「や、思ったより早く来たね。―――――――入って」
と、会いに来た本人―――――――下崎三途に迎えられ、店へと入る。
店内には全く人がいない。それも当然。日曜の今日は『喫茶店の』定休日なのだから、いるはずがない。
「で、わざわざ日曜の麗らかな日和に人を呼びつけて………何の用だ?」
「私、一応キミの雇い主なんだけど、ね………」
とても従業員とは思えない不遜な態度をとる千夜に呆れ、苦笑い。
このやりとりがこの二人でなかったら、「クビ」との一方の突きつけで雇用関係は一撃で破砕するだろう。
というか、こんな雇用関係はここ以外では絶対に在りえない。
「コイツも呼んだということは、人手がいるようなこと押し付ける気なんだろう」
「ご名答。さっそく―――――――」
「帰るぞ玖珂」
最後まで言わせてたまるかと言わんばかりに、千夜は颯爽と蒼助の腕を引っ張って店を出て行こうとするが、突然静止した。
「おい、どうした?」
怪訝そうに蒼助が伺うと、千夜は険しい表情で、
「オイ」
「なんでしょ?」
「結界を解け。出れん」
「ダメダメ。ちゃんと働いてもらわなきゃ。………この前あげた太刀の代金代わりに、ね」
「……俺が呼ばれたのも……それっすか?」
「もちろん。あげるとは言ったけど、"タダ"なんて言った覚えはないけど……?」
それは確かにそうだが。
「………性悪女め」
全くもってその通りだが、人のことは言えないだろ。
心底そう思っても口にはしないのは基本だ。
三途はチェックメイトと言わんばかりの笑顔を顔に乗せて、
「さ、よろしく頼むよお二人さん」
魔女は柔らかくも強かに微笑んでみせた。
◆◆◆◆◆◆
三途に案内されたのは、カウンターの奥に取り付けてあった扉の向こう。
数多くのカップが並ぶ棚の横にひっそりと隠れるように存在していたその一枚の扉。三途は先導するように後ろに蒼助と千夜を控えさせ、開ける。
踏み込むと奇妙な光景があった。
「…………って、また扉?」
長い一本通路があった。
外から見た建物外観からは不可能なほどの長さの。
そして、両脇にはいくつもの板チョコ模様の扉が並んでいた。
その一つ一つの中央には全て異なる表示が刻まれたプレートがはめ込まれていた。
「自宅……倉庫……資料庫……書庫……廃棄室……って、何すかコレ。……つーか、この一本通路、店の構造的に有り得なくありませんか?」
「この建物の中は私の魔術で創った擬似空間と入れ換えてあるんだよ。つまり、全て私の思うままに作り変えてあるわけ」
「………マジで?」
だとしたら、溜息をつくしかない。
魔術で空間を丸ごと入れ替えるなり、自身で空間を創るなり。
まるで神の如き御業。そう、神業だ。
なんて、デタラメな―――――――
「………可愛い顔してすげぇえげつねぇな」
「だろう?」
ぼそり、と隣接し合う二人は互いに言葉を交わす。
「じゃぁ、まずは倉庫の商品の整理をお願いするよ」
えげつない女は、それを一片も見せない笑顔で振り向いた。
◆◆◆◆◆◆
絶景。
倉庫の中は一種のそれと呼べるものだった。
棚に並ぶ全てが奇怪かつ神妙不可思議な雰囲気を漂わせる品ばかり。
札だらけの壺。
インディアンの生首。
ヨーロッパの美女が彫られたカメオ。
不気味なフランス人形。
丁寧に飾られた見事に織り上げられた着物。
古びた香炉。
「そして何で………人体模型?」
壁にひっそりと寄り添い立つ人体模型。
怪しい品々が並ぶ中で一際怪しく浮いているその存在。
そして、異様に目を惹く。
「それは表の商品だ。なんでも区内の小学校から注文されたらしい」
古びたいかにも骨董品という味を感じる壺を擦り拭く千夜は視線はそのままで答えた。
喫茶店の他にも表向きにしている仕事があるのか、と問題の人体模型を思わず蒼助はジッと見入る。
