現を促す暴風。
強大な力を有する存在が近づいて来ていると言う証明。
男は僅かに眼を細めるが、邪魔をするわけでもなく動きを見せない。
千夜の行動を見届けようとするようにも見えなく無いその体勢を、視界に入れつつ千夜は無視して右手に向かい入れる一振りの【相棒】に意識を傾ける。
「舞の時間だ、舞台に上がれ」
千夜の促しにそれはついに姿を見せた。
手にしっくりと馴染む硬質な感触に、存在を確認する。
三途の結界で隔離された空間に新たに現れたのは―――――――白い刀。
通常の刀よりも遙かに―――――――千夜の背丈ほどもあると思われる刀身に反りのない直刀だった。
それが通常と異なる点。それは色だった。
鉛色が常であるはずの刀身は雪のように白い。
刀身のみならず、蓮の紋様に彫られた鍔、柄―――――――全てが純一色で彩られている。
芸術品と呼ぶだけでは賞賛にすらならないその直刀は―――――――まさに『宝』と呼ぶに相応しく、道具とは思えないほどの気高さと存在感を
その細身から醸し出していた。
「言い方を変える………―――――――そいつは返してもらうぞ」
神々しいまでの得物を携えて、千夜は男に宣言を放った。
◆◆◆◆◆◆
身動きのとれないまま始まろうとしている目の前の戦いに、三途は歯噛みしていた。
「………無茶だ、あんなヤツ相手に霊装のみで戦うなんて……、くそっ……」
憎憎しげに己の足首から下を失くした足を見て、舌打つ。
しかし、その表情も次の瞬間には苦痛に歪む。
通常の体温に戻ったことで、凍結されて無くなっていた感覚が戻り、傷が再び疼き出したのだ。
支えていた腕が震え、力が入らない。
「……ぐ、……っっぁ」
気力を振り絞り、足りない足でも立ちあがろうと奮闘する三途の意思も虚しく、腕がガクリと折れる。
浮いていた上半身が重力に従って地面に向かう―――――――が、
「―――――――おっと、危ねぇな」
地面におちるはずだった三途の上半身を受け止める腕が、ここに在る筈のない声と共に現れる。
寸でのところで止まった状態で、三途はやや靄のかかった状態まで回復した視界でその人物の姿を捉えようと顔を上げた。
輪郭がにじみ、顔ははっきりと判断出来ない。
ただ、幸い三途に認識させる特徴が見つめた先にはあった。
二つの黒い靄―――――――サングラス。
「し………ま、さん?」
「おっす。ひでぇカッコしてんな………」
眼が見えないに等しい三途に志摩はニカ、と笑った。
「どうして、ここに………」
「だから言ったじゃねぇか、気をつけろって」
「質問をスルーしないで下さい」
「かー、そんなんなっても細かいなぁ………まぁ、あれだ―――――――全てはあの黒鬼の手の平の上にあったということさ」
「―――――――っ!」
三途の表情が、驚愕とショックの色に染まり強張る。
「………あの雌鬼はっ………私がすることも全て知っての上で………」
ギリ、と忌々しげに表情に屈辱感を滲ませて歯を噛み締める三途を見て、志摩は追い打ちをかける。
「お前如きがあの奇策姫の裏をかこうなんぞ無茶な話だった……ってことだな」
「………っ、志摩さん起こして下さい!」
カッと顔を赤くして立ち上がろうともがく三途からの要求を、志摩は―――――――突っ撥ねるように支えに差し出していた腕を退けた。
「っっ………志摩さん、殺されたいんですか」
支えを失くして地面に急行落下した三途は、ギロリと志摩を下から凄むように睨んだ。
そんな殺気を受け流すように志摩は飄々と答える。
「そんな状態で闘うってか? 無理無理、つーか行っても邪魔になるだけだぜ」
図星を突かれ、三途はうっと唸る。
この空間では魔術は使えず、身体も半死半生の目にあってボロボロで立つ事すら出来ない。
足手まとい以外の何者でもない、というのが三途に置かれた現状。
さっと頭に上っていた熱が急激に冷めて、三途はそれを再確認し、意気消沈を表情に表す。
「……でも、私は…………」
歯痒さに悶えるように目を強く瞑る。
