夕方、連れて来られたのは病院だった。
それは、そこらの病院とは比べ物にならないほどの敷地と大きさを誇ったまさに大病院と呼ぶに相応しい風貌と外観を備えていた。
デカさを病院のスゴさに例えているように見え、蒼助は何処か気に食わなかった。
「………で、俺らは誰の見舞いに来たんだ?」
「当然。ここは土御門のお抱え病院」
「やっぱりかよ。……見舞いって聞いた時点で帰ればよかった……くそ」
恐らく、というか間違いなく氷室だろう。
あの件以来、氷室が学校には来ていなかった。
何の連絡も無いので、一応気になってはいたがやはり療養中だったようだ。
しかし、あの氷室が病人という姿もあまり想像しがたいが、見てみたい気はする蒼助だった。
「さ、行こうか」
僅かに沸いた好奇心と渚に導かれ、蒼助は病院の自動ドアを通った。
中は半端じゃなく広かった。
自分が知る白い空間ではなく、病院もののドラマで見るような中から外が見渡せるように、白い壁の代わりにガラス窓が
張り巡らされている。
待合場所というよりは、休憩所といった感じで立派な椅子やらテーブルやらが広い空間を生かして置いてある。
気取った雰囲気があって、蒼助にはどうにも良い気分にはなれない。
「……なんか、偉い外科部長とかが手下連れて行進してそうなトコだな……ここ」
「蒼助くん、ドラマ見過ぎ」
そのまま階段を上り、外側がやはりガラス板の永い廊下に出る。
差し込む夕暮れの日差しで白いはずの廊下は緋色に染まっていた。
「……あれ、蒼助くん。顔色悪いけど、どうしたの?」
「………病院とは相性が悪いんでな」
病院に入った時から蒼助のテンションはかなり低空飛行していた。
無言で歩いていると、ふと前から誰かが来るのを見た。
まただ。
歩いてくる老人は不健康なまでに青白い。
病人だからというレベルではなく、それはもはや、
死者のそれに等しい。
そして、彼は――――――全身を青白い炎に包まれていた。
熱さにもがき苦しむ様子はない。衣服燃えているわけでもない。
当然のことだ。それは、彼等の"魂"なのだから。
老人はこちらを見て、二コリと笑う。
悪意や邪な他意はないのだろうが、青白い顔で微笑まれても薄気味悪くて微笑み返す気にはなれない。
避ける気配もなく老人は蒼助たちと衝突しそうになるのにも構わず近づいてくる。
そして、すれ違った。
蒼助の身体をすり抜けて。
ひやり、とした冷たさが背筋に走る。
死者に触れるという独特の感覚。
やはり、何度あっても慣れることは出来ない。
「今のおじいちゃん、随分前に末期癌で亡くなったんだけど、生きてた頃はなんか俺らこと気に入ってたみたいで、知り合いが来るからってまだここに居るんだ。俺がいない間とかマサの相手もしてくれるみたい」
「……へぇ、陰陽師ってのはああいうのを祓うのが仕事じゃなかったか?」
「何でも祓えばいいってもんじゃないよ。それにあの人、現当主の……マサのおじいちゃんの古い友達なんだ。癌で入院する前から京都の屋敷に遊びに来てはマサのこと可愛がってくれたみたいでね。マサも邪気が付いたら浄化するなりして、いろいろ長持ちするように気にかけてるんだ。俺もあのおじいちゃん好きだし……マサにとっては数少ない味方だったから」
「………あ、そ」
「そう言えば、蒼助くんって霊力ひっくいクセに霊視出来るんだ……何で?」
「知るかよ」
蒼助はスパッと拒絶し、そのまま歩く。
渚もあまり無理に聞こうとはせずその話題はあっさり捨てた。
「………そういえばおじいちゃん、何でもう病室出てたんだろ。いつもは俺が来るまでは居るのに」
「誰か別に客が来てお邪魔だと思ったんじゃねぇの?」
何気なく応えた適当な言葉に、予想外にも渚の顔がしかめっ面になる。
「……やな予感」
一体何なのか、と蒼助が怪訝に思った時だった。