昔から思うが、見れば見るほどこの物体は不気味だ。
よく展開された中身が動き出しそうだと何度も―――――――
「って、動いてるしッ!?」
「何でも知り合いの魔術師兼理科教師の特注らしくてな。二度と破壊されないように、予防として怪談が自然と発生するような仕込みをしてくれと言われて、その動いてる部分は錬金術で動物の臓物を素にして作った触ると動く人工肉にしたんだと」
つまり表向きの裏商品ということ。
ピンク色の内臓のリアルな動きに退きつつ、蒼助は素朴な疑問を口にした。
「下崎さんって………本業なんなんだ?」
ある時は喫茶店『W・G』のマスター。
ある時は『SHOP』の店長。
そして、またある時は日本に隠れ住む凄腕魔術師。
その実態は一体なんなのか。
「本業ねぇ。………実質的に稼いでいるとしたら、間違いなくこっちだろうな」
「こっち?」
「ネット通販」
何故に、と魔術師の肩書きとの組み合わせに生じる違和感に動揺しつつ、
「守備範囲はネットワークが通じるなら何処までも。金さえ払うならマフィアだろうが秘密結社だろうが得体の知れない個人だろうが誰だって客だ。所謂、裏商人だな」
「裏商………」
不思議と全然違和感がない。
むしろそ何の疑念もなく受け入れられる。
魔術師の豊富な知識を活かして、曰く付きの品を扱うのは有意義な選択だろう。
「オイ、玖珂。いつまでも眺めていないで手伝え。特別手当もらえないぞ」
「あ、ああ……っと」
千夜の元に歩み寄ろうとして、ふと視界に入った『モノ』があった。
黒猫の置物だ。
片目が青みがかった紫のオッドアイ。しなやかな細身の体躯で座り、蒼助をその吊り上がった双眸で見据えていた。
目が合った瞬間、ゾクリと背中に寒気が走る。
「っ、…………よく出来てるな、ホンモノみて」
「ホンモノだよ」
置物が声を発した。
「っっっっぎゃぁぁっ!!?」
ギョッと目を剥き、蒼助は物凄い勢いで後ずさり、後ろの棚にぶつかった。
置物であるはずの黒猫は煩わしそうに首を振り、四本の足で立ち上がる。
「五月蝿いな。……猫が喋ることがそんなに珍しいことかね、こっち側の人間が」
「ば、馬鹿ッ! それとこれとじゃ話が別だっっ………ってお前ナニ?」
どうやら、この黒猫は置物ではなく本物らしい。
商品ではないかどうかはおいておくとして。
「―――――――クロ。そんなところで何してるんだ」
壺を拭きながら蒼助の叫び声を聞きつけてやってきた千夜が黒猫の名を呼んだが、猫は嫌そうに拒否反応を示す。
「クロいうな。僕の名はB.Sだ、B.Sっ!」
「いちいち細かいな。いいじゃないか、呼びやすくて」
「定着して本名忘れられる危惧があるから必死なんだ!」
言葉から必死さが伝わる黒猫―――――――B.Sの訴えを無視して千夜は蒼助に向き直り、
「玖珂、コイツは三途の使い魔だ」
「使い魔?」
「魔術師が契約して従わせるカミ様だよ。二種類あってな。主従関係を結んで下僕にする動物上がりの若いカミ。何らかの条件を呑んでもらって協力関係を結ぶ上位のカミ。お前は前者だったな?」
「ちょっと違うけど……そうだよ」
B.Sは何処か投げやりに言い捨てると疲れたようにそっぽ向いた。
「そういえば、何でお前こんなところにいたんだ?」
「昼寝。商品の霊気に満ちてて僕には居心地がいいからね。キミらが騒いでるおかげですっかり目が覚めちゃったけどね」
「そりゃ悪かった、代わりといっちゃ何だが―――――――邪魔だからどっか行け」
「何の代わりだよっ!! 喧嘩売ってんの、キミは!?」
「はいはい。イイコだから向こう行ってましょうねー」
千夜は全く取り合わずニャ―ニャ―騒ぎ立てる黒猫を部屋の外に放り出すとドアを閉めた。
まったく、と一息付いた時、頬を何かが掠める。
トン、と目の前の扉を節だった手が付いていた。
