渋谷の街はいつもと変わらない騒がしさだった。






 この前まで連続猟奇殺人事件に触発された女子高生の姿はめっきり減っていた。だが、過ぎて時間が経ってしまえば、人が死んだ事などあっという間に忘れ去られ、元通り若者達がたむろっていた。

 結局は、どいつもこいつも誰かが死んでも他人事としか思っておらず、自分には関係ないと割り切っている。

 何て冷えた世の中だ。


 そして、そう思う蒼助自身もその日常の裏を知りつつも、何事もなかったように過ぎ行く日常に身を委ねる人間だった。




――――――おい、玖珂」

 


 蒼助は、声に物思いに耽っていた意識を呼び戻される。

 向いてみれば隣を歩いているかと思っていた千夜が、いつの間にか自分の前にいた。

 

「ぼけっとしてるな。逸れたらどうする」

「ああ……悪い。つーか、この年で迷子はねぇだろ……なぁ」

「そういうことじゃないんだが………まぁ、いい。あ、信号が青になったぞ」

「ああ」

 

 ちょうどスクランブル交差点前に来ていた。

 溜まっていた人波が一気に動き出し、その波に乗って蒼助も千夜と共に踏み出た。 


 行き違う人間と肩をぶつけそうな狭さを突き進みつつ、向こう岸を目指していたが、

 

――――――ん?」

 

 ふと前に視線をやると前方から流れて来る人波の中に一人の少女見つけた。

 かなり遠くにいる少女はほとんど顔が見えない。捉えている姿も少女と辛うじてわかる程度の大きさだ。

 

 

 

 それなのに、蒼助は見た瞬間、

 

 ほとんど明確な姿も見えない彼女の存在を、鮮明に脳裏に焼き付けていた。

 

 

 

 

 少女は後ろから大勢の人間が来るのにも構わず、そこを動かず佇んでいる。

 勢いに流されず、ぶつかる事もなく、ただそこにあるがままに立っていた。

 そして、人々はそんな少女を気にする事もなくそれぞれ思う先に進んでいく。

 

 

 

  

  

 

        

 まるで(・・・)そこ(・・)()少女(・・)()在る(・・)()()気づいて(・・・・)いない(・・・)よう(・・)()

 

 

 

 

  

  

 

 

 辺りの雑踏が消え、いつしか世界が二人だけになったような感覚に陥った。

 釘付けになった目は少女から一時も離れようとしない。


 ふと、少女がついに動きを見せた。


 その動きは、まるでビデオをスローモーションで見ているかのようなゆっくりとした動き。 

 まるで人波など彼女の行く手を阻むには役不足であるかのように、誰にぶつかる事もなく少女は蒼助との距離を縮めていく。

 そして、少女の容貌も視覚が捉えられるようになる。

 

 昼間の空間では彼女は異様なほど浮いていた。


 日本人形のように艶めいた長い黒髪。衣装もまた凄い。レースも生地も全て黒のゴスロリ。
 特徴的ではないはずの黒い瞳も、空の闇を閉じ込めてしまったかのような混じり気のなさを感じ、何処か独特なものとして見れた。


 逆に夜ならばそのまま闇の中に溶け込んでしまいそうなほど、黒一色の存在。



 それにも拘らず、彼女の隣を通り過ぎる人間は誰一人その存在に気付いていないように目にもくれず素通りしていく。



 人の目に映らないということは、この世在らざる者なのだろうか、と思うがそれは違うともう一つの意見が否定する。

 彼女は生者だ、と。 



 思考が働く中、少女との距離はもう一メートルもなかった。

 視線が交わる。少女の漆黒の眼差しと。

 ぞくり、とした。その黒い瞳の奥には深淵の谷底のような底知れなさがあった気がして。 


 少女が微笑む
 柔らかく、けれどただ優しいだけではない何処か得体の知れない笑み。



 目を離せない蒼助の隣を少女が横切る瞬間、





 ――――――ちゃんと、見つけてあげるのよ?