「何だ、その態度はっ! 貴様っ………自分が何をしたのかわかっているのか!?」
すぐ先の病室から響いた耳障りな怒鳴り声。
蒼助は一瞬何事か、と目を瞬かせた。
その合間に渚は颯爽と病室の前に立ち、僅かにドアを開けて隙間から中を覗き見るように身を屈めた。
「げっ……やっぱりか。予感的中。……道理で……あの人も居辛いはずだ」
うんざりげに顔を顰める渚の様子に、蒼助は更に驚いた。
この男がこんなにも嫌悪感を露にするのは、蒼助が知る限りではとても珍しいことだった。 どうやらここが氷室の病室らしい。中で何が起こっているのかが気になり、ゆっくりと近づき渚の頭の上から隙間を覗き込む。
見た感じ個室の病室の中では、自動式ベッドの上半分を起こして背をかけている病院着姿の氷室がいた。表情は普段通り仏頂面だが、そこには確かな嫌悪の色が見て取れた。ちょうど、真下の渚と同じように。最も、普段から不機嫌そうな氷室の場合は見慣れていない者はよく観察しなければわからないが。
そして、他に見知らぬ顔の人間が二人。
「下された命令に背いて出しゃばった真似をしたばかりか、魔性を取り逃がすとは……とんだ失態だなぁ、次期当主殿っ!」
嘲笑を浮べながら氷室を罵るのは男の方だった。
歳は四十後半を過ぎたぐらいか。顔の造りは悪くないが、性格の皮肉っぽさが滲み出ていてそこがマイナス。高そうな着物はまるで自分の存在を誇張させているようだ。蒼助に言わせれば、会社に一人はいそうなネチネチ嫌味ったらしい上司のようなタイプだった。当然、気に食わない。
その横に付き従うようにいる同じ着物姿の女。
男とは同年代のようだが、こちらは反して年不相応に整った綺麗な顔立ちだった。やや濃い目の化粧で手を加えられていることを差し引いても。
喋るのは男に任せ何も語らぬが、やはり氷室を見る視線は冷たく白い。
まるで、氷室を忌み嫌うかのように。
「誰、アイツら」
小声で尋ねる蒼助に、渚が不機嫌な調子で答えた。
「マサの両親。……わざわざ京都の本家から出向いて嫌味とは、ご苦労なことだね」
返答に、蒼助は呆気に取られた。
あれが氷室の両親と言われてもピンと来ない。
あまりにも氷室本人と顔立ちが似ていないのだから。
蒼助が驚いている合間に、部屋の中での張り詰めた状態は続く。
「貴様が犯した失態は、貴様個人だけではなく我が土御門家の名をも汚したのだ。これではお前を次期当主に就かせる事についても、考えを改める必要があるようだな……」
「………言いたいことはそれだけですか」
黙って聞いていた氷室が口を開いた。
ぶつけられた罵言などこれっぽっちも応えていない様子で。
その態度が癪に障ったのか、男は顔から笑みを消した。
「何……?」
「私は間違ったことをしたとは思っていません。我らは人の為に戦い、弱き人の子らを脅かす悪鬼を討つために存在する。その使命に従って行動しただけです。貴方や他のどんな輩、誰にどう言われようとこの意志を覆す気はありません」
「貴様………っ」
「降魔庁は先日、渚と共に辞表を出し退職しました」
「何だとっ……!?」
聞いた蒼助も驚いたが、反応の強さは男の方が上だった。
どうやら、その行動は男の予期しないところで行われていたようだ。
「貴方の薦めてくれたあそこは、行動に制限が多過ぎる。今回の事で改めて実感しました。使命の枷になるようなところにはいつまでもいれませんので」
「貴様……何の権限があって、そんな勝手なことを」
「当主はこの事を既に承知済みです。組織が己の行動の妨げになるのなら、私の一存で好きにしていいという言葉を貰っています」
当主、という言葉で出て来た途端男の顔色が変わる。
固まっている男に、氷室はトドメとも言える痛恨の一撃を放つ。