それが誰なのかなど考えるまでもなく、
「―――――――で。なんかウマいこと水入らずになったところで、聞きたい事があるんだがよ」
思いのほか至近距離で聞こえた真剣みに帯びた声に、千夜の心臓の鼓動が跳ね上がる。
振り向けず、硬直した千夜は急激に渇いた喉を絞った。
「何を………」
「決まってんだろ。―――――――聞かせろよ、昨日の返事」
その言葉が昨夜の一場面を千夜の脳裏に甦らせた。
「返事って………冗談だろ?」
嘘付け、と心の中の自分が悪態づく。
本当はわかっているくせに、と。
そんな千夜の心中に同調するかのように、蒼助はせせら笑う。
「冗談? …………そりゃそっちの方だろ。んなわけねぇだろ、誰が告白なんて青臭い真似、冗談なんかするかよっっ」
背を向ける千夜の肩を掴み、蒼助は振り向かせた。
視線が噛み合ったまま離せなくなる。
「冗談なんかじゃねぇ。俺は本気で言ったんだ」
本気で。
それは嫌と言うほど伝わる。
言葉からではない。
自分を見据える蒼助の双眸に宿る光が一点の濁りもない。
「だから………返事って、どうしろと言うんだっ!」
ずるずると引き摺りこまれてしまいそうな感覚を振り払うように千夜は声を荒げた。
「熱で……どうかしていたんじゃないか? じゃなきゃ、高熱でどっか脳をどっかやられたんだ。腕のいい脳外科の医者を紹介してやるから、とっとと正気に戻れよ」
「どこもおかしくなってねぇよ。大分前からずっとこうだ。お前と初めて会った時から………」
つっても自覚したのは江ノ島でのデートの後だったけどな、と苦笑する蒼助の言葉に唖然とする。
そんな前から、それなのに何もしないでいたのか。
パクパクと口を震わせ、それでも気力を振り絞り反論をぶつける。
「お、おかしくないわけあるか! 私は、俺は……男だぞっ!? 男同士で………同性愛は別に否定しはしないが、それは他人の問題ならの話でっ」
「お前何言ってんだ?」
落ち着けよ、と妙に冷静に言ってくる蒼助に腹が立ち、興奮は収まるどころか一層憤り、
「落ち着けだと!? 同性愛強制されて落ち着けるわけあるかっ! 大体、お前女が好きだったんじゃないのかっ?」
「ああ、好きだぜ。至ってノーマルだ」
「じゃぁ何で……」
いやだからさ、と蒼助は呆れたように眉を顰め、
「お前、【女】じゃん。何もおかしかねぇよ」
「…………」
確かにその通りだった。
今の千夜は紛うことなく女だ。
だから、蒼助がいくら好きと主張してもそれは同性愛にはなりえない。
蒼助は【女】が好きなのだから。至ってなんらおかしな点はない。
「………納得したかよ」
「……………」
無言の返事。
全く、とでも言いたげに蒼助は溜息をつく。
まるで自身の方が不思議で仕方ないとでも言いたげに。
「正直、今考えても信じられねぇだがな。女に、しかもこんな、お前みたいな一癖も二癖もある女に惚れたなんてよ……まともなトコなんか顔以外ねぇっつーのに」
「はん、だったらやっぱりお前の頭がおかしいということだろう。病院に行け、病院に」
「おかしくなったとしたらお前のせいだろうよ……お前以外有り得ねぇ」
熱の籠った息を込めて出された蒼助の言葉に不意打ちを喰らったように心臓が跳ねた。
動いた手が流れるような後ろに結い上げられた黒髪を蒼助は一房掴み取り、口付ける。
「聞かせろよ。………まだ誤魔化すつもりなら、出来ないようにもう一度言うぞ」
くん、と気を惹く程度の痛さを感じない加減で手が、内に収めた千夜の髪を引く。
「千夜………俺は、お前が…………」
「っ………」
聞きたく無い、と思えど金縛りあったかのように両腕は動かない。耳を塞ぐ事は出来ず、せめてとただギュッと眼を瞑った。
「…………………………」
「……………」
言葉は途絶えたかのように続かない。
