午前十時。
開店早々から喫茶店『WG』は、【とある知人】を客として迎えていた。
その客は、本日の最初に淹れたコーヒーをぐっと飲み、
「ぷはー、やっぱうめーなお前の入れたコーヒーは」
「誉める気があるなら、飲んだ後にそれはやめてくださいよ。ビール飲み干したわけじゃないんですから」
ここ喫茶店ですから一応、と釘を刺し、三途は目の前の客を冷めた目で睨んだ。
「それと、店内ではその胡散臭いグラサンは外してください。客が逃げますし、何より私の気に障りますから」
「あからさまに本音後に持ってきて強調しやがって。………だってぇ、これ俺のトレードマークだもーん。ポリシー、ポリシー」
「そんなポリシー、溝にでも捨ててしまいなさい」
素っ気無く切り捨て、三途は男の相手を片手間に自分の分をカップに注ぐ。
最後の一滴がカップの水面で跳ねるを見届けると、新たに切り出す。
「それで、今日は何の用ですか―――――――志摩さん」
時々店の訪れるこの男。
名は志摩雪叢。
【かつての仲間】であり、星の予言を代弁する『星詠み』。
ただコーヒーのツケを増やしに来たわけではない、と三途の勘が告げていた。
問いを投げた相手はカップに口付けたまま。
喉をごくり、と鳴らして液体を流下させカップを置いた後、そこでようやく口を開いた。
「………この前、会ったよ」
「…………誰にですか」
「惚けるなよ。お前が寄越したんだろ」
「ふふ、わかりますか」
「今、俺がまともに顔見せてるのはお前くらいだからな。………いや、それにしても驚いた。まさか、あそこまでそっくりとはなぁ……」
カウンターに肘を立て、その手の平に顎を乗せた志摩は視線を何処か遠くに飛ばして、
「綺麗になってたなぁ。外見だけじゃなく、えげつねぇまでに中身まで似ちまったのはちと惜しいが。
………ああ、一つ違ってたな。―――――――あの微笑い方だけは【あの娘】のもんだ」
彼の言うそれは彼女が心の底から微笑う時のものだろう、と予想がついた。
直接ではないが、似ていると出された人物の影に三途の気分は若干白けた。
「ん、何だそんな面白くなさそうな顔して。………ああ、そういえばお前……彼女のこと妙に嫌ってたよなぁ。……あいつにはあんなに懐いてたのによぉ」
「だから、ですよ」
だからこそ、嫌いだった。
【彼女】は、自分がどれだけ足掻いても辿り着けない地位を揺らぐことなく独占していたから。
そして、【彼】は自分がどれだけ慕っても、いつも心を占めさせていたのは【彼女】。
間に入り込む隙など微塵もなくて。
【彼】をそんな風にできる【彼女】がどうしようもなく羨ましくて、嫌いだった。
「ぶっちゃけ、千夜があの人にそっくりでよかったと思っていますよ。笑顔だって、千夜の顔であの女のそれを浮かべるなら全然気になりません」
「逆だったらどうしたよ?」
「例え外見があの女似でもあの人の子供です。何の問題もありません」
「………相変わらず至上主義だよな、いっそ清々しいくらい」
苦笑し、合間にコーヒーを一口含み、会話の中で渇いた口内を潤した。
香ばしさ立ち上る苦味に満足し、
「何とでも。私にはもう、千夜しかいないんです」
何気なく口にしたつもりだったが、その言葉は志摩の視線を落とさせた。
その言葉の意味が、嫌でも理解出来たから。
気まずさに三途も志摩から視線を外し、足元に視線を落とした。
沈黙が生まれ流れる中、志摩がぽつりと漏らした。
「…………生きていたんだな、あのコ」
「……ええ」
「いつ、知った」
「二年ほど前に、あのコがこの店にやってきました」
あの時の衝撃は一生忘れられないと断言できる。
【殺されたはずの少女】が、十四歳という成長を経て再び現れたあの日を―――――――忘れられるはずがない。
「一生分驚いたんじゃないでしょうか、あの時は。後に、更なる衝撃が待ち受けてましたが」
何故か、男になっていたという衝撃。
下も脱がせて確認してチョップを脳天に叩き落された日が懐かしい。
「おいおい、目が危ねぇぞそこの変態女」
「万年不審者に言われたかありません。それと誰が変態ですか、誰が。あーもー邪魔です早く留置所に帰ってくれませんか?」
「まだ家と呼べるほど行ってねェ!」
あと何回くらいでそうなるだろう、と考えていると、
「それはそうと、あのコのこと………知っているの、仲間内で何人いるんだ」
「私と、貴方………それと、黎乎さんと……くらいでしょうか」
「他の連中は知らないのか」
「おそらくは……私も貴方と黎乎さん以外とは失踪以来、連絡とってませんから」
「ふぅん………まぁ、土御門の狸爺あたりはこっそり勘付いてそうだが。おお、そういや、ジジイの孫は上京してこっちで暮らしているらしい。朝倉の石頭のとこの双子の……息子の方と一緒にな。前に気になってその二人通ってるっつー………なんつったからな、月なんとかっていう私立高校なんだが……」
その刹那、三途の思考は停止した。
そして、無意識のうちに口から呟きが漏れた。
「……月守学園」
「あ、それだ! あー、すっきりした。……あと、玖珂のとこの放蕩息子と早乙女の末息子……それと矢代の姪もそこにいるらしいぜ」
「……そう、ですか」
動揺を見抜かれないよう笑顔を崩さないことに心がけ、なんとか応対の声を絞り出した。
「何の縁なのかねぇ。……あの頃一緒にいた奴らの血筋がまた一箇所に集まり始めてやがる。………必然か偶然か知らねぇがよ」
必然か偶然か。
付け足されたその言葉が、三途の中に落ちて大きな波紋を描いた。
―――――――ねぇ、千夜をまた高校に入れるんですってね。
数週間前の三月終わりの頃、『あの一件』以来何処か何をしていても表情に陰が目立つようになった千夜を立ち直らせようと、新たな環境に入れようと考えた。
そう、転入だ。
しかし、都内に私立は腐るほどあるが、腐るほどあるのはどれもこれも内側が腐った学校ばかり。
裏口入学、テスト問題流出―――――――などを未だ摘発されず腐り続けているものしか出てこなくて、行き詰っていたところにあの女はいつものように神出鬼没に現れ、
―――――――お困りのようだから、助け舟出してあげる。あら、遠慮しなくて良いのよ? いやぁねぇ、何も企んでなんかいないわよ失礼ねいいから聞くだけ聞きなさい。渋谷地区にある私立高校なんだけど、ほらちょっとマウス貸して………あ、これこれ。この学園、どう? 汚い噂も裏もない。なかなかユニークな祭りごとも多くて楽しそうじゃない?