「今、貴方は私に何の権限があると言いましたが……その言葉そっくりそのままお返しします。貴方こそ、何の権限を持っているのですか? 次期当主である私に当主でない貴方が、一々私のやる事に口出しする権限は無いと思うのですがね……父上殿」
男の顔が沸き上がる憤怒に真っ赤に染まる。
相当痛いところを突かれたようだ。
「き、さまぁ……よくもそんな減らず口を……」
男が逆上する素振りが見えた時、見計らった渚がドアを開けて中に踏み込んだ。
それに続いて蒼助も中に入る。
「はいはい、それくらいにしておいて下さいね。晴雅様」
穏やかに静止する渚の顔はにこにことしている。
だが、明らかに作った表情だ。
入って来た渚に気付いた男はこちらを向いた。
同時に怒りの矛先が渚に移動する。
「朝倉のっ! 私の許可なしに降魔庁を辞めたというのは本当か!」
「はい。その通りですが、それが何か? 貴方の許可が必要などとは到底思えませんが……」
怒りを煽るかのような追い撃ち。
「貴様等………二人してこの私を馬鹿にしているのかっ!!」
「被害妄想は止して下さいよ、晴雅様。それより……もう日が暮れるのでそろそろ御返り願いたいのですが。あまり貴方の小言が長引いて、それが原因で大事な次期当主候補の傷の治りが遅くなっては困るでしょう? ……それに、あとが閊えているので」
何故、こっちに話を振るのか。
案の定、男は苛立たしげに蒼助に興味を向けた。
「何だ、コイツは……」
「玖珂蒼助。ご存知でしょうが、当主の友人である玖珂善之助殿の嫡子ですよ。降魔庁時代、チームを組んでいた一人です」
名を聞いた途端、男の顔が嘲笑に染まる。
蒼助がこれまで何度なく見てきた表情だった。
「玖珂の落ちこぼれか………こんな程度の輩とつるんでいるとは、お前の程度も知れるな次期当主殿」
カチン、と来たが反撃を返したのは蒼助ではなかった。
「貴方などよりは幾らか上ですよ。それくらい見極める目は持っています」
手痛い言葉に男が怒りで肩を震わす。
「――――――っ……帰るぞ!」
「はい」
ドアの近くにいた蒼助たちを押し退けて同行者の女性とドアのところまで来ると男はまだ何か言う事があるのか、首だけ振り向く。
そして、憎々しげに言葉を吐いた。
「見ていろ………私は決して貴様を許しはしない」
それに対して氷室は冷たく笑う。
「許さない……? 私の存在をですか? ………それならはなっから許していないでしょう」
二人の容赦無い言葉が交差して一瞬張り詰める空気。
しかし、特に行動は起こさず男はドアに手をかけ、ただ去り際に一言忌々しげに呟いた。
「【鬼子】が………」
それだけ言って男は女性を連れて病室から出て行った。
後に残されたのは蒼助、渚、そして氷室。
流れる沈黙の中、口を開いたのは蒼助だった。
「死に損ないがどんな調子かと思って来てみれば………その調子なら元気そうじゃねぇか」
「おかげさまでな」
相変わらずの素っ気ない態度。
予想は出来ていたが、やはりムカつく。
「ったく……死にかけてちっとは丸くなってると思ってたのに、ちっとも変わってねぇな」
「下らん事を………そんな事より依頼だ。私もさっきの男を相手にして疲れている。……するべき事をとっとと終わらせて眠りたい」
「依頼ぃ?」
渚を見る。
あはは、と手を合わせて「ゴメーン」と苦笑いしている。
最初からそのつもりで連れて来たのだろう。
呆然とする蒼助を置いて、強引に話は進んでいく。
「先日、渚に辞表を届けに行かせた帰りに降魔庁の資料庫で"或る事"を調べさせた。成果は出なかったがな。だが、諦めて資料庫から出ようとした時、上層部の幹部たちの立ち話を聞いたらしい」
「……何を?」
「幹部たちはこんな事を話していたそうだ。――――――今回の事件はまるで、二十年前の再来だ、と。今回のようなケースが以前にもあったと言う事だ」