 鈴を転がしたような声色が、それに反して酷く大人びているように聞こえた。


 少女が通り過ぎた直後、無音だった周囲から喧噪が溢れ出す。

 少女以外のものに色が付き、彼女以外も存在が再び出現した。

 蒼助は元いた世界に戻って来た。



 そして、蒼助が取り戻した世界に存在を許されない少女は、少し目を離した隙に何処にもいなくなってしまった。



  

     

 まるで最初からそこに()なかったように。

 

 

 

 

 かなり長い間あの状態であったと思っていたのに、信号はまだ点滅していた。

 人々は急ぎ足で横断歩道を渡り、道の真ん中で突っ立っている蒼助を邪魔そうに睨んでいる。

 夢から醒めたような気分に浸っていた蒼助は、既に向こうへ渡ってそこから自分を呼んでいる千夜が目に入った。
 急いで駆け出し、信号機が再び赤になる直前で向こう岸に辿り着いた。

  一息ついていたところで違和感を覚える。

 

「……終夜?」

 

 辿り着いたはずなのに、そこに千夜がいなかった。

 同時に、先程少女が残していった言葉がやけに耳に付いた。









 ◆◆◆◆◆◆










 言ってる側から蒼助と逸れてしまった。

 付いて来ているだろうと思って、ずんずん進んでふと振り返るとそこには蒼助の姿はなかった。

 

「全く……何がこの年で迷子はない、だ。しっかり迷子になっているじゃないか」

 

 腹立たしげに周囲を見回すが、目当ての人物の姿は一向に見当たらない。

 千夜は交差点から大分離れたところに来ていた。

 

「……くそっ。何処に行ったんだ、玖珂の奴」

 

 下手に動くと更にこじれるため、その場から動けずにいた。

 向こうから見つけてくれるしかない、と思ったが、

 

「………いや、それはダメか」

 

 何故なら、彼は自分を見つけられない。

 見つかる筈がない。

 まだ見慣れていない"男"の姿の自分を見つけられるワケがない。


「わかっては、いるが………」


 落胆入り混じる呟きは雑踏の喧噪に掻き消された。


 いつまでもこうしているわけにはいかなかった。
 蒼助と合流しなければならない。


 確か蒼助のケータイのアドレスは既に入れていた筈だった。

 ケータイで連絡を取り合いながら互いに探し合うしかないと思い、ズボンの左ポケットに手を突っ込んだ。








 掴んだ、と思った時、二の腕を横から引っ張られた。




 突然の出来事に振り向くとそこには、







――――――やっと、追いついたぞ! はぁ〜……一人でどんどん進んでいくなよ」







 余程忙しく動いていたのか、肩で息をしながらショーウインドーに寄りかかる蒼助。 



 千夜は、一瞬何が起こったのか、そこに誰がいるのか認識出来きなくなるほど驚愕した。

 目を見開き、暫し自分の腕を掴んだまま息を整えている男をただ見つめた。

 まだ若干荒い呼吸の中、蒼助が顔を上げた。

 

「ったく……ちょっと目ぇ離してるうちにいなくなっちまいやがって……………って、何だよ」

 

 食い入るように向けられた視線に怖じ気づいたように身を引く蒼助に、千夜はぼつりと言葉を小さく漏らした。

 

「どうして………」

「あん? 何言ってんだお前………」

 

 心底不思議そうにする蒼助。

 千夜は自分の思いを無意識のうちに口走っていた事に気付き、慌てて誤摩化す。

 

「それはこっちの台詞だ。目を離しているうちにいなくなったのはお前の方じゃないか」

「あ、あれはだな………」

「やかましい。もう、いいから………行くぞ」

 

 話を強引に逸らし、強引に尚も言い訳を考える蒼助の手を掴み引っ張った。

 身体の内側で溢れ返る歓喜を抑えながら。

 偶然だ、と見つけてもらえたことを嬉しい喜ぶ自分に言い聞かせながら。

 









 ◆◆◆◆◆◆









「ここだ」

 