そんな三途の頭上に降る言葉があった。
対照的に目の前の対峙を見ながら平然としている志摩だ。
「あの嬢ちゃんのことなら心配いらんさ」
何を根拠に、という三途の疑心の視線を受けて志摩は言葉を返す。
「忘れてねぇか? ―――――――今回のことは全てあの女の手の内に収まっているんだ、悪いようにはならねぇよ。多分な」
サングラスの奥に見えない思惑を抱えているであろう志摩は、ニヤリと笑った。
三途は不安を拭えないまま、目の前の戦況に視線をやった。
◆◆◆◆◆◆
飛来する力の眼前に、千夜は一つの明確な事柄を悟る。
この相手は―――――――久々の強敵だと。
「夜叉姫」
『―――――――御意』
直刀が音声を発し応えを返すと同時に、攻撃が千夜の元に達する。
指す様に翳した夜叉姫の切っ先に接触した瞬間、その間に突如光壁が生じる。
力と力の拮抗から生まれた中立の障壁は、互いの力が同等であることを示していた。
「………っ」
想像以上の強大な力に、気を抜けば後方へ圧されるであろう地に付く足に力を入れて踏ん張る。
「っ、夜叉姫の【絶壁】にこれほどまでの抵抗を示す力は今まで数えるほどしかなかったが…………こいつは……なかなかキツイな……っ。
―――――――だが」
小刻みに震えそうな腕を集中力で押さえつけ、地面を足先で浅く抉る。
だからどうした、と鼻で哂うような笑みを口端を吊り上げて浮かべて、
「コイツの障壁は【絶対】だ。―――――――そうだろう、夜叉姫!!」
『御意―――――――主(ぬし)様のお望みのままに』
その刹那、続いていた拮抗が一気に崩れる。
千夜の意思が形になったかのように、夜叉姫を一薙ぎした瞬間、男の力が跡形もなく散った。
文字通り『霧散』したのだ。
振り返り、千夜は音量をやや上げて数メートル離れた背後にいる男に言い放つ。
「おい、何でいるのかはこの際どうでもいいからそこの一人と一匹を連れて離れろ、志摩雪叢」
「はいよー」
ひょい、と黒猫を肩に、三途を小脇に抱えて戦況から離脱するべく小走りしていく志摩の姿を確認して、再び前を向く。
これで動けるようになった。
「さて、次は―――――――俺の後手を行かせてもらう」
得物を振りかざし、千夜は疾走した。
降り注ぐ光弾の中を突き抜けた先にいる―――――――標的に向かって。
◆◆◆◆◆◆
向こうとは数十メートルは離れたと判断した志摩は、周囲付近の一本の木に近寄り、そこで三途を下ろし背中を凭れ掛けさせる。
猫は適当にその付近に落としておく。
ボトッと傾けた肩から自然落下した黒い物体を尻目に任務完了だ、と自己完結が志摩の中で為される。
「よし。ここまで来りゃ、とばっちりはまずないだろうな………一安心一安心」
「………志摩さん」
成し遂げた表情でいた志摩に、三途の声がかかる。
視線を下げた志摩の目に映る三途は、唖然の表情を顔に身に付けていた。
「…………アレは、一体何なんですか?」
「どれだのことだ? 譲ちゃんか? それともあの蒼いのか?」
「………剣です。千夜の持つ……あの刀の姿をした霊装です」
千夜が今目の前で披露している白い直刀【夜叉姫】は、裏ルート専門の商人として多くの様々な霊装や武具、曰く付きの物品と出会い扱ってきた三途自身も知らない見たこともない代物だった。
それは『再会した日』から三途の中でとぐろを巻いて居座っていた疑問の対象だった。
再び合間見えた千夜の元には『あの人の武器』はなく、見知らぬ白い霊装。
彼女がそれを振るう場面は見たことが幾度かあったが、そこでは霊装の秘める効能を目にすることは一切無かった。
自分といる時点で、それを使用するほどの敵に遭遇していなかったか。
それとも他人に見せないようにしていたか。
いずれにせよ、千夜は今まで己の霊装を単純な武器としてしか扱う姿は見せず、自身の霊力のみを用いて戦っていた、と思っていた。
そして、先程ついにその秘めたる力の片鱗を見せられた。
しかしそれは疑問の解決にもならず、新たな疑問を生み出す素に留まるだけとなった。