「………」
「おかしいと思わないか。資料にはそんな記録は一切なかった。だが、記録のないことを口にする人間がいた。ならば、その一件に関する記録は何処へ行った? 消えた記録を消したのは誰で、どんな理由で……」
「氷室」
蒼助は氷室の言葉を遮るように口を開いた。
「依頼ってのは、この前の化け物に関係することか?」
「……そうだ」
「なら、俺は降りるぜ。この依頼は断る」
「蒼助くん!?」
驚愕を声をあげてこちらを見る渚を無視して、蒼助はいたって動じない氷室に告げる。
「はっきり言うぜ氷室……この件はヤバ過ぎる。俺らの手じゃ負えねぇってことくらいそのザマになったお前だってわかってるはずだ。命がいくらあっても足らねぇよ」
「………本気で言っているのか、玖珂」
「本気だ。あんなんに関わってよく生きていられたのが不思議なくらいだぜ。今回ばかりは、いくら報酬積まれても乗れねぇよ。そういうわけだ、じゃあな」
蒼助は背を向けて、ドアに手を掛けた。
ふと振り返る。
「神崎はもういない。あの化け物はもういない。これ以上、何を粗探しする気だよ」
「………闇に潜んだ闇を」
「なら、忠告だけはしとくぜ。これは俺が言われた台詞だが…………この非日常にも深い場所があんだよ。触れちゃならねぇ禁忌っつーな。……アレは、きっとそういうもんだ」
不意に脳裏を過ぎった一人の少女の姿。
彼女との間に感じた"壁"。
おそらくそれこそ、こちらと向こうを分け隔てる区切りなのだろう。
あの壁を超えない限り、自分達は決して向こうへは行けない。
蒼助は何度も感じたあの敗北感に今一度襲われる。
そのまま何とも言えない気分を抱えた蒼助は、静かにドアを開け、部屋を出た。
◆◆◆◆◆◆
病院の廊下に置かれた自動販売機から買った紙コップに入ったコーヒーが、渚から差し出される。
「はい、コーヒー。ミルクなしで無糖だよ」
「軽く嫌がらせか、オイ」
どばどば入れて甘い過ぎるのは嫌だが、ストレートも苦くて嫌だ。
ほどよくなったところが好きという好みのうるさい男・蒼助。
とりあえず、それでも受け取り飲む。
勿体ないから。
「苦ぇ………くそ、良いだろ別に。誰だって命は大事だろ」
「ま、確かにそうだけどね。でも、ちょっと腹立ったからこれくらいの腹いせは我慢して」
と、渚は細かく泡立った白いラテが紙コップの表面を覆い尽くすカフェ・ラテをぐいっと飲む。
悠然と飲むその様子を苦々しげにそれを睨みつつ、さっさと片付けようと猛烈に苦い液体を口に注ぎ込む。
「ぶはっ……で、お前らは結局続けるのか? さっきの件の捜査」
「うん。その為に降魔庁辞めたようなもんだしね」
「わっかんねぇんだよなぁ……何だって三途の川渡りかけたってのに懲りもせず、深入りしようとするんだ?」
「今回の事が片付いたからといって、これでもう終わりとは限らない。第二、第三と同じ事が繰り返されるかもしれない。最初よりも大きな被害と犠牲者を生み出す可能性は大きい。それを防ぐ為にも、あの強敵についていろいろ探っておきたいのさ」
口端についた白い泡を舌で器用に舐め取る渚を見ながら、
「そうじゃなくてよ…………危ないとわかっていながら、わざわざ自分から突っ込んでいくその考えがわかんねぇんだよ。何もアイツが何とかしようとしなくても、上がどうにかするだろう。降魔庁を辞めてまでアイツがこの件に拘る理由って、何だ?」
「いや別に。特に個人的な理由はないんだよね」
あっさりな答えに、蒼助はコーヒーを零しそうになった。
「お前じゃねぇよ。俺は氷室のバカのことを聞いて……」
「だから、特別な理由なんてないよ。今回に限らず、マサは自分の手が届く範囲であるこの東京で、何度事件が起きようと犠牲を出さない為に、重傷負ってようと両足切られようと原因を潰しに行く。ああ見えて、マサって根底型退魔師だから」