目を開けると、蒼助は息が詰まったかのように苦しそうな顔をしている。
少しして気を取り直すように、
「っごほん。………俺は、お前が……お前が、………す」
まただ。
肝心の域に達しようとすると行き詰まる。
さすがに様子がおかしいと気付いた千夜が伺うように蒼助の顔を覗き見ると、
「っっだあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
突然絶叫しながらぐるりと反転し、背を向けたかと思えば頭を両手で掻き毟りながら再び絶叫。
衝動に駆られたようなワケのわからない行動に千夜が呆然として見守っていると、脱力したように蒼助はその場にしゃがみ込んでしまった。
「………ちくしょー、ダメだぁ。……やっぱ、場の勢いとかねぇとダメなのかぁ………」
頭を抱えてブツブツと呟くその背姿を見つめるしかない千夜が、いつ復活するのかと遠巻きに眺めていると、
「…………よしっ!」
何が「よしっ」なのか、と思っていると瞬く間に蒼助が再び千夜に迫ってきた。
両肩をガッシリ掴まれ、
「やめた」
「は?」
「言葉で言うのは止めた。だから行動で示すことにした」
と、言うなり千夜の顔に己のソレを寄せる。
それが何を意図した行為なのか嫌でも理解できた。
「ちょ、ちょっと待てっ………何をトチ狂ったっ?」
「何処が」
「何処がって………もう一度言うんじゃなかったのか!? 何で、いきなり……っっ」
「だから止めたっつってんだろ。こっちの方が早い。わかったらいい加減黙れ」
「……わかるかっ! カラダが女になったからって中身までつられてなるなんてウマイ話があると思ってんのか!」
「うっせぇな。……いいじゃねぇか、今更だろ。出会い頭でお前からしてきたくせに」
「状況を振り返れっ! アレはキスじゃない、絶対違………っあ」
あ、そうだった、と一瞬でも納得しかけた思考を正気に戻すように横に振っていた首は、顎を掴まれたことで静止をせざるえなくなった。
「千夜……」
熱の帯びた声で名前を呼ばれ、背筋に何かが走りゾクリとした感覚を覚えた。
固定された視界に映る蒼助は、普段知る姿とはまるで違う妖艶さがあった。
それを直視した瞬間、思考の一切が麻痺したように動かなくなる。
昨日の夜に見た、想いを怒涛の勢いで告げた時に見せられた片鱗だった。
そして、今もまた昨夜のあの瞬間のように魅了されたかのように内側の全てが停止した。
徐々に縮まる距離にも、先程までの焦燥感も拒否感も嘘のように消えてしまい、
「ぁ……」
か細い声が二人の僅かな距離を割り入るが、溶けるように消え意味はなかった。
極限に迫り、二つの息が重なり合う―――――――瞬間に閉じていたドアが外部から開けられた。
瞬間、二人は秒速の速さでその方を振り向いた。
二人きりの密室を外部から割入った人物は、自身が目の当たりにした光景に一瞬だけ固まり、
「……え、と…………」
何を口にすればいいかわからなくて困った、という風貌で苦笑しながら、
「…………お邪魔だった?」
気まずそうに目を逸らして一言。
呆然としていた千夜と蒼助はその体勢のまま我に返り、慌てふためいた。
「しししし、し、下崎さごぶっ」
「さ、三途っ……誤解だ、別に私たちは」
「………あー………それより、そこの彼がスゴい痛そうなんだけど」
気にするな、と千夜は腹を押さえて踞る蒼助を捨て置いた。
「じゃぁ、蒼助くん借りてもいい?」
「ああ、煮るなり焼くなり好きにし……………は?」
突然の言葉に素通りしかけたところを踏み止まり、千夜は目を瞬かせ三途を見た。
三途はレンズの向こうで微笑み、
「ちょっと、コーヒー豆の追加を買いに行こうと思ってね。力仕事に男手がいるんだ………いいかな?」
三途が見遣った当の男手たる人間は今だ踞ったままだった。