 と、千夜がようやく辿り着いた目的地の前で立ち止まりそう言った。

 だが、

 

「ここだ……ってお前」

 

 千夜の言う"ここ"を凝視する。

 目を閉じて手で擦る。

 そして、開き再び目の前の建物を探るように見つめた。

  

 しかし、何度確かめようとそれは繰り返そうと、







「喫茶店じゃねぇか……」








 そう、案内されたのは何処からどの角度でどう見ても武器屋ではなく普通の喫茶店。

 目の前に喫茶店――――――『WITCH GARDEN』は、一戸建ての一階を改装して造られたごく小さな店だった。
 店の前に置き看板が無ければそこに店があるという事に気付くのも難しい。それ程目立たない。





「……俺ら刀買いに来たんじゃ」

「そうだが」

「この店どう見ても喫茶店なんですが」

「ごちゃごちゃ言ってないで黙って付いて来い」

  

 強引に説き伏せられ、店の前までやって来た。

 ドアには営業中の札が掛けられている。

 ドアのぶに手をかける。ドアが風鈴のような音と共に開かれた。

 中に入っていく千夜の後に続いて店に踏み込み、開けた時と同じ音色を立てて閉まるドアを後ろに玄関に立った蒼助は店内を見回した。

 

 別段広くもない一戸建ての一階を改装しただけの店だから狭苦しい狭苦しいイメージを持っていたのだが、思いの外狭さは感じなかった。実際には狭いのだろうが、カウンターやテーブルが狭さを感じさせないように上手く配置されているのだ。

 テーブルも椅子も真新しく、壁も白を基調としているために清潔感があった。だが、決して無機質というわけでもなく、要所に飾られた花や観葉植物、アンティークの装飾品が優しげな雰囲気をもたらしていた。

 清潔感があって、何処か古風で――――――女性的なレイアウトと感じた。

 

 内装のセンスから経営者は女なのだろうか、と思考していると、

  

――――――いらっしゃませー」

 

 パタン、とドアの閉まる音と共に掛けられた優しげな声。

 視線をやった先――――――カウンターの向こうにその声の主はいた。

 二十代の前半に位置するであろう眼鏡をかけた女性。栗色の柔らかそうな髪はセミロングの長さを持ち後ろで一つに束ねられている。歪みの無い輪郭に鼻筋、優しげな目――――――化粧っけはまるでないが、彼女の素材の良さにそんなものは不要だろう。腕まくりのされたワインレッドのワイシャツとブラウンのパンツにその上にエプロンをかけている。

 生粋の美人なのだろうが、シンプルな装いで派手さは全くない。全体的に地味でパッとしないが、逆に美人にありがちな近寄り難さはなく、見る者をホッとさせる素朴な雰囲気があり、ナチュラルな美人である事を知らされる。

 おまけにエプロン越しでもわかるプローポーションの良さだ。

 蒼助は一目でイイ女だと認識した。

  

 この間僅か一秒。


  

 蒼助に色目で観察されていたとも知らずに、女性は親しげに千夜と話していた。

                   

「来るなら電話くらいくれればいいのに………」

「急で悪かった。まぁ、今日は日曜で……"喫茶店は"休みだからいいだろう? 後ろの男が今、得物を失くして新しい武器を探していると言うから此処を紹介しに来たんだ」

 

 後ろで千夜達のやりとりを眺めていた蒼助は話が自分に振られた事に気付く。

 その時、女性と目が合った。

  

 刹那、何の前触れも無く蒼助に"異変"が襲った。

 

 両目が燃えるように熱くなった。 




 

――――――っ……!」

  

 溜まらず目を瞑り、瞼の上から眼球を押さえつけた。

 

 痛かったのか、熱かったのか、わからなかったその出来事はたった一瞬で終わった。

 強く閉じていた瞼をゆっくり開き、数回瞬きする。何も無い。

 

 

 今のは何だったのか。
 ただ、わかるのはあの女性と目が合ったから今の事象が起こったという事。

 