「根底型って…………何の?」
「退魔師のに決まってるでしょ。君さ……退魔師がどんな存在で、どんな使命を元に動くか知ってる?」
何を今更、と思いつつもその唐突な質問に蒼助は答えた。
「そりゃ……魔性を討つことだろ」
「テストで答えても間違いじゃないだろうけど、それって肝心なところが抜け落ちてるよ。大事な要点が。いい、退魔師の正しい存在意義っていうのは……」
いつの間にか講義と化していることに、蒼助がツッコもうするを阻止するかのような絶妙なタイミングでビシッと鼻先に指を突きつけ、
「魔なる者から力なき人の子らを守ること。嘆くしかない彼らの代わりに異能という名の剣を振るい悪しきを討つ。………もう、言い出した当人たちですらが忘れているかもしれない本当の使命で、退魔師の在るべき正しい姿だよ」
「氷室はその退魔師の鏡だってのか? あの冷血漢がそんなヒーローみたいな奴とはとてもじゃねぇがそんな風には……」
「不器用なだけだよ。アイツは弱者にはスゴく優しいよ? 実は動物子供好きだけど、あの無愛想な顔を怖がられて、泣かれ吠えられ逃げられ損してるし。生徒会の仕事で不良の取り締まりにも厳しいのは、大抵がストレス発散の弱い者イジメでそれが許せないから。普段憎まれ口ばかり叩いているのも、言葉選びが下手くそなのと意地張ってるだけだし」
「俺には?」
「弱いの君? あと、もうそれは相性の問題だからねぇ。………炎と氷じゃ衝突するのはしょうがないんじゃないかなー」
「……………」
その通りなので、反論出来ない。
「まぁ、あの飴と鞭は仕方ないよ。ほぼ四面楚歌状態の中で育って、自然と鍛えられちゃったもんだから。アレはもう、敵から身を守るための一種の武器」
「四面楚歌………」
「さっきの両親の態度見たらわかるでしょ?」
実の息子に対する接し方とは思えない冷たい態度と言葉。
お前を許さないと憎悪の言葉を叩きつける父親。
産んだ子に対して、言葉一つかけずただ冷たく視線を投げる母親。
アレを親子と呼んで良いのだろうか。
「マジで実の親子なのか、アイツらと氷室って」
「実の親子であるのは間違いないよ。でも、血は直接繋がってない」
「何だ、それ。矛盾してるぞ、言ってること」
「あー、と………結構長くなるよ? 君、【半妖】って知ってる?」
聞き覚えのない言葉だ。
知らない、と首を振れば、
「人と神属とか化生とかの人外との間に出来た混血児のこと。人外の方の強大な霊力と人の限られた寿命を授かって生まれてくる双方どちらにも分別されない世界の"異端児"ってところかな」
「それと氷室に何の関係があるんだよ」
「土御門……旧安倍家の大陰陽師の出生は? 人間・保名と信太の霊弧・葛ノ葉姫との間に出来た安倍清明は半妖だったが故に人の身では及ばない域の力を誇り史上最強の陰陽師と名高き名声を得た。マサはその再来とか言われてるけど、ぶっちゃけ事実その通りなワケよ」
「生まれ変わり……とか?」
「ピンポーン。もっと細かく言うと土御門雅明は安倍清明の三人目の転生体なんだけど」
「三人目……って」
「安倍清明以降の過去の歴史の中でマサと同じように再来と言われてた人が一人いるんだ。多分それだね、正確なマサの前世って」
混乱してきた。
冷めつつあるもやはり猛烈に苦いコーヒーのそれで頭を落ち着かせる。
「ちょっと待て、何でその転生って奴が三度目だってわかるんだ。たまたまその代が先祖がえりして強かっただけかもしれないだろ。そもそも、そう何度も人間に転生出来るわけが……」
「それはないね。半妖ってその血筋の流れに沿って、その関係性を持つ人間を母体に選ぶんだ。そもそも人間じゃないし。【半妖】は生まれ変わっても半妖のままなんだ」