だからと言って尋ねたところで志摩が識っているとは限らないことを承知の上だったが、
「ああ、アレな………」
その反応は三途の予想を裏切った。
「っ、知っているんですか?」
「俺も直接目にするのは初めてだけど。………まぁ、お前が識らないのも当たり前だわな。なにせアレは四百年間の年月の間、ただの一度も一目に晒さ
れずにいた眠り姫だからな」
「………どういうことですか?」
「………―――――――あの【夜叉姫】はな……かの一族が用いる【黒の三神器】を始めとした霊装とはまた一つ別格の番外として存在し、四百年の間
誰も使い手になることなく薄暗い蔵の奥で埃を被っていた代物なのさ」
「何故、誰も使わなかったのですか?」
「………正確に言えば、【彼女】は誰も認めなかった。己の使い手として何者を受け入れず拒み続けた。最初の主以外は誰一人、な。……ちなみに
その霊装としての力は極上だった。世界に指折りといっても過言じゃない。かつては、誰もが使い手として申し出たほどに」
それは一体どんな力だったのか。
三途が問うと志摩は詳細を語る。
「あの霊装に秘められた霊力はさることながら、一つの概念が特殊能力として組み込まれていた。
―――――――その概念の名は【絶対顕現】」
「絶対、顕現………?」
言葉だけでは意味が三途には解せ無かった。
それを予知していた志摩はその内容を言葉に乗せて連ねる。
「あの霊装は使い手の意志が望む要求に応え、叶える。さっきが良い例だ。嬢ちゃんが夜叉姫を翳した時、防壁型の結界みたいのが発現しただろ?
あれは防壁を発現させろという嬢ちゃんの念に夜叉姫が応答し、実行したのさ。夜叉姫自体に防壁展開の機能は添付されていない。出来るはずのない
ことを………本来の己にはないはずの機能を、あの霊装は健気なことに不可能を可能にしたのさ。主人たる使い手のいかなる要求も絶対として受け
入れ、顕現させてみせる。それが霊装【夜叉姫】の力だ。…………で、どーゆーわけか何百年も誰も受け入れなかったその偏屈なまでに一途な姫刀を、
あの嬢ちゃんが陥落させちまったつーわけかなぁ」
志摩の講義が終わる。
しかし、三途の耳には最後あたりから入ってきていなかった。
【かの一族】。
志摩の言葉の中で出てきた単語。
その明確な表しではない曖昧な表現から三途が辿りつく意味は一つしかなかった。
三途の脳裏に一人の男の姿と、その場面で吐き捨てた科白が鮮明に浮かぶ。
―――――――アレは死んだ。早々に忘れるがいい。………【その時】が来る日まで。
彼女の死を伝えた男が、同時に言い残した矛盾した不可解な言葉。
そして、志摩の言った事が真実なら、あの男の一族で保管されていた霊装を千夜が所持している意味。
この二つの要点が重なり合うと導き出される―――――――空白の刻の中、彼女がいた『場所』。
彼女が見せる戦闘スタイルは『あの人』と酷似していた。
『誰が』それを仕込んだのか。
『何処で』それが出来るのか。
そんな完成間近であったパズルに、最後の一片が嵌めこまれた。
完成したパズルが描くのは―――――――幼い少女を模った漆黒を纏う鬼女。
彼女と同じく六年前に姿を消した。
彼女と同じく二年前に再び姿を現した。
千夜の在るところには、影ように必ず存在する。
―――――――黒蘭。
黒き妖艶なる乙女のほくそ笑む姿が三途の脳裏を過ぎる。
奇策姫。
あらゆる全てを己の手駒に仕立て上げ、戦局を思うが侭に進めるあの女にこれ以上にない称号だ、と志摩の称した呼び名を、三途はしっくりと胸に居座らせた。
何処までか策なのかわからない。
何が策なのかわからない。
策とは到底思えないような事まで策に仕立てる。
常に裏の裏の裏をかき、奇抜な幾重にも張り巡らされた己の思惑に他者を絡めとる女郎蜘蛛の糸の如く。
そして、三途自身もとうに彼女の手の内の中にある。
意志があるにも関わらず、それすらも奇策姫は己に抗う意志の先を読み思うが侭に糸で括り無理には修正せず、徐々に、緩やかに―――――――己の思う道へと乗せていく。