  

 「どうしたんだ? 目にゴミでも入ったのか?」

 

 何が起こったかすらも知らない千夜は訝しげに蒼助を凝視した。

  

「何でも……ねぇ」

 

 誤摩化しでも何でもなく、そう答えるしかなかった。

 蒼助自身にもわからないのだから。


 もう一度、女性を見た。

 再び目が合うと、彼女はにこり、と微笑んだ。

 

「初めて見る顔だね、名前は?」

「……玖珂蒼助」

「初めまして、この店の店長の下崎(しもざき)三途(さんず)です」

  

 カウンターの外に出て蒼助の前までやってきた三途と名乗った女性は、握手を求めるように蒼助に手を差し伸べた。

 先程起こった出来事からの三途への違和感を拭えない。
 蒼助は一瞬それに応対しようか迷ったが、不審に見られない極短時間で思い直しそれに応える。

 

「………ああ、よろしく」  

 

 優しげな表情。柔らかな口調。繊細そうな性質。

 どれもこれも自分とは異なるはずなのに、蒼助は不思議な事に共感に似たようなものを目の前の女性から感じていた。

   

  

 彼女と自分は、『何か』同じものを有している、と。

 

 

 そう考えているうちにいつの間にか握る手に必要以上の力が込もっていたのか、三途が眉を僅かに眉を顰め苦笑いしていた。

 

「……っ……はは、さすが男の子。力が強いね。………でも、ちょっと痛いかな?」

「…っと、悪ぃ」

 

 女性らしい細い手が軋む程の力を入れていた手を、蒼助は慌てて離す。

 解放された手をもう片方の手で摩る三途は、全く気にしていない素振りで本題を振って来た。

 

「いいよ、男の子は元気な方が良いしね。………さて、それはともかく武器を買いに来たんだっけね。
 ――――――何をお求めかな?」

「あ、ああ……刀、だ。太刀が欲しいんだ」

「刀剣類か…………」

 

 考え込む三途をよそに、蒼助は今だこの店に武器が置いてあるなど信じられないでいた。

 いざ入ってみても内装も外と同様に喫茶店のそれで、何処を見ても武器や道具など見当たらない。

 念を入れてもう一度、と周囲を隅々まで見回す蒼助。

 その時、三途が動いた。

 

「まぁ、私が選ぶより自分で見て選んでもらった方がいいだろうから」

 

 そう言って三途は右手を軽く掲げ、指を一つパチン、と鳴らした。

  

 次の瞬間、蒼助は大きな『変化』をその眼で捉えた。

 

 喫茶店内の風景にぐにゃり、と歪みが生じる。 

 その様子は、まるで筆洗いの容器に入った水の中に色のついた水が一滴垂らされて螺旋状の模様を描く様子に似ていた。 

 やがて元の空間が原形がわからなくなるまで歪むと、再び何かを形成するようにその歪みが修正されていく。

  

 蒼助が息を呑んでただただその様子を見ていると、歪みは徐々に消えていった。

 新たなる驚愕の種を蒼助に残して。

  

「なっ………!?」

 

 思わず声を上げて蒼助は目を見開いた。

 目の前に広がる棚に並べられた薬品、飾られる刀剣類、幾種類もの正体不明の道具など。

 それはアンティークや小物、テーブルなどが飾る喫茶店の風景ではない。そんなものはもう見る影もない。

 まさに蒼助のような退魔師が足を運ぶ『SHOP』の光景そのものだった。

  

「な、何だぁ今のはっ」                              

「空間術式の一種だよ。さっきまでの空間の中に、この本来の空間を隠していたといったところかな」

「術式って………あんた、もしかして【魔術師】って奴なのか?」 

「ええ、そうだけど…………」

「へぇ……これが【魔術】って奴なのか。………凄ぇな」

「ちょっと違うけど………もしかして、君……魔術は初めて見たのかな?」

「ああ」

 