「有りかよ、そんなの……」
「どういう仕組みかは知らないけどアリ。 最初に半妖として生を受けた時の親の血を、そのまま持って生まれてくるんだ。だから、転生後の親となる人間とは血液型も合っていない。たまたま組み合わせが揃ってて判断しにくいパターンもあるけどね。変な話、本当の意味で親を持てるの最初の一度きりで、後はどう足掻いても形式上の親子関係が続くんだ」
そこまで話が進んで、蒼助はようやく話が見えてきた気がした。
「つまり、それがあの親の氷室に冷たい理由か?」
「一番深いところで根付いているもんとしてね。人間の自分たちから生まれたのが、人外の血を半分持った得体の知れない子供……産んだ側の勝手な言い分としては、こんな奴は自分たちの子じゃないって頑にマサの存在を否定したいんだろうね。……特に、母親の方はそんなのが自分の腹にいたかと思うと、おぞましくて仕方ないんじゃないかな」
あの汚物を見るような視線にはそういう意味があったのか、と蒼助は一つ疑問を消化させた。
「あのオッサンが最後に言ってた台詞聞こえた?」
「ああ、確か…………鬼子って?」
「半妖の蔑称。親に似ていない子っていう本来の意味もあって使われているんだ。顔、似てないでしょ?」
確かに、父親は論外として、母親の方は綺麗な顔の作りだったが、氷室とは似ていない。
「でもよぉ……母親のアレはともかく父親の方は異常だろ。それだけっていうのもを変な言い方だが、あそこまでなるか普通」
「まぁ、あの人はまた別の個人的な理由でね。まぁ、珍しくはないらしいよ、半妖の子とその親の人間関係って。忌み子であっても、一族の血を再び濃くするには大事な存在だから一応丁重に一族は扱うけど」
「………外側に対する飾りと道具の役目があるからか?」
「否定できないところが哀しいなぁ………」
胸くそ悪い、と蒼助は危うく紙コップを握りつぶしそうになった。
「でも、利用されるようなタマじゃないってのはアレ見ててわかるでしょ?」
見事な反撃で返り討ちにしていた氷室の姿を思い出す。
確かに、とささくれた精神が少し安らぐ。
「絶望の淵から這い上がった人間の姿だよ。それまでにちょっと角っこ欠けちゃったりもしたけど、ずぶずぶ沈んでは行かなかった。蒼助くんも、確かな芯を持ってるってわかってるから何だかんだつるんでるんでしょ?」
悪戯っぽく、にししと笑う渚の頭を衝動的に殴る。
「イテテ……素直じゃないなぁ。やっぱり意地張るところは何かマサに似てるなぁ。類は友を呼ぶって奴かな……」
「どたまカチ割られてぇか、てめぇ……」
「冗談だよ、冗談……あははは」
眼の据わった目でギロリと睨むと、さすがにヤバイと察したのかそれ以上からかおうとはしなかった。
やっと一段落ついたと思い、残るコーヒーを全部飲み干そう一気に流し込む。
「でも、知ってる? マサは君のこと好きなんだよ」
「ぶふぉっ!?」
勢い良くコーヒーが口と鼻から逆流し吹き出た。
しかも運悪く僅かに器官に入ってしまった。
「うわっ、大丈夫?」
「げほっ……げぇっ。……てめぇが変なこと言うからだこの野郎っ!!」
袖で口元と鼻下についたコーヒーを拭いつつ、気遣いつつも一歩下がる渚に噛み付いた。
「本当だって……まぁ、正確には羨ましいのかな。君の立場が」
「天才と散々もてはやされているアイツが落ちこぼれの俺を? 天地がひっくり返ってもありえねぇだろ」
「ちなみに俺も。言っとくけどマジな話だから」
「オイオイ……何だよ、突然。一体どうしたんだぁ?」
話が妙な方向へ転がりだしている。
「蒼助くんはさ、俺達みたいに退魔師の才能持った人間が羨ましかったりする?」
「………まぁ、一応は」
「それと同じ。逆に、俺達も退魔師としての一本道に縛られていない君がとても羨ましい」
「……渚?」