………そういうことか。
三途は悟った。
これも黒蘭の奇策なのだと。
あの女は自分が千夜の為なら何だってすることを熟知している。
そうして、危険因子である玖珂蒼助が例え千夜の友人であっても、躊躇はしても抹殺の行動は起こすと見透かしていたのだ。
恐らくは―――――――結果がこうなることも。
だとすれば、あの女はあの蒼色の怪物が何者なのかも知っているはずだ。
玖珂蒼助がそれを内に宿していたことも、その理由も。
蒼色の男の危険性も。
きっと全てを知っているあの女は、何をするつもりでいるのだろうか。
―――――――玖珂蒼助という人間を使って、どんな奇策を練ろうとしているのか。
「―――――――おい、三途」
「っ」
肩を叩かれ、三途はハッと我に帰る。
反射的に顔を上げると志摩の訝しげな顔が視界に入った。
「どうした、急に黙り込んじまいやがって……死んだかと思ったぜ」
「………勝手に殺さないで下さい」
幸い足の欠損を除き全身の傷は治癒を再開している。
無論、痛みは最悪だが。
「………この闘いだがな。理論上では、夜叉姫を持つ嬢ちゃんに勝敗が上がる。霊装に込められた【絶対顕現】が決め手だ。【絶対】っつー概念は
一種の反則だ。なにせ、そいつに他が並ぶことなどできない。それこそ、【絶対】に。他がないからこそ【絶対】という概念は存在し得るんだからな。
嬢ちゃんの望みを【絶対】のモノとして形にするあの刀は、あらゆる攻撃を無効にし、望まれれば切れないモノも断ってみせるだろう。それが実体の
ない魔力であろうとあの蒼いのを護る概念防壁であろうと。盾と剣の役目を同時にこなすあの霊装【夜叉姫】を持った嬢ちゃんは、まさに無敵だ。どんな
相手にも【絶対】を操る彼女に勝ち目を見出すことはまず不可能だ………」
確かに志摩の言うとおりだった。
言葉がそのまま現実になるのであれば、千夜はあの化物にだって勝てるだろう。
だが、腑に落ちない点を三途は見つけた。
「………志摩さん、理論上というのは一体」
「そのまんまだよ。何の問題も無く事が進めばそうなるという俺が立てた仮説だ。…………だがよ、仮説がそのまま結果に成り代わることはそうある
ことじゃない。理想と現実は必ずといって良いほど、どっかで噛み合わなくなる………必ず何処かで想定外の事態が発生して、な………」
茶化してはいるが、ふざけているようではなかった。
それを証明するかのように、ずり下がったサングラスからはみ出た眼差しは真摯なものであった。
それも正しいと言える、と三途は認めざる得なかった。
何しろ少し前の三途もその仮説を現実にしようと目論んだが、なしえなかったのだから。
物事の勝敗を決めるのは、強さの差異だけではない。
例えどちらの力も同等であるという場合でなくても、運という見えない力が関わってくる。
例えば、劣勢である方に勝機が傾くことさえも。
「………志摩さん」
「何だよ、ビビっちまったか?」
「……………貴方は……いえ貴方も、あの鬼の手駒に収まっているんですよね?」
「……………」
沈黙は肯定ということか、と三途は言葉にすることなく自決した。
思い返せば、店で発したあの忠告めいた言葉からそれらしきと拾えるものが在った。
貴方も、と先程自分が言った表現に皮肉さを感じた。
自分もそうであると無意識に認めてしまったようなものだ。
あれほど、あの鬼の思うようにはなるまいと反抗していたのに、結局は思うが侭にされてしまっているのだから、今更否定しようがなかった。
「…………私は、このままでいいんでしょうか。このまま、あの女の思い描くがままに動かされていて………信じて、いいんでしょうか?」
「藪から棒だな……どうした? つーか、信じてんのかアレを?」
「観念しようかしないで迷ってるんです。………だから一足先に下ってしまってる貴方に意見を聞こうと思いまして、ね。………だって、そうでしょう?