 だが、話だけなら蒼助も父親から聞いた事がある。

 知り合いに魔術師がいた、とかつて酒の場でその話が出た時にその存在を初めて耳にした蒼助は興味が湧き詳しく聞いた。

 その時、深く疑問に思ったのは魔術師の使う【魔術】と退魔師が使う【術式】はどう違いがあるのかだった。



 聞けば、退魔師が扱う【術式】はその称号に現れているように【魔】を調伏する術。対して【魔術】とは人為的に奇跡・神秘を再現する術。降魔を目的として産み出された前者と異なり、超常現象を具現させる事を目的として産み出された後者。それが魔術であり扱う者を魔術師というらしい。

 あとはいろいろ難しい理論が組み込まれてより複雑な仕組みになっている――――――とか何とかあの馬鹿親父が「うー」とか「あー」とか頭抱えて説明していたな、と蒼助は思い出を振り返った。



 
 

 目にする機会に恵まれてなかった蒼助は、こうして初めて見たそれに正直に感動していた。

 三途は少し照れくさそうに笑った。

 

「感激してくれて嬉しいよ。さぁ、どうぞ好きなのを選ぶと良い」

 

 ああ、と頷き蒼助は周囲の品々を眺めた。

 『SHOP』をよく利用する蒼助だったが、此処のものは見た事もない品が多く、品揃えがいいと感じた。子供の頃初めてデパートのオモチャ売り場に来たような気分になった。

 いろいろ触ってみたいと思ったが、自分は刀を買いに来たという本来の目的を思い出した蒼助は、そこを堪え刀剣類が収められたガラスケースの一角へと近づく。

 

「備前長船、虎鉄、菊一文字…………正宗まで。どれもこれも名刀じゃねぇか」

 

 数だけではない。質も他所の『SHOP』とは桁違いに良い。

 とんだ穴場を見つけた。


 だが、

 

「た、高ぇ………」

 

 自分にだけ聞こえる小声で呟いた。

 此処の品は良い。だが、欠点が一つある。

 刀に限らず、物を買うにはどうしても避けられない障壁。蒼助に限らず人間誰もが幾度となくブチ当たる見えない壁。それを前にして人はもがき、諦めきれず、やるせなさに襲われるだろう。

 蒼助が対峙している人類の最大の敵。



 ――――――値段、と言う名の。



「いち、に、さん、し………ゼロが六つも。……値段まで桁違いか此処は」

 

 質がいいものはそれ相応に値が張るのは常識なのだが、どうしようもなく多いゼロの数が憎らしい。

  

「ちくしょー……」

「やっぱり高いか?」

 

 苦渋の表情を浮かべて値段札とにらめっこする蒼助の心境を察した千夜が、そっと耳打ちした。

 吐息が吹きかかり場違いにドキッとしつつも、文句を漏らす。

 

「高いも何も……金欠だっつったろ。大丈夫なのかよ、本当に。……マジで持ち金余裕ないんだぞ?」 

「……ああ、そうだったな。心配するな、なんとかなる」

 

 二人でごにょごにょと話し込んでいる姿を怪しく思ったのか、三途は眉を顰め、

 

「決まった?」

「ああ、三途。――――――この中のどれかくれ」





 ずっこけた。





 

「……何コケてんだ、玖珂」

「おまっ……そりゃ無理があるだろ! 何処の店に商品ただでくれてやる店主がいると……」

「いいよ、どれがいい?」

「あんたかっ!?」

 

 至極あっさり承諾した三途を、蒼助は珍獣を見るような目で見た。

 三途はあはは、と決まり悪そうに頬を指先で掻きながら苦笑を浮かべた。

 

「実は、この店に"こういう目的"で来るのは千夜だけなんだ。だから、品物はほとんど売れないわけでね。いつまでも埃に埋もれさせといちゃせっかくの名品も可愛そうだしねぇ。……千夜の頼みでもあるし、一本くらいタダで持っていっても構わないよ」

 