そう言う渚の表情はいつものようにからかうとか悪ふざけに浮べるようなものではなく。
真剣に心の底から本心を語る顔つきだった。
「期待ってさ、嬉しいものかと聞かれたらそうでもないんだ。正直、される方には重荷でしかないよ、本当。気が付いたら、周囲の思うように歩かされるんだ。時々ね、錯覚するんだよ……自分は操り人形になっちゃったんじゃないかって。初めて君を見た時、本気で嫉妬したね……何でコイツだけって。僕らにとって、君は落ちこぼれじゃなくて、家のしがらみという束縛を持たない自由を許された羨望の対象なんだよ、蒼助くん」
信じられない、と蒼助は耳を疑った。
落ちこぼれ、出来損ない、と口を開けば誰もがそう言った。
羨望とは無縁だと思っていたのに、思わぬ人間が自分をそう見ていたという衝撃に蒼助は言葉を失った。
――――――人が皆同じ夢を見て、同じ望みを抱くとは限らない。人の数だけ想いがあるように。
海を見ながら千夜が言っていた言葉が脳裏を駆けた。
自分の視界だけで何もかも決め付けていたという事実を蒼助は思い知った。
「ねぇ、蒼助くん。ちょっと一つ聞きたいんだけど」
「ん? あ、何だ?」
「君はどうして今もこの業界にいるの?」
質問の真意が読めず、
「どういう意味だ」
「いやね、君さぁ……降魔庁を辞めた時に言ってたじゃない? ここにいても俺の失くした探し物は得られそうにないってさ」
曖昧になっている記憶を朧げに思い出しつつ蒼助は相槌を打つ。
「探し物が闘う理由だって言ってたけど………何で、最初に理由がなくなった時点で他の道を選ぼうと思わなかったんだい?」
「あ?」
「何も退魔師になるしか道がないってわけじゃないだろ、君の場合は。周りに押しつけられる俺たちと違ってそうじゃない君は表の世界で何か別の生き方を選ぶことだって出来る。サラリーマンなんてのは想像付かないけど、修行で鍛えた身体を生かしてボクサーとか格闘技に打ち込むのだってアリだ。進む道は考えればいくらでもあるよ。なのに、君は何故……わざわざ理由を探してまでこの世界にいる事を固執するの?」
思考も心も全てが停止した。
少しの間を置いてそれらが動き出した後、蒼助はその問いに答える言葉を探したが、返答となるものは見つけられなかった。
自分は闘う理由を見つけたくて今も退魔師を続けているはずだ。
だが、逆に問えば渚の言うとおり、どうしてそこまでしてこの世界にいることを自分は望むのだろうか。
言われてみれば、母親が死んだ時に諦めてもよかったはずだ。
諦めて、何か別のことに心を向けても良かったはずなのに。
氷室のように人の為に闘おうなんて思っていない。
渚のように誰かと同じ道を歩みたいからなどとも思っていない。
昶や七海のように家を継ぐ必要もない。
………じゃぁ、何で俺は……。
――――――まだ退魔師でいたいのだろうか。
「蒼助……くん?」
俯いて黙り込んでしまったまま、微動だにしない蒼助の様子を窺う。
すると、蒼助はゆっくりと顔を上げ、一言。
「シラけた……帰るわ、俺」
「は? 何、突然……あ、ちょっと……」
突然の展開を飲み込めずにいる渚に取り合うことなく、蒼助は腰掛けていた廊下の壁際に置かれた椅子から立ち上がり出口に向かって歩き出す。
だが、ふと立ち止まり、
「渚、さっきの質問だけどよ…………俺も正直のところよくわかんねぇんだ。お前に言われるまで、気付かなかったけど………何で退魔師でいるのかはわかんねぇよ。だけど、今更別の道を選ぼうとも思えねぇ。本当にハッキリしねぇけど…………本当はお前の言うこの世界から離れられねぇワケって奴を探してるかのかもな」
「蒼助くん………」
「じゃ、あんま無茶すんなよ。お前もアイツも」
再び歩き出した蒼助に何かを思い出し、ハッとした渚が強く呼び止めた。
「待って、蒼助くんっ!」
「んだよ、人が切りよく帰ろうとしてところに……」
「あのさ……たとえマサが半妖でも………お願いだから、嫌いにならないで………これからも、どうか………」
勢いのない声が最後の辺りでは聞こえないくらい小さく、それでいて必死に懇願した。
蒼助はそれを見た後、少し間を置いて、
「だあほ。俺は人間だろうが半妖だろうがアイツが大嫌いだ。じゃぁな、また別の仕事あったら寄越してくれよ」
不安げだった渚の表情が明るくなっていくのを一瞥して蒼助は、今度こそ自動ドアを通り抜けた。
◆◆◆◆◆◆
帰り道、昼間は人で賑わう代々木公園も、夜になると都心とは思えぬほど静まり返っていた。
その中を歩く蒼助。
周りにはもはや残り僅かな花弁をつけるばかりの桜の木々。
「桜の季節も、もう終わりって感じだな…………」
足元に散々踏み千切られ茶色く変色した桜の花弁の残骸を見つつ呟く。
満開だった記憶しているのは始業式の日の学校内とその行き帰りの中で見た桜。
もう、四月の半ば。気が付けば、千夜が転校してきて既に十日も経っている。
思い返すとその間にいろいろ起こった。
降魔庁の情報隠蔽が遅れて世間で猟奇殺人騒ぎになったり。見たことも無いタイプの魔性と戦って自分や氷室が死に掛けたり。
たくさんのことが忙しく過ぎ去っていった。
こう言っては何だが、千夜が現れてからというもの蒼助の周りではおかしな出来事ばかりが起こっている。
まるで、彼女が嵐を引き連れてきたかのように。
「嵐を呼ぶ転校生ってか………こんな風に言われちゃアイツも迷惑だよな、ははっ」
「ふふっ……あながち外れてはいないわ、それ」
突然の含み笑う女の声に、蒼助は固まった。
己以外に人気のない辺りから聞こえたその声に。
そしてその直後、そこかしこで炸裂音が響いた。
「っ!?」
ハッと無意識の束縛から解放され、蒼助は弾けるように背後を振り返った。
途端、目を見開いた。
代々木公園中の桜が、満開の花を咲かせる。
波打つように桜花の海が広がっていく。
春の澄んだ空、冴え渡る白い星と満月。
それらを背景に、満開の桜が咲き誇る。
風が花びらを吹き上げて、藍の空に、薄紅色の新たな星が咲く。
美しく不確かな、魔の情景。
あまりに幻想的な光景に、魅入られていたように蒼助は押し黙った。
「な、んなんだ、これは……一体」
「あら、気に入らなかった? 男と女の逢瀬を飾るには、だいぶ侘しいと思ったから、桜に今夜一杯頑張ってもらったんだけど」
また背後から。
振り返った先には、一本の桜の木。
女の声は咲き誇る無数の花の中から聞こえた。
ゆっくり、と歩み寄り真下へとやって来た蒼助の目に飛び込んできたのは、
「はあい」
片手を軽く上げ、ニコリと笑う少女。
泥付いていなければも乱れもない状態で、どうやって登ったのか太い枝の上に座っていた。
黒い髪が淡紅の中でひどく浮いており目立つ。
同様に黒いゴスロリドレスも対照的な彩色の中では異様なまでに異色。
「お、まえ………」
「初めまして、じゃないわよね? 私の事、覚えててくれたかしら……」
交差点での出来事が、脳裏を眩いほどにフラッシュバック。
――――――ちゃんと見つけてあげるのよ?
かけられたたった一言の言葉。
会話にもならなかった。
すれ違っただけと言ってしまえば、それまでの出来事。
しかし、蒼助はあの瞬間を、千夜と出会った時と同等に並べられるくらい鮮明に、確かに覚えていた。
忘れられるはずがない。
忘れられるはずがないのだ。
目の前の少女が、そのようにしたから。
「こんばんは。――――――玖珂蒼助」
この黒ずくめの少女を、蒼助は覚えていた。
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