今回の事でちょっとキちゃいました。………どれだけこの先あの女に歯向かっても結局はあの女の思うように収まるんですから……それぐらいなら、
いっそもう……」
「―――――――三途」
制止にも取れる志摩の声が割って入った。
三途はそれに妙な力を感じ、思わず言葉を止めた。
「…………なぁ、三途。お前はなんか勘違いしてるようだが言うがよ。………俺ぁ、別にあの鬼のすることをイチイチ信じてるってわけじゃねぇぞ。つ
ーか信じてねぇし、信じられねぇよあんな得体の知れねぇ思考の持ち主」
「なら、どうして………」
「ただな……俺がしなきゃならねぇ……したいことをする先にあの女がいる。まぁ、そこに乗っかっても乗らんでも出来るにゃ変わらねぇが、乗っかっ
た方が確実に進めるから俺はそっちを選んだ。その方が俺がしたいことがすんなり巧く運べるから、だ」
「………何ですか、貴方のしたいことって」
にやり、と志摩が悪そうな笑みを浮かべる。
腰をかがめ、三途の顔に自分のソレを近づけて、
「そりゃ―――――――ナ・イ・ショだ」
途端、三途は顔一杯にゲンナリ、という心情を露にした。
「………イイ歳こいたオッサンが人指し指口に当てて内緒を区切りながら言うって気色悪いですよ。寧ろイタイ」
「こんな時でも容赦ねェな、お前ってヤツは!!」
「こんな時だからです。劣悪は正さなければ世の中のオジサンに申し訳ないでしょう。…………まぁ、自分の失態よりもみっともないもの見せてくれた
おかげで幾分立ち直れましたが」
「すっげぇ釈然としねぇが………三途、お前もう一個勘違いしてるぜ」
「は………?」
志摩の唐突な発言に、三途は間の抜けた声を出した。
他に志摩が言うようなことに思い当たることなど、三途自身にはない。
答えはすぐに志摩本人から出された。
「黒蘭に踊らされてたって自分の事を言ってたがよ…………そりゃ違う。
―――――――お前はアイツの期待に応えただけだ」
三途は言葉を失った。
意味がわからない、と表情でそれを主張していると、察した志摩は先を続ける。
「前は俺もお前と同じように考えていた。だから言ったんだ、アンタは大した策士だ、ってな。……そしたら、アイツなんて答えた思う?
―――――――私は貴方たちが動ける下準備をしているだけ、そこに寄せた私の期待に貴方たちが応えてくれてるだけよ………だとさ」
「………どういうことですか?」
「まぁ、俺もようやく最近になってわかってきたんだがな………あの女は手駒を自分の思い思いに動かしてはいない。ただ、本当に期待してるだけなん
だろ………自分の施した下準備だけで手駒がどんな活躍を見せるのかを。想像はしている、だがその通りになるように自分の手は加えたりはしない。
ヤツはこうも言っていた。―――――――自分はシナリオをつくる脚本家でなく、舞台設定を整える裏方だ。役者が演技を出来る下準備を整えることが
出来たら、後は観客側にまわって傍観するんだとよ。次の展開、役者が演じる登場人物がどう動くのか予想し期待する。自分はストーリーを考える役
じゃなくて、見て想像して楽しむ方なんだ、と」
「………つまり、私があの女の期待に応えたという言葉に沿えば………私がこの状態になることがあの女の予想だったということですか?」
「そういうことになる。……ちなみに、あの女は今のところ期待ハズレは……過去にあった一つを除いて無いらしい」
過去にあった唯一の期待ハズレ。
それを為した存在について。
どんな期待ハズレだったのか。
気にはなったが、今はそれどころではなく、
「でも……結局は、あの女の思うように事は運ばれ続けたんじゃないですか。………腹立たしい。なら、自分で動かしても同じじゃないですかっ……」
「―――――――だからこその【奇策】さ。………準備して、期待する。ただそれだけ。型破りな策士だろう、あの鬼姫は。まさに【奇策姫】だ」
その称号の真の意味を知った三途は、重いものを吐き出すように深い息を漏らした。
「妙な気分です。………その筋でいくと、私は誰の意志でもなく私の意志で行動した………にも関わらず事態はあの女の…………期待通りに進んだ。そうがそうなら、踊らされているわけではないのにこのすっきりしない胸のつっかえは………なんでしょうか」
「そこは単純な思考でいこうや。あの女の期待が外れるってことは、俺達にとっても都合の良くないってことに繋がるんだからな。
………それに、今気にかけるべき着眼点は―――――――」
志摩は、くたびれたコートの胸ポケットから煙草を一本取り出す。
ゴソゴソとそこから下に下がった先にあるポケットに手を突っ込み、火をつけるライターを探した。
手応えは程なくして志摩の手に収まり、口に咥えた一本の先端が朱く灯る。
一度煙を肺に溜め、吐き出しながら志摩はようやく続きを言った。
「―――――――今、奇策姫の期待はこの場のどちらに寄せられているか……だな」
サングラスの闇に隠れて見る側からは志摩の眼の焦点は曖昧だが、目の前で繰り広げられる戦禍の元へ向いていることだけは確かだった。
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