 まさに隠れた名店。
 だが、隠れ過ぎて客が来ないのはどうかと思う。


 しかし、せっかくのチャンスを逃す気もない辺り蒼助もちゃっかりしていた。

  

「それで、結局どれにするんだ?」

「ん〜?……そうだな」

 

 端から順に眺め、後で払う事を考えて選ぶ。


 そして、

 

「これにしようか」

 

 蒼助は七本のうち右から二番目の刀を指差した。

 どれどれ、と三途が歩み寄り選んだ商品を確認する。

 

「あれ、それ確かにその中じゃ一番安いけど………無銘だよ?いいの?」

「いいの。それとも、お宅は品には自信がないのか?」

「ふふ……口が達者だね。じゃぁ、それで決まりだね?」

「ああ、こいつがいい。惚れた」

 

 断じて貧乏性で尻込みしたのではなく。

 

「わかりました」

 

 ガラスケースから指定の刀を取り出す。

 そして、両手で持ったそれを蒼助の前に差し出した。

 

「お買い上げ誠に有り難うございます」 

 

 こうして、蒼助は新たな得物と贔屓の店を手に入れた。









 ◆◆◆◆◆◆








――――――またのお越しをお待ちしております」





 業務口調で三途は千夜達を見送った。

 風鈴のような音と共にドアが閉まるのを見届けると、三途は再び指を鳴らした。

 空間が歪み、裏事業であり本業である『SHOP』の姿から表向きの喫茶店へと姿を戻す。

 同時に店の外に張っていた【人よけの結界】を解除する。

 

「ふぅ……」

 

 一段落し、椅子の上に腰を下ろし背もたれに身を委ねた。

 一息ついていた三途に声が掛かる。

 

――――――三途」

 

 足下から響く三途にとって馴染み深い声。

 視線を下げると予想通りの人物がいた。

 いや、この場合は人物という言い方はおかしいだろう。

 

 予想通りの『動物』がいた。

 

「クロか。おかえり」

「……誰がクロだよ。僕の名前はブラック・スノーだろ。 ……君が付けたくせに」

「あはは、ごめんごめん。つい略しちゃうんだよねぇ〜。いつ帰って来たの?」

 

 『クロ』、もとい『B(ブラック)S(スノー)』と言う名の"黒猫"は抱き上げられ、膝の上に乗せられた。

 いつもの定位置に置かれた黒猫は、顔を前足で掻きながら主の質問に答えた。

 

「さっき帰った客が帰った時にだよ。丁度良くドアが開いてくれて手間が省けた」

「おや、気付かなかった」

 

 嘘つき、とぶぅたれる猫にごめん、と謝り頭を撫でる。

 いいこいいこ、と口ずさまれるのは気に喰わなかったが、愛でる手の心地よさに気を良くした猫はあっさり機嫌を直した。

 ちょろい、とにやりと黒く笑ったのを猫は気付いただろうか。

 

「ところで、さっきどうかしたの?」

「さっきって?」

「千夜が連れて来たあの客と目が合った時の事。彼が目を押さえてる時、君の顔も僅かに歪んでた」

「歪んだとは酷い表現だね。私の顔が変になっちゃったみたいじゃない」

「戦闘中の君のアレって歪んでるって言わないの? 貞子も裸足で逃げる……ってああ! で、出る !さっき散歩中に喰ったインコ出そう!! やめてー!」

 

 逆さになって本格的に青ざめて来たところを、胃酸にまみれた鳥を吐かれては困るので解放してやる。
 尻尾を離された猫は自由落下。
 ぐえ、と呻き声を上げて床に落ちた猫は、恨めしそうに見上げて来る。

 

「い、今喉まで来てた。この鬼め! 鬼畜!」

「"半分は"似たようなもんだから否定はしないよ」

 

 罵倒をさらりと受け流す飼い主を悔しげに睨みつつも、これ以上の反抗は無駄と知った猫は潔く白旗を上げて降伏した。

 

「で、結局のところどうなのさ」

「……うん、実はね。彼と"共鳴"したみたいなんだ」

 