ここならあのコもすぐに馴染めそうじゃない、ねぇどうかしら?
見せられたとある私立高校のホームページ。
名は月守学園。
ぞくり、と背中に妙な寒気を感じ、小さく震えた。
偶然かもしれない、彼らの血縁がそこに集ったことは。
だが、そこに千夜が放り込まれたのは―――――――
「……おーい、三途ー……戻って来いよ、うりゃっオレ流心臓マッサーずぼぉっ!」
もにゅ。
胸部の膨らんだ左の片割れに不自然な圧迫がかかると同時に、三途の手はいつのまにか手にした拳銃の底で打撃音を奏でた。
「はっ……あれ、何倒れてんですか志摩さん。あ、口の端切れてますよいつのまに」
「このアマ、無茶苦茶白々しい気遣い顔でそれを問うか。……つぅ〜……容赦なく殴りやがって、傷痕ついたらどうしてくれんだ」
「……男が上がる?」
「何で疑問系なんだよ。……もういい、これ以上傷が増える前に俺はここらでおいとまするぜ」
「コーヒー代は?」
「またツケといてくれや」
「払う気あるんですか貴方……」
はははっ諸君また会おう、と手を上げポーズを決めて誤魔化し去ろうとするのを白い目で見送っていると、彼はドアを開けた手前不意に真摯な目を乗せた笑みを浮かべ、
「三途、その銃は殴るだけならいいが、撃つ時は一人突っ走って早まんなよ。じゃねぇと、痛いしっぺ返し喰らうぜ?」
「……どういう意味ですか?」
「コーヒー代がわりの忠告だよ」
ドアが閉じ、ベルの音を残して志摩は去った。
三途は手にした拳銃を見つめ、苦い何かをかみ締めるように目を閉じた。
かの時間は、もうまもなく迫っていた。
◆◆◆◆◆◆
店を出て数メートル先、行き交う通行人に紛れて歩行を進めていた足を、路地裏前で止めた。
「よぉ、行ってきたぜ」
路地裏の日の届かない薄暗い奥から声が問う。
「それで?」
「一応忠告はしたがね。ありゃ、ダメだ。……やるよ、アイツは。昔からそうだ……自分に自信がないくせに、そうだと思ったら何と言われようと梃子でも考えを変えようとしねぇ頑固な奴さ」
「相変わらず、馬鹿な子ね」
「そういうもんさ。人間って奴は変わったと思っていても実際根っ子のところはなかなかな。……アイツがそうであって、俺はホッとしているんだが」
「それはアレの母親を思い出すから?」
切り出された話に志摩は不快そうに顔を顰めた。
「………アンタ、本当に何処まで知ってんだ?」
「さぁ? それより暫く、貴方はここで私達と居て。その時になったら一緒に来てもらうから」
「おい、止めないのかよ」
「無駄だって言ったのは貴方じゃない。好きにさせておけばいいわ。どーせ殺せやしないんだから。少しここらで鼻っ柱折ってやれば、ちょっとは改善させれるんじゃない?」
「………見殺すなよ」
「そんな怖い顔しなくても大丈夫よ。こんなところで死なせはしないわ。―――――――アレも大事な役者の一人なんだから」
ふと言葉を区切り、声が止んだ。
「ん? どうした」
「………やっぱり、ちょっとお使い行ってきてくれない?」
お使い〜?と怪訝な表情をする志摩に声は続ける。
「簡単よ。この先に続いている通りを、あの曲がり角まで歩いてくれればいいの。ね? ―――――――お・ね・が・い」
その闇から聞こえる甘い声で紡がれた『お願い』に志摩は、デレッとするどころか顔を引き攣らせるしかなかった。
何故なら―――――――本能的に嫌な予感しかしなかったから。