 その言葉で、猫のゆらゆら揺れていた長い尻尾が、ぴたりと静止したのを三途は見た。

  

「共鳴って………まさかあの客」

「うん……きっとそうだよ」

「でも、おかしいよ。だって眼が」

「そうなんだけどね。………でも、反応したよ」

「まさか………まだ未確認の種類なのかな」

「さぁね、共鳴しただけじゃその能力はわからないから。…………それに、もう一つ気になる事があるんだ」

 

 付け足された言葉に猫を首を傾げた。

  

「なぁに? 気になる事って」

「まだ確証に至っていないから言わない」

「ケチ」

 

 むす、と拗ねる猫に苦笑。

 椅子から降り、猫の前でしゃがんで頭をポンポンと手を乗せる。

 

「まぁまぁ、そう拗ねないで。その代わり君にお仕事してほしいんだ」

「仕事………?」

「そう、お仕事だよ」

  

 その刹那、三途の顔から笑みが消える。

 

「彼を――――――玖珂蒼助を監視しなさい。期限は今から当分の間」

「………ご褒美は?」

「鯵三匹、おまけに鰹節もつけよう」

「了解」

 

 やけにシャキッとなった猫は、意気揚々と外へ出て行った。

 チリンチリン、と鈴に似た音が響いてドアが閉じていくのを、三途は見ていない。

 視線は虚空に向けられ、脳裏には先程刀を買っていった少年の姿を思い浮かべていた。

 

「玖珂、蒼助……か」

 

 久しぶりに聞く『玖珂』という姓。

 それを冠する人間から感じた"気配"。




 決して合うとは思えない扉と鍵を前にして、三途は胸騒ぎを感じていた。










 

 ◆◆◆◆◆◆











 

 上機嫌の帰り道、千夜が予想だにしない事を蒼助に告げた。



 

「さて、御代はどうやって払わすかな………」

「はっ?」

 

 不吉で要領を得ない台詞でウキウキ気分が一気に頭から吹っ飛んだ。

 

「ちょっと待て! ……何の話だ、今のは」

「何を勘違いしているみたいだが、その刀を貰ったのは私だぞ」

「な、なにおう?」

「私と三途との会話を思い出してみろ」

 

 混乱する頭で蒼助は、店での千夜と三途の会話を巻き戻す。



 くれ、と言った千夜。いいよ、と言った三途。

 その会話の中に蒼助は入り込めていなかった。 



 冷静に考え直してみれば、千夜の言う通りの内容になる。



 さっと青ざめる蒼助に、千夜が更に追い討ちをかけた。

 

「言っておくが、ただではやらんぞ」

 

 ええ、わかっておりますとも。

 底意地悪げに笑う千夜に、とてもつもなく嫌な予感を感じた。 

 

「刀壊した責任とるんじゃなかったのかよ……」

「あれは、店を紹介してやると言ったんだ。代金まで払うとは言っていないぞ?」

 

 揚げ足をとってやろうと試みたが、無駄な足掻きに終わった。

 戦況は完全に蒼助の劣勢となっていた。

 

「安心しろ、借金させるなんてことはしないから」

「だ、だよな……」

「そんなことよりもっとイイコトさせる」

 

 いっそ、借金した方が良いかもしれない、と蒼助は心底思った。

 一体どんな無理難題を吹っ掛けられるのだろう、と腹を括っていると、いつの間にかマンションの前まで戻って来ていた。

 千夜は今だ、見返りの要求を思案していた。

 

「んだよ、まだ決まらないのかよ。……マンション着いちまったぞ」

「何だ、そんなに私に借金したいのか」

「ごゆっくり考えて下さい」

 

 しばらくして、千夜はふと思いついたようにぽつりと呟いた。

 

「………海」

「ん?」

 

 声が小さ過ぎてはっきり聞き取れなかった蒼助は耳を傾けた。

 今度はしっかり決めたように千夜は告げた。






「なんか急に海が見たくなった。決めた、海に連れてけ